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September 2004

2004.09.30

チベットの「ゴージ・ベリー」

セガール氏が健康食品発売 人気俳優、米国や日本で

 【ニューヨーク29日共同】映画「沈黙の戦艦」などで知られ、日本でも人気のアクション俳優スティーブン・セガール氏は29日、栄養価が高く、老化防止に効くという健康食品「ピュア・フォース・エナジー・バー」を来年1-3月期に米国や日本など世界7カ国で発売すると発表した。
 発表によると、棒状の健康食品はベータカロチンやアミノ酸を含み、豊富な抗酸化作用を持ち免疫力を高める効果があるゴージ・ベリー入り。さらに鉄分やビタミンなどを加えた。味はチョコレート・ファッジとチョコレート・ピーナツバターの2種類。
 セガール氏は1960-70年代に日本や中国・チベット自治区に在住。自分の道場を構えるなど武道に傾倒する一方、老化防止に効く食品を探した。チベットでゴージ・ベリーに出会い、健康食品を開発したという。
(共同通信) - 9月30日9時46分更新(共同通信のサイトでは見あたらなかったのでYahoo!Newsから引用)

 映画というより「トゥルク(化身ラマ、活仏)に認定された」ということでその筋には有名なスティーブン・セガール氏であります。60~70年代に中国チベット自治区に在住、というのは本当ですか!? 59年ラサ民族蜂起(中国側は"動乱")でダライラマ14世亡命の直後、共産党と人民解放軍ががんがん入り込んできて「赤いチベット」が喧伝された時代に居合わせたのか、文革(1966~1976)のまっただ中で打ち壊されるチベット仏教寺院を目撃してるのか。スゴイです。それ本当なら時代の証人としてもっとチベットのことを語ってほしいです。
 「チベットで出会ったゴージ・ベリー」というのも謎。「ゴージ」はチベット語でしょうか。語感が近い、というと紅景天(ホンジンティエン)くらいしか思い浮かびません(中国語だけど。しかも1音も合ってないし)。

 (追伸:10月2日追記)
steven.JPG コメントで教えていただいた画像がとてもシュールだったので貰ってきてしまいました。コメント欄には画像をアップできなかったのでここに。パルコルが異空間と化してる~!!
 ありがとうございました>あさださん そのほかはコメント欄に。

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2004.09.29

「アジアのヒーロー2004」/TIMEasia

 International Campaign for Tibet(ICT)からのメールが転送されてきたのでご紹介。

The Dalai Lama is one of 20 finalists in TIME Asia's 2004 Asian Heroes contest. He is currently in second place in the voting, behind Aung San Suu Kyi, but ahead of a number of Chinese "heroes" such as the first Chinese person in space and that guy who won a gold medal in track this summer.
Anyway, you can still vote for HH in the second and final round. Just go to:
http://www.time.com/time/asia/2004/heroes/
and click the little circle next to His name.
The finalist will be announced in TIME's 2004 Asian Heroes special website on October 4, 2004.
Thanks -
Kelley Currie
Director of Government Relations
International Campaign for Tibet

(訳文) ダライ・ラマ法王はTIMES誌アジア版2004のアジアのヒーローの20人のファイナルリスト(候補リスト)に入っています。アテネオリンピックの陸上競技で金メダルをとった中国人や中国人で始めて宇宙に行った人など複数の中国人のヒーローもリストに入っています。ダライ・ラマ法王は現在、アウン・サン・スーチー女史の次いで、2位になっています。
 法王に投票したい方はこちらのサイトで法王の名前の所にマークをつけてvoteをクリックしてください。
 http://www.time.com/time/asia/2004/heroes/
 結果は10月4日にTIMES誌2004年アジアヒーロー特別サイトにて発表されます。(訳:ダライ・ラマ法王日本代表部事務所)

 日本からは横田早紀江さんただ1人が候補に上がっています。金大中やコラソン・アキノ、シャウカット・アジズは入っているけど小泉純一郎は入らない。そしてイチローでも松井でもなく横田早紀江さん。なるほど、と思うような意外なような。
 中国、インドからは4人ずつノミネートされていて、環境保全家、ナチュラリスト(Liang Congjie/中国)とか、やはり自然保護活動家らしい「Fighting to save the Narmada river valley(ナーマダ渓谷を守るために闘っている?てことだよね?)」(Medha Patkar/インド)とか、寡聞にして知らないヒーローがたくさんいるんだなあと思いました。イラクやアフガニスタンなど今年焦点となった紛争地からは1人も選出がないんですが…中東・中央アジアは枠外なのかな。アジア版とはいえ欧米の雑誌だから、「欧米人から見て『活躍した』と思う」という視線が入っているのかな、どうなんだろう。
 2003年版を見たら、「SARSと対決した医療関係者たち」というのが選ばれていました。

 (30日追記)
 uzo(宇田有三)さんのblogで言及して頂いた(固定リンクはここでいいのかな?)のでTBしてみました。
 uzoさんの記述によると、在日ビルマ人の間からも「Ms. Aung San Suu Kyiに投票しよう!」という呼び掛けが各方面に回っているそうです。
 「TIME asia」のサイト、1票を投じると次の画面で集計結果が見えるようになっていて、私がクリックした時は、投票の47%くらいが女史、42%くらいが法王で両者がダントツ、後は0.7%とか0.5%の微々たる数字になっており、どうしてこんなに投票結果が偏るんだろう、それにしても女史すごい人気だな、と思ったのですが、やはり投票を呼び掛けるキャンペーンがあったのですね。
 そして、「ビルマ」といい「チベット」といい、時としてその単語を口にするだけでさえ配慮が必要になる響き、というか、現地ではその言葉を堂々と口にできない響き、というか、……うまく書けませんけど、一生懸命に「投票して国際的にアピールしましょう」と呼び掛ける在日ビルマ人の心情と、チベットハウス(法王事務所)のチベット人の心情に、何かとてもよく似た切ないものを感じて、なんとも言えない気持ちになったりしております。

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2004.09.28

パソコン壊れる

 パソコン壊れました。(直りました。)
 インドから帰国直後の慌ただしかった日、メールの送受信中に突然。プイーン……というモーター音の余韻に、何が起きたのか分からず頭は真っ白。カスタマーセンターに電話して言われたとおりあちこち触っても何にも反応せず、おそらく電源部の故障でしょう、と言われてソニー送りに。ノートパソコン2台持っていて良かったよ。
 購入2年半のパソコンでメーカー保証期限は切れているので、修理費は見積もりを教えて欲しい、と頼んでおいたら電話が掛かってきた。
 「起動を確認しました。ACアダプターは正常でした。フロッピーディスクドライブも問題ありません。ただ、ハードディスクの読み込み領域に一部欠損があること、バッテリーの放電が早くなっていること、起動時に液晶画面が赤くなることを確認しました」
 「えーと…それはどの程度の故障なんでしょうか」
 「今後の動作保証はしかねます」
 「直すといくらくらい掛かるんですか」
 「HDDが3万5600円、バッテリーが2万4800円、液晶が5万1500円、作業手数料が1万3000円いただいておりまして、全部で12万4900円になります」
 え~~っ。
 「あの、液晶はとりあえず見えればいいということであきらめて、ダメなら外部出力とかいろいろあるんで、それからバッテリーも、基本的に部屋据え置きで使うということで、AC電源使ってる場合は関係ないでしょうからそのままってことで」と恐る恐る修理拒否。
 「問題はHDDなんですけど、その修理というのは、デフラグを掛けるとかそういう程度の…」
 「いえ、基本的に、現時点で動作保証ができないため、全交換となります」
 「交換! データは…」
 「なくなります」
 「えーっそれは困ります、突然電源が落ちたからバックアップも何もしていないし、3年使ってるといろんなものが…」
……というわけで、見積もりを全部断ったら、パソコンがそのままただで返ってきた。どこをどう直してもらったのかは今ひとつ謎。そんでもってパソコン。「いつ壊れてもおかしくないしそうなっても責任持てませんよ」と言われたような気になりながら、ビクビク使っております。

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2004.09.24

仮面ライダーとかボストンとか

 最近、「チベット」関係の語句で検索をかけていると、「仮面ライダーブレイド」関係のサイトやblogが引っかかるように(私だけ? 違うよね?)。
 見る機会がないので何が起きているのか分からないけど、たどり着いてしまうサイトの記述から推測するに、ライダーの味方がチベットにいる(?)らしく、チベットに出張したり、チベット出張から帰ってきたり、チベットから新しい秘密兵器が小包で送られてきたりするらしい。(あくまでも推測なんで、違っていたらすいません)
 ……なんか興味が湧くんですが、ものすごく。イケ面ライダーがたくさん出てきてターゲットは実はモロに私の世代、というのも(イヤな意味で)気になるんですが、ものすごく。
   *
 もうひとつ、同じように、何かのはずみで検索にかかってきた、チベットと関係ないサイト。
 8月25日、あこのお葬式(Friends of Ako)

 あこのお葬式は8月25日水曜日、マサチューセッツ州ウォータータウンで行われた。式を執り行ったチベットのラマ僧、ゲシェー・ツルガ師は、同州メドフォードにあるクルクッラ・センターの居住僧。あこの訃報を受けるとすぐ、クルクッラ・センターは彼女のための祈りに入った。祈りは今も続いていて、49日が過ぎるまで続く。(一部を引用)

 米ボストン近郊で活躍したライター、ウェブデザイナー、詩人で、今年8月20日に交通事故で急逝した日本人女性を偲ぶ追悼サイト。もちろんまったく知らない方だけど、そんな一面識もない人のWebにまで「チベット」の一言で迷い込んでしまう。わずか1カ月前に不慮の死を遂げた見知らぬ人の人生と友人の悲しみを思いながら、ネットは広いなあ、と思ったり、今日はたまたまオモテの仕事でも、一家3人が交通事故で父母死亡、重傷の娘は今日が誕生日……なんて事故もあって、いろんなところでさまざまな人生がある、世界は悲しみに満ちている、としんみりしたり。
 そんでチベおた的には、すごく自然な感じで「チベット仏教の××センター」なんて名称が出てくるところに反応、アメリカで仏式でお葬式を出そうと思ったらすなわちチベット仏教ってことになるのか、それとも亡くなった女性は生前からチベット仏教とつながりがあったのか……などと考えたり、ゲシェー(博士)とあるからゲルク派の僧侶なのかしら、なんて思ったり。ボストンといえばルンタのT嬢が在学中。チベットに関心を持つ女性だったのであれば、事故に遭わなければ、遠い将来、直接知り合うことがあったかもしれないし、なかったかもしれない……、そんなことをぼーっと思いつつ。

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2004.09.21

Seek Tibetan

 話は1年前の秋に遡ります。
 1週間(5泊8日)のダラムサラ旅行を終え、成田空港で入国審査の列に並んでいた時のこと。何気なく後方を振り向くと、えんじ色の僧衣姿が!! エアインディアの同じ便にチベット人のお坊さんがいたとは!! もっと早く気付けば、機内で会話の一つくらいできたかもしれない……と後悔しつつ、振り返るとまだ同じ場所に立っている。
 近づいていって何か話しかけてみたほうがいいんだろうか、いや相手にしてみたら突然寄ってくる日本人は多いだろうから頭沸いてると思われるだけかも、インドのチベタンなら英語も話せるだろうし、最近は海外慣れしたお坊さんも多いし、1人で移動するくらいだから場慣れしてるんだろう、日本人と外国人の審査窓口は別だから一緒に並ぶことはできないんだし……いやいやもし英語も日本語もできないゲシェラみたいな人だったら……などとぐるぐる考えていると、後ろから「進まないんですか!?」と怒りの声。ハッと気付くと、私の前にはもう誰もいなくなって、5mくらい空間の空いた先から入国審査官が「次!」と言っている! ぎゃー、日本の入国審査って手際良かったんだ!!
 とっさに「すいません!」と入国手続きしてしまったものの、ゲートの向こうからのぞくとお坊さんはまだ立ち尽くしている。
 ああ、誰の招きでどこへ行くのか程度のことを聞いて日本語のメモを持たせてあげれることくらいできたんじゃないか、「ぱぎゅーぺーろーなん」(←このチベット語も怪しいなぁ)くらい言って「foreigner」の列に誘導するくらいしたほうが良かったんじゃないか……とくよくよ後悔しつつ出口を出ると、チベット服姿の日本人が数人、心配そうに待っている。思わず「出迎えの方ですか?」と尋ねると、これがポタラ・カレッジの方々。うわー。「デプン寺ロセリン学堂ケンポのゲシェー・ロサン・ギャツォ師です。亡命後、インドから海外に出られるのは初めてでらっしゃるんです」。
 ああ~、そうと知っていたら知っていたら。何か役立てることはあったはずなのに。
***
 ……とまあ、そんな経験がありまして。
 インドから日本へ向かうチベット人はかなりの確率でエア・インディアの直行便に乗るんだ、と知ったのでした。
 で、今回。
 いろいろあって連れて行かれたホテルのフロントで、インドのパスポートを手に私の前に割り込んできた男性が、どう見てもインド人に見えない。強いて言えば「のび太顔」。首を伸ばしてフロントマンのチェックイン作業を見守ると、名前欄に
Gyaltsen
と書き込んでいる。こりゃチベット人だと確信! 風体からするとビジネス関係者か。在日チベット人と知り合えるかも!! うれしくなって思わず追いかけ「チベット人ですか? 日本へ行くんですか?」(とチベット語で聞いたつもり)。
 「……」
 返ってきたのは不審者を見る目つきでした(泣)。
 なんか全然違ったみたい。私のチベット語がひどすぎて通じなかった可能性はあるけど、でもたぶん全然チベット人じゃなかったようです。
 恥ずかしいよう情けないよう、そもそも「チベット人(のようだ)」という理由で知らない人に声を掛けること自体ヘンかもしれない、と自己嫌悪。
 日本にいるチベット人の数を考えれば、毎週2回飛んでるエアインディアの成田便で、そう何回も何回もチベット人と乗り合わせるとは限らない。やっぱりいないよ、チベット人なんて。
 *****
 と反省した翌日の、再チェックイン。
 背の高いインド人2人と一緒に出国手続きをする小柄なオジサンが気になる。顔がなんだかチベット人。手に持っているパスポートは……あれ、パスポートじゃないじゃん、インド政府のレジデンス証明(難民認定証のようなもの)だ、間違いなくチベット人、それもチベット本土出身者だ!!
 昨日の恥も忘れてダーッシュ!!!
 「ゲンラ!」(振り向いた!)
 「きぇらんぺぇばれべ?」(うなずいた! 通じてる!?)
 「じゃぱんらどぅぎいんべ?」「レーレー」(チベット語が返ってきた!!)
 しかし私のチベット語はここまで(わははは!)。英語とちゃんぽんで聞けば、ダラムサラ在住で、「ルンタ」もグチュスムも知っており、ルンタ代表N氏のことも知っているという。おおお、世の中狭い。日本では東京で2~3カ月滞在するらしい。おお、それなら休日に会えるかもしれないですね。
 「じゃぱんぎかりちぇな(日本/何/する)?」(←怪しいチベット語)
 「トーキョー・イグジョナリー」(と聴こえた)。
 なに、一体なに? 東京イグジョナリーって(聞き間違いだと思うけど)。教えてもらった滞在先も「ヒジカワ」(って地名?)とか、謎。
 どなたかご存知の方そっと教えてください。むちゃ偉い人だったらどうしよー。

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2004.09.19

Delhi de ashidome

Air India no engine troubble de kaere naku natte imasu.
getsuyoubi kara shigoto nanoni doushiyou!
(English de kaku genki mo nakunatte kimashita)

18 nichi yoru ittan bording shita ato kinai de 6 jikan ijou matasare (dinner dake dete kita), kekkyoku orosare, tranjit room de 4 jikan matasareta ato kondoha soto ni dasare Hotel he tsurete korare mashita..
nanno setsumei mo naku "wait moment" nomi..
betsuno carrier ni kaete hoshii to itte mo "We will fix soon" ... miugoki ga torezu komatte imasu (hito kara kiita koto ha arukedo hajimete desu..)..

I wish be back Japan safety and soon....

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2004.09.18

From Majnu ka Tilla New Tibetan Camp

This morning arraived Delhi.
will be back Japan soon,,,

(以上、18日にマジュンカティラのネットカフェにて。以下は9月23日の追記)

 17日は滞在期間中始めての晴れ! ダラムサラの気候は三寒四温というか、一度晴れると数日晴れが続くサイクルなので(私が到着する前々日までは晴れていたらしい)、旅行の日程があと3日前か後にずれていたらな~、なんて思ったり。
 写真を撮れるのも買い物できるのもラストチャンス。屋上に出ると、久しぶりの晴れ間にどの家も満艦飾となっていて、ルンタも例外でなく。洗濯物にまざり、テイラーで働く女性たちが刷り終えたタルチョも干していた。
 仕込みに余念のない開店前のレストラン「ルンタ」で、パンを作るトプチュに挨拶。ラプゲ君にスポンサーから「誕生祝」として3000円預かっていたので、ルピーに換金(1200Rs)してお母さんに渡し、記念撮影。部屋に遊びに行くと、お父さん(ラプゲ君のお祖父ちゃん)も来ていた。実を言うとルンタ・ハウスは建てた当時、家族で住むことはあまり考えていなかったようで(シェルターのような一時滞在施設を念頭に置いていたはず)、ドミトリーのどの部屋も8畳くらいのワンルーム。この部屋にお祖父ちゃん入れて4人はいくらなんでもやっぱり狭い。なら外でアパートを、とは言ってもダラムサラの賃貸アパートは高騰していて(キッチントイレ付12畳くらいのワンルーム家具付で4000~6000Rs/レストランの月給は3500Rsくらいでこれでも決して悪いほうではなかったと思う)、よい条件の部屋はなかなか見つからない。普通のアパート借りてるチベット人も友人同士や親類知人で部屋をシェアして5人も6人も一緒に住んでいる(転がり込まれているのかもしれないけど)。
 ツェリン・テンパ君がTシャツ50枚を届けてくれる。元お坊さんで92年に政治亡命、南インドのセラ寺に2年いたけど還俗して難民学校に入り、グチュスムの奨学クラスで00年度生として学んでいた青年。修了後、フランシスのテイラーにシルクスクリーン担当として就職、給料が出来高制に変わったため、フランシス製品のシルクスクリーン作業がない時に収入を確保するため自分たちでTシャツ作りを試みていると聞いて、「ルンタ」柄のTシャツを50枚ほど発注したのだ。
 「ずっと雨だったのにいつ作ったの?」。シルクスクリーンプリントは晴れた日に屋上でやっていると聞いていたので驚いた。
 「自分の部屋で」。えーあの、地下の、小さな、トプチュ一家の2つ隣の部屋で!? 午後からは病欠者の多いレストランを手伝っていたし、ずーっと雨だったから、寝る場所もない状態で夜なべしてプリントしていたんじゃ…? 実を言うと、晴れ間をみて屋上で作業する、と聞いていたから、「ずっと雨だったし出来上がってないだろうな~、『注文受けたけど出来なかった、ゴメン』で終わりだろうな~、チベットだもんな、まあいいや」くらいに思っていたのだった。彼が作業してるところを写真に撮って、「こんな風に作ってます」というパンフを添えて一緒に販売しようと思っていたのだけど、写真を撮り損ねてしまった。とはいえこれは一方的に私が悪い。ありがとう、ごめんなさい。
 Wさんにつきあっていただいて市内を回り買い物。TCVのショップで女性用Tシャツ、小さな財布、メンツィカンの売店でチベット医学処方のスパイスミックスなど。やはりこの日デリーに下る文化人類学の先生ご一行も「ルンタ」に寄ってくださり、あっという間に時間は過ぎる。
 クラスの生徒さんたちにもっとプロフィルを聞きたかった、アムリッツァルの病院に行っていて不在だったガワン・ワンドゥン嬢のアパートも教えてもらっとくんだった、レセプションセンターを訪ねて直近の亡命者について状況を聞きたかった、……後悔は数えればきりがないけど、とにかく今回はここまで。次はいつなのか、そもそもまた来れるのかどうかも本当は分からない(転勤も近いし)のに、ダラムサラにいるときはなぜか「また来るからその時には」と考えてしまう。(←カイラスでも「次はもっと減量して筋力つけて軽くて暖かい寝袋持って……」と考えてたんだから始末が悪い。また行くんかい!)
 クショラ、ソナムラ、トプチュラ、ツェリン・テンパ君、いろんな人がカターをくれて、真っ白のぐるぐる巻きになってバスの人になる。ありがとう。

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2004.09.17

クラス見学とクショラのモモ

 午前中はグチュスムの英語クラスに参加。
 生徒15人のうち11人出席。「posssible」の発音にもとまどう初心者から英語で文法の質問をする生徒まで、レベルはだいぶ開きがある感じ。スコットランド出身の先生が丁寧に教えてました。内容はインド製のテキストで、お城にとらわれたお姫様を助けに行く話。妖精とか出てきてました。
 その後日本人4人と旧知の文化人類学の先生のホテルを訪問。行き違いも覚悟したけど無事に逢えてラッキー。先生と学生さんと一緒に「ルンタ」で昼食(タンカ絵師のMさんと修行中のYさん、タンカ絵師の大御所Bさんに次々遭遇……こんな日もあるんですねぇ)、午後はグチュスム代表の案内でマクロードガンジのテイラーへ。
 マクロードガンジのテイラーは1991年11月にオープンした、当時グチュスムの唯一の収入源で、うなぎの寝床みたいな狭い場所に足踏みミシン8台で僧衣やタルチョを地味~に作っているんだけど、今もそのまま、手放す気はないみたい(逆に、改修や新築したくても家主のインド人が許可しないらしい)。針子さんの人数は10人から15人に増え、マクロードの作業場に入りきれない5人はルンタハウスのコンピュータークラスの隣の部屋で作業中。「最近こんなのも作りはじめた」とチベット風のシャツなどを見せてもらう。シャツ、タルチョ、チュバ、ダルシン、財布を購入。ダルシンは文化人類学の先生が大学校内に立ててるやつに張り替えてもらおうと(笑)。
 夜はルンタのスポンサー2人と一緒に、グチュスム代表のクショ・イシ・トグデンラから手作りモモを腹一杯ごちそうに……。代表が今年3月から3カ月回ったというヨーロッパ講演の写真を見せてもらったりして遅くまで。ごちそうさまでした。早くも明日が最終日です。

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2004.09.16

ニントプリンとTCVゴパールプール校

雨をついてタクシーをチャーター、ダラムサラ郊外の障害児施設「ニントプリン」とTCVゴパールプール校へ。
TCVゴパールプール校にはなんと今年4月から、日本人の小児科医の先生が駐在しています。
チベット仏教に関心があり、ボランティアをするならチベット難民地域で、と考えて受け入れ先を探し単身日本から訪れたそうで、TCVゴパールプール校の校医さんとして保健室に常駐してくださってます。月に何度かは、近郊の他のTCVを巡回したりもしているそうです。
チベット難民の現状は来る前のイメージとは大きく異なりギャップも大きかったとのことでした。
子供たちの病気や怪我は、傷口が化膿した、程度の軽微なものがほとんどで、傷を作ったら水で洗って清潔にしていれば問題なく治るものがほとんどなのに、汚れたまま放置するためにすぐに膿んでしまうとのこと。地元のインド人の子供たちはそれほど傷を化膿させたりしておらず、衛生習慣に根本的な問題がありそうだと言っていました。汚れた傷口をそのままにするだけでなく、そもそもあまり風呂にも入らない、「手を洗いましょう」という標語は書いてあるけど、寮母さんもそうした指導はほとんどしない……と聞いて、チベット人の衛生観念はチベット高原にいる時のままなのかなあ、などと思った次第です。
あとは、1クラス2~3人は結核がいるし、水ぼうそうなども1人がかかったら大流行する、なんて話を聞いてきました。
ニントプリンは2年ぶりの訪問。
スウェーデン政府から補助金が出たという新しい校舎とドミトリー(宿舎)が完成(今年8月に落成式をしたばかりとのこと)、子供たちが45人、スタッフ20人に増え、新しい建物で作業をしていました。ミシンが数台入り、主工芸品を作れるようになっていたほか、紙すき機械を導入して紙製品を作れるよう準備しているとのことでした。現金収入としている製品は、以前と同じ、子供たちが絵を描いたカード、ポスター大の絵、組み紐(ミサンガなど)、木工品に加え、きんちゃく袋や財布などの布製品が並んでいました。
ルンタを通じ里親支援をしているドルジェ君は背が伸びて大人びて元気そうでした。イラストを書く作業班に入り、仏画を描いていました。
里親支援でルンタと縁のある子供たちはTCVゴパールプール校にも計13人が生活していて、「授業が終わった後各ホームへ行けば会える」と言われたものの、夜遅くなってしまい時間切れになるのでやむなく断念。子供たちを訪ねていくには1泊する覚悟で行かないと難しいようです。
夜は里親でもある旧知のwさん、南アジア史が専門という大学の先生H氏、ゲームクリエイターのS氏とインド料理。日程半ばを過ぎ初めてインド料理を食べたなぁ。

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2004.09.15

一日中雨

 ダラムサラはずうっと雨で、町中が霧に包み込まれたようになっています。
 ニントプリン(障害児施設)とTCVゴパールプール校へ行こうと思っていたんですが、雨がひどいのでやめました。明日天気がよければ行ってきます。
   *
 レストランは雨というのに満席で、1人客は相席になってました。日替わりメニューが「寿司の日」のせいもあるかな。キッチンのスタッフ(4人)は、1人が急性腸炎(もしかしたら盲腸)、1人が腎炎、1人が結核、1人が外国へ行くビザの手続きのためデリーへ行っているという緊急事態。テーラーでシルクスクリーンプリントを担当しているツェリン・テンパが夜だけ助っ人に入ったりして急場をしのいでいます。マネジャーのソナムさんも忙しくて大変そうです。
   *
 ゴパールプール校へ行ったら、ルンタで里親になっていただいてる子供たちの様子もみてこなきゃと思うんですが、しまった、そんなにたくさんのお土産を何も用意してこなかった……。来てしまってから、ああ、あれが足りなかった、これももって来るんだった、と思うものが多くて反省しきりです。
 

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2004.09.13

from Dharamsala

Tashidelek!!
arrived Dharamsala today.
(I can't use Japanese font this internet-cafe)
I'll write by Japanese after,,,,,

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2004.09.12

なし崩しに出発

 仕事の確認作業などを夜までちまちまとした後、24時間営業のホームセンターへ。味噌、きな粉、七味とうがらしなどを購入。お坊さんが着られるような防寒着がないかなあと思ったんだけど、夜中のスーパーでは限界が。冷えに苦しんでいる人が多いから腹巻がけっこう重宝される、と聞いたんですが、日本はまだ暖かくて腹巻は売ってない。ルンタ・ハウスにあふれる子供たちに何か土産を……と思いながら適当なものが思い当たらず、お菓子を買ってごまかすことにする(ごめんなさい)。
 帰宅したら午前2時で、午前4時半には成田行きリムジンに乗らなければならない。ひえー!
 毎年のことと甘く見て、出発準備がどんどんいい加減になってきてないか? と自分に突っ込みつつ、3ウェイバッグを出してみたらなんか全体的に茶色く毛が生えてる……! バッグが腐るとは知らなかった(大反省)。学生時代からの旅行のお供で、バスの屋根の上に解体済みの羊と一緒に積まれたりとか、カイラスのふもとまで行ったりとか、いろいろあちこち行ったんだけどなあ(大反省)。とにかく何かそのへんにあったバッグに荷物を詰める。
 洗濯、流しの洗い物、冷蔵庫のなまもの、ごみ箱のごみ、とりあえず全部、1週間程度なら後でなんとでもなるということにして諦め。ガスと電気と戸締りだけクリアして、現金と航空券とパスポートさえ持って出ればいいことにしよう。

 ……というわけで、なんとかインドの人になりました。
 ところで成田空港ではTVカメラやら何かでにぎやかで、なんだろうと思ったらファティマちゃん(だっけ? 頭に銃弾が残っていて国際医療センターで摘出手術を受けたアフガニスタンの女の子)の姿が。
 おおー、と野次馬根性を出そうとして、デジカメを忘れたことに気づく(泣)。
 ファティマちゃんですが、デリーに着陸した飛行機の機内でまた見かけてびっくり。同じ飛行機だったみたい。しかもそのまま飛行機を降り、私らと一緒に外国人用の入国審査の列に並んでました。入国審査……後はアフガンまで陸路で移動するの? まさかなあ。

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2004.09.11

「天空への回廊」「最遊記」

 12日からの旅行でダラムサラの「ルンタ」に持っていった小説など。
tenku.jpg 「ヒマラヤの話かな?」と表紙買いした小説。02年に出版された作品の文庫化。とはいえ02年のハードカバーでは知りませんでした。
 冒頭シーンがもういきなりチョモランマ頂上です。解説を、なんかうらやましそうに夢枕獏が書いています(夢枕獏は実際にチベットのどっかを登っていてチベットをモチーフにした小説も数作あったかと)。
 アメリカの人工衛星がチョモランマに落下、プラマプトラ流域が放射能汚染の危険にさらされるかと思われた、実はその人工衛星は……というストーリー。チョモランマの両側が舞台になっていて(主人公はチベット側)、チベット人、ネパール人(シェルパ)、アメリカ人、ロシア人などバラエティ豊かな登場人物群のなかで、日本人主人公(本業はカトマンズ在住の山岳ガイド)がカッコ良く活躍します。人間とのアクションもありますが、最後は自然、高度と酸素と寒さとの闘いになります。
 ……とはいえ、私自身は感情移入できる人物がいなくて困りました。この主人公に共感できるのは、高くて白い山をみたら登りたくなるタイプの人間か、よほど自己陶酔型性格のヒトでは(言い過ぎか)。ヒロインがまた、女ってのはなー、そんな都合のいい生き物じゃねーんだよ! とドツいてやりたくなる描かれ方でしてね~。日本人女性という設定ならまだしも、これがアメリカ人(だったかな?)というんだから「嘘でしょ~」な感じで。
 あ、ストーリーは冒頭からクライマックスまでまっすぐに突き進んでいく、勢いのある(悪く言えば一本調子な)物語で、旅の一気読みにはなかなか良かったです。ダラムサラで長逗留してるバックパッカーに旅への活力をくれる本かも。日本食レストラン「ルンタ」で見かけたら、ぜひ。
 個人的には、観光で行ってしまったロンブクBCを思い出し、改めて、本当にあそこからチョモランマのてっぺんまで登っていく人たちがいるんだったなあ、などと思い返したり。あの時、ロンブクゴンパの宿坊前にはヤクがたくさんつながれていて、荷を積んで峠を越えてネパールへ交商に行くんだと言っていたっけ。そのネパールへの道筋のほうが私にはロマンチックに聞こえて、そーゆーヒトはやっぱりこの小説世界に向かないのかも知れんです。
 それから、他のDVDやビデオと一緒にブック・オフの袋に入っていたために勢いでリュックに突っ込んでしまい、こんなん読んでいるのを見られたらなんかちょっと恥ずかしいから途中で忘れた振りして捨てようかとも思いながら、空港でも列車でも捨てるに捨てられずダラムサラまで持ってきてしまって、日本語そのものが希少価値に思えてつい置いてきてしまった……のがやおい一歩手前系コミック「最遊記」(エニックス)1~5。寝台車の友、"天竺"でのひまつぶしにはなってくれました。
 「ほお」と思ったのは、主役の1人の必殺技のキメ台詞(発動呪文)、「噢・嘛・呢・叭・咪・吽!」。
 オン・マ・ン・ハツ・マ・ウン! とルビが振ってあったけど、お~、こりゃどうみても「オム・マ・ニ・パー・メ・フム!(※チベットのものごっつポピュラーな真言。オムマニペメフム。"なむあみだぶつ"みたいな語感)」じゃん(←これを書いておきたかった)。

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2004.09.09

「風の王国 天の玉座」

31416542.jpg 8月30日付で書いた「風の王国」の続編。
 詳しくは→ Amazon bk1
 政略結婚のはずだけど初恋が実り、吐蕃に暖かく迎えられたヒロインは、晴れて吐蕃の若王の正妻となる。前妻の息子にも慕われ、穏やかな新生活が始まる……はずだったが、何者かが飲み物に毒を! いったい誰が何のために、そして命を狙われているのは果たして……?
 ――というストーリー。
 舞台はようやくチベット圏に入り、新婚の2人はツァシュー(ツァワロン渓谷)での新生活。父王ソンツェン・ガンポが居を構えるヤルルン渓谷のチョンギェ(その後ラサに遷都)よりずっと東、現在の地図でいうと雲南省との省境付近、カワ・カブ(梅里雪山)から西側のメコン川源流とサルウィン川源流の間に広がる肥沃な乾燥地域での新婚生活です。うわー、私は麗江の北「虎跳峡」までしか行ってないけど(当時デチェンは非解放だった)、想像しただけでも素敵な地域。行ってみたいなあ…。
 物語も、盛りだくさんの人物が顔見せ的に登場した1作目から落ち着いて、それぞれのキャラクターが生き生きと……してるのは確かなんだけど、ううむ、なんだかなあ。
 チベットの自然と未知の大国「吐蕃」、という感じはあまりしません。儀式の準備進行とともに謎が深まっていく筋運びは宮中ミステリっぽくて面白いんだけど、そしてこの作者はそういうのが得意みたいでとても生き生き描写しているんだけど、なんか「スタジオで撮影されたドラマを見ているような感じ」なんだよなあ。若王リジム(今分かった、リ<ri/山、峠>+シミ<simi/猫>でリジム=山猫なのか~)も"議会"には出るわ政治はするわ、1作目の野性的な魅力はどこへ……(ううっ)。いやいいんだけど。宮廷モノを書きたいなら、秦とか唐とか随とか宋とか、とにかく漢民族の王朝を舞台にしたほうがネタも山盛りだし陰謀深慮ふんぷんだし腹黒キャラにも困らないしで、わざわざ西戎北狄をモチーフに持ってくることもなかったんじゃないのかしら。チベットがもったいない。
 (以下ちょっとだけしょーもないネタバレを含みます)
 え~、物語のクライマックスは『大祭』の行なわれるツァワロンの『西の峰』山頂での戦闘アクション。『西の峰』てのがどの峰かは明言されてないけど、そのへんの丘とかじゃなくてツァワロン渓谷周辺のしっかりした山なんだったら、どれ登っても間違いなく6500mくらいはありそうで、山頂で跳んだり跳ねたりチャンバラしたりしてる場合じゃないよーな、気はする(笑)。
 えーとそれから作中に登場する『赭面』。ラストでリジムが「あれ、止めるわ」みたいなことを言ってます。
 あれ(赭面)はちゃんと文献に残る吐蕃の風俗習慣で、「文成公主が廃止させた」と記録されているんですねぇ。1作目に「赭面」という字句が出てきた時に(ライトノベルっぽくない語彙ですよね)、ヒロインが廃止させるんかな、と先が楽しみだったのでした。物語では「○○○○が嫌がっていたから、せめてもの弔いに」(リジム)とアレンジ。○○○○が嫌がっていた描写があんまりなかったので伏線が機能せず、知らない人には多少の唐突感があるかもですが、作者の史実へのこだわりが感じられるようで、芸の細かいことをするな~、と思いました。

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2004.09.08

[西蔵日報]高等教育の顕著な成果

西藏高等教育成果顕著(西蔵日報)

 発展は人材と不可分であり、人材の育成は教育と不可分である。数年来、チベットの高等教育はたゆまぬ努力により、チベット内部の潜在力を掘り起こし、学校の活力を強め、多方面、多方式、多様な規格の学校を設立、運営してきた。
 調査によると、2003年末までに、チベットには大学・高等専門学校の4校があり、そのうち4年制大学が3校、高等専門学校(3年制)が1校である。高等学校などの在校生は1万409人であり、1998年の3447人に比べ3倍近く増加している。大学入試の合格率は4年連続で65%を上回り、チベットの高等教育は急速に発展の階段を上っている。
 学校の設立・運営の規模も拡大し続けている。学科の設置数を見ると、チベットの大学には70余りの専門と本科(学部学科)、60余りの専科(短大・高等専門学校)があり、理工・工業・農業・文学・歴史・哲学・経済・管理・法律・医学など11の学科がある。学科や専門は科学的かつ合理的に設けられ、チベットで実際に必要な学問体系と密接に関係している。1999年、西蔵大学は第1期の修士大学院生を募集し、チベットにおける大学院生教育を始めた。
(後略)

 資料的意味合いから訳して引用しておこうと思ったんですが、疲れちゃいました……ごめんなさい。

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2004.09.07

「SPA!」(9月14日号)ヒジュラできるかな

saibara.JPG ←サイバラ先生、それは「chow min(チョウミンともチョウメンともチョウチョウとも)」ではっ!! チベット料理をお食べになったのではっ!!(^^)
 西原理恵子好きな私ですが、毎週「SPA!」をチェックしてるわけじゃないので、シリーズ掲載に気付きませんでした。「最終回」と表紙にあるのに気付き、お~インドか、ヒジュラとはまたコアな、と立ち読みして、「ネパール人の作る焼きそばを食べた」の一コマに即お買い上げ。毒舌と人情のサイバラ節あふれる本編とまーったく関係ない、冒頭の小ネタに反応する情けない私がここに。
 そうそう、インドの食堂でメニューに「Chinese」って書いてるところ、あるある。そんで思わず魚香肉絲だの宮爆鶏丁だの酸辣湯だの什錦炒菜だの期待しちゃうと(←するなよ)、「Chopsy」「Vegetable Chopsy」「Fried Vegetable」とか書いてあって、「そりゃ何だよ」と嬉しくなったり(*)。日本に「とんこつラーメン」や「タンメン」や「天津飯」があるように、チベット・ネパール経由の中華料理ってのが存在してるんだと思う。「チョプスィ」ってメニュー(汁なしあんかけ麺みたいな料理だった)は未だに元が何なのか謎。何語なのかも分からないし。
 チョウミン(焼きそば)は、明らかに炒麺(chao mian)が語源だろうし、チベット人にとっては、ツァンパやトゥクパやモモやパレに比べたらずっと「中華料理」なのに違いない(日本人にとって寿司や天ぷらに比べたら天下一品のラーメンでも「中華料理」なのと同じように)。
 というわけで、サイバラ女史が食べたチョウミン、ナカタのユニホームを着てにこにこしていたネパール人は本当にネパール人だったのか(チベット人ではないのか)、などと想像してみたりするのでありました。

 (*)私の場合、ヒマーチャルプラディシュ(ダラムサラ)とラダック・シッキム以外にはデリーとコルカタしか知らない(インドの出入国スタンプ10回以上あるのにバラナシさえ行ったことない)インド初心者なので知識に偏りがあります。勘違いなどあってもご容赦。

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2004.09.05

大仏居酒屋

 検診のため上京。
 旧知の友人に3年ぶりくらいで会う約束をしたら「ハチ公前で」なんて指定され、人の多さに大汗。田舎暮らしが長くて、駅の雑踏で人にぶつからずに歩けない(恥)。DSCN06251.JPG
 ←さてそこで「面白い店がある」と連れてってもらったのが左の居酒屋。
 「隠れ家和食 だいぶつころころ」渋谷店
 ほんとに大仏がいるよ~(大きすぎてデジカメの画角に入りきれず上部切れました、すいません)!! まあ、奈良や鎌倉のレプリカではなく、どことなくニッコリしたユニークな表情のオリジナル大仏なので、「これは大日如来か弥勒菩薩か」などと悩む必要はないかも、ですが。店内には他に般若や天狗の面や古着物、小さい大仏たくさん、などがディスプレーされておりました。
 しかしついやっぱり習性で「ここにチベット人連れてきたらどんな反応をするだろう」と考えてしまった私(苦笑)。仏像に見下ろされながら酒飲んで羽目を外したり女性口説いたり……やらないだろうなあ、やはり。
 ちなみに、案内された上がりかまちの席の木製丸テーブルはモロにチベット風! タシタゲ(八吉祥)の紋様が塗られていました。あー、大仏にびっくりして写真取り忘れたよう、後悔後悔。
 名古屋、大阪にも支店があるそうです。

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2004.09.04

西チベット未踏峰に初登頂

西チベット未踏峰に初登頂 西チベット登山隊が成功

 日本山岳会関西支部の関係者に4日までに入った連絡によると、同会のメンバーでつくる「西チベット学術登山隊」(大西保隊長)が中国・チベット自治区の未踏峰パチュムハム(6、529メートル)の登頂に成功した。
 パチュムハムは中国とネパールの境界付近にある未踏峰で、登頂したのは大西隊長ら隊員7人とシェルパ2人の計9人。現地時間3日午前5時15分に中国側にあるキャンプ(5880メートル)を出発、午前10時ごろに登頂した。天候は快晴だったという。
 登山隊はチベット探検家として知られる仏教学者河口慧海(1866-1945)の足跡調査を兼ねていた。
(共同通信) - 9月4日11時16分更新

 参考リンク:日本山岳会関西支部70周年記念事業 日本山岳会関西支部西チベット登山隊・河口慧海チャンタン足跡調査隊 現地リポート

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