2009.01.25

スムチュドゥチェン

 本土にいる知人から、短いメール。

「あまりいい感じではないです」(大意)
(略)
「本土でも皆外国のテレビ見てるんで、今年のスムチュドゥチェンは頑張ってください。と、××××に伝えてください。」
(※××××は共通の知人)

 これだけではありますが。

 スムチュドゥチェン(3月10日記念日)、って、まさに当日昼間、ツェリンさんから聞いて知ったばかりのチベット語。まったく同じ言葉が“かの地”からもメールで届いてびっくり。ツェリンさんから聞いていなかったら「スムチュドゥチェン」という単語を知らず、メールは意味不明だったわけで、こういう偶然って、あるんだなあ。

 あまりいい感じではない(大意)、というのは、中国政府の抑圧や監視が非常に厳しくなっていることを示唆しているんだと思う。
 そして、外国のテレビ見てる、というのは、僻地では地上波届かなくて衛星放送の受信アンテナを立てるから、それで漏れ電波を拾って海外のTVが見えちゃっている、ということかなぁと推測します。

 そっか……本土で見てるのか……。

 とっさにいろんなものが駆けめぐって、しゅんと言葉を失ったメールでした。
 

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2009.01.18

1/24仙台で石濱教授のチベット史講演会

 チベット・モンゴル・満州関係史が専門で、「チベットを知るための50章」など多数の著書がある石濱裕美子・早稲田大教授の講演会が今週末、仙台で開かれます。
 東北大学の若手の歴史研究者グループが主催する勉強会なんですが、イシハマ先生から直々に
「仙台は遠いし、ごろうちゃんを置いて行けないし、これまでは断ってたけど、去年は『チベせん』とかね、東北でもチベット関連のグループができたのを聞いて、チベットに関心のある人がいるなら行って話をする甲斐もあると思って初めて行くことにしたから。誰でも参加自由だし無料だし、一般の人にも分かりやすくパワーポイント使って話すから興味のある人は誰でもどうぞ!」
とメッセージいただいてしまいました(有り難や……)。
というわけで、ご興味ある方は、ぜひ。

東北大学東北アジア研究センター共同研究
「北アジアにおける帝国統治とその遺産に関する研究」第5回研究会

  • 日時:平成21 年1 月24 日(土)13:00-17:30
  • 場所:東北大学川内北キャンパス
    川北合同研究棟4 階大会議室(436 室)
  • 内容:
    (1)講 演(13:00-14:00)
    石濱裕美子氏(早稲田大学教育・総合科学学術院教授)
    「チベット仏教世界の歴史的展開」
    (2)報 告(14:10-17:00)
    中村篤志氏(山形大学人文学部講師)(14:10-14:50)
    「清代モンゴル史研究の現状とソムをめぐる諸問題」
    田淵陽子氏(東北大学東北アジア研究センター専門研究員)(14:50-15:30)
    「『満洲国』期の対モンゴル人教育機関に関する回想録について」
    佐藤憲行氏(東北大学東北アジア研究センター専門研究員)(15:40-16:20)
    「19 世紀後期のダムノールチン地区拡大とロシア商人」
    岡 洋樹氏(東北大学東北アジア研究センター教授)(16:20-17:00)
    「人民革命期モンゴルにおける地方行政統治」
  • 聴講自由

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2009.01.07

渡航準備

 はっと気付いたらダラムサラ出発まであと3日になっていた!
 仕事の合間を縫って買い出し。何度か足を運んだ「業務スーパー」に一直線……の……はずが……、お店がない!
 くーっ、ここも不況か? でも「原料高で主婦が格安スーパーに」ってちょっと前に特集されてたよなぁ。……と、職場に戻ってこそこそ検索すると、閉店ではなく、やや離れた地区のドラッグストアが倒産した空き店舗に移転していたらしい。

 栄枯盛衰。
 1年ぶりだとこんなこともあります。

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2008.12.01

Jigdrel(ジグディル)

 「Jigdrel」というチベット人が撮った記録映像は、10月、日本のチベタンの友人から聞いて知った。(寡聞にしてそれまで知らなかった)
 その友人は、亡命2世世代で、異郷で生まれて難民学校で育ち、ふるさとチベットを自分の目で見たことがない。
 「外国の撮影隊が作った映画はあるけど、これは、本土のチベット人が自分で撮ったところが違うんだ。中国政府はすぐに『分裂主義者の工作』とか言って、3月の抗議活動も『外国から危険分子が扇動した』なんていうけど、この映像を見れば全部ウソだって分かる。本土のチベット人が『やらなきゃ』と自分でビデオを持って旅に出て、映って話している人も、無理やりじゃなくて自分の意思で『自分はこう思います』ってカメラの前で意見を言ってるんだ」。
 説明しながら、友人の目は少し潤んでいた。
 「そして、撮影した人は2人とも中国政府に連れて行かれて行方不明なんだ」(当時。10月15日、1人は監視つきで釈放された)

 ネット公開されていた映像は英語字幕。
 「日本人に見てもらうには、日本語に訳して日本語の字幕がないと」「ある程度チベットのことを知らないと、見てもわからないかも。解説がいると思う」。一緒に映像をみた人たちの間から、その場でさまざまな意見が出た。全員が「上映する」ことを前提にしていた。「字幕加工ならできる」と手を上げる人、「英語字幕をまず日本語に直してみますね」と申し出る人。「会場探しておきますね」「チラシ作れます」……。
 実をいうと私なんか自分でできる範囲のことしか想像力が働かず、内心「えぇー、字幕なんて一般人にはムリでしょ」「ネット配信のものをどうやって加工するの」と悲観的に眺めていたので「え!? できるの」「え!? え!? それもできるの!?」と、ただ圧倒。すいません。世の中、デキる人はほんとに凄い、と感服。

 チベット語→英語→日本語と迂回すると、もしかしたら、2回訳す間に意味がズレるかもしれない。友人は「映像で話されてるチベット語は方言が強くて、難民キャンプの標準チベット語で育った自分には完全には意味が分からない」という。
 映像の冒頭、「東チベットで……」とナレーションが入っているのを手がかりに、東チベットならカム(Kham)だ、カムの言葉が分かる人に監修をお願いしよう、とカンパ(カム人)協力者探しが始まった。
 カム方言といっても地域差があり、チャムド、リタン、ギャロン、タウ、カンゼ、デチェン、ムリ……と、それぞれ言葉が違うという。(日本語でも、同じ関西弁だからといって、京都言葉のことを岸和田の人に聞いたりしないと思うし。)カムに詳しい日本人にも協力を頼んだりして、カムの中のさらにどの方言なのか確認しようとしていた10月下旬、拘束され行方不明だったこの映像の撮影協力者が釈放されたというニュースが入った。

チベット人の「本音」描いたドキュメンタリー映画の制作協力者、7か月ぶりに釈放(AFP-BBニュース日本語版 2008年10月21日)
http://www.afpbb.com/article/politics/2530617/3450448?blog=alcom

 「甘粛省のラブラン寺に戻り」……。
 って、カムじゃないじゃん、アムドじゃん!! だから(アムドの)西寧拘置所に拘留されていたのか。そういうことか。
 すぐにアムド出身の知り合いに聞く。
 「Jigdrelって知ってる?」「知ってるよ」「インタビューで話してた言葉、聞き取れた? 英語なくても分かるの?」「(笑って)当たり前じゃないか。自分の言葉だよ」

 生まれて一度も見たことのない、足を踏み入れたことのないふるさとの人たちが撮影した映像を何度も何度も繰り返し見て、ふるさとへの言い尽くせない思いを胸に「これを日本人に見てほしい」と訴えたチベットの友人。
 その土地で生まれ育ち、温かい思い出も嫌な記憶もすべて抱え、友人も親類も残したまま離れざるを得ず、(現在の情勢では)再び戻って故郷で暮らすことは絶望的ななか、遠く離れた日本で、インターネット越しの映像で、現状を訴えるふるさとの言葉を聞いたチベットの友人――。
 なんだか泣けてきた。

 こうしてさまざまな人の協力で実現した「Jigdrel」日本語字幕版。
 ほんと私は横から成功を祈りつつ己のスキルのなさを実感してただけで何も能力を提供できなかったけど、年内に上映が実現することになって勝手に嬉しい。
 地元でもチベせんに機会を作ってもらった。ゲストなし、映像見るだけの地味イベントですが、経費かけないぶん値段もそこそこなので(無料にしないのは余剰分を「Filming for Tibet」に寄付するためです)、1人でも多くの参加があれば、と思ってます。

【東京上映会】
日時: 2008年12月6日(土)午後7時
場所: 大久保地域センター4階多目的ホール
    (東京都新宿区大久保2-12-7)
参加費: 1000円
予約: SFT日本(予約専用) sft_jp_move@yahoo.co.jp

【仙台上映会】
日時: 2008年12月7日(日)午後2時
場所: みやぎ婦人会館5階第2会議室
    仙台市青葉区錦町1-1-20
参加費:500円/予約不要
詳細: http://www.tibesen.com/


(以下転載)

チベットの「いま」を伝えるドキュメンタリー
「Jigdrel(ジグディル)― LEAVING FEAR BEHIND」
   


2008年、チベット。20人がカメラの前で恐れることなく本当の気持ちを語った。フィルムは極秘にチベットから持ち出され、撮影した青年と僧侶は中国政府に逮捕された――。
近づく北京五輪に沸き立つ中国の裏側で、チベット人は何を思い、何を感じ、どう生きているのかを世界に伝える証言映像。

Filming for Tibet(スイス)の協力でStudents for a Free TIBET Japan(SFT日本)が日本語訳と字幕制作を行ったものです。

■日時: 2008年12月6日(土)午後7時
■場所: 大久保地域センター4階多目的ホール
    (東京都新宿区大久保2-12-7)
■ゲスト:ダライラマ法王日本代表部事務所
     代表 ラクパ・ツォコ氏
■参加費:1000円
■定員:100人
■申し込み・問い合わせ:SFT日本事務局
 参加申し込み専用 sft_jp_move@yahoo.co.jp
 参加予約以外の問い合わせ sftjapan2008@gmail.com
■主催:Students for a Free TIBET Japan(SFT 日本)    
■協力:(社)アムネスティ・インターナショナル日本・チベットチーム

【ドキュメンタリー「LEAVING FEAR BEHIND」について】

2007年10月から2008年3月にかけ、チベット東北部アムド地方在住の農民トンドゥプ・ワンチェン(34歳)と僧侶ジグメ・ギャツオ(39歳)の2人が、チベット各地で極秘にインタビュー取材したVTRを、トンドゥプの従兄弟であるスイス在住のギャルジョン・ツェリンが編集し、25分のネットムービーとして公開した。チベット語原題は「Jigdrel(ジグデル)」(=恐怖を乗り越える)。日々の社会的抑圧や政治的迫害を感じながら生活するチベット本土のチベット人が、北京五輪についてどう感じているのか、置かれている政治的状況をどうに考えているのか、強制移住や中国政府による資源収奪や教育・文化面での抑圧の実態を、「恐怖を乗り越えて」カメラの前で赤裸々に語った、チベットの「いま」を伝える貴重なインタビュー映像である。

取材した2人は2008年3月にラサからチベット各地に広がった騒乱の直後、相次いで逮捕された。ジグメ・ギャツオは過酷な拷問と虐待の後に2008年10月15日に仮釈放されたものの、現在も厳しい監視下に置かれている。トンドゥプ・ワンチェンの行方はいまもわかっておらず、政治的な理由から拘束されている多くのチベット人とともに安否が懸念されている。

LEAVING FEAR BEHIND公式サイト
http://www.leavingfearbehind.com/

(東京・仙台以降の各地の上映会予定は→SFT日本の「"LEAVING FEAR BEHIND"「恐怖を乗り越えて」特設ページ」へ)

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2008.11.26

私の見たチベット 暮らしと文化

Rimg0320 地元で「チベせん」主催イベント。
 渡辺一枝さんを迎えて講演「私の見たチベット 暮らしと文化」。しんみりと会場が一体になる語り口に、来ていただいて、じかにお話を伺えてよかった、としみじみ感じた2時間でした。

 ものすごく意外だったことに、一枝さん、仙台での講演会は初めてとのこと。「中学校の修学旅行以来です」とおっしゃられて、こちらが驚きました。
 というのも、もともとこまやかな季節感あふれるエッセーを慕うファンや平和を願う気持ちに共鳴する人の多い方で、チベット関係以外での講演活動も多く、私個人は、仙台に来る前の群馬では2度ばかり、一枝さんのトークショーがあったことを後で知り(確かうち1回はミニコミ誌を出してる地元広告会社の主催だった)、「しまったもっとちゃんと情報収集していればぁぁ」と悔やんだ経験もあったので。仮にも文学都市を標榜する人口100万人の仙台で講演会がなかったとはちょっと信じられず。

 開催レポートはチベせん代表のブログに譲って、懇親会も終わった2次会ではスタッフの大反省会。
 「いいお話だったっス……もっとたくさん人呼べたらよかったッス……」
 「だろ? そうだよなぁ? もったいねぇよなあ!!」

 足を運んでくださった方々はすっごく真剣で会場の雰囲気はとっても良かったし、金で数を競う政治集会とか労働組合が動員をかけるようなものとは違うので、人数の多寡に本質的な意味はない……んだけど、お話が素晴らしかっただけに余計に、満員御礼とはいかなかった、はるばる一枝さんに来ていただいて、たくさんの人に聞いてほしい話がもったいなかった……という気持ちはなんとなく全員が共有したまま夜はふけるのでした。
 「チベットって最近よく聞くけど何なの?」的な、ちょっと前までのノリ(社会的関心、に言い換えてもいいかも)はなかったかも。
 準備や呼びかけや告知や周知徹底についての個人的力不足は第一にあるとして、ただこの9ヶ月ばかりは、それを超えた何かに振り回されてきたので、今回はそうじゃなかった……ということを考えると、社会の関心が薄れたのか、認知度が上がって新鮮味がなくなった(チベットお腹いっぱい、みたいな)のか、センセーショナルな関心を呼びそうなビビッドなトピック(ラサで暴動に巻き込まれましたあ、とか、チベット代表者会議の内幕を話しますう、とか……?)でないと人は動かないのか、とか……。いろいろひとりで思いはとんで、ある事象に対する関心のあり方とか、チベットを考えるイベントのあり方とか、これからチベットはどこに行くんだろうなんても考えてみましたが、そんなの分かんないし、考えたって仕方ないことだと思えてきたので、やめます。

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2008.11.02

深夜作業

Rimg0311 深夜のファミレスで、久々に1人ルンタ作業。
 領収書兼礼状のハガキとルンタの領収印を持ち込み、住所書いてはんこ押して50円切手を貼る作業を黙々。渡米して倒れて入院したガワン・ワンドゥンにいただいた支援金への謝礼状送付作業で、1ヶ月半越しの懸案事項というか宿題がようやくできて、やっとすっきり! お礼を言わなきゃと思っているのにそのままになってしまってるのは、何かつっかえた感じがするものです本当。

 お礼状は9月中旬に準備して、その時の勢いでだいたい半数の方には発送できたのですが、残りに手が回らず。9月末に上京する時も持参して、病院で少しずつ住所書いたりしてたんですが、まとまった時間と作業スペースがなくて完遂できず……。
 ……受け取った人は却って「なんだコレ今頃」と思うかもなあ(言い訳しようもない。もうしわけありません)。

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2008.06.24

更新できずすみません

 LANのつながってるビジネスホテルに入れたので現状報告(汗)。
 四川大地震に絡んで2週間ほどブログ更新を自粛、休止中のニュースクリップも含め再開しようと思っていたところに、地元で岩手・宮城内陸地震がありまして、個人的には私自身も自宅もなんともなかったんですが、仕事がすごいことになり、ほかのことが何も手につかなくなりました。現在、仙台を離れていて、ネット環境も電話回線もなかったり。当分、オモテの仕事最優先になり、ブログ更新できないと思いますが申し訳ありません。

 ……と書き込めるようになる程度の時間はなんとか持てるようになりました。
 いや今までけっこう自分は忙しいと思ってたんですが、まだ上には上があることを知ったというか、陰で「ヒマだなぁ」「よくやるなぁ」と言ってくるオモテの知人の気持ちもしみじみ分かったというか(すいません)。

 「ブログ止まってるよ」と言われたりメールもらった友人知人には「いや今ちょっとシャレならんのよ」と惨状を伝えたりしてたんですが、まったく知らない方からメールいただいてしまい、さすがに申し訳なく反省。いずれ復帰しますので申し訳ありません。

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2008.05.14

帰還マーチ情報「チベットはもはやそう遠くない」

 フェースブックという英語ベースのSNS(mixiみたいなもの)を通じて届いた「帰還行進(Rise up, Resist, Return March to TIBET)」の最新情報です。パリ在住の小川さんにMLを通じて訳して頂きました(地名や人名表記を一部手直し、補足を入れています)。ありがとうございました。

テンジン・ツォンドゥ(Tenzin Tsondu)からのメッセージ
「チベットはもうそこまで近づいた」

 長い旅のため夜明け前に寝袋を荷物につめてから、法王を祀る祭壇にカターをかけ、私は「決意した。何が起ころうと、やりぬくつもりだ」と呟いた。
 300人の人たちとヒマーチャル、パンジャブ、ハリャナ、デリー、ウッタルプラディシュ州を通る900キロ以上の道のりを70日間歩き、昨日、私たちは北インド・ウッタランチャル州のクマオン山脈のアルモラ(Almora)に到着した。ここからチベットはそう遠くない。

 チベットへのマーチは、世界中でチベット人とチベット支援者たちによるチベット蜂起が一斉に起こった3月10日、ダラムサラから始まった。100人の主要メンバーによって開始され、より多くの参加者が途中から加わった。明日、アルモラからチベットへ向かう山間の谷に発つメンバーは、300人の行進者と8人の外国人で、この外国人たちのうちの数人はダラムサラから私たちと行進している。
 行く先々で私たちはインド人に暖かく迎えられた。彼らは私たちを励まし、水や宿泊所を与えてくれた人々もいた。私たちはおもに、アシュラム(訳注:ヒンドゥーの避難所や集会所のうな場所)やグルドワーラー(訳注:スィク教の寺院)、学校に宿泊した。時には地方自治体がトラクターで運ばれるタンカーから水を供給する道ばたの広場で寝ることもあった。インド人には長い巡礼旅行の文化があるため、旅行者へのもてなしを自然に身につけている。地区ごとにジープやバイクに乗った警察の護衛がついた。

 私たちが3月13日にカングラ地区でインド警察に逮捕され、14日間拘束されたことは皆さんご存知だと思う。釈放の3日後に行進は再開し、”行進のスピリット”は続行された。釈放後、私たち100人全員が行進に再び参加したが、刑事裁判に悩まされた。先週末、チョエイン(Choeying)、ロブサン・イシェ(Lobsang Yeshi)と私の3人はデラ裁判所に出頭した。6月にもう一度出頭しなければならない。

 様々なメディア報道によって、行進が中止になったと思っている人もいるようだ。私自身も数人からその件での電話をもらったが、私は彼らの誤解を解いた。国境の切迫を見て、法王は企画者に行進を中止した方がよいとアドバイスされたが、チベット全土での勇気ある非暴力抗議と、現在進行中の中国のチベット人に対する弾圧を見て、彼らの犠牲はわたしたちの意欲をたきつけ、活気づけた。もう私たちは止まることができない。それで、一時休止のあと、4月19日に私たちはデリーからチベットへの行進を再開した。

 デリーからウッタルプラディシュを通る道のりは大変だった。異様に暑く、乾燥しており、埃っぽかった。耳元で通り過ぎるトラックやバスに轢かれそうになったりした。時折、私たちの配布していたキャンペーンちらしを受け取るために停まる車両もあった。わたしたちは列を組み、長い胴体にいくつもの足を持つヤスデのように歩いた。頭がとれても新しいのが生え、おしりから尻尾がずるずる引かれて歩くヤスデのように。

 私たちは朝4時に起床し、洗面と寝袋・テント・マットレスの荷造りを済ませてから朝食をとり、5時には歩き始める。6〜7時間歩くと、たいていは20〜25Km進んでおり、時には27~28Kmの時もある。雑用・炊飯班がトラックに乗って先に到着して、キャンプを整える。多くの場所で、水は貴重品である。私たちは道沿いの手動ポンプの水で体を洗う。時々、多数の僧侶がいっしょに麦畑で水浴びをする。月の光のもと、自然に囲まれた広い畑で水浴びをするのは、素晴らしい体験だった。

 行進者のほとんどは、南インドの3つの修道院大学の仏教僧たちだ。ダライラマ法王とともに1959年にチベットから亡命された老僧もいる。最年長者は78歳である。最年少は17歳の少年で、インド生まれのインド育ちでチベットを知らない。子供を夫に残してきた数人の若い母親たちもいる。私たちの広報班は、外国に発信し、また地方メディアとコンタクトを取ることのできるよう動いている。
 夕方の集いのなか、日々のお祈りの後で、メディアはニュースを流す。私たち行進者が、インド各地や外国でのチベット支援行動に拍手する場合が多い。ロンドン、パリ、サンフランシスコ、キャンベラ、東京(訳注:実際は長野ですが……)での聖火リレーでの抗議に、私たちは深く感謝している。チベット人がカトマンドゥで抗議を続けていることは、ネパール警察の非情を考えると、大変うれしいことである。
 私たちは、今、行進の最後の区間にさしかかっている。アルモラから国境までは200Km足らずで、ヒマラヤ山中に入るにつれて涼しくなる。未だ外国の占領下にある母国に帰ることは易しいことではないということは分かっている。中国軍は機関銃で国境を警備するであろうし、インド警察でさえも理由を付けて私たちを止めるであろう。対峙は避け得ないが、私たちは止まるつもりはない。国境で長いことキャンプすることになるかもしれないし、国際社会の支援と協力を要請しなければならないかもしれない。私たちの行進の行く手に何が待ち受けているのか分からない。

 私たちにとって、チベットへの行進は、母国への帰還、そして母国に自由に生きる権利の再要求である。何が起こっても、私たちは非暴力を貫く。報復するつもりはない。殴られようが、投獄されようが、さらには撃たれようが、諦めるつもりはない。そして、私にとっては、この行進以外に人生でやろうと思うことがない。私たち行進者全員にとって、この行進はわたしたちの人生の仕事なのだ。
 ◇ 
行進についてのニュースと写真、行進者の手記はこちら:
www.TibetanUprising.org
最短2日間から行進に途中参加している外国人参加者もおり、そのうち何人かは出発から参加している。参加希望者は以下にコンタクトして下さい。
Sherab Woeser sherabwoeser@yahoo.com または Lobsang Yeshi (携帯:****)
遠方などの理由で参加できない方は、私たちのメッセージを伝えるのに協力して下さい。寝袋、靴、マットレスの寄付は大変ありがたいです。募金してもらえれば、食糧や水が買えます。すべてのチベット人の貢献に期待してます。

Bod Gyalo! (チベットに勝利を!)

Tenzin Tsundue――チベットへの道中にて
2008年5月13日
アルモラ、インド

 原文にはメールアドレスとともに携帯電話の直番号が入っていましたが、SNS内での公開と思い、直番号だけ削除しています。
 正念場を迎えているようです。
 友人からもメール。

このルートって、確かハイリンヒ・ハラーが超えたルートだよね。ナンダデビを通って、カンリンポチェにインド人が巡礼に行くルートを行くのか?

 ハインリヒ・ハラーの再現なのか……。
 昨年12月、グチュスムのガワン・ウーペル会長は「ネパールを経由しないルートを考えている」と言っていたからそうなのかも。ウーペル氏、いったんダラムサラに戻ってきたようなことを聞いていたけど、再び参加したのでしょうか……。

 英語読める方のために、原文はこちら。

Subject: Message from Tenzin Tsundue: "Now Tibet is not so far"

Now Tibet is not so far

When I packed my sleeping bag that early morning before sunrise for this long journey, I placed a white (khatak) scarf at the alter of His Holiness and said I have decided, whatever happens, I will make my way through. Walking for almost 70 with 300 people covering more than 900 kilometers through Himachal, Punjab, Haryana, Delhi, UP, we reached Almora town yesterday in the Kumaon Mountains in the north Indian state of Uttrakhand. From here Tibet is not very far.

The March to Tibet began from Dharamsala on 10th March, the same day similar uprisings happened all around the world, organized by Tibetans and Tibet supporters, even in Tibet – a global Tibetan uprising. We started with 100 core marchers, on our way many more joined us. As we leave Almora tomorrow into the high mountain valleys towards Tibet, we are 300 marchers and eight support marchers who are foreigners from different countries, some of whom have been with us from Dharamsala.

All along the route the Indian people have welcomed us with warmth, cheered our spirit and in some places offered us water and shelter. At most places we spent our nights in Ashrams, Gurudwaras and schools, sometimes on empty grounds on the roadside, where the local municipality provided water in tankers driven by tractors. Indians have a culture of going for long journeys across their country for pilgrimages and therefore hospitality is a natural custom. The police have been sending an escort all along the route in jeeps or on motorbikes passing the security duty from one district to the next.

You must be aware that we were arrested by Indian police in Kangra District on the 13th March and jailed us for 14 days. The second batch of the March was launched three days later and that carried on the March spirit. After our release, all 100 of us rejoined the March, but there is already a court case slapped on us. At the end of the last month, Choeying, Lobsang Yeshi and I had to appear in Dehra court and will have to do that again in June.

I learned that some people had the impression from various media reports that the March had been canceled. I myself received phone calls from few people whose doubts I cleared. Seeing an imminent confrontation at the border His Holiness did advise the organizers against the continuation of the March, but after seeing the courageous non-violent uprisings that happened all over Tibet and the ongoing Chinese crackdown on our people in Tibet, our commitment was revitalized by their sacrifice and inspired us. Now we can’t stop it. So we re-launched the March to Tibet from Delhi on the 19th April after a temporary halt.

The journey from Delhi passing through UP was difficult; it was extremely hot, dry and dusty. The trucks and buses on the highway threatened to run over us sometimes rushing by our ears, and sometimes stopping by to pick our campaign flyers that we were handing out on the road. As we walked one after the other in a long single file like the multiple legs of a millipede - one long body. Even when the head has taken the next turn, the tail is still trailing behind from the last corner.

The Marchers wake up at 4 am, after washing and packing sleeping bags, tents and mattresses, we have breakfast and start walking at 5 am. Usually walking for 6 to 7 hours a day we cover a distance of 20-25 kilometers, sometimes walking even 27 or 28 kilometers. The logistics and kitchen team move ahead in trucks and set up the camp. At many places water is luxury. We bathe under hand-pump water taps on the roadsides; scores of monks bathe together sometimes in wheat fields. It’s a great experience answering nature’s calls in open fields under the moonlight with a jug of water by your side.

Most of the marchers are Buddhist monks from the three monastic universities in south India; some old people who escaped from Tibet along with His Holiness the Dalai Lama in 1959, the eldest one being 78. The youngest are two 17 year old boys, born and brought up in India and have never seen Tibet. There are several young mothers who left behind their family in the care of their husbands. Our communication team tries to reach out to the outside world and also arranges opportunities to talk to local media. During the evening gatherings, after the daily prayer, the media coordinator tells the news. Many times the Marchers applaud Tibet support actions taken in different parts of India and abroad. The protest against the torch in London, Paris, San Francisco, Canberra and Tokyo received huge appreciation. The ongoing Tibetan protests in Kathmandu are highly appreciated understanding Nepalese police brutality.

We are now starting the last leg of the March. From Almora to the border is now barely 200 kilometers, and it will now be cold as we ascend higher into the Himalayas. I know returning to a homeland that is still under foreign occupation is not easy. Chinese military will of course guard the border with machine guns, even Indian police will find an excuse to stop us. Confrontation is inevitable, but we are not stopping. We may even have to camp at the border for a long time, might have to call for international support and participation. We march into uncertainty.

The March to Tibet is a process for us to return to our homeland and reclaim our right to be in our native land in freedom. Whatever happens, we have deep commitment to non-violence; we will not retaliate. We may be beaten, jailed or even shot at, but we are not giving up. And for me there is no other plan in life other than this March. For all of us marchers, this is our life commitment.

For daily updates and photos about the march and to read personal stories of the Marchers please visit: www.TibetanUprising.org We have a number of non-Tibetan support Marchers who have been walking with us for a couple days or longer, and some right from the beginning. If you are interested in joining please contact our coordinators: Sherab Woeser sherabwoeser@yahoo.com (cell phone:略)and Lobsang Yeshi (cell phone:略). If you are far away or can’t join us, you can help spread the word. Donations of sleeping bags, shoes and mattresses can be of great use. Your financial contribution can help feed the Marchers and give water to keep us going. I count for every Tibetan’s contribution towards this movement.

Bod Gyalo! (Victory to Tibet!)

Tenzin Tsundue, on the way to Tibet
May 13, 2008
Almora, Uttarakhand State, India
--------------------

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2008.05.09

5/23にチベット医学講座/サイクロン

 ビルマ(ミャンマー)の人と知り合って、ちょっと話した。
 初対面の私に、いてもたってもいられない、というせっぱ詰まった声音で「今必要なのは食料と医薬品です。命がかかってます。軍事政権を利するとか建前や理屈でなく、一刻も早く人道支援を」と、最後は泣き出してしまい、会話にならなかった。
 未曾有の災害、膨大な数と言われる犠牲者、閉め出される外国メディア、伝わらない現地情報……。去年9月の僧侶の抗議行動(取材中の日本人フォトジャーナリストが殺害された)の当時、周囲のチベ友は「チベットを思い出して涙が出た」とか言っていた。たぶん、ここ2ヶ月のチベット報道の洪水に、ビルマにかかわる人たちは、あるいはビルマを思い出していたのかも――と考えたり。
 政治の壁のために、支援物資が届かないとか治療が受けられないとか食料が受け取れないとか、実際何が起きているのかが外に伝わらないとか……考えると暗澹とした気持ちになる。「助けて」と言う声さえ届かないなんて状況は、やっぱりおかしい。ビルマ(ミャンマー)も、チベットも。(と思考回路はチベットに戻る……すんません)


 ダラムサラのメンツィカンで研修医となったアムチ(チベット医学博士)の小川さんから、講演会の案内をもらいました。「オープンセンス」の主催事業です。

「チベット医学講座 一人一人が主人公」
【講師】チベット医学研修医 小川康
【日時】5月23日(金)19:00~21:00
【受講料】3500円またはオープンセンスチケット1枚
【場所】東日本橋 リバース2階ホール
  http://opensense.jp/studio/rebirth/access.html
 インドのダラムサラのチベット亡命政府にあるメンツィーカン(チベット医学暦法学大学)にチベット圏以外の外国人として初めて合格し、2007年チベット医(アムチ)となった小川さん……。薬剤師、薬草会社社員、自然観察インストラクターなど色んな体験を経て、いまチベット医学の道を歩まれています。ユニークな体験のなかから チベット医学やヒマラヤの自然の話また実際にヒマラヤから持っていただいた薬草に触れながら薬草の話などを聞かせていただきます。
 「草に親しみ、薬の起源を体験し自分で感じ考えることから 一人一人が医学や薬学を自分の手に取り戻してゆく手助けをしたい」「草を楽しむと書いて薬という漢字ができました。まずはそこからはじめてみませんか?」
http://www.opensense.jp/education/workshop/
OgawaYasushi20080523.html

 申し込みは公式サイトからどうぞ。


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2008.05.02

拷問死/コンビニにウイグル料理/チベットの地名

 ダラムサラの「チベットNOW@ルンタ」更新。
 TCHRD(チベット人権民主化センター)が発表した5月2日付のリリースを抜粋翻訳してくれています。内容は、拷問による死亡者の確認について。

http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51001180.html
 4月1日、ペンボ、ジャンカのデドン村の農夫ダワ氏31歳が死亡した。彼は3月15日のデモに参加し、逮捕されていた。複数の情報によれば、彼は逮捕された後、取調官から酷い拷問をうけたという。彼が重体となったことを知った当局は3月27日、彼を病院に送った。4日後の4月1日に彼は死亡した。

 TCHRDの原文は http://www.tchrd.org/press/2008/pr20080502.html


Rimg0065 ファミリーマートで「レンジ ラグマン」。
 ウイグル料理じゃん、すげーすげーすげー! 汁うどんになっちゃってるし、トマトベースじゃないし、なんか似ても似つかない感じだけど、腹もすいてないけど、とりあえず購入。
 説明は「中央アジア風羊肉うどん」だって(「ビーフコンソメをベースにデミグラスソースを使用したスープ」とかあって、それ絶対ラグマン違うと思うが・笑)。

 「レンジアップ トゥクパ」とか「レンジ テントゥク」が出現する日も近い!? 


 チベットの地名について。
 チベットNOWで中原さんも言及していますが、私も前に書いたけど、「ペンボ、シャンカのデドン村」と言われても、チベット本土に何度も行ったことがある人でさえ、よほどチベット語が分かる人でないとピンと来ないかもしれません。
 チベット人がチベット語でチベットの地名を言い表すのはしごく当然のことなのに、現実の地図には音訳や意訳された漢字が並び、ひどい場所になると、中国政府が勝手につけた地名にすりかわっています(メワ→紅原[ホンユェン]、ダルツェド→康定[カンディン]など。日本語に訳されるときはさらにその漢字を音読みするから、たとえチベット語音訳の漢字地名であったとしてさえ、もう原型をとどめないと言っても過言ではありません)。

 その「分からなさ」こそが、チベットに「高度な自治」がない、ないし固有の文化決定権を奪われている、という悲劇の象徴でもあるな、と思っているわけですが。

 というわけで、理念では、チベットについて語る時はなるべくチベット本来の地名で、と考えて日々そうしているつもりではあります(「カガ」でも「シャーハー」でもなく「ラブラン」と言うとか、「ドウジン」でも「トンレン」でもなく「レコン」とかね)が、現実問題、今どこで何が起きているかというリアルな話をするときに、それが地図上のどこにあたるのかが分からなくなってしまうようでは、却って問題をリアルから遠ざけることになってしまいます。
 だから、「中国政府の表記では何だ?」と中原さんが叫んでる気持ちはよく分かるのでした。

 チベ友がつくってコメントにくれた地名対応一覧をトラックバックしておきます。メインサイトはここで、地名対照表も準備中、とのこと。個人的にも、拡充や、リリースが出るごとの補足を心がけたいな、と思いつつ(いちおうダラムサラ発行の地図、中国政府発行の地図両方もってるし)。
 ichhanさん、ありがとうございます。

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