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2005.12.01

「社会科を教えたいのですが」

 帰国するなりオモテの仕事に追われ後片付けに追われ体調は崩し、ダラムサラ報告になかなか着手できません(すいません)。書くこと山積過ぎて、Blogのほうがいいのかサイト更新形式のほうがいいのかも悩みどころだったり。
 そんななか、旅行中にルンタ.jpあてに届いていた、ボランティア希望の若い方からのメールがありました。ダラムサラに行ってチベットどっぷりになっていたタイミングで、必要以上にビビッドに考えつつ返信を書いたものの、私の返信ズレてるかもしれないと一抹の不安が。思いもよらぬ質問であっけに取られる部分もあったんですが、考え出すと興味深いテーマだったので、個人情報抜いた質問部分(とはいえメールは単刀直入に質問のみだったんですが)と私の書いた返信を転記してみたり。誰か他の方の考えも聞いてみたいところです。
 もらったのはこんなメール。

忙しい中、突然、このようなメールを送りすみません。
僕は、今、学生ですが、卒業後はダラムサラでボランティア活動をしようと思っています。しかしながら、もし僕がチベットの人たちに何かを教えるならば、パソコンや料理を教えるよりも、歴史や倫理というような「社会科」関係のことを教える方がいいです。だから、ダラムサラにおいてチベットの人たちに「社会科」を教えるというようなことはできないのでしょうか?
もしよければ、返信してください。

 次のような返事を書いてみました。

 メールありがとうございました。
 ルンタ・プロジェクト日本事務局の××です。11月20日から27日までダラムサラを訪問しておりメールチェックが出来なかったため返信が遅れまして申し訳ありませんでした。
> パソコンや料理を教えるよりも、歴史や倫理というような
> 「社会科」関係のことを教える方がいいです。

 チベット人はチベット語を読み書きします。インドで生まれ育ったチベット人は英語も堪能ですが、ルンタ・プロジェクトが支援しているチベット人は主に亡命してきたばかりのニューカマーで、英語は一から勉強している状態です。チベット語の読み書きが出来て、チベット語で歴史や倫理のテキストも制作することができるなら、社会科を教えることも可能とは思います。倫理などの既成の教科書はありません(チベット人にとっての「倫理」とは、仏教哲学でありお経が該当します)から、テキストから制作する必要があります。
 ただし、現地のチベット人が必要としている知識は、まず、実用的で、自立のために役に立つ知識と技術だろうとは思います。
 せっかくいただいたメールですが、なぜチベット人に社会科や倫理を教えたいのか、またその具体的な内容と方法(そしてその「社会科」とはどのような立脚点にたったテキストになるのでしょうか?)、チベット語や英語のコミュニケーション能力はどの程度お持ちなのか、チベットないしダラムサラに行ったことがあるか……など、もっと詳しいことが分からないと、返信のしようがありません。
 また、これは蛇足ですが、メールでの問い合わせとはいえ、多少の自己紹介はしたほうがいいようにも思います。また具体的な内容や詳しい問い合わせがありましたらメールをいただければ幸いです。とりいそぎご連絡まで。

 すると次のような返信が届きました。

 失礼しました。僕の名前は××です。
 返信ありがとうございました。ところで、いろいろと質問をしてくださいましたが、はじめに、「チベット語や英語のコミュニケーション能力はどの程度お持ちなのか」と「チベットないしダラムサラに行ったことがあるか」の二つの質問に答えさせていただきます。
 まず、「チベット語や英語のコミュニケーション能力はどの程度お持ちなのか」について言いますと、英語は学校で習ってはいるものの得意ではないですし、チベット語に関しては全然わからないです。次に「チベットないしダラムサラに行ったことがあるか」ついて言いますと、どちらも行ったことはないです。
 以上、先に二つの質問に答えさせていただきましたが、このようなどうしようもない人間ですみません。けれど、ダラムサラに行きたいんで・・・。
 さて、残りの「なぜチベット人に社会科や倫理を教えたいのか、またその具体的な内容と方法(そしてその「社会科」とはどのような立脚点にたったテキストになるのでしょうか?)」という質問ですが、正直に言いますと、自分自身、これらの質問に対して少し当惑しています。というのは、そういうことについてあまり考えていなかったからです。一応答えるなら、今いる学校で勉強しているのが「社会科」関係のことだから、ダラムサラの人達にそういうことを教えたいんです。また、その具体的な内容と方法は今いる学校で習ったこと(歴史・倫理・経済・心理など)をチベット語で教えることです。そして、「社会科」のテキストとは、歴史・倫理・経済・心理などの立脚点にたったものです。
 このような答え方でいいですか?
 (中略)
 今のところ特に質問はないので、ここで終わりにします。

 ふうむ、と思いながら書いたのが以下のメールです。

 ××様
 メール受け取りました。ルンタ・プロジェクト日本事務局の××です。
 正直なご返答ありがとうございます。卒業後すぐにどうしてもダラムサラへ、というわけではなくなったそうですし、行くにしろ行かないにしろ、もう少し時間をかけてじっくりと準備できそうですよね。
 さて、逆の立場で「もし私が教わる立場だったら」と考えてみてください。
 まあたとえば仮に日本がアメリカに占領されたままで、あなたはどこか別の国に逃れて生活している日本難民だとします。そこへ、日本語も英語もできない外国人(たとえばチベット語しかできないチベット人)が、「チベットの倫理や社会をボランティアで教えます」と訪ねて来た、と想像してみてはいかがでしょうか。お互いに意思の疎通ができず、その人が何のために何を教えにきたのか分かりませんし、そもそも日本人である自分がなぜチベットの学校で教えている社会科を学ばなければならないのか、混乱するのではないでしょうか。
 「立脚点」という言葉が抽象的で当惑させてしまったかもしれませんが、もし××さんが教職や社会科(?)を専攻されている学生でいらっしゃるのなら、ぜひ一度考えてみてほしい部分ではあります。
 ××さんが単純に「歴史・倫理・経済・心理などの立脚点」とおっしゃったことを思うに、「歴史」や「倫理」というものが確固とした状態でひとつだけ存在しているように考えていらっしゃるようです。
 はたしてそうでしょうか?
 社会科の学問、つまり歴史、倫理、経済、心理……これらは、その学問が帰属する社会と非常に深く結びついていて、固定した状態で存在しているものではないのではないでしょうか(つまりそれゆえに「社会科」と名づけられている、と)。
 私は、日本の学校で教えられている「歴史」は、日本を立脚点として俯瞰した歴史であり(たとえそれが「世界史」であってもです)、チベット人はチベットから見た歴史を持っていると考えます(現実には、チベットの大部分は中国統治下にあり、中国視点の歴史を学ばされているのですが)。日本人が学ぶ「歴史」に、いったいどれだけシャンシュンやピャンなどのチベット王朝、あるいはチベットと清の交渉と戦争と独立宣言などの経緯が出てくるでしょうか。現代社会の宗教対立の先鋭化にしろ、第2次世界大戦の構図と結果にしろ、チベットを立脚点にした場合には、日本人の使う教科書とは異なるテーマが見えてくるのではないかと思うのです。
 「倫理(倫理学=道徳・倫理の起源・発達・本質などを研究対象とする学問)」は大ざっぱに言い換えれば「日本社会で暮らす人が共有する社会性として持つべき道徳やマナーの本質をとらえる学問」といいかえられるかと思います。仮に日本の「政治倫理」とか「政治資金規正法」を解説してみたところで、インドで生活するチベット難民にはまったく机上の空論で意味をなさないものでしょう。経済がその社会ごとに異なる法律や規範に基づいているものであることはもちろんです。「心理」にしても、ある要因に対して日本人が考え行動することを研究するものでしょうから、日本人と異なる価値判断や行動規範があるチベット人では、導き出される結果も異なってくるはずです。
 日本の文科省の規定する学校の5教科の中に、何のために「社会科」があり、一般的に日本人の基礎教養とされているのか。そんなことをゆっくり考えてみてはどうでしょうか。
 そして最後に、チベットに限らず、自分が異なる社会に赴いて何かをしたい場合。
 まずその異なる社会の価値規範を理解して受け入れ、そのうえで、「自分の教えたいものを教える」「自分のやりたいことだけする」のではなく、「相手が必要としているものを提供する」「相手がなぜそれを必要としているかを考える」ことが大切なのではないか、と考えることがあります。まあ、これはあくまで私個人の考えで、またかなり乱暴なまとめ方ではありますが。
 それでは。寒くなってきました。どうぞ健康に気をつけてください。
 学業のご成功をお祈りします。

 「ボランティアで社会科を教えたい」という提案は想像もしなかったものでして、「山川新世界史」とか「新しい日本の歴史」とか持ってって教えんのか? と面食らいつつ、なぜ自分が面食らうかを整理して考えるとなかなか答えが出なくて面白かったです。
 だって、自分は「逆」はやってみたいんだよ。チベットの難民学校で教えている「チベット史」とか「世界史」を教えてもらえるんだったら受講してみたい。きっと面白くて刺激を受けると思うから。ただそれはもちろん、自分が日本の教育システムの中で多少の教育を受けてきて、既に「日本人視点の歴史」を学んでいるからこそ、自らの常識を覆される再発見を味わえて興味深く面白いわけで、まったくゼロのところで授業を受けても「私には関係ないよ」で終わってしまうのではないかと思ったり。
 で、「チベット人が日本視点の歴史や社会概念を学ぶ必要なんかない」と言い切ってしまっては、まるでチベット人には観念的・形而上的学問が必要ないって見下しているみたいだし、そうじゃないんだよな(つうかお寺の中でやってる問答なんてきっと形而上の最たるものだろうと思うし)、とも思うし。
 しかしなんでほんと、「英語」でも「数学」でも「物理」でも「工学」でもなく社会科なのか(笑)。同じ社会科でも商業科分野の、簿記(=経理)とかソロバンなら別の展開があるのかもしれなかったかな。

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Comments

××様は、高校生じゃないのかなぁ?(きっとコレも読むかなぁ?)
うらるんたさんの返事も、ごく自然。
若いのだから『××さん、いってらっしゃい!』
Trial and Errorも いいんじゃない? 

Posted by: ふぁぶ | 2005.12.07 at 10:48 AM

>同じ社会科でも商業科分野の、簿記(=経理)とか
>ソロバンなら別の展開があるのかもしれなかったかな。

彼が言ってるのは、そういう路線ばかりではダメという
単純な話では?
逆にいうと、なぜそういう路線でないとダメなのか?
という問いに十分に答えられていない気がします。

それとは別に、ボランティアをやりたいという思いと
複雑に混ざってるので、わけがわからない状態に・・。

私は、ダラムサラでボランティア活動したいと思わない
ので、どっちでも良いですけど、「命題」を純粋に
考えた場合に、答えになってない気がするので。
答えがない問題なのかもしれないけど(^^;

Posted by: KURO | 2005.12.07 at 02:05 PM

>今いる学校で勉強しているのが「社会科」関係のことだから、ダラムサラの人達にそういうことを教えたいんです。

と言うあたり「その学問を学ぶ意義」と言うことについては考えたことがないようですね。まずは、そこから考えていただいたほうがいいですね。

ダラムサラでにしろ、日本でにしろ、それをしっかり自分の言葉で説明できるようになってから教壇に立ってもらいたいものです。

Posted by: なかむら | 2005.12.07 at 02:36 PM

ボランティア=何か教えるてのも。
ダラムサラだと、リサイクル+ゴミ掃除とかどうでしょう?
語学力不問+技能不要+やっただけ成果が一目瞭然。

具体的には↓
http://www.tibet.net/twodhasa/index.html

ダラムサラのゴミの様子など↓。
http://55tibet.way-nifty.com/tibemono/2005/05/post_8797.html

Posted by: ちべ者(管理人) | 2005.12.07 at 10:56 PM

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