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March 2005

2005.03.28

“OLダライラマ”

takano 「ちべ者」さんで「OLダライラマ」と紹介された謎の番組(>嘘)、見ました。
 番組内容詳細はご本人のサイトでどうぞ(画像もそこから貰ってきましたごめんなさい)。
 月末と年度末の雑務仕事が立て込み、帰宅が0時40分くらいだったから、最初の10~20分は見逃したけど、たぶんだいたい見た。ラダックでシャーマンに占いをしてもらう場面から始まって、デリー経由パタンコット経由でダラムサラ行ってました。シャーマンの占い、アムチの診療、アマラの料理、クショラの踊り、ゲンラの語り、ギャワ・リンポチェの握手――と、押えるポイント押えまくりって感じで、「風の旅行社さんGJ!」かと。1年放浪ではなく1カ月の旅行でこれだけ押えるのは相当頑張ってコーディネートされたと思います。同じ旅モノで、この前見た「シャングリラ」が「2週間の(長期)ロケ」をうたいものにしてたことと比べても。それにしても、やっぱりチベットはいいですねえ。
 著作(Amazon)も売れてるらしいんですが、私の側に「あ~、後藤ふたば系?」(※)みたいな、ちょっと食わず嫌いな部分もあってまだ読んでません。(※私の世代には後藤ふたばさんという女性旅行作家がいて、「チベットはお好き? ―女ひとりラサへカイラスへ」という旅行記があって、元気印女性の向こう見ず一人旅プラス自分探しそのままの私がイチバン! みたいなチベット本のハシリになったんですねー。読んだ内容はもう忘れちゃったんですが。あ、チベット女性一人旅モノの先達にはアマ坪野和子ラのラサエッセー「チベットで深呼吸」がありますがあれは別格^^;)
 ……てなわけでちょっと斜に構えつつ見たんですが、いやいやいや、面白かったです。「イマドキきゃぴきゃぴ女性(を装ったたかの氏)」がダライラマ萌えしつつイケメンチベタンにきゃぁきゃぁと旅をする、というノリで、登場するチベット人もなかなかイイ男ぞろいで(笑)。チベット仏教僧に懸想しちゃうのを懸念してたんですが、まぁそんなにヒドい事態にはなってなかったし。
 そういえば3月10日記念デモの時、周囲をきょろきょろしていた参加者が、「たかのてるこさん来てないかなぁと思って…」とつぶやいてたっけ。ええーっ、来ないでしょこういう所にその手の人はー、と驚いて尋ねたら、「私あの人がすごい好きで。本を読むと、チベット問題に関心持っているみたいだったし…」と言ってた。人気あるんだなぁ、単にラオスやモロッコ後のマイナー旅行先としてチベット選んだだけならちょっと罪作りかも。
 番組のほうは見ながら甘酸っぱいような生暖かいような気持ちになってきて、なんだこの気持ちは、と考えてみたら、私が初めてダラムサラを訪ねた1991年の旅行ルートって、この「OL旅行」と順番は違うけどほぼ同ルートだったのでした。
 タイ・ネパール経由で陸路インドに入り、マジュンカティラ(デリーのチベット人居住区)を経て長距離バスを乗り継いでダラムサラ、それからマナリー経由でラダックとザンスカール。ダラムサラではやっぱり「ダライラマ14世に一目…」という動機があって、思いがけずクンドゥンにお目に掛かって。当時既にチベットに転がり墜ちていたけど、アレで這い上がれなくなったような気がする。旅行記書いて同人印刷してダミーサークル作って学祭で売るくらいの自己顕示欲はあったし(苦笑)、「若い女の子自分探しの一人旅」ってのは当たらずとも遠からずな旅だった……たぶん。うはぁ。あの旅から私はいったいどこまで前へ進めたんだろうか。
 たかのてるこ氏って現在の私とそう大きな年齢差はない(向こうから見たらあるのかな!?)と思うと、14年前に21歳の私が旅したルートをきゃぴきゃぴ旅できるパワーはすげえなー、とも思うし、どうふるまえばどう映るか、どう行動すれば番組が成立するかというそれなりに老成されたしたたかな計算があってこその企画旅行だったんだろうな、とも思った番組でした。14年前と同じことやれって言われてもできないもん、私。トシとか見栄とか危機管理とか、くだらないモノがジャマする。んじゃ、そこは14年前に既に通った道だとして、それから何を知りどれだけ先に進み今なにを残せたか、というとそれもない。チベット語が話せるようになったわけでもなく、仏教の教えを学んだわけでもなく、例えば仕事でチベットに関する何かまとまった蓄積ができたわけでもなく……うへー…。
 とまあ、ダライラマ14世関連で自省的になるちべ者さんに比べ、旅行番組で己を振り返っちゃう私の底の浅さといったらないんですが、すみません。いやぁほんと、若かりし自分のまき散らした行動を思い浮かべて冷や汗モンの番組でした。
 ちべモノ的には、スタジオコメンテーターにはツッコミ役の島田紳助以外に、「チベットでは~~という意味があるんですよ」とか「この~~は~~~ですね」とチベ知識を補足してくれる人がもう1人いると良かったかもですが、まあ、そういう番組じゃないし。
 番組で印象的だったのは、「アイウォントスィーダライラマ!」と大騒ぎするたかの氏に、「なぜ君は直接会いたいんだ?」ととまどうチベット人男性の表情ですかね。
 「君が会ってどうするんだい?」
 「会って考えていることを聞きたい」
 「考えを知りたいなら講話を聞けばいいし、たくさん出ている本を読めばいいじゃないか」
 「だってカッコイイし、私をアピールしたいし、会ったら人生が変わるような気がするんだもん!!」
 「……」
(↑記憶で書いてます。だいたいこんな流れだったような)。わはは、チベット人が正しいだろ、そりゃ。会えなきゃ番組のオチがつかない、というのはあったんだろうけど。
 「金八先生に似てるよ」と言われたゲンラの「なぜ求めるんだ。大切なのは執着ではなく愛すこと。世の中に変わらないものはない。執着からは何も生まれない」という語りも、ああチベット人だなあ、という感じで良かったし、何より、「ホワットイズミーニングオブライフ?」「アーユーハッピー?」というすごい質問に応えたダライラマ法王の言葉も深かったなあ。
 「生きることの意味は分からないが、ひとつ言えるのは『ここに自分が存在している』ということ」「幸せかどうかというのは自分の心の状態が決めるもの。私のこれまでの道のりは平坦なものではなかったし、困難な環境にあったこともあるけれど、常に誠実に受け止めようと努め、その中で平穏な心の状態を保とうと心がけてきて、今、私の心はかなり平穏だと言えます」(←これも薄い記憶で書いてます)
 番組直前に電話を掛けてきて「人間関係がしんどい、他人のやっかみや敵意を感じて精神的に参っている」とこぼしていた知人に聞かせたい、とちょっと思ったり、一方で、この日アメリカ留学中の友人から届いたメールに「これまでの仏教哲学の世界観とは違った切り口で社会を分析した時に『知のバランス』を考えた」…とあったことも思い出し、ギャワ・リンポチェという存在の立ち位置と直面する世界とのバランスに思いを馳せたり、しながら見ることが出来ました。(なんか番組そのものとはズレまくった感想だ……)
 <本筋とは関係ないアレコレ>
 ・「ダラムサラには列車とバスを乗り継ぐしかない」→ダラムサラにはデリー郊外のチベット人居住区マジュンカティラから直通の夜行バスが出てます。400Rsくらい。
 ・「チベット仏教寺院では厳しい問答で修行している」→うわっ! ラダックの寺院を訪ねるシーンでなぜラサのセラ寺が挿入されるの!? たかの氏もいてるし。前半10~20分見逃してたけど、たかの氏が本土側を旅していた描写もあったの?

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2005.03.22

ネパール近況報告会

DSCN1557 カトマンズ、ランタンを訪問して18日に帰国された貞兼綾子さんのネパール近況報告会に参加。
 聴衆は25人ほどの濃いメンバー。遅れて会場に入って名簿に名前を書き込んだら、超有名探検家の名前があって(“))))((((”)どこどこ! とミーハーモードに(でもご尊顔存じ上げず結局どの人か分かりませんでした^^;)。その他アムネスティやチベット関係の知人数人。なんだかよくわからないけど会社から携帯が鳴りまくり、そのたびに1階まで降りて会場の外で掛け直し、雰囲気壊してご迷惑おかけしました。
 貞兼さんの報告。「1990年の民主化運動は何だったのか」「国王に近い政党が政権を担ってきたが、政党が乱立し、金儲けに走ったり援助を私し、数年ごとに交代する悪循環のなかでマオイストを生んでしまった」「国王親政(パンチャヤット制)から議会制への移行が急速すぎ、実態が伴わなくなっていたのではないか」
 現在の状況→「集会や報道の自由はまったくない。人々は疲れ切り、国王に対し『期待する』という支持の声も『がっかりした』という不安も口にしない。その日を生きるのが精一杯で、先のことを考えられない状況まで追い込まれているようだ」「カトマンズの外は冷えこみ、経済が安定していない。以前は雑踏と渋滞で大混雑していた郊外の市場が、人気がなくがらんとしていた」
 チベット難民福祉事務所(現在閉鎖中)について→「1月21日の閉鎖命令は、チベット人『難民』福祉事務所という名称に対し『中国から国境を越えた者はすべて“中国人不法越境者”であり、“チベット人の難民”は存在しない』という中国からのクレームに配慮したものと思われる」「ネパール国内のチベット亡命政府系機関が閉鎖させられたのは初めてではない。すべて『名称が許されない』という理由によるもの。1回目は1960年に日本でも使っている『ダライラマ法王代表部事務所』という名称を使い、ダライラマ代表部という名称がまずいということになった。現在収監されているコイララ元首相が事務所開設を認めたというが文書での記録は残っていない。2回目は1968~1969年ごろ、『チベタン・レフュジー・ウェルフェア・オフィス』で事務所を開設、2005年1月20日まで継続してきた。現在、“レフュジー”を削除した『チベタン・ウェルフェア・オフィス』への名称変更を申請し直そうとしているところ」DSCN1559
 スワヤンブナート近くのチベット難民受け入れセンターについて→「仕事の一部は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と一体となっており、建物も国連の資金が入っており、ネパール政府も手出しできず、機能している。900人近いチベット人が滞在している。うち600人が2004年に、300人が2005年になってから到着した難民」「ネパール政府は、1989年以降に流入する“新難民”について国内の居住を認めず、カトマンズにいられない。2カ月以内にネパールを出ていかなければならない決まりというが、UNHCRの調査とインドのパーミッション(受け入れビザ)発行は1日15人さばくのがやっとである。
 在ネパール日本大使館について→「署名153人分を提出した。チベット難民の置かれている状況と処遇について大使は『知っている』という感じで話を聞いていた。『(名義変更が認められて)福祉協会ができればいいですね』という他人事めいた肩すかしのようなことを言われた。『日本はUNHCRのドナーである、ぜひ見える形で支援を』と食い下がり、覚え書きを提出してきた」
 ――などの話がありました。

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2005.03.21

記録映画にルンタ

DSCN1552 2002年の「ぐんま文化の日」イベントの記録映画を製作している映画監督さんから、ルンタ・プロジェクト紹介部分について打ち合わせたいと話があり、お久しぶりのMASS氏とも待ち合わせてファミレス。「ぐんま文化の日」も記録映画もなんだかよく分からないけどとりあえず監督さんの苦労と情熱は感じた。
 各参加団体を1分程度でまとめて20秒程度のナレーションをつけたい、とのこと。台詞を考えるも何もどうにも照れくさく、全面的にMASS氏にお願いしてしまった。すいません。意外に(といっては失礼か)低音美声のMASS氏、けっこーノリノリでマイクに向かって下さる。なかなかの役者っぷりでした。お2人に感謝。どう料理されるか、楽しみではあります。
 記録映画は3月末完成予定とのこと。

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2005.03.19

すごいお寺すごい記事

 チベットのジョカン(大昭寺)を模したチベット仏教寺院が、万博開幕にわく名古屋に完成されたそうで。
 お寺もスゴイんですが、ネットで読める読売新聞の記事がまたなんだかスゴいことになってます。既にチベ式とかちべ者とかでも言及されてますが、自分用の記録保存としてテキスト化。“ちべビア”というか、VOW(バウ)ならぬ“チャウ(Tibet of Wonderland)”(←?)とでも言うか。
 守山に日本初 チベット寺院 (urlは変わる可能性があるので本文引用します)

 守山に日本初 チベット寺院
 ◆10校40人参加予定
 日本では初めてとなるチベット仏教寺院が名古屋市守山区吉根階子田に建立され、16日、内覧会があった。ユネスコの世界遺産に登録された中国・チベット自治区のポタラ宮殿内にある「大昭寺」を縮小、再現した。23日に落慶法要がある。
 チベットの高僧、故ボミ・チャンバ・ロドロ氏のもとでラマ僧になった森下永敏住職が、日本にチベット仏教を伝えるため、ボミ氏の遺志を受けて建立した。
 寺院名は「強巴林(チャンパリン)」。「強巴」はチベット語で弥勒(みろく)菩薩(ぼさつ)、「林」は寺院を表す。高さ約13メートルで、基礎工事部分以外は、すべてチベットから運ばれた材料を使った。本尊は、釈迦牟尼(むに)仏の成人仏(高さ3・6メートル)と、「十二歳像」(同1・6メートル)の2体。チベット仏教では門外不出とされる「大蔵経」もボミ氏から贈られた。
 森下住職は「4000メートルもの標高があるチベットでの実測など、苦労があった。平和を願い、心のよりどころになるような寺にしたい」と話している。一般公開は4月29日から。入場無料。
 写真=国内初の建立となるチベット寺院の内覧説明をする設計者の望月義伸さん(右)と森下住職
 (読売新聞中部支社 無断転載禁止)

 ◇既に入っているツッコミまとめ
★「ポタラ宮」と「大昭寺」はまったくの別モノ(byおさださん)
★「門外不出とされる『大蔵経』」とかよくわかんない(byおさださん)
★世界遺産に認定されているのは一義的には「ポタラ宮」(byちべ者さん)
★ポタラ宮のなかの寺院はナムギャル僧院(現在はダラムサラに亡命チベタンが継承)(byちべ者さん)
★「日本初のチベット仏教僧院」として名乗りを上げた寺院は広島の「龍蔵院デプン寺院ゴマン学堂日本別院」(高野山真言宗牛田山龍蔵院)である(2004年7月28日)(byちべ者さん)
 → http://www.mmba.jp/news/press/tibetmonastery.html
★「釈迦牟尼12歳仏」がジョカンの本尊ジョウォ・リンポチェを模したものとすると、"もう1体の本尊の『成人仏』"って……? (byちべ者さん)
 その他、記事冒頭で「チベット仏教寺院」と書いておきながらわざわざ「ラマ僧になった」なんて記述をするとか(誰かに対するラマになったと言いたい訳か?)、チベット語で命名しておきながらそこにわざわざ漢字の当て字をつけてさらにそこへルビをふる(音読みでも訓読みでもなく中国語読みで)、とか意味不明てんこもりです。なんかすごいことになってますねえ、名古屋。

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2005.03.17

直った

 (17日のメンテナンス後、なぜか15日に書いたテキストが復活できなくなってしまいました。以下は15日にアップしたかった内容。)←15日に書いたテキストが復活できたのでこっちを消しました~

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2005.03.15

衝動買いに敗北す

 CD-Rを買いに地元のヤマダ電機に行き、つい、一昨日買ったICレコーダーの値札を見てしまって大ショック。
 うわー、なんだよ、3400円も安いってどういうことよー。しかも探し回って買い込んだキーボードの防塵カバーもちゃんと置いてあるじゃん……。
 そもそもはピースマーチで上京した翌日、大学時代の先生の講演会が関内であるので、神奈川のチベ友に声を掛けたら「行く予定を立てている」っていうので、そりゃいいやそこで会おうと待ち合わせ、そのチベ友に前から紹介すると言っていた別のチベ知人にも終了後に声を掛けて……というつもりで東京に1泊したんだけど、前日と当日に2人ともやんごとない事情でキャンセルに。
 キャンセルはしょーがないです、東京の人は皆忙しいし。「行けたら行く」という形でアポイント詰め込んで後から減らしていかないと先方の予定も動くからこなしていけないんだろうと思うし。しかし私はどうしよう。自分で講演会の参加申し込みをしていなかったので、突然1人だけで飛び込みで行ってもちょっと顰蹙だよなぁ、とためらわれ、行かない分には最初から来るって思ってる人はいない訳だから誰の予定も狂わないだろう、と横浜行きをやめたのでした。ちゃんと自分で申し込んどくんだった、先生のチーパオ姿を拝むチャンスだったのに。
 それでじゃあ何をするかっていっても特に東京で行く所もしたいこともそうないのでしおしおと群馬に帰ることにして、そうだこーいう時は買い物だ、と一度新宿に出てヨドバシカメラに寄り(←学生時代から買い物のテリトリーが変わっていない)、地元で見つかんなかったパソコンの消耗品をいくつかと、前から欲しかったICレコーダーを衝動買いして帰ってきたのでした。「上京記念買い~」みたいな。
 それがなに、3400円も高いだあ? 数百円なら分からないでもないけどさぁ。
 ヤマダ電機を軽んじちゃいかんかった…。ちゃんと価格比較検討して買うんだった…。
 いや、そもそもムダ遣いといえばICレコーダー自体MD録音機もマイクロカセットも持ってるのに要らんだろ、ともいえるわけですが、2~3万円の無駄モノ買いならいくらでも心当たりがあるわけですが、こーなんつーか、同じモノが数日後に地元で安いと敗北感がですね…。負けた…(←何に?)。

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2005.03.12

チベットピースマーチ2005

05031214 「チベットピースマーチ2005」に参加。
 参加者は……出発前に私が数えた限りでは55人+α、程度でしょうか。前回(去年)よりやや少なめかな、という印象。いわゆる“集会”と考えるととっても少ないけれど、まあこんなものかもしれない。でもチベット人がたくさん来ていて、そこでもあっちでもチベット語が聞こえて、いい雰囲気です。
 TSNJの今年の代表Nさんの開会挨拶、国会開会中にもかかわらず駆けつけた超党派「チベット問題を考える議員連盟」代表世話人の牧野聖修衆院議員(民主)の挨拶の後、法王事務所のルントクさんが、ダライラマ法王の3月10日の声明文を朗読。「チベットの独立を求めない『中道政策』を採ることを全面的に約束し、中華人民共和国の一部であり続けることに異存はない」という声明を複雑な思いで聴く。1959年のラサ蜂起から46年、異郷で暮らすチベット人の「故郷に帰りたい」という気持ち、時間はもう残されていない、という思い、それを何よりも分かっているからこその声明で、こう言わざるを得ないんだ、という痛切な感情が伝わってくるような声明だ――と感じた。
05031212 いよいよ4列縦隊になって渋谷の町へ。60人にも満たない小さな集まりだから、雪山獅子旗や横断幕を持っても隊列の長さは20メートルも続かない。交差点の信号待ちの雑踏に紛れたら簡単に埋没してしまう、小さな小さな人の列。なんとなく無力さを感じたり、一方で、なんの得にも利益にもならないことに加わって時間と体を使おうという人がこれだけの数いるんだ、という風にも思ったり。
 Nさんがハンドマイクで「えーと、アピール始めたいと思います」。
 来た――!
 これは私がNさんに、無責任にも「日本語だけじゃチベットっぽくないしチベット語混ぜたらどうですか? 12月の人権パレードのビルマの人たちのアピール良かったですよね」と思いつきで言ったことから始まった話。しかしそんなこと言い出す私もNさんもチベット語ができないんだから始末が悪い。辞書を引きながら私が考えた「チベットに自由を」は、「プェイー・ナンラ・ランゼン・ヨー・アレ」(←後にそんな風には言わない、とチベット人から指摘されためちゃめちゃなチベット語)。
 チベット人やチベット語ができる人に電話を掛けて「チベット語のシュプレヒコール教えて」と頼み込み、本土系の人からは「あの、私はデモなんて知らないし参加したことないけど……(困惑)」と警戒されたり(←当然です! 尋ねた私が悪いんです! ごめんなさい!!!)、亡命政府系の人からは「それは決まってます。『プゥェー・ランゼン!(チベットは独立国家である!)』ですね」と言われ「いや、あの、今回は法王も『中道路線』を強調するコメントを出していることでもあるし、あくまでも人権と平和を訴える内容で……」と食い下がってみたり、いや~冷や汗モノ。
 なのに皆さん怒ったりせず、日本語に合うチベット語をいろいろ考えて下さって、夜遅くにメールでアイデアいただいたりして感涙(滂沱)。ちなみに「人権」はチベット語で「ドワミートプタン」というそうです。む、難しい発音だ。
 「プー・ラワン・ゴー」
 「……」
 「これはチベットに自由を、という意味です。プー・ラワン・ゴー」
 「プー……」
 ダメだよ盛り下がっちゃったよ!?
 「あの、チベット語間違ってますか?」と近くにいた家族連れのチベット人男性(面識なし)に声を掛けると、「何て言ってるの? 難しい日本語よく分からなくて」。うわーん。「あの、一応、チベット語のつもりで…(汗)、Phöö Rangwang Go! と」「あ、Phööって言ってるの! うん、Phöö Rangwang go! ね」。おっ、ノってくれた!
 すると横からチベット人女性が「ラワンじゃなくてRangzen(ランゼン)でしょ?」
 「いやあの、Rangzenはファイティングするみたいなので…それでPhöö Gyel Looo!(プゥー・ギャ・ロー!) ……と」
 「ああ、Phöö Gyel Loooo!! 」
失笑をかってるのか喜んでもらってるのか分からないけど、とにかくチベット人に「日本人ががんばってチベット語に挑戦してるらしい!」とは伝わった! と喜んだその時! ハンドマイクのない後ろのほうから
05031210 「Free Tibet!!」
 「Free Tibet!!」
 「We Want Justice!!」
 「Free Tibet!!」

 びっくりした。
 なんというか、その、Nさんの木訥としたアピールが4分の4拍子(ズン・チャ・チャ・チャ)だったのが、列の後方から沸き上がったリズムは2分の2拍子(ズン・チャ! ズン・チャ!)ですよ。ロックですよ
 するとたちまちチベット人たちがそのアピールの波に乗って、今度は置いて行かれてるのは日本人のほうで。チベット人たち自身の大合唱が沸き起こったのでした。
 「Tibet For!!」(チベットは!)
 「Tibetan's!!」(チベット人のものだ!)
 「プェギ・ダクポ!」(チベットは!)
 「プェバ・イン!」(チベット人のものだ!)
 「Dhalai Lama!」(ダライラマ法王に!)
 「Long Lives!!」(ご長寿を!)
 「プェ・ランゼン!!」(チベット独立!)
 「ツァンマ・イン!!」(その通り!)
アピールはすべて掛け合いで、1人が叫ぶと、それに呼応する言葉が周囲から沸き起こるというもの。格好いいです。インドや海外で行うチベット人たちのアクティビティの時にはこんな風に叫んでいるとのことでした。
05031217 「Chinese!!」
 「Quit TIBET!!」
 「Chinese!!」
 「Booooo! Shit!!!」
に至っては、あちゃちゃマズイかも、と一瞬慌てたりもしましたが……思い返せば声を発しているのはチベット人自身。法王がなんと言おうと、亡命チベタンたちの本音はそうなんだろうな、と感じた出来事でもありました。それに、日本人が日本人の頭で考えていただけでは、ダライラマ法王の長寿を祈る、というフレーズは出てこない。ああ、このへんの発想や価値観がチベットなのかぁ、と感じたり。
 Nさんも「チベット人自身のパワーを日本で初めて見た」と言ってました。予定外のことではあったし、私ら日本人のチベット語があまりにもヒド過ぎた(!?)のが直接の原因だったのかも知れないんですが、思いがけずチベット人自身の言葉でアピールしてもらえて、本当にいいマーチになった、一緒に歩くことができて良かったな、と思いました。

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2005.03.10

1周年と46周年と60年

lama ダライ・ラマ「チベットは中国領土の一部」

ダライ・ラマ「チベットは中国領土の一部」
 3月10日、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は、チベット蜂起46周年で演説し、チベットが現在も中国領土の一部であることを受け入れる用意があると表明した。写真は今年1月撮影のダライ・ラマ(2005年 ロイターRavi. S. Sahani)

 ロイターは「チベット騒乱」ではなく「チベット蜂起」として扱ってくれるのね(なんか嬉しい)。Yahoo!に流れた記事(こっちのほうがちょっと長い)では
[ニューデリー 10日 ロイター] チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は10日、チベット蜂起46周年で演説し、チベットが現在も中国領土の一部であることを受け入れる用意があると表明した。
 ダライ・ラマは「私がチベットの問題に責任を負っている限り、我々はチベット独立の道を模索する意思はなく、中華人民共和国の領土内にとどまる用意があることを中国当局に再度確認したい」と述べた。
 ダライラマは1959年、中国からの独立に失敗して以来、インドに亡命している。
(ロイター) - 3月10日21時46分更新
となっていて、「独立に失敗した日でもあるんだなあ、そうだなあ」などと思ったり。それから今日は東京大空襲(1945年3月10日)から60年でもあって、テレビや新聞は関連のニュースに紙幅や時間を割いていて、見ながらいろいろ考えた。そして、60年前の記憶でさえこんなにも血を流し悲しみは深く傷は癒えていないというのに、46年前なんてついこないだじゃないか!とも。
 →46周年記念日におけるダライラマ法王の声明
  ◇
 その3月10日に合わせたピースマーチに向けて、電話打ち合わせややりとりいろいろ。
 何か「声を上げる」ほうがいいのでは、という話になっていて、要はシュプレヒコールというのか口号というのかなんだけど、よくある「××ハンターイ!」とか街宣車みたいにウルサイのはやりたくない。なにかチベットっぽくて聞く人に「え?」と思ってもらえるものを……と考えて「チベット語はどう?」。
 「自由」とか「人権」ってチベット語で何ていうんだろう。ダラムサラでグチュスムのパレードに参加した時、もっとちゃんと聞いておくんだった。知り合いのチベット人に電話するもつながらず、思いあまってチベット語の先生に。
「『プェー・ランゼン・イン(チベットは独立国家である)』は聞いたことありますけどねー」。
 ああ~(^^;)それはダライラマ14世が上記のよーな見解を打ち出している以上、ちょっと過激すぎる…かな? 峠の頂でルンタをまく時、皆「ラーギャロー」と叫ぶよね。「プゥーギャロー」とか、どうでしょうかね(そう書いてあるマグカップをダラムサラで見たことあるけど)。え、そっちのほうがもっと過激? 当日を楽しみに。
  ◇
 そして「1周年」なのはこのblog。
 サイト自体は1999年からやってるので今更1周年も何もないんだけど、最初の情熱が薄れ更新が滞りがちになっていたなかで、FTPいらず一通りのことができるシステムは画期的だった。けっこーマメに更新したような。
 で、1周年ついで、という訳じゃないけど、先日Blogの内容に関連していただいたメールがあまりに衝撃的で、「えぇ~マジ!? 確かに、言われてみれば!!」とウケまくった後で、そういう系統の話がいくつかあったことを思い出し、1周年記念だ、ということで、ネタ系別館をつくってしまいました
 ちべビア@TIJ blog別館 http://blogs.yahoo.co.jp/ura_lungta
 設定がよく分からなくて手間取っているうちに時計が0時を回って3月10日開設じゃなくなっちゃったのはご愛敬。
 こちらはウワサ収集や検証のための作業場なので、材料がある時のみ更新です。本館はちべログ(ここ)ではなくこっち→ちべビア@裏ルンタです。

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2005.03.08

銀行とかアドレスとか

 昨年取得した「lung-ta.jp」ドメインを更新。早いなあ、もう1年経つんだ。
 メールアドレスをもうちょっと短いのに変えようかと思ったり、ネット絡みの雑用を粛々と。後は仕事の合間に銀行をはしご。
 以前「銀行口座どうしよう」と途方にくれていた件ですが。
 そのまま放置していたのをふと思い立ち、ここ2週間、雪崩起こす勢いで口座を開きまくり。
 ずーっと懸案事項だった、県内に支店がなくカードも使えず(暗証番号忘れてカードが使用不可能になってしまった)、手も足も出せなくなっていたUFJ銀行の預金は、昨夏に大阪行った折、なんとか解約して全額引きずり出して一件落着。
 それで「もういいよ銀行は」と思考停止してたんですが。先日、先方の指定する銀行口座にお金を振り込む用件が相次ぎまして。2回ともたまたま三井住友銀行だった訳ですが、2回振り込んだら手数料が計840円。1食食える。「これってここに口座を作っとけば半額以下で済んだんじゃ?」「そもそも今はインターネットってものがあるのでは」……と、振り込みの必要性が出た時のためだけに口座開設を思い立った次第。
 考えてみれば家賃振り込みもインターネットでやればいいわけで、毎月月末に必死こいて夕方6時までにATMへ駆け込んでる(※18時を過ぎると時間外手数料がかかるだけで、閉まるわけではありません)のは何だったのかと。
 そんなわけで家賃振り込み用のみずほ銀行口座をインターネットバンキング可能なものに変更、翌日は三井住友銀行でインターネット振り込み用の口座を開設。今は通帳がない口座なんてものもあるのかぁ、知らんかった。さらに3月末振り込み期限の買い物の支払い方法を眺めていると、どうも世の中にはインターネット銀行というのがあって口座間送金手数料が不要らしい。そこに口座開設を申し込んだら、今度はりそな銀行に出し入れ用口座を持つのが一番手数料が有利だと知り、ええいついでだ、とりそな銀行にも。これで銀行口座一気に4つ。なんだか結果的に激しく踊らされてる気がする。
 さて、新しいメールアドレス、どうやって切り替えよう。今のアドレスも気に入らないまま(***@mbg.←このあたりの文字列が気に入らなかった^^;)もう4年も使っちゃったんだよなあ。Webに晒すとspamがスゴいことになるしなあ。

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2005.03.06

河口慧海の越境ルート

ekaimap河口慧海の越境ルート解明
 チベット旅行の日記から

 日本人として初めてチベットに潜入した僧侶、河口慧海(1866-1945年)の日記の解読を終えた研究者らは5日、大阪市内で開かれたシンポジウムで、これまで謎に包まれてきた越境ルートを明らかにした。
 昨年秋、慧海の著作「西蔵旅行記」の基になった日記が見つかり、研究者や山岳関係者が内容を読み進め、ネパールのツァルカからチベットのネーユまで(約300キロ)は、当時よく使われていたクン・ラ峠(5、411メートル)を越えるルートだったと特定した。
 日記の記述では、ツァルカを1900(明治33)年6月22日に出発、7月4日にネーユに到着した。
 西蔵旅行記の記述から、慧海は一人で歩いて越境したとみられていたが、日記では牛の一種、ヤクに荷物を載せていたらしい。現地の人が同行した可能性もあるという。
(共同通信) - 3月5日20時6分更新※共同通信のサイトには掲載されなかったか消えてしまっているみたいなのでリンクはYahoo! Newsへはってます

 ちべ者さんの「河口慧海の道」(大阪)で紹介されていたイベントで公表された内容かと。
 「ツァルカ」「ネーユ」「クン・ラ」……どのへん? 地図を探してみようっと(見つかったらアップします)。
 上の画像の地図は明治37年発行の「西蔵旅行記」(河口慧海)についていたものだそうで、「河口慧海越境峠説」からお借りしてきました。無断拝借すいません。このサイトすごいです。参考になります。
 (追記)
 こんな記事もありました;
 ヒマラヤ越え、ヤク使う--大阪
 日本人として初めてヒマラヤを越えて「チベット旅行記」を書いた僧、河口慧海(1866~1945)が、ネパール・チベットの国境越えの際に現地の動物「ヤク」を使っていたことが分かった。
 研究グループが、慧海の日記の黒塗りの部分から「ヤク」を意味する「〓牛(ぼうぎゅう)」という文字を解読。協力者のヤク使いを守るために塗りつぶしたらしい。専門家は「標高5000メートルを越える困難なルートを驚異的な速いペースで進むことが出来た謎が解明された」としている。
 慧海は大阪府堺市出身の僧。経典などを求めてチベットを訪れ、旅行記を大阪毎日新聞に連載した。
 毎日新聞 2005年3月7日 東京朝刊
 関西で3月1日に報じられたらしい「河口慧海:驚異的スピードの謎解明、ヤクで1日40キロ--『チベット旅行記』著者」(このリンクで大丈夫かな……元記事のジャンル分けが不明で、検索結果へのリンクになってます)を短くして東京本社管内に掲載された記事。ヤクよりもこの話のツボは踏破ルートだろー、と思うんですが、初報はシンポジウム前でもあり、そのへんの判断はよく分かりません。

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2005.03.04

「ちびくろさんぼ」はチベット民話?

 時折巡回している有名どころで「チベット」という単語を見かけ「へ?」。思わずリンク先を辿ってネットの海に漕ぎ出したり。
 『ちびくろさんぼ』はどういう内容の話なのか、リベラルな人はもう一度よく考えてみて欲しいと思った(by愛・蔵太の気ままな日記)のテキストについたコメント

『(前略)他にも色々載ってますが、チビクロサンボの原型はチベット民話だったんですね・・・』
からリンク先を辿って噂の放送・発売禁止作品の4項目めへ。メール投稿を集めたサイト構成で、投稿の一つが「チベット」言及。
・ちびくろサンボなんですが、これは元々チベットの民話なんだそうです。
サンボとはチベットでは極一般的な名前なのですが、これがたまたまイギリスだかアメリカだかで黒人を侮蔑した言葉であったために問題になったとのこと。
良く良く考えれば、アフリカにはジャングルはありませんし、虎もいませんから納得の行く話でした。

別の投稿者からはこんなコメント(というかフォローというか補足というか)も。
・発禁作品の「ちびくろサンボ」の項に同作品がもともとチベットの民話であるというコメントが載っていますが、それは聞いたことなかったですね。
もちろん「ちびくろサンボ」はイギリス人女性ヘレン・バナーマンが当時植民地だったインドに住んでいたときに自分の子どものために創作した絵本が(英国で)出版されたものですが、このときチベットの民話をヒントにしたのかもしれません。
なお、最後にトラがバターになるとも書いてありますが本当はインドの「ギー」という食材です。ラインハート版(英米で市販されているもので最も原作に近いとされているもの)の絵本では「バター(インドでいうところのギー)」と注釈しています。

 チベットではよくある名前……えーとえーっと、トンミ・サンボータとか? あ、そうだ、「チベット潜行10年」の木村肥佐生氏の偽名もダワ・サンボ(ただしモンゴル人チベット仏教僧という触れ込み)でしたし、「虹の階梯 チベット密教の瞑想修行」の著者もラマ・ケツン・サンポ師でした(ボじゃなくてポだけど)。
 ちびくろサンボ(の舞台)はインド、というトリビア(これはほぼ確定でしょうか)は知ってましたが、チベット民話由来説というのは知らなかったぁ。「シュナの旅」といい「金玉鳳凰」といい、あなどれんぞチベット民話。つーか何だ、「チベット」とつくだけで、元ネタに当たりにくいがために神秘さが増すというか何というか、そういうイメージ効果があったりしません? “差別の物語”の烙印を押された「ちびくろサンボ」がにわかにイノセント感漂っちゃう、とか、さあ。ううむ。
 検索すると、「サンボ=(英語の侮蔑的表現「Sambo」ではなく)チベット系の人名SangboないしSangpo」という説は割に確定的に語られているようです(※原著タイトルはあくまでも"The Story of Little Black Sambo"で、チベット語ローマナイズのSangbo/Sangpoではありません。また、英語表記をSamboとつづっているチベタンもいないわけではないです)。民話由来説はまだ「新説」っぽいですが。ヒット数多い有名どころで言及されてると人口に膾炙してそのまま(ネット上では)既成事実になっていく気がしたり。だから何だ、という訳ではないけど。
 関連テキストはネット上にも山積してますが「めだかの学校・海外の絵本」(ページの真ん中ほど、「ち」の項に「ちびくろ・さんぼ」が)には、絶版となった経緯と絶版について考える本からの引用がコンパクトにまとめられてました。
 絶版・復刊の是非や差別問題のほうはとりあえず置いといてチベおたく的ポイントのみ触れると、(「サンボ」とともに差別的とされている両親の名前)「マンボ」「ジャンボ」も
前略…インドには「サンボ」という名前のシェルパ族(シェルパ語では、サンボ=優秀な、マンボ=たくさんの、ジャンボ=大世界という意味)の人々が沢山いて…中略…チベット語の方言であるラッサ語の形容詞に「サンボ=良い」「マンボ=沢山の」「ジャンボ=柔らかい・やさしい」…。ちびくろサンボ速報(径の本)1991.1.14号
 (※径書房のしおりから「めだかの学校」に引用された部分の孫引き)なんだそうで。
 いや確かにそれはそうかもしれないけど、「マンボドゥ(たくさんある)!」とか普通に言ってると思うけど、人の名前に「マンボ」(たくさん)はない……よなぁ? 「ジャンボ」は私の貧困な語彙のなかにない単語で申し訳ないんだけど、「ジャンボさん」がいるかというと……(ジャンパルさんはいるけど)。うーむ。同じ発音の羅列であっても違う言語体系のなかでは異なる意味をもつ、という例示をしてもこの際あまり意味ないと思うんですが、どうですか。

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2005.03.03

日本語を学ぶ

 日本語支援ボランティア養成講座に参加。地域で外国人に日本語を教えている人を対象にした講座なので、何もしてない私は本来およびじゃないんだけど、後学のため、と入れてもらった。
 グループ別に問題を話し合う形式で、最初の課題は「私は会社の寮で住んでいます」。
講師「日本人なら『寮に住んでいる』が正しい、というのは分かりますね。じゃあ、なぜ『~で』じゃダメなの? と聞かれたらどう答えますか?」
参加者「場所を言う時は『に』だから…」
講師「『学校で勉強する』も場所+動詞ですよね。『~で』を使う動詞もあるんですよ」
そこで「文法や文型を表す用語で説明することもできるけど、まず類例を挙げて、どんな違いがあるのか整理してみましょう」という作業。
 「京都行く」「学校通う」「レストラン入る」「家帰る」「前進む」「長野県引っ越す」「車乗る」……「東京遊ぶ」「プール泳ぐ」「県庁働く」「部屋くつろぐ」「ベッド寝る」「デパート買い物する」……おおっ、面白い。何か漠然とだけど動詞のカテゴリ違いが見えてくるじゃないか?
 「移動を伴う動作、移動した結果そこで行う動作が『~に』、移動を伴わないもの、一定の範囲内で行う動作が『~で』、という法則性があることが、類例で考えると分かりやすいと思います」
 ほうほう!
 「寝る」は「部屋寝ました」「布団の上寝たい」だと「~で」だけど、「診察台寝てください」「道路寝てはいけません」は「~に」だ。そうか、“眠る”“睡眠を取る”という動きのない意味で「寝る」を使う時と、“寝そべる”“寝っ転がる”という動作を伴う「寝る」とでは、無意識のうちに「で」と「に」を使い分けているわけだ。すごいじゃん私。規則的じゃん日本語。
 同様に、「明日、会社運動会があります」はなぜダメで「庭ブランコがあります」はよいのか、「ロビー通ってエレベーターに乗る」はダメで「学校通って3年生に進学する」はいいのはなぜか、「彼は親反抗している」「彼女は親憎んでいる」はダメでその逆はいいのか、などなど、例文を作りながら皆で考える。例文をつくると、やっぱり動詞のもつ意味や働きに違いがあるのが見えてくる。
 へぇへぇ!
 確か中学生くらいで、「に」「で」「を」などを「助詞」と品詞分解して「目的・場所・作用の方向・受け身……」などと暗記した記憶があるけど、確かに成分が分かってもそれだけじゃ日本語は使えない(どの動詞にどの助詞を使ったらいいかは分からない)。後ろの動詞の意味によって「に」なのか「で」なのか「を」なのかが決まっていたとは面白い(しかもネイティブ日本人はそれを意識せず無意識にやっているってことが面白い)。子どものように例文を作りまくった。いやー面白い。わははは。
 ところでもしかするとこれは恥ずかしい話なのかもしれないが、私は「去年から前橋住んでます」という文に違和感を感じない。ふむ、それはもしかすると、「住む」という動詞の、“移動した結果そこで行う”という意味合いが薄れ、「遊ぶ」「くつろぐ」同様“1カ所で何かする”って意味を強調する文脈だからかも! と、なんか大発見した気持ちでそう講師に質問したら「いや、『前橋アパート住む』など具体的な場所が挿入されない限り、基本的に『前橋住む』は間違いですね」とアッサリ否定されてしまった。私の日本語センスって……。
 「群馬暮らす」「群馬暮らす」ううむ、これも両方違和感ないなあ。「今日はご主人は?」「夫は家寝てます」という会話も(動きのない「寝る」だけど)アリだと思うし。私の日本語センスって……(がっくり)。
 さて、もうひとつ勉強したのが「ストラテジー」(戦略?)。
 別の講座では、ストラテジーを「ある局面に自分が立たされた時に、現在持っている知識と能力でなんとかして目的を達成する能力」としていた(例えば;指にケガをしたので絆創膏がほしいけれど「絆創膏」という言葉やどこに行けば手に入るかを知らない、という局面で、(1)あきらめる(2)言葉の分かる友人に頼む(3)手近な店に飛び込んで物色する(4)「テープ」「けが」「いたい」「くすり」など、知っている単語を並べてみる(5)傷口を見せて身振り手振りで表現する――など、どんな手段や方法をとるか、ということ)。
 今日の講座では意味づけがちょっと違った――そしてけっこう興味深かったので、詳しめに書いてみる。
 まず課題。以下の間違いの中から「コミュニケーションに大きな影響を与える、やってはいけない誤用はどれかを選ぶ」というもの。

(1)私は現在、プラスチック工場で働きます。
(2)先生、ここでタバコを吸ってはいけませんよ。
(3)「それ何の薬ですか?」「これは頭の痛いの薬です」
(4)「黒板を消してもいいですか?」「ええ、いいですよ」
(5)日曜日、天気が良かったので、公園に自転車を乗っていきました。
(6)私は来月、結婚しています。
(7)1年日本に来ていますが、日本語が上手くなりません。
(8)私が昨日買いましたデジカメは、とてもいいです。
(9)課長、いつか僕の将来について話しましょうか。
(10)昨日見た夕日はきれかったですね。
(11)明日スキーに行くんですが、一緒に行きたいですか?
(12)暑いので窓が開いてあります。もし寒かったら閉めてください。
(13)彼はわがままでみんなに困らせます。
(14)あなたはスキーが結構上手ですね。
 興味深いことに参加者全員が、(2)(4)(9)(11)(14)がマズい、という意見で一致。文法的に間違っているわけではない語句(例;「ええ、いいですよ」「一緒に行きたいですか?」)もあるけど「ダメでしょこれも」。
 「これが日本語学校の先生と初級の生徒の会話で、先生が相手は初級の生徒だと分かっていれば『ええ、いいですよ』でもいいけど、もし普通の大学の大教室で、日本人の教授と一見して外国人と分からないアジア系の私費留学生の初対面の会話だったら、絶対教授は怒ると思う」。ふむ。じゃあなんと言えば。「『ええ、大丈夫です』とか『はい、お願いします』とか」。なるほどなあ。厳しいよ、そんな言葉遣いにいちいち突っかかるなんて、とも思うけど、実際のところそんなもんかもしれない。あと、文法には間違いがないけどなんだかムッとしちゃう、ってところがより問題なのかもしれない。
 講師いわく「この、文法や語彙では解決できない、コミュニケーションを取る上での言葉の運用方法が『ストラテジー』です。語彙や文法は正しくても言葉の選択や伝え方を間違うととんでもないことが起きるのがコミュニケーションです。そしてこれは教科書では学べません。なぜなら、日本語のテキストには、『~してもいいですか』『いいですよ』という例文が載っているし、文法上『~したい』の疑問形は『~したいですか』と教えられるからです。ですから、日本語ボランティアは、文法や文型よりも、ストラテジーを伝える立場になることも時には必要だと思います」。
 ふむ……。
 授業が終わり、教室を閉める時間になったので帰ってほしい時、日本語学校では生徒に「授業が終わりました。帰ってください」と言うだろう、しかしその学生が別のシチュエーションで日本人に向かって「食事が終わりました。帰ってください」と言ったら日本人はムッとする。日本人は相手に帰ってほしい時、「もうそろそろ時間が……」とか「そろそろ教室を閉めたいのですが……」などと言う。「帰ってほしい」という言い回しは直接使うことはないでしょ、なんて話も。ふーむ。
 それは確かに「日本で生きるための技術」であり「日本社会でトラブルを起こさず周囲と馴染む手段」であって、それこそが戦略(ストラテジー)なんだろう。「郷に入れば郷に従え」だし、少数者の立場の日本語学習者が「どうしてコミュニケートがうまくいかないのか」を分析することも必要だろうし、決して『日本式やり方の一方的押しつけ』ではないんだ、とは思うんだけど、「日本語教育ってそこまで要求するんだあ」と、なかなかに感じ入ったことではありました。
 参加者のなかからも「するとそれは『日本人には謙譲の美徳というものがあり』とか『最初は遠慮するのがしきたり』とか『保護者の集まりで子どもを自慢してはいけない』とか、そこまで教えろということですか? 先生は学生をいつもそこまで指導しているんですか?」という声が上がっていたなあ。
 日本に住み続けることを選択し日本の企業に就職して日本人の同僚や取引先とうまくやっていきたいと考える外国人と、大学で論文書いて学位を取ったら日本を去るつもりの外国人と、日本に住んでお金は稼ぎたいけど自文化のライフスタイルを通したいし日本人になるつもりはない、みたいな外国人と、いろんな立場と考えの人がいるんだよなあ、その立場なりのストラデジーがあるんだろうなあ、などと考えた。
 そんで我が身を振り返ってみると、これまで、中国語を話そうが英語を話そうが、コンテキストはまるっきり日本人のままだったと思う。例えば、中国語にも英語にも「いただきます」という挨拶はないのに無理矢理「那ノム開始吃ロ巴(さて食べ始めましょうか)!」などと言ってみたり、ほぼ初対面の相手にも「お世話になっています」と言ってみたり。考えると、ヘンなことをたくさん口走ってたり妙な行動をして相手を面食らわせていたんだろうと思うけど、私は日本人だし、中国人にはなれないし、と開き直っていたんだよなあ。それでも中国人は別に私を排除はしなかったなあ(まあ、私も単なる学生で「いつかいなくなるお客さん」であって、恋愛したり働いたり取引関係を持ったりしたわけじゃなかったけど)。
 文法や語彙を超えた「ストラテジー」(言語運用能力)という考え方を知り、なかなか考えさせられたことでした。

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