2008.05.17

News0517

 5月17日付ニュースクリップ

長野の聖火リレーで逮捕されたタシィさん、釈放され会見
2008.5.17 00:43
釈放後始めて会見を行ったタシィ・ツゥリン氏。左は通訳を務めたペマ・ギャルポ氏=16日午後、東京・千代田区(小松洋撮影) 長野市で先月26日に行われた北京五輪聖火リレーで、卓球日本代表の福原愛選手の列の前に飛び出し、威力業務妨害の現行犯で長野県警に逮捕された亡命チベット人2世で台北市在住の古物商、タシィ・ツゥリンさん(42)が17日釈放され、都内で産経新聞などのインタビューに応じた。
 タシィさんは胸の前で両手を合わせながら、「日本のみなさん、政府、警察にご迷惑をかけたことにおわびします」と謝罪。
 その上で、「日本の法律を犯さざるをえなかった理由があったことを分かってほしい」と訴えた。
 通訳としてチベット出身の政治学者、ペマ・ギャルポ桐蔭横浜大学大学院教授が同席。
 タシィさんは謝罪の言葉を述べた後、「チベットで何が起きたのか伝えなければならなかった。平和的に抵抗したことを“暴力的行為”だと誤解しないでほしい」と強調した。
 さらに、「チベットで亡くなった人々のことを考えるとじっとしていられなかった。聖火リレーという全世界の注目が集まる絶好の機会で、チベットの惨状をどうしても訴えたかった。初めから飛び出そうと決めていたわけでなく、気が付いたら行動を起こしていた」と当日の様子を話した。
 20日間の勾留で、逮捕前と比べて頬がこけており、「最初はここまで長くなるとは思わなかったが、捜査当局は法律に沿って質問している印象を受けた。最後には平和的な活動をしていたと納得してくれたと思う」と話し、勾留中に多くの日本人から励ましの手紙をもらったことも明かした。
 福原選手の際に飛び出したことについては「どういう方か知らなかった」。後に、福原選手が中国の胡錦濤国家主席と卓球をしたことを知ったといい、「それはカルマ(業)かもしれない」と答えた。
 また、四川大地震について「生死をさまよっている人を助けることの方が五輪より重要だと思う。ただチベットに害を与えるのは中国政府であり、中国の人々には同じ人間として幸せになってほしい」と話した。

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2008.05.14

帰還マーチ情報「チベットはもはやそう遠くない」

 フェースブックという英語ベースのSNS(mixiみたいなもの)を通じて届いた「帰還行進(Rise up, Resist, Return March to TIBET)」の最新情報です。パリ在住の小川さんにMLを通じて訳して頂きました(地名や人名表記を一部手直し、補足を入れています)。ありがとうございました。

テンジン・ツォンドゥ(Tenzin Tsondu)からのメッセージ
「チベットはもうそこまで近づいた」

 長い旅のため夜明け前に寝袋を荷物につめてから、法王を祀る祭壇にカターをかけ、私は「決意した。何が起ころうと、やりぬくつもりだ」と呟いた。
 300人の人たちとヒマーチャル、パンジャブ、ハリャナ、デリー、ウッタルプラディシュ州を通る900キロ以上の道のりを70日間歩き、昨日、私たちは北インド・ウッタランチャル州のクマオン山脈のアルモラ(Almora)に到着した。ここからチベットはそう遠くない。

 チベットへのマーチは、世界中でチベット人とチベット支援者たちによるチベット蜂起が一斉に起こった3月10日、ダラムサラから始まった。100人の主要メンバーによって開始され、より多くの参加者が途中から加わった。明日、アルモラからチベットへ向かう山間の谷に発つメンバーは、300人の行進者と8人の外国人で、この外国人たちのうちの数人はダラムサラから私たちと行進している。
 行く先々で私たちはインド人に暖かく迎えられた。彼らは私たちを励まし、水や宿泊所を与えてくれた人々もいた。私たちはおもに、アシュラム(訳注:ヒンドゥーの避難所や集会所のうな場所)やグルドワーラー(訳注:スィク教の寺院)、学校に宿泊した。時には地方自治体がトラクターで運ばれるタンカーから水を供給する道ばたの広場で寝ることもあった。インド人には長い巡礼旅行の文化があるため、旅行者へのもてなしを自然に身につけている。地区ごとにジープやバイクに乗った警察の護衛がついた。

 私たちが3月13日にカングラ地区でインド警察に逮捕され、14日間拘束されたことは皆さんご存知だと思う。釈放の3日後に行進は再開し、”行進のスピリット”は続行された。釈放後、私たち100人全員が行進に再び参加したが、刑事裁判に悩まされた。先週末、チョエイン(Choeying)、ロブサン・イシェ(Lobsang Yeshi)と私の3人はデラ裁判所に出頭した。6月にもう一度出頭しなければならない。

 様々なメディア報道によって、行進が中止になったと思っている人もいるようだ。私自身も数人からその件での電話をもらったが、私は彼らの誤解を解いた。国境の切迫を見て、法王は企画者に行進を中止した方がよいとアドバイスされたが、チベット全土での勇気ある非暴力抗議と、現在進行中の中国のチベット人に対する弾圧を見て、彼らの犠牲はわたしたちの意欲をたきつけ、活気づけた。もう私たちは止まることができない。それで、一時休止のあと、4月19日に私たちはデリーからチベットへの行進を再開した。

 デリーからウッタルプラディシュを通る道のりは大変だった。異様に暑く、乾燥しており、埃っぽかった。耳元で通り過ぎるトラックやバスに轢かれそうになったりした。時折、私たちの配布していたキャンペーンちらしを受け取るために停まる車両もあった。わたしたちは列を組み、長い胴体にいくつもの足を持つヤスデのように歩いた。頭がとれても新しいのが生え、おしりから尻尾がずるずる引かれて歩くヤスデのように。

 私たちは朝4時に起床し、洗面と寝袋・テント・マットレスの荷造りを済ませてから朝食をとり、5時には歩き始める。6〜7時間歩くと、たいていは20〜25Km進んでおり、時には27~28Kmの時もある。雑用・炊飯班がトラックに乗って先に到着して、キャンプを整える。多くの場所で、水は貴重品である。私たちは道沿いの手動ポンプの水で体を洗う。時々、多数の僧侶がいっしょに麦畑で水浴びをする。月の光のもと、自然に囲まれた広い畑で水浴びをするのは、素晴らしい体験だった。

 行進者のほとんどは、南インドの3つの修道院大学の仏教僧たちだ。ダライラマ法王とともに1959年にチベットから亡命された老僧もいる。最年長者は78歳である。最年少は17歳の少年で、インド生まれのインド育ちでチベットを知らない。子供を夫に残してきた数人の若い母親たちもいる。私たちの広報班は、外国に発信し、また地方メディアとコンタクトを取ることのできるよう動いている。
 夕方の集いのなか、日々のお祈りの後で、メディアはニュースを流す。私たち行進者が、インド各地や外国でのチベット支援行動に拍手する場合が多い。ロンドン、パリ、サンフランシスコ、キャンベラ、東京(訳注:実際は長野ですが……)での聖火リレーでの抗議に、私たちは深く感謝している。チベット人がカトマンドゥで抗議を続けていることは、ネパール警察の非情を考えると、大変うれしいことである。
 私たちは、今、行進の最後の区間にさしかかっている。アルモラから国境までは200Km足らずで、ヒマラヤ山中に入るにつれて涼しくなる。未だ外国の占領下にある母国に帰ることは易しいことではないということは分かっている。中国軍は機関銃で国境を警備するであろうし、インド警察でさえも理由を付けて私たちを止めるであろう。対峙は避け得ないが、私たちは止まるつもりはない。国境で長いことキャンプすることになるかもしれないし、国際社会の支援と協力を要請しなければならないかもしれない。私たちの行進の行く手に何が待ち受けているのか分からない。

 私たちにとって、チベットへの行進は、母国への帰還、そして母国に自由に生きる権利の再要求である。何が起こっても、私たちは非暴力を貫く。報復するつもりはない。殴られようが、投獄されようが、さらには撃たれようが、諦めるつもりはない。そして、私にとっては、この行進以外に人生でやろうと思うことがない。私たち行進者全員にとって、この行進はわたしたちの人生の仕事なのだ。
 ◇ 
行進についてのニュースと写真、行進者の手記はこちら:
www.TibetanUprising.org
最短2日間から行進に途中参加している外国人参加者もおり、そのうち何人かは出発から参加している。参加希望者は以下にコンタクトして下さい。
Sherab Woeser sherabwoeser@yahoo.com または Lobsang Yeshi (携帯:****)
遠方などの理由で参加できない方は、私たちのメッセージを伝えるのに協力して下さい。寝袋、靴、マットレスの寄付は大変ありがたいです。募金してもらえれば、食糧や水が買えます。すべてのチベット人の貢献に期待してます。

Bod Gyalo! (チベットに勝利を!)

Tenzin Tsundue――チベットへの道中にて
2008年5月13日
アルモラ、インド

 原文にはメールアドレスとともに携帯電話の直番号が入っていましたが、SNS内での公開と思い、直番号だけ削除しています。
 正念場を迎えているようです。
 友人からもメール。

このルートって、確かハイリンヒ・ハラーが超えたルートだよね。ナンダデビを通って、カンリンポチェにインド人が巡礼に行くルートを行くのか?

 ハインリヒ・ハラーの再現なのか……。
 昨年12月、グチュスムのガワン・ウーペル会長は「ネパールを経由しないルートを考えている」と言っていたからそうなのかも。ウーペル氏、いったんダラムサラに戻ってきたようなことを聞いていたけど、再び参加したのでしょうか……。

 英語読める方のために、原文はこちら。

Subject: Message from Tenzin Tsundue: "Now Tibet is not so far"

Now Tibet is not so far

When I packed my sleeping bag that early morning before sunrise for this long journey, I placed a white (khatak) scarf at the alter of His Holiness and said I have decided, whatever happens, I will make my way through. Walking for almost 70 with 300 people covering more than 900 kilometers through Himachal, Punjab, Haryana, Delhi, UP, we reached Almora town yesterday in the Kumaon Mountains in the north Indian state of Uttrakhand. From here Tibet is not very far.

The March to Tibet began from Dharamsala on 10th March, the same day similar uprisings happened all around the world, organized by Tibetans and Tibet supporters, even in Tibet – a global Tibetan uprising. We started with 100 core marchers, on our way many more joined us. As we leave Almora tomorrow into the high mountain valleys towards Tibet, we are 300 marchers and eight support marchers who are foreigners from different countries, some of whom have been with us from Dharamsala.

All along the route the Indian people have welcomed us with warmth, cheered our spirit and in some places offered us water and shelter. At most places we spent our nights in Ashrams, Gurudwaras and schools, sometimes on empty grounds on the roadside, where the local municipality provided water in tankers driven by tractors. Indians have a culture of going for long journeys across their country for pilgrimages and therefore hospitality is a natural custom. The police have been sending an escort all along the route in jeeps or on motorbikes passing the security duty from one district to the next.

You must be aware that we were arrested by Indian police in Kangra District on the 13th March and jailed us for 14 days. The second batch of the March was launched three days later and that carried on the March spirit. After our release, all 100 of us rejoined the March, but there is already a court case slapped on us. At the end of the last month, Choeying, Lobsang Yeshi and I had to appear in Dehra court and will have to do that again in June.

I learned that some people had the impression from various media reports that the March had been canceled. I myself received phone calls from few people whose doubts I cleared. Seeing an imminent confrontation at the border His Holiness did advise the organizers against the continuation of the March, but after seeing the courageous non-violent uprisings that happened all over Tibet and the ongoing Chinese crackdown on our people in Tibet, our commitment was revitalized by their sacrifice and inspired us. Now we can’t stop it. So we re-launched the March to Tibet from Delhi on the 19th April after a temporary halt.

The journey from Delhi passing through UP was difficult; it was extremely hot, dry and dusty. The trucks and buses on the highway threatened to run over us sometimes rushing by our ears, and sometimes stopping by to pick our campaign flyers that we were handing out on the road. As we walked one after the other in a long single file like the multiple legs of a millipede - one long body. Even when the head has taken the next turn, the tail is still trailing behind from the last corner.

The Marchers wake up at 4 am, after washing and packing sleeping bags, tents and mattresses, we have breakfast and start walking at 5 am. Usually walking for 6 to 7 hours a day we cover a distance of 20-25 kilometers, sometimes walking even 27 or 28 kilometers. The logistics and kitchen team move ahead in trucks and set up the camp. At many places water is luxury. We bathe under hand-pump water taps on the roadsides; scores of monks bathe together sometimes in wheat fields. It’s a great experience answering nature’s calls in open fields under the moonlight with a jug of water by your side.

Most of the marchers are Buddhist monks from the three monastic universities in south India; some old people who escaped from Tibet along with His Holiness the Dalai Lama in 1959, the eldest one being 78. The youngest are two 17 year old boys, born and brought up in India and have never seen Tibet. There are several young mothers who left behind their family in the care of their husbands. Our communication team tries to reach out to the outside world and also arranges opportunities to talk to local media. During the evening gatherings, after the daily prayer, the media coordinator tells the news. Many times the Marchers applaud Tibet support actions taken in different parts of India and abroad. The protest against the torch in London, Paris, San Francisco, Canberra and Tokyo received huge appreciation. The ongoing Tibetan protests in Kathmandu are highly appreciated understanding Nepalese police brutality.

We are now starting the last leg of the March. From Almora to the border is now barely 200 kilometers, and it will now be cold as we ascend higher into the Himalayas. I know returning to a homeland that is still under foreign occupation is not easy. Chinese military will of course guard the border with machine guns, even Indian police will find an excuse to stop us. Confrontation is inevitable, but we are not stopping. We may even have to camp at the border for a long time, might have to call for international support and participation. We march into uncertainty.

The March to Tibet is a process for us to return to our homeland and reclaim our right to be in our native land in freedom. Whatever happens, we have deep commitment to non-violence; we will not retaliate. We may be beaten, jailed or even shot at, but we are not giving up. And for me there is no other plan in life other than this March. For all of us marchers, this is our life commitment.

For daily updates and photos about the march and to read personal stories of the Marchers please visit: www.TibetanUprising.org We have a number of non-Tibetan support Marchers who have been walking with us for a couple days or longer, and some right from the beginning. If you are interested in joining please contact our coordinators: Sherab Woeser sherabwoeser@yahoo.com (cell phone:略)and Lobsang Yeshi (cell phone:略). If you are far away or can’t join us, you can help spread the word. Donations of sleeping bags, shoes and mattresses can be of great use. Your financial contribution can help feed the Marchers and give water to keep us going. I count for every Tibetan’s contribution towards this movement.

Bod Gyalo! (Victory to Tibet!)

Tenzin Tsundue, on the way to Tibet
May 13, 2008
Almora, Uttarakhand State, India
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2008.05.09

5/23にチベット医学講座/サイクロン

 ビルマ(ミャンマー)の人と知り合って、ちょっと話した。
 初対面の私に、いてもたってもいられない、というせっぱ詰まった声音で「今必要なのは食料と医薬品です。命がかかってます。軍事政権を利するとか建前や理屈でなく、一刻も早く人道支援を」と、最後は泣き出してしまい、会話にならなかった。
 未曾有の災害、膨大な数と言われる犠牲者、閉め出される外国メディア、伝わらない現地情報……。去年9月の僧侶の抗議行動(取材中の日本人フォトジャーナリストが殺害された)の当時、周囲のチベ友は「チベットを思い出して涙が出た」とか言っていた。たぶん、ここ2ヶ月のチベット報道の洪水に、ビルマにかかわる人たちは、あるいはビルマを思い出していたのかも――と考えたり。
 政治の壁のために、支援物資が届かないとか治療が受けられないとか食料が受け取れないとか、実際何が起きているのかが外に伝わらないとか……考えると暗澹とした気持ちになる。「助けて」と言う声さえ届かないなんて状況は、やっぱりおかしい。ビルマ(ミャンマー)も、チベットも。(と思考回路はチベットに戻る……すんません)


 ダラムサラのメンツィカンで研修医となったアムチ(チベット医学博士)の小川さんから、講演会の案内をもらいました。「オープンセンス」の主催事業です。

「チベット医学講座 一人一人が主人公」
【講師】チベット医学研修医 小川康
【日時】5月23日(金)19:00~21:00
【受講料】3500円またはオープンセンスチケット1枚
【場所】東日本橋 リバース2階ホール
  http://opensense.jp/studio/rebirth/access.html
 インドのダラムサラのチベット亡命政府にあるメンツィーカン(チベット医学暦法学大学)にチベット圏以外の外国人として初めて合格し、2007年チベット医(アムチ)となった小川さん……。薬剤師、薬草会社社員、自然観察インストラクターなど色んな体験を経て、いまチベット医学の道を歩まれています。ユニークな体験のなかから チベット医学やヒマラヤの自然の話また実際にヒマラヤから持っていただいた薬草に触れながら薬草の話などを聞かせていただきます。
 「草に親しみ、薬の起源を体験し自分で感じ考えることから 一人一人が医学や薬学を自分の手に取り戻してゆく手助けをしたい」「草を楽しむと書いて薬という漢字ができました。まずはそこからはじめてみませんか?」
http://www.opensense.jp/education/workshop/
OgawaYasushi20080523.html

 申し込みは公式サイトからどうぞ。


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2008.05.03

News0503

 5月3日付報道より。チベット亡命政府の特使が中国に出発、など。ロディ・ギャリ氏大活躍ですね。

ダライ・ラマ14世の特使と中国政府、4日に広東省で会談

 【ニューデリー=永田和男】チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世の特使2人と中国政府の対話が4日、広東省深センで行われる。ダライ・ラマ側近が本紙に明らかにした。(センは土ヘンに「川」)
 側近によると、ロディ・ギャリ、ケルサング・ギャルツェン両特使は3日中に中国入りし、4日に中国側窓口の共産党統一戦線工作部代表と会談する。
 中国政府とダライ・ラマ側の接触は、3月に中国チベット自治区などで発生した大規模暴動以降では初めて。 チベット亡命政府は今回会談を「非公式な対話」と位置づけており、暴動鎮圧で死傷者多数が出たことにダライ・ラマの憂慮の念を伝えたうえで、沈静化の方策を協議するとしている。
(2008年5月3日20時26分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/
20080503-OYT1T00455.htm

ダライ・ラマ特使、3日に訪中…暴動後初の接触

 【ニューデリー=永田和男】チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世の亡命政府は2日、ダライ・ラマの特使2人が3日に中国入りし、中国側代表と6日まで非公式協議を行うと発表した。
 印PTI通信によると会談場所は北京。インド北部ダラムサラに本拠を置く亡命政府と中国政府の接触は、3月の中国チベット自治区などでの暴動発生後初めて。中国政府は4月25日、それまでの拒否の姿勢を一転してダライ・ラマ側との対話に応じると発表している。
 亡命政府によると、特使は2002年から07年まで6回の中国側との対話に出席したロディ・ギャリ氏ら。中国側も過去6回同様、中国共産党で宗教・少数民族対策などを扱う統一戦線工作部が応対するが、ダライ・ラマ側近は「7回目の対話とは考えていない」と述べ、今回の会談では当面の危機を巡る協議が中心になると強調した。2特使は、暴動鎮圧についてのダライ・ラマの「深い憂慮の念」を伝え、事態沈静化の方策を話し合うという。
(2008年5月2日23時44分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/
20080502-OYT1T00597.htm

 まるで初めて対話が実現するかのような大騒ぎのテレビニュースもあったので、「初めてじゃないよ、90年代の対話がいったん途絶えた後02年から水面下でしょぼしょぼやってはいたんだよ」ということまで書いてある記事と合わせて引用しました。

無差別発砲に友人倒れた 騒乱ラサ、自由求め脱出

2008年05月03日22時49分
 【ダラムサラ(インド北部)=武石英史郎】発砲に逃げまどい、血を流して力尽きた友人。命がけでくぐりぬけた検問。3月に起きた中国チベット自治区ラサでのデモに加わり、4月末にチベット亡命政府があるインド・ダラムサラへ逃れて来た最初のチベット人がいる。四川省の遊牧民出身、出稼ぎでラサにいた露天商クンサン・ソナムさん(38)。朝日新聞の取材に当時の様子を語った。
 (写真説明:ラサでの騒乱後、インドへ脱出したクンサン・ソナムさん=ダラムサラの難民センター、武石写す)

 3月10日にラサ郊外の寺院で起きたデモのうわさが広がっていた。14日午前10時ごろ、中心部で約30人がデモを始めていた。ソナムさんも加わり叫んだ。「自由を、権利を、独立を、ダライ・ラマ万歳」。誰かがイスラム教徒の肉店に石を投げた。チベット人が大切にするロバや馬の肉を売る店だったからだ。店主はナイフで抵抗、騒ぎが大きくなった。
 千人近くに膨れ上がっただろうか。治安当局の車をひっくり返して気勢を上げると、遠巻きにしていた警官隊が発砲を始めた。すぐ近くにいた友人が胸を撃たれて倒れた。布を巻いてやり、逃げようとしたが、2~3歩で動けなくなった。混乱の中で友人の消息は分からなくなった。「恐怖というより、怒りと憎しみでいっぱいだった」
 デモは場所を変えて続いた。漢族は逃げ、姿が見えなかった。午後3時ごろ、装甲車が3台来て催涙弾を発射。装甲車から兵士が自動小銃で無差別発砲を始めた。デモ隊は散り散りになった。幌(ほろ)付きの軍用トラックが倒れた人たちを荷台に載せて運び去った。火災による煙が充満する中、兵士の数がどんどん増え、怖くなり住まいへ戻った。午後9時ごろだった。
 ソナムさんは、建設作業員の同郷者6~7人と寺院近くの空き地でテント暮らしをしていた。15日以降、兵士が毎日やって来た。騒乱当時、何をしていたのか、逃げた者はいないか。ソナムさんは自分のことは黙っていた。
 露天商仲間が連行された。ソナムさんもデモに参加して投獄された経験がある。「捕まれば殺される。同じ死ぬなら逃げた方がましだ」。数日後、テントを抜け出した。行商に行こうと取得したパスポートとネパールの査証があった。ネパール国境行き乗り合いタクシーの座席が手に入ったのは3月26日だった。
 検問は10カ所近くあった。乗客はほかに漢族が3人。身分証を盗み見たら、2人はネパール国境へ配属される兵士。恐ろしくなった。ただ、これが検問官の警戒心を緩めたかもしれない。途中の街で食事をとったとき、「ネパールでも騒乱で大変らしい。気をつけなよ」。漢族の言葉に黙ってうなずいた。
 国境には翌朝到着。往来する商人に紛れ込んだが、真新しいパスポートが怪しまれた。尋問は2時間半。「暴動なんてあったんですか」。しらを切り通した。
 ダラムサラへ向かう途中、カトマンズの難民センターから初めて故郷の父に電話した。「脱出した。元気だ」。盗聴のおそれがあり、一言二言だけ。遊牧に出た妻子と話すことはできなかった。
 命がけでつかんだ自由とは何か。ソナムさんは言う。「外出しても、何を叫んでも、殺されないこと」
 亡命政府によると、年間2千人を超えていたチベット難民は中国側の移動制限で激減。騒乱後はソナムさんと学齢期の児童3人だけという。
(朝日新聞5月3日朝刊)
http://www.asahi.com/international/update/
0503/TKY200805020351.html

 「国境警備が厳しくなり、越境亡命者がまったくいなくなってしまった」「カトマンズの難民センターががらがら」……と聞いていた話のはほぼその通りのようです。この人も、たまたまパスポートとネパールビザを取得済みで、もともと予定していた出国だったからなんとか国境を越えられた幸運な方だったのでしょう。記事中も「脱出」とある通り、闇に紛れてヒマラヤを越えたケースではないですもんね。
 ……ところでフルネームも写真もバッチリでてるんだけど、大丈夫!?

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2008.05.02

拷問死/コンビニにウイグル料理/チベットの地名

 ダラムサラの「チベットNOW@ルンタ」更新。
 TCHRD(チベット人権民主化センター)が発表した5月2日付のリリースを抜粋翻訳してくれています。内容は、拷問による死亡者の確認について。

http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51001180.html
 4月1日、ペンボ、ジャンカのデドン村の農夫ダワ氏31歳が死亡した。彼は3月15日のデモに参加し、逮捕されていた。複数の情報によれば、彼は逮捕された後、取調官から酷い拷問をうけたという。彼が重体となったことを知った当局は3月27日、彼を病院に送った。4日後の4月1日に彼は死亡した。

 TCHRDの原文は http://www.tchrd.org/press/2008/pr20080502.html


Rimg0065 ファミリーマートで「レンジ ラグマン」。
 ウイグル料理じゃん、すげーすげーすげー! 汁うどんになっちゃってるし、トマトベースじゃないし、なんか似ても似つかない感じだけど、腹もすいてないけど、とりあえず購入。
 説明は「中央アジア風羊肉うどん」だって(「ビーフコンソメをベースにデミグラスソースを使用したスープ」とかあって、それ絶対ラグマン違うと思うが・笑)。

 「レンジアップ トゥクパ」とか「レンジ テントゥク」が出現する日も近い!? 


 チベットの地名について。
 チベットNOWで中原さんも言及していますが、私も前に書いたけど、「ペンボ、シャンカのデドン村」と言われても、チベット本土に何度も行ったことがある人でさえ、よほどチベット語が分かる人でないとピンと来ないかもしれません。
 チベット人がチベット語でチベットの地名を言い表すのはしごく当然のことなのに、現実の地図には音訳や意訳された漢字が並び、ひどい場所になると、中国政府が勝手につけた地名にすりかわっています(メワ→紅原[ホンユェン]、ダルツェド→康定[カンディン]など。日本語に訳されるときはさらにその漢字を音読みするから、たとえチベット語音訳の漢字地名であったとしてさえ、もう原型をとどめないと言っても過言ではありません)。

 その「分からなさ」こそが、チベットに「高度な自治」がない、ないし固有の文化決定権を奪われている、という悲劇の象徴でもあるな、と思っているわけですが。

 というわけで、理念では、チベットについて語る時はなるべくチベット本来の地名で、と考えて日々そうしているつもりではあります(「カガ」でも「シャーハー」でもなく「ラブラン」と言うとか、「ドウジン」でも「トンレン」でもなく「レコン」とかね)が、現実問題、今どこで何が起きているかというリアルな話をするときに、それが地図上のどこにあたるのかが分からなくなってしまうようでは、却って問題をリアルから遠ざけることになってしまいます。
 だから、「中国政府の表記では何だ?」と中原さんが叫んでる気持ちはよく分かるのでした。

 チベ友がつくってコメントにくれた地名対応一覧をトラックバックしておきます。メインサイトはここで、地名対照表も準備中、とのこと。個人的にも、拡充や、リリースが出るごとの補足を心がけたいな、と思いつつ(いちおうダラムサラ発行の地図、中国政府発行の地図両方もってるし)。
 ichhanさん、ありがとうございます。

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2008.05.01

写真展「天空の人びと」/

 チベットの写真展の紹介をいただきました。
 千駄木ってなんかいい場所ですよねえ。ネーレンカンの子供たちの描いた絵もいくつか貼られているそうです。近くにお立ち寄りの際はぜひ。

旅のチベット写真展 ~天空の人びと~

  • 期間:2008年5月1日~5月31日
  • 場所:「Bar B101」
    文京区千駄木3-44-9パレドール千駄木Ⅱ-B1F
    (1Fは菓子工房まぁる さん)
    tel:03-5814-0345
    営業時間:20:00-24:00
    ※5月3日~5日は12:00-24:00の営業
    定休日なし/チャージなし/ドリンク・フード¥500~
    最寄り駅:千代田線 千駄木駅(2出口)
    JR線 西日暮里駅・日暮里駅(北口)

旅行者の目に映ったチベットとチベット文化圏の写真展です。
チベット人シェフが作るモモやバター茶、カプセなどのチベット料理、またお香などの雑貨もご用意しております。
在日チベット人ゲストも予定しておりますので、是非お越しください。
連絡先:シンポドゥ会

 連絡先団体名の「シンポドゥ」はチベット語で「おいしい」。わははは、いい名前です。私も入りたいなー、集まりの際はおいしい料理必須で。メインテーマはチベット食べ歩きとか。
 ただ、イベント、どなたの写真か…が分かりませんが、旅行者が数人で写真を持ち寄った、ということなのかもしれません。チベット本土かな、文化圏とあるからラダックシッキムも入るのかな。チベット人シェフ、ってことは「BarB101」でもともとチベット人が働いているってこと!? なんか期待が高まるイベントです。


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2008.04.30

News0430

 4月30日付報道より。

チベット暴動:死者数203人に--亡命政府発表

 【ニューデリー支局】インド北部ダラムサラのチベット亡命政府は29日、中国チベット自治区などで起きた暴動で、中国側の鎮圧によるチベット人死者が203人に達したと発表した。負傷者は1000人を超え、5715人以上が現在も拘束されているという。亡命政府は3月下旬の段階では死者140人と発表していた。
毎日新聞 2008年4月30日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/world/news/
20080430ddm007030088000c.html

 もともとの情報源は「チベットNOW」が翻訳しているのと同じ、緊急統一委員会の発表ですね。また、新華社通信を情報源とする中国政府側からの報道では同時にこんなのも。原文(新華網)も探してこなくちゃ。

チベット暴動:僧侶ら30人実刑--ラサ地裁

 【北京・浦松丈二】新華社通信によると、中国チベット自治区のラサ中級人民法院(地裁)は29日、3月14日にラサで起きた暴動で逮捕、起訴された30人に対し、無期懲役から禁固3年の実刑判決を言い渡した。チベット暴動に関連して判決が出たのは初めて。
 無期懲役になったのは、派出所を破壊し自動車に放火した運転手と、仲間を率いて政府庁舎を破壊し、商店に放火した僧侶ら3人で、いずれもチベット族とみられる。判決で新華社は罪名については報じていない。
毎日新聞 2008年4月30日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/world/news/
20080430ddm001030132000c.html

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2008.04.29

ダラムサラより4/29

 ダラムサラの「チベットNOW@ルンタ」更新。

 4月25日までの犠牲者数、負傷者数、逮捕者数について
 すべての情報源を比較検討し、これらの数字の根拠、細かい情報を分析総合した結果、我々は死亡者数203名、負傷者数約1000人、現在も監獄に囚われている者5715人とする。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/50994041.html

 その他、オリンピック聖火リレーのチベット高原通過についてのプレスリリース日本語訳も。素早い情報に頭下がります。

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News0429

 4月29日付ニュースクリップ

僧侶ら3人無期懲役 チベット・ラサ騒乱で初判決
2008年04月29日21時08分
 【北京=峯村健司】中国の国営新華社通信などによると、チベット自治区ラサ中級人民法院(地裁に相当)は29日、3月14日に起きた騒乱で放火や略奪をしたとして、僧侶や運転手ら3人を無期懲役にするなど、計30人に実刑判決を言い渡した。ラサ騒乱で判決が出るのは初めて。
 判決によると、この僧侶は、別の5人の僧侶らを引き連れて、地方政府の庁舎や11店舗を襲って商品などを奪ったほか、警察官を襲撃した。5人の僧侶のうち2人は懲役20年、3人が懲役15年の刑を言い渡された。運転手は派出所に石を投げつけたほか、作業にあたっていた消防車や消防士を襲った。
 判決公判は公開され、僧侶や医療関係者、記者ら約200人が傍聴したという。
http://www.asahi.com/international/update/0429/TKY200804290221.html

 中国の「無期刑」って日本の無期懲役の語感とやや違い、刑期を定めない「不定期刑」だったりするし注意。(あれ、ってことは日本の無期懲役と同じなのか。一般に「終身刑」と混同されちゃってる日本の「無期懲役」の語感がいけないのか)。

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2008.04.27

0427

 ダラムサラの「チベットNOW@ルンタ」更新。

 悲しい話。
 中のチベット人たちは絶望的な叫びを上げている。このような事がこれ以上起こらないように、「外国にいるチベット人は国際機関に援助を緊急に訴えてくれ」と中の人は叫んでいる。

その他、RFA(ラジオフリーアジア)の内容など。

 亡命チベットの役者達の<対話>についてのコメント
 続中国との対話


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