« January 2005 | Main | March 2005 »

February 2005

2005.02.28

ちべ流

tailiu 画像は、インターネットをさまよってたら目にとまった広告バナー。
 「韓流(ハンリュウ=韓国ブーム)」の次は「台流(台湾ブーム)」だ、という表現らしい。タイリュウと読むんでしょうか。そしたら、まああまりクルとは思えませんが、中国(大陸)ブームが来たら「中流」? なんかヤな響きだな、中流
 韓流がカンリュウではなくなぜハンリュウなのか、については、もともと中国で韓国芸能人人気やドラマの流行があり、それを「韓流(ハンリウ)」「韓潮(ハンチャオ)」と呼んでいて、その言葉を輸入したから、というもっともらしい説を聞いた(真偽は知らない)。少なくとも「韓流(韓潮)」が大陸でそのまま通じることは事実だし。
 台湾モノの流行については「せっかくだから“台風(タイフォン)”と呼ぼう」と提唱してるテキストを読んだこともありますが。あまりにも既存の一般名詞と共通する単語は定着が難しいような気がするなあ。「中」流の間抜けな響きは「華」とか「漢」で代用できるだろうけど。
 そんでまあもっとナイような気はするけど、仮にチベットブームが来たら……チベ流? (オレ流、みたいだ)
 原語だとプォェ流、みたいになるんでしょうけど、私にもきちんと発音ができません(無気音のpo+ウムラウト化、だったような)。漢字一文字で表現するのがアジアっぽいし流行りだし、というなら、「蔵流(ツァンりゅう)」? ツァンだけがチベットじゃない、とカンパやアムドワが康流(カムりゅう)とか安流(アムドりゅう)を主張しそうだな。それはそれで面白いか。なんかオチのない話題で失礼しました。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

2005.02.26

「幻の桃源郷シャングリラ伝説」

 誰かほかにも見ていた人の感想聞きたいのでテキストにしてみます……
 私は途中から見始めて、ほとんど音声を消した状態でほかのことをしながら眺めるだけだったので細かいところはわかりません。ながら見の感想と、ちべ者さんで予習復習したことを書きました。誤認や補足ありましたらご指摘宜しくです。
  アジアへGo 中国 幻の桃源郷シャングリラ伝説

シャングリラ(中国語表記で香格里拉)を求めて、俳優の東幹久が中国・四川省を旅します。大都会の省都・成都を振り出しに、人々との一期一会・世界遺産との出会いを繰り返しながら進む旅。やがて「世界で最も美しく、最も険しい道」と呼ばれる山岳地帯へとさしかかりシャングリラまであと一息となった時、高山病という思わぬアクシデントが旅人を襲います。初めて経験する苦しみの中、それでも前へ進む旅人。
そして、ついにやってきたシャングリラとの出会い。その時、旅人の心にはどんな想いがあったのでしょうか・・・。
広大な中国・四川省で18日間のロケを敢行。東幹久の新たな魅力と、幻の桃源郷シャングリラの雄大な風景を お楽しみください。
07・そもそも「シャングリラ」ってのはチベット人の間で語り継がれた伝説の地とかじゃなくて小説中の造語であって、イーハトーヴとか吉里吉里国とかそういうレベルだろうと(略)(※チベット人にも理想郷伝説自体はあって、滋賀県立大の棚瀬先生が研究しておられます)。番組のウェブサイトみると、分かっててやってんだろうな感はあるんですけどね。
・「現地ではヒルトンのシャングリ・ラと元々中国に伝わる桃源郷伝説が一体となって広く人に知られているが、中国人でも行ったことがあるのは山岳家くらいのもので、普通の人はまず行けない場所である」(番組ウェブサイトより)観光ツアーがいっぱいでてます
・「香格里拉」は2002年5月に中甸(チョンディエン)から改名した、客引きのための後づけ地名(それが悪い訳じゃなく、日本だって「南アルプス市」とかやっちゃってるんだから人のことは言えません)。ただ、だから、道路標識に「香格里拉」とあるのを見て東幹久氏が喜んだり、峠に「香格里拉×××亜丁」(全部は読めませんでした)と標石があるのをヌイて写したりするのはちょっとさぁー。
・地名も何もかも徹頭徹尾中国語でしたねぇ。仙乃日(雪山の名前)に「せんないにち」とルビ振るのはどうかと。日=ri=チベット語の「峠・頂」でしょ(※)。何か現地語の地名を漢訳して「仙乃日」になってるってことだよね。日本語にはカタカナって便利な表音文字もあるんだし、現地の文化を大切にしようよ。
・家に招いてくれた亜丁の元村長、中国語で話してたなあ…。明らかに「普段からこの言葉使ってます」って感じでもなかったし、不自然だよ…。現地の文化を大切にしようよ。
・とりあえず、体力なくならないうちに、行きたいなあ、とか。
※(02.02.28追記)書き飛ばしていた時は気付かなかったけど、間違えてました。チベット語の「峠」はラです。山の名前に「××カンリ」「××リ」ってのが多い印象があって(クーラカンリとかチャクポリとかマルポリとかヘポリとか)間違いました。仙乃日は「チェンレースィ」の現地訛りのピンイン当て字、と長田さんからフォローありました。すいません

| | Comments (9) | TrackBack (1)

2005.02.25

国立大入試でチベット

 群馬大教育学部の2次試験にチベットが!
 ……いや、まあ、試験そのものとはあまり関係ないんですが。

 チベットには、鳥葬という習慣がある。人は死ぬと、僧侶によって魂が抜かれ、死体は、山上に運ばれる。そこで死体は、処理人によって解体され、死肉が鳥に与えられる。むろん、鳥葬場の下方には立派な寺院があり、荘厳な祈りが欠かされたことはない。
 一体、人間の肉体に対する、この、過酷な処理は、何を語るものであろうか。
 鳥葬場の不思議に惹かれて、チベットを訪れたばかりの私は、人間の肉体に対する精神の優位を、いよいよ考えざるを得なくなったが。
<新人物往来社編『日本全国いちど行きたいユニーク美術館・文学館』1999>
 ……えーと問題文の抜粋です。チベットです。これだけじゃ「なんだなんだ?」って感じですか。
 この文章の前後には
(前に)「本の墓場である文学館には、小説修行中の私にとっては、自分の肉体の墓場以上の墓場だ、という強い憧れがある。」、(後ろに)「文学館も美術館も、そこに収められた作家達は、精神が肉体を乗り越えた、稀なる人々である。彼らの精神とゆっくり向き合う時、人は、成熟を重ねずにいられないだろう。」という文章が続いておりまして、さらに別項(A)で、アメリカ国内各地にある「チルドレンズ・ミュージアム」という、参加体験型の、明るさと色彩に満ち常に楽しそうな笑い声と陽気な喧噪に溢れているという文化施設の紹介文(目黒実「チルドレンズ・ミュージアムを作ろう」1996より引用)が示されていまして、問題文は
[問] 社会における文化の継承と創造という課題について、美術館・博物館・文学館等の施設は重要な役割を担っている。その機能を果たすために、今日、多様化する利用者のニーズを踏まえながら、さまざまな工夫も試みられている。
 さて、下記の文章(A)と(B)は、これらの施設について記されたものである。(1)両者の相違点を整理した上で、(2)これらの施設のより望ましいあり方について、あなたの意見を述べなさい。(500字以内)
 となっておりまして、わははは、やっぱりチベットは本題と関係ないっすね。一体突然どうしたんだろう(笑)。
 そんで「へぇー」と感心したのは、引用されている問題文のチベットの鳥葬のくだりが、基本的に間違ってなくて的確だってこと(ほぼ的確だよね?>詳しい方)。
 「遺体を切り刻んで鳥のエサ」的な、猟奇的な強調(まあ確かに日本国内でやったら死体損壊罪だ)はなくて、ちゃんと一段階「僧侶によって魂を抜かれ」というプロセスが入ってるし、「鳥が魂を天空に運んでいく」的なロマンチックな勝手解釈(中国文献を参考にしている本にけっこう多い。また、そういう解釈方法も皆無ではないらしく、完全に間違っているとは言い切れないらしいけど)も入ってない。引用文のその内容まで正確かどうかなんて出題者の知ったこっちゃないだろうけど、関係ない場所でふっと見かけるチベット関連記述ってけっこうツッコミ入りまくりのことが多いので、へーさすが国立大入試(あんま関係ないかも知れんが)、と感心したことでした。
 あ、問題は教育学部「文化・社会系」の小論文(60分)です。しかし難しい問題だなあ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.02.21

チベットセーバー

 テレビつけっぱなしのまま寝込んでしまい、深夜ふと気付いたらチベットが。
 インストゥルメンタル音楽に映像が流れるだけのスクリーンセーバーみたいな番組((c)ちべ者さん)で、ヤクの乳を分離器にかけてバターを作ったり、五体投地したり、ヤクを追ったり、ランドクルーザーが立ち往生してたり、延々と渓谷が映ったり。映像の印象や映っているチベタンの服装をみるに、かなり以前のストック映像のような感じ。ああ、いいなあ、いつごろどこで撮ったんだろう。うわわ目が冴えてきちゃったよ。
 ところどころ音声も入っている。画面いっぱいに子どもたちが興味津々集まり、カメラをのぞき込んでがやがや話している。チベット語らしい響きに嬉しくなる。「パル(写真)」とか「マレタ!(違うよ)」くらいは聞き取れる。
 それから日本人スタッフが通訳を介して女の子に「こんにちは、はなんと言いますか」。通訳「ニーハオゼンマシュオー」(中国語かよ!)。女の子「チョッナムサー」(と私の耳は拾ったんだがよく分からない)。スタッフ「黄河はなんと言いますか」通訳「ホァンハーゼンマシュオー」女の子「×××」(聞き取れず)。どこだろう。なんで黄河なんだ。「大黄河」か何かの撮影の余り映像なのかも。北京語の通訳連れて撮影してるんだなあ。
 それから馬に乗って去る遊牧民たちにスタッフが「ツァイチェン!」。日焼けした男が一瞬間をおいて「ツァイチェン!」と手を振り叫び返して背を向けると、カメラの背後のチベタンから「デモシー!」と挨拶が飛ぶ。男性もう一度振り返って「デモシー!」「デモシー!」。おおっ、アムドだ。
 うつらうつらしつつしつこく見ていたら場面が蘭州の火車駅に変わりぎゃみしか出てこなくなったので寝直した。

| | Comments (5) | TrackBack (1)

2005.02.20

3月10日記念マーチ

 3月12日に開かれる民主蜂起記念マーチの案内をWebに。数日以内には主催のTSNJのサイトでも告知されるはずだけど、なんとなく。
 告知ページにも書いたけど、今のところ、12日当日にルンタから参加する見込みはうらるんた1人。開始前の準備作業に参加して頂ける人、マーチの間、マーチに参加せず公園または付近の喫茶店で荷物番をしてくださる人――なんかを探しております。
 振り返ると、cgiの「うらるんた製作日記」(ニフティの日記帳サービス)から移行してBlogを契約したのが去年の3月10日で、ちょうど1年になるんですねえ。(※日記の過去ログを移管したので3月10日以前のバックナンバーが少しあります)
 2004年3月のバックナンバーを見ていたら、(ルンタの活動で)「どうしようかね」と困ってることが、現時点で課題になっていることとほとんど変わらない! ほとんど進歩なしってことか!? はずみで、作りかけのままながいこと放置されていたさがしていますなページを公開してみました。
 あと久留米チベット交流会の方からの報告もあり、もう少しWebに手を入れないと。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.02.18

21通

 ネパールのチベット難民事務所再開を求めるアピール、届いた賛同FAXをまとめて有志の会の貞兼先生に速達送り。
 12日に呼びかけて以降、3枚を白紙で受け取ってしまった大ポカもありましたが、17日朝の時点で届いていたのは計8通。このくらいで終了かなー、自分を足しても9通だからもう1人誰か知り合いに声を掛けるとかして10通になるとキリがいいかな、なんて思っていたら、最終日17日の24時間でそれまでの累計を超える9通が届きました。計18通です。ありがとうございました。
 さらに18日夜までに締め切りを過ぎて3通が届き、こちらも追加で貞兼さんに宛て発送しました。
 貞兼先生の活動については、ランタンプラン・ニュースレターNo.26へどうぞ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.02.17

大学の公開講座で“国際化都市の推進”

 群馬大学の夜間公開講座「多文化共生支援者養成講座」を受講。
 県内の市では初めて「国際課」を設置した某市の課長を講師に迎え「国際化都市づくりの推進について」。うらるんた的には一応、個人的関心とともに、ルンタ活動の将来的方向性を探るためのお勉強、のつもり。
 結論から言うと今回は退屈だった。講座は全8回で、私は3回参加(1回は休講、1回は風邪、1回は会合が重なり参加できず、残りは「“ものづくり王国・群馬”が中国の経済的脅威を克服するには」などあんま興味のないテーマだった)。在住外国人の法的地位とか、外国人学校健康診断事業の回は興味深い内容だった。
 冒頭の挨拶後、30分以上にわたり説明なしで素人ビデオを見せられる。「××××外国人共生会議」とか「くらしと共生を考えるつどい」とか「アメリカの日本文化祭」とか。挨拶する市長、踊る外国人、歌う外国人、食べる外国人、挨拶する国際交流協会会長、イベント参加者の記念写真、また挨拶する市長……。講師の課長は「こうして皆さんに見て頂いて、ビデオを撮っていてよかったと思いました」と自画自賛してたが、いらねーよ。単発イベントやって花火上げるのが行政の仕事じゃないじゃんよ。住民から持ち込まれたトラブルの解決事例とか、外国人相談の内容として多い事例とその対処方法とか、そういう現実を聴けると思って参加したんだよ。
 それから国際課の業務内容説明に入ったんだけど、イベントやりました、エスニックレストラン案内作りました、パンフレット作りました、という事業報告に終始する。予定時間過ぎても質疑応答に入る気配がなく、会社から戻れコールが掛かりやむなく途中退散。
 表面だけの話をされるなら短く切り上げてもらって突っ込んだ質疑応答を長くとるとか、そもそも参加者20人(定員は80人)なんだから講義形式をワークショップに変えて密度を上げるとか、してもらわないと、仕事でもないのにあんな話を一方的に聞かされてフラストレーションがめちゃたまる。ううー。最後までいてもあのまま終了した感があるけど。専門の学生さんとか、県が新たにつくる機関の職員とか、専門職の人も来ていたけど、あれをそのまま「先進的な取り組みで素晴らしいですね、見習いましょう」と受け止めて終わっちゃったんだろうか!?
 私は、その「××××外国人共生会議」に行っていた。
 「日本人の前では外国人同士でも日本語を話した方がいいと思います」という意見が述べられたり、「外国人も集まって住んでいる地域のために何かしましょう。ゴミ拾いなどはどうでしょう。賛成の人は手を挙げて下さい」(全員挙手)なんて意見が出てくる、ちょっと背中がかゆくなるような会議だった。
 「委員はどんな形で集まったんですか」と尋ねたら、「市が選んで委嘱した」という。「国際交流団体のツテで、日本語がきちんとできる、信頼おける人柄の人を紹介してもらいました」。ここからがスゴイ。「だってほら、外国人ったってイロイロでしょう。いい人も悪い人もいますから、選ばないと、ヘンな人が入ったら大変なことになっちゃいますから」。
 「それを言っちゃおしまいよ」なセリフで、行政執行者がしかも私みたいな立場の人間にそんなことを言いますかマジですか、と目がテンになったんだけど、まあ実際問題としてそれが実態だし、本音だろう、とも思う。言っちゃマズイってことを理解してない風なのもビックリするけど、直裁に認めちゃったその上でじゃあどうする、って議論もまぁあるいはアリか、とも思う。
 だけど、司会進行担当者の手元の進行表をちらっとみて、さらにビックリした。
 「市長が挨拶する」「○○さんが質問。『市長室はどこですか』」「市長答える」「○○さんが質問。『市役所に書いてある“××××”という標語はどういう意味ですか』」「市長答える」「○○さんが質問。『市長の趣味は何ですか』」――ぜ~んぶ、あらかじめ書いてある。やりとりの一部は講座で上映されたビデオでも映っていた。あの質問は全部仕込みで、誰が何を質問するか全部打ち合わせ済だったということ。会議が会議らしくあるためには、イチ外国人が、市長に対してイレギュラーなことを言い出したら(どんなものを想定してたのかは知らないけどさ)マズイ、と思ったんだろう。そこまでするんか、とちょっと呆れた。しかも仕込んだ質問が低レベルすぎる。なんで市長に市長室の場所を聞くんだ。趣味を尋ねるんだ。外国人共生とまっっったく関係ないじゃないか。外国人のアタマからはこの程度の疑問しか出てこなくていいんだ、とゆー意識が見え隠れして、なんかもう最悪なような気がする。
 そういうことを、講座のなかで、社会学の先生が仕切りゼミ生や担当職員もいる場所で問題提起してみたかった訳だ。ああそのために出席したのに。
 ただまあ、市役所っていう場所自体「日本社会になじむ外国人は受け入れてあげてもいいがそうでない人は出て行ってくれたほうがいい」という構造の中にあるんだろうなー、だから結局はああなっちゃうんだろうなー、と思ったりもして。だから群馬大で社会情報学を学ぶ学生さんが無批判に課長の話聞いて「そうか○○○○市はそうやって国際化に成功してるのねーすごいわー」とか思っちゃっちゃイカンだろう、とも思ったりして。民間の人とか教職員とか学生とかいろんな人がいる場所で、行政がいう「国際化」と、実際に隣近所で進んでいるもっとわやわやな状態と実態を、ちょっと考えてみたりしたかったのになあ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.02.15

胃が熱いんですが

mabo 夜中帰宅。
 豆腐と白菜が余ってるんで、電子レンジにかけて「ごはんがススム君レンジでおいしい麻婆豆腐」かけて夕食にしようか(>徹底的に料理しない私)、と、白菜を刻んだところでふと気が変わり、そういえばこんなの(←画像)があった、とレンジから鍋に変更。
 わーなんだ、これ。火を通している最中から、鍋の湯気がしみて、目が開けてらんないぃっ。
 ちょっと味見を、とひとすくいした途端にがほがほがほがほ! と咳き込んで止まんなくなった。うぇ~っのどに詰まる! 舌が痺れる! 食べるものこれしかないのに~、と涙目になりつつ、さらに数口、むりやり食べ続けたら、「……ん、まてよ。この味だ」状態になった。
 そーだ、麻婆豆腐はこういう痛みだった(←味、というより口の中の感覚の問題になっている)。
 箸が止まらん。なんか幸せだ。
 食べ終わってずいぶん経つけど胃が熱い。台所は(こんな夜中に換気扇回すわけにもいかず)くしゃみが出るので立ち入れない状態。うう。どんな食べ物だよ、いったい。……でもやっぱりちょっと幸せだ。火鍋、食べたいなあ。
  ◇
 ネパールのチベット難民事務所再開を求めるアピール、さらに進行中。
 Nさんから電話があり「大変そうですね」と笑われる。うーすいません。TSNJのサイト上での呼びかけにもFAX番号載せることに。小修正して、アップは明日とのこと。12~13日に白紙で受け取ってしまった3枚の賛同FAXは、お2方から「たぶん私です」と名乗り出ていただきました。本当にすみませんでした。m(_ _)m

| | Comments (9) | TrackBack (0)

2005.02.14

[お詫びとお願い] アピール賛同FAX

 ネパール国内のチベット難民事務所再開を求めるアピールへの賛同ファクスについて、お詫びとお願いがあります。
 ウェブサイトとルンタ・プロジェクトのMLで呼び掛けさせて頂いた後、12~13日と仕事で自宅を不在にしていたのですが、その間にファクスを送っていただいた方(紙の量からたぶん御3方と思われます)の賛同ファクスを白紙で受信してしまいました。私が受信用紙をよく確認しなかったせいです。申し訳ありません。
 13日午後10時以降にご送信頂いたものはきちんと受信しています。
 番号通知サービスその他契約しておらず、どなたが送って下さったものか、私のほうでは確認できません(ごめんなさい)。
 帰宅して吐き出されてる白紙に一瞬何が起きたのか分からず、何かの間違いかいたずらかと思ったのですが、コンビニへ出掛けて自宅にテスト送信してみて初めて自分のせいだったことが分かり、「送って下さい」と呼び掛けておいて「受け取れませんでした」じゃねーだろ、と真っ白になりました。
 これはどうしたらいいんだろう、謝るにしてもどうしたらいいんだろう、とオロオロし、もういっそ布団を被って知らなかったことにしちゃおうか、と思ったほどです(わーんごめんなさい)。
 ネパールで起きていることに心を寄せて下さり、うらるんたを信用して勇気を出して行動に移して下さったにもかかわらず、このていたらくで本当にすみません。
 心よりお詫び申し上げるとともに、お心当たりの方へ、どうかFAXを再送していただけるようお願い申し上げます。
  ◇
 情けない告知ですいません…。
 家を空けるんでFAX用紙の残量を確認、紙詰まりなど起こしてないかどうかはチェックしたんですが、まさか紙が劣化しているとは思わなかった…。そういえば最近ずいぶんFAX使っていなくて、最後に使ったのは昨年11月くらいでしょうか。それにしても3カ月くらいしか経ってないんだけど…。
 着信履歴をみると、12日午後2時6分▽12日午後3時4分▽13日午前0時7分(いずれもFAX機内時計に基づく時刻なので多少の狂いがあると思います。普段表示されていないからどのくらいズレているか分かんない)――くらいに電話が掛かってきた記録があります。
 ファイル作ってウェブ更新したのが10日夜から11日昼にかけて、ちべログに報告したのが11日午後から夕方、TSNJへ報告したのが11日午後4時半、ルンタMLに流したのが12日午後2時半くらい、ML「リンカ」はもっとずっと遅くて13日未明……ってことで、サイトを見てくださった方かルンタML読んで下さっている方か、と想像。申し訳ありません。
 気持ち的に10日夜からアピール呼び掛けの調整その他にかかりきりで、12日朝まで1件も問い合わせも賛同もなかったもので、「もう来ないな」と半分諦めてました。TSNJ内では「一般に呼び掛けた場合、個人の住所にものすごい量のアクションが殺到するのでは」「この種のアクションはアナログでやるとすごい分量になります…」と心配する声もありましたが、実際に紙に直筆で書き込んで指定の番号へFAXする、って、かなりの思い切りと行動力を必要とする作業だと思うんですね。大量のFAXに埋もれるような事態にはそうそうならないだろうな、来て数枚、と思っていたので、受信用紙が吐き出されているのをみた時には「わあっ来た!」「しかも複数!」と感激すると同時にそれが白紙で、えらいパニックに陥りました。ああ情けない。本当に申し訳ありませんでした。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

2005.02.12

埼玉にチベット人留学生

チベット難民2人が准看護学校入試に合格 「母国の人助けたい」--鴻巣 /埼玉

チベット難民2人が准看護学校入試に合格 「母国の人助けたい」--鴻巣 /埼玉
 ◇日本語学びながら研修中
 チベット難民2世のテンジン・ミンキーさん(21)とテンジン・ナンキーさん(20)が鴻巣市内の准看護学校の入学試験に合格した。日本で看護師になり、チベットで働きたいという。2人は「将来、だれかの助けがなければ生きられなくなる。元気な今のうちに人助けをしたい」と話している。【村上尊一】
 2人は川里町の「ヘリオス会病院」(森田仁士院長)の研修生寮で暮らし、日本語を学びながら、病棟で看護業務を手伝っている。2人は「今は看護師じゃないから患者のためにできないことがたくさんあり、それが悲しい。早く看護師になりたい」と言う。周囲は「教えるよりも教えられてばかりです」と熱心さをほめる。
 病棟には3年間、声をかけても反応のない50代の男性患者もいる。2人は病室に行くたび「今日も会えてうれしいです。愛しています」といたわった。
 3カ月が過ぎたころ、男性がほほ笑み返すようになり、同僚たちは「奇跡」と驚いた。病棟の主任看護師、根本美友樹さん(38)も「心を込めて看護している証し。だれもまねできない」と舌を巻く。
 2人の招へいは、13歳で来日し日本で医師免許を取得したチベット難民の内科医、西蔵ツワンさん(52)が実現させた。
 西蔵さんは95年、当時の勤務先の埼玉医大(毛呂山町)の同僚で小児科医の椎貝典子さん(46)とインドのチベット難民支援団体「パサニア会」を設立した。以来、インドの難民居住地で幼稚園や図書館の設立などの支援をしてきた。
 西蔵さんは「チベット人によるチベット人のための医療の実現」が夢だという。チベット人の医療従事者の育成をめざし、2人の招へいはその第一歩になる。西蔵さんは「チベット難民の中には親と離れて亡命している子供も多い。2人の頑張りがきっと子供たちに夢を与えてくれる。今後も活動を広げていきたい」としている。
毎日新聞 2005年2月12日

 知らなかったー!
 鴻巣は「こうのす」と読みます。行ったことないけど、熊谷より南だけど、まあまあ群馬からも近いっていっても許される距離だと思う(ダメ?)。
 ミンキーさん&ナンキーさんというのはなんか2人組の歌手か漫才師みたいで「そりゃチベット語か?」って名前ですが(^^;)。ダーナ・インターナショナル(広島)が看護学生招聘を準備しているって話は側聞していましたが、隣県にいたとは! 記事には、2人がいつ来日したのか、准看学校にいつ合格していつから通っている(あるいは学生になる)のか、(さらに欲をいえばインドのどこから来たのか、)などの記述がありませんが、勝手に推測すると、かなり前に来日していて、ツェワン先生の病院で看護助手をしながら日本語学校に通い、今年4月から准看学校に入学する、という感じでしょうか。
 准看学校では准看護婦の資格しか取れず、准看は給料も安いし勤務内容もあまり良くないらしいし、正看護婦になるにはもう一度試験を受けなきゃいけないみたいだし、准看免許は廃止される方向に向かってるらしいし、正看護師の資格が取れる学校に行った方がいいような気もするんですが、将来「チベットで働きたい」(←これってチベット本土じゃないよね…、インドの難民居住区のことを指してるんだよね)っていうんなら准看でもいいのか。しかし日本の准看資格がインドの病院でそのまま通用するんだろうか(医師免許は世界共通と聞いたが…正看免許ならまだしも)。
 しかしとにかく頑張るチベット人を応援したいです。勉学で忙しいでしょうが、いつかお目にかかれたらいいな、などと思っています。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

2005.02.11

ネパールのチベット難民事務所再開を求めるアピール

 事態のほうが進んでいて、フォローしきれずすみません。
 Blogって速報してなんぼ、途中経過でも可、ってスタンスに適したシステムのはずなんですが、オモテの仕事とか風邪引いたとか、同時進行でいろいろ…(言い訳)。
 ネパールのチベット難民の亡命ルートが危機その後、です。一応、今何が起きているらしいか、裏ルンタ何してんの、な経過説明なんかもしようかと思うので、「それ要らん」という方はここ以下から一番最後の段落までとりあえずすっとばしてください。
   ◇
 国王の首相解任と非常事態宣言後、一時は電話やインターネットなどの情報がすべて遮断され、ネパール国内の情報がまったく分からなくなりました(現在は復旧)。
 現在、これまでの政治家がすべて解任(逮捕?)されたほか、国内のメディアはすべて新体制のコントロール下に入り、体制批判や政治的活動などの一切が禁じられているようです(>まぁこの辺は以前からもそうだったかも)。頻発していたバンダ(ゼネスト)など政治活動が消え、治安は統制されており、市民生活は却ってスムーズになった、ネパール国内に滞在する外国人在住者や観光客への影響や危険はほとんどない、という断片的な情報が伝わってきています。
Katmandu_no_tibetan_reception (←4年ほど前に新築されたカトマンズのチベット難民受け入れセンター。たぶん)
 ただ、チベット難民事務所に関しては「平穏です」ともいかないようで、その後も情報が錯綜中です。すべて伝聞であることをご了承頂きたいのですが……5日の段階で「閉鎖命令は出たが表面上は今までどおりで運営は続いている」という話が入り、東京のチベットハウスも「連絡は取れている。人は働いていて、難民は追い出されていない」と言っていました。一方、別の支援組織からは「閉鎖命令が執行され、亡命政府事務所は既に閉鎖した」という情報が入っています。
 ネパール滞在中に政変に遭遇したみぎゅるさんにいただいたコメント(ありがとうございます)では、

>うらるんた様
カトマンズの亡命政府事務所に知り合いがいる
現地の友人に尋ねたところ、
やはり事務所は閉鎖したとのことです。
ですが、クーデターが起きる前に閉鎖されたので
今回のクーデターとは直接関係はないようです。
政府の圧力がかかったのでしょう。
難民受け入れセンターについては、まだ分かりません。
とのことで、とにかく閉鎖され難民保護の機能がストップしていることは間違いないようです。(Blog同士なので本来トラックバックするところなのですが、現在は現地から発信中なのでやめておきます、すみません)
 「自由に発言できる側にいる立場として、何かアピールしたり働きかけたりすることが必要ではないだろうか」という話題は、5日のミーティングでも上りました。ネパール国内のチベット難民の処遇に、「外」の日本人が何か言えるのだろうか、とか、基本的人権や民主的権利を制限された状態に置かれているのはネパール人だってそうじゃないか、それに触れずにチベット難民のことだけフォーカスするのはバランスが取れていないのではないか……なんて意見もありました。チベット亡命政府がダラムサラから要請を出すとか抗議するとか、何か働きかけをするのなら、それはまぎれもなく当事者の声であり、第三者の日本人にも「こういう意見を大切にしてほしい」と素直にバックアップできるのにな、などという話も出ましたが、――ダラムサラの亡命政府は静観する構えのようです(これも伝聞)。これまでも難民の積極的保護ではなく「黙認」という立場だったネパール政府を刺激したり全面対決することを避け、さらに事態が悪化することを恐れているのでしょう、とのことでした。「政府」なんて名前だけつけてみても、何の力も持たない「弱い立場」なのが現実で、やむを得ないことだと思います。
 寡聞にして知りませんでしたが、かつてはブータンにも亡命政府事務所があり、10数年前に閉鎖されたとのこと。ただしネパールの事務所の重要性はブータンと比較できるものではない、とのことでした。詳細に書くと長くなりますが、徒歩でヒマラヤを越えて国境を越えるチベット難民のほとんどがネパールへ入り、カトマンズの亡命政府事務所に保護された上で、国連難民高等弁務官事務所から難民認定を受け、インドへ移動する、というプロセスをたどります。昨年、ネパール領内に入り、亡命政府事務所に保護される前の難民が不法入国者としてネパール警察に逮捕され、難民申請をすることも許されず、中国政府へ引き渡されるということがありました。事務所の閉鎖はすなわち、それが常態化するということ。中国・インド国境は紛争中のため両国の軍隊が大量に駐屯し、地形も急峻で徒歩で夜間の国境越えをするのは無謀に等しく、チベットから(亡命政府のある)インドへネパールを経由せずたどり着くのはほとんど無理だと言われています。ああやっぱり長くなってしまった。
 とにかくそんなこんなの事情があり、声を出せる人が何か言わなければ、と気持ちだけは持っているところに、チベット学者でチベット文献翻訳やTVドキュメンタリー監修など幅ひろく活動する方と、チベットに造詣の深い作家・エッセイストのお2人が中心で「難民事務所再開を訴える有志の会」としてアピール文を持参し、現地へ働きかける、という連絡を人伝てにいただきました(伝聞や人伝てばっかりだ^^; チベット的ですな)。当初はNGOやネットワークなど団体としての賛同ということで、TSNJ(チベット支援団体ネットワーク日本)としてまとまることができるかなど各組織の間でやりとりをしてまして、とにかくルンタとして賛同させて頂くことにして、……なんてやっているうちに、団体名を列記したアピール文書の詰めの作業の傍ら、個人の方からもアピール文書への賛同メッセージを募ることになりました。
 ……と、以上ここまでが2月5日から今日までの経緯説明です。(やっと本題かよ!)
   ◇
 許可をいただき、呼び掛け要請をウェブサイトで紹介し、メールで届いた個人賛同メッセージ用pdfファイルをアップロードしました
 このページをお読みいただき、賛同して頂ける方は、ページ内のアピール文またはpdfファイルを印刷してご署名とメッセージをいただき、18日午前0時までにファクスいただければ、20日に現地へ向かう「有志の会」の方へ取り次ぎます(チベット学者の方が個人で取りまとめておられるので、とりあえずWeb上には裏ルンタのFAX番号を公開、裏ルンタの責任で取り次ぐことにしました。いただいたファクスはそのまま取りまとめの方へ郵送し、送られた方の個人情報は私の手元には残しません)。
 ネパールの日本大使館へ直接、ネパール政府への働きかけを求めファクスする方法もあり、この番号も紹介しています。

| | Comments (0) | TrackBack (4)

2005.02.09

ロサー・タシデレ!

losar2005-lungta Losar Tashidelek!
 チベット暦新年(木の鶏の年)おめでとうございます。
 画像は友人からいただいたカム旅行のお土産。漢民族の春聯のように、ドアや窓に貼ってお祝いするための縁起モノと想像(違っていたらご指摘下さい)。

60年に18回 西蔵暦の新年、旧正月と同時に到来(人民網日本語版)

0208 独自の暦法を採用している西蔵(チベット)暦の新年は、60年に18回の割合で旧正月と重なる。今回の旧正月も、そうした「めぐり合わせ」の年だ。
西蔵自治区の蔵医院天文暦算研究所の銀巴所長(天文暦算学専門家)によると、旧暦と西蔵暦の新年が重なるのは60年に18回の割合で、前回重なったのは1996年、次回は2007年になるという。
まもなく訪れる新年は、西蔵暦の「木鶏年」に当たる。(編集NK)
写真:輪を作って西蔵の伝統舞踊「果諧」を踊る西蔵日哈則(シガツェ)地区布県曲宗村の若者たち
「人民網日本語版」2005年2月8日

 BBSにも書きましたが、素直に「約3.3年に1回の割合」とすれば……と(ま、60年一回りの暦は旧暦と一致していて、そのうえで1年の長さがよく変わる、ってことなんだと思います)。写真は人民網からお借りしてきましたが、この「果諧(guo-xie)」って「鍋庄(guo-zhuang)」と関連するチベット語の当て字なのかな。

| | Comments (2) | TrackBack (2)

2005.02.05

チベット支援と打ち合わせ

 TSNJ(日本チベットサポート団体ネットワーク)ミーティングのため上京。
 3月10日(ラサ民主蜂起)の記念マーチ(今年は3月12日に実施予定)、ネパールの政変と閉鎖命令が出されたチベット亡命政府事務所の存続に向けできることはあるか、4月のダライラマ14世来日、テンジン・デレク・リンポチェ救援キャンペーンその後、TSNJの活動について……などなど。うう、けっこういろいろあるなあ。
 事務所では在日チベット人実業家が最新型パソコンをオフィスに寄付したとのことで、Kさん(システムのプロフェッショナル)が駆けつけて(ボランティアで)設定をしてらっしゃいました。寄付した実業家さんもすごいしボランティアで駆けつけるKさんも偉い。オフィスってそうやって支えられているのね。
 終了後、新宿でチベット関係者数人と待ち合わせて和食居酒屋で夕食。現場のこと、公的支援する側のことなど、貴重な話をいろいろ。ありがとうございました。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.02.02

実務セミナーでお勉強

 仕事の合間を縫ってNPO関係者向けの講習会「NPO実務セミナー」に参加。
 会計処理作業のたんびに新幹線に乗って関西入りしているうらるんた。なんだかんだ理由をつけて関西へ行って旧交を温めたい、という理由も大きいんだけど、ルンタに関わってくれている人たちもそれぞれが家庭を持ったり転職したり別のNPO活動に加わったりで忙しくなってきている。「そろそろ群馬の地元で助っ人してくれる人が見つかるといいよね」なんて話題も出ているらしく、いつまでも甘えていてはいかん、自助努力しなければ、とは思っている(思っているだけだが)。そんで一応、実務能力を身に付けるべく努力はしているんである(実るかどうかは別問題だが)。
 セミナーのテーマは「NPO法人の会計」で、パソコンソフトの使い方を解説しながら、NPO法に則った会計の実際を教えてくれるという。講師は自らもNPOに関わる公認会計士という。
 「せっかくNPOの会計担当になったのなら『貧乏くじを引いた』とは思わず、これを機に、転んだらタダじゃ起きない、ついでに簿記の資格を取るんだくらいの気持ちで前向きに行きましょう!」とハイテンション。いや貧乏くじとは思ってないんですが、検算のたびごとに違う数字が出てくるのをなんとかしたいだけです、私は……。
 まず「伝票会計をしている方、手を挙げてください」と尋ねられ、ほほう、ルンタでやっているアレは専門用語では「伝票会計」というのかー、とひとつ勉強。
 「NPOの行事や出来事をできるだけ頭に入れて数字で表現するのがNPO会計です」「人が動くことで動くモノはすべて押さえましょう」「すべての事象を数字の面から2つの見方で捉えるのが会計簿です。それさえ分かれば勝ったも同然です」
ふむ。
「その2つとは、賃借対照表と損益計算書です」
ち…ちんしゃく?
「貸方、借方の2つと考えましょう。借方は預金、貸方は会費です」「費用を収益と純利益に仕分けする必要はありません」
……早くも落ちこぼれ始めた私。その後、私の手元のノートには「正味財産増減計算」とか「フロー式・ストック式」などの単語がメモされているけど、今となっては意味不明…。
 セミナーは「NPO会計1.0forWindows」とゆーフリーソフトウェアの使い方を解説して終了したわけですが、実務能力への道は険しく遠い、つー感じであることよ。頑張ります。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.02.01

チベット難民の亡命ルートが危機

中国圧力? ダライ・ラマ亡命政府事務所に閉鎖通告

 中国圧力? ダライ・ラマ亡命政府事務所に閉鎖通告
 【バンコク=岩田智雄】カトマンズからの報道によると、ネパール政府は31日までに、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世の亡命政府(インド北部ダラムサラ)の代表事務所とチベット難民福祉事務所に対し、事務所の閉鎖を求めた。
 両事務所はダライ・ラマが1959年に亡命して以来、チベットからネパールやインドへ亡命する難民を支援してきた。ネパールには2万人以上のチベットからの亡命者が居住しているとされるが、ネパール当局は、両事務所に対し、未登録で活動しているとして閉鎖するよう通告した。
 中国はこれまでネパールに、「反中国活動を許容している」などとして両事務所の閉鎖を要求してきた。このため、カトマンズの亡命政府代表事務所は「閉鎖は中国の圧力によるものだ」と反発している。
 ネパール政府は昨年5月にも、チベットからの亡命者18人を初めて中国当局に引き渡しており、米英や欧州連合(EU)が非難した。
 最貧国の1つであるネパールには最近、国境を接する中国からの影響が強まっている。30日には、中国の支援でカトマンズにテレビ局の新庁舎が完成した。
 【2005/02/01 東京朝刊から】

 取り急ぎメモ。ネパールの亡命政府事務所が活動を禁じられることが、チベット難民にとってどんな意味を持つのかはあちこちで言及されています。「ネパールの空の下」内「けぇ がるね?日記」(1月28日付)同1月29日付「ネパール政府にとっての世界とは、インドと中国だけか?」などが詳しいです。
 こんなニュース(↓)もあって、ネパール大変そうです。
ネパールが非常事態宣言
ネパールが非常事態宣言
これは1日午前、ギャネンドラ国王が国営テレビを通じた国民向けの演説の中で明らかにしたものです。この中で国王は、これまでに内閣をはじめとする国内の政治家に国を建て直すチャンスを与えたが、活動が活発化している反政府武装勢力から国民を守ることができなかったと批判しました。その上で国王は、デウバ首相が率いる内閣の閣僚全員を解任するとともに「3年以内にネパールに平和と民主主義を確立する」と述べ、自らが国政を執り行うと発表しました。これにあわせた形でネパール政府は、1日、国営テレビを通じて、非常事態を宣言しています。ネパールでは、1990年に民主化が行なわれ、国王親政から政党を中心とする政治体制に移行しました。しかしその後、反政府武装勢力の活動が活発化したことなどから2002年10月、国王が一方的に首相を解任するなど政治への関与を強め、政党などから批判が出ていました。ネパール国内では今回の措置の発表で国王に対する反発がいっそう強まるものと見られ、今後混乱が生じることが懸念されています。
02/01 18:56


| | Comments (1) | TrackBack (0)

« January 2005 | Main | March 2005 »