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2006.03.19

イベントレポート:THF講演会参加報告

 4週連続チベット・イベントの最終週(!)。
 THF(チベット・ヘリテージ・ファンド)の講演会「チベットの歴史建築物の紹介――10年にわたる研究と保護活動を通じて」。代表の1人ピンピンさんはTHFの仕事のため16日に離日しており、アンドレさんと平子さん2人から報告がありました。
 「協力者」なんて肩書き(?)だけもらってたものの、Webに案内をアップしたのみでほとんど手伝えず申し訳なく。が、会場には約30人が集まり、熱心に耳を傾けました。

THFDSCN2781  THF代表アンドレ・アレクサンダーさん=写真左=の話はまず、チベットの建築の歴史から。
 「7世紀の終わり、ソンツェンガンポ王が勢力を拡大し、ネパールから妃ブリクティを迎え、初めての寺院が建築された。当初はインドの影響が強かった建築物は、次第にチベット独自の様式を持つようになり、独特の町並みを形成していった」「ノルブリンカに残された壁画に描かれる中世以前のラサの様子と、1956年以前に撮影されたラサの古い写真はほとんど変わっていない」
 「歴史的に大きな転換点となるのは1965年に正式に中国政府が『チベット自治区』を成立させてから。1966年から1977年ごろまで、文化大革命に巻き込まれ、10年間に多くの寺院が破壊された。寺院の建物だけではなく、壁画や仏像も失われた」「一方で都市化が進み、1948年にはジョカンを中心とする1Km四方に限られ、あとはポタラ、セラ、ノルブリンカなどに集落が点在する状態だったラサの市街地は、2000年には十数Km四方、人口50万人規模に広がり、その50%以上が漢民族の移住者となっている」THFDSCN2768
 百貨商店の看板や企業広告、飲食店のネオン看板が並ぶ商店街(たぶんジョカンの前からポタラ方面に伸びる道だと思う)の様子を「背景にポタラ宮殿が写っていなければラサとは分からなくなってしまった」。参加者からチチチ、と舌打ちが(チベット人がいる!? と驚いた^^)。
 アンドレさんは1987年に初めてラサを訪問。「当時は(寺院は破壊された後だったものの)古い一般家屋はほとんどそのまま残っており、平屋根に厚い白壁、窓飾りのチベット建築の町並みが美しかった」と振り返り、「ラサの都市そのものが巡礼路を中心として発展してきた歴史をもつ。露店が立ち並び、一見して市中心の商業道路のように見えるパルコルは、雨が降って店がすべて閉まっていても人通りが減らない。巡礼者にとってパルコルは回ることに意義がある場所だから」と、ラサ市街の文化的、歴史的成り立ちの特徴を説明していました。
 「町並みが急激に変わるのは、1990年代初め、中国政府がラサ市街地の再開発を始めてから。厚い土壁のチベット建築を壊し、壁の薄い、質の低いコンクリートの建物が建てられた。一説には、この時期の建物は15年ほどしか寿命がないという。一方で上下水道の設備や暖房などインフラ整備は行われず、都市計画としても非常に低レベルな再開発だった」
 ふむ。中国では確かに、黄河流域以北(東北・華北・西北地域)の都市に限って暖房インフラを整備(ビルを建てるときにボイラー管を通してビル全体を暖める集中暖気システムをつける)してるようです。80年代の話ですが、当時から北京なんか一歩ビル内に入れば半袖で生活できるくらいあったかかったもんなあ。もちろん、ホテルとか留学生宿舎とか友諠商場とか、外国人が出入りするようなレベルの場所に限ってだけど。内陸の盆地で冷え込む成都とか重慶とかは逆になんの設備もなくてひどいもので(今もない! 韓国人は内装段階で注文建築してオンドルつけてたよ)、笑えることに、チベットは中国政府的には“西南地域”(=暖かいところ)なんだよね。華麗なる標高無視。ラサときたら真冬でも日中は10度くらいまで気温が上がり、夜中は零下15度近くまで下がる、真夏でも1日の寒暖差は20度くらいはある、という日本人の常識からも外れている気候なので、そりゃアンドレ代表の言うとおり、「ラサの気候と条件に合った都市開発をしなくては意味がない」のは当然だ(ほんとは、チベットに限らず、中国の各都市も、日本の市町村もそうなんだけどさ)。こういう、中央集権的行政施策のなりたちを思うときは「あ~『チベット政府』が存在してればねぇ」とは思うな。
THFDSCN2772  閑話休題、アンドレさんの話を続けます。
 アンドレさんたちは1993年から、せめて壊される前に、とラサ旧市街の古い建物を記録し、何が壊されたかをチェックする作業を始めたんだそう。「この写真で壊されている建物は、1700年前後に建てられたダライラマ法王の宮殿の一部」「3年間、ただ壊されていくのを見ているのはつらかった」。
 1996年、アンドレさんらは、チベットに関心のある有志を募り、古い町並みの修復と保存を目的とする「チベット・ヘリテージ・ファンド(THF)」を組織化したそうです。この行動力はすごいよ。なんたって相手は中国、場所はチベットだもん。
 「1996年、THFはラサ市政府と5年間の協定締結に成功しました。モデル保存地区を設定し、(1)その中の古い建物は壊さないこと。(2)建物を修復する費用は100%THFが出資すること。(3)ラサ市政府もプロジェクトに参加して、残すべき建物にサインボード(重点歴史文物、と書いてあった)を掛けること――の3点を約束しました」
 政府職人ではなく、民間の技術者を募って修復チームをつくり、居住する住民も参加する形で、建物修復保存プロジェクトを立ち上げたのだそうです。(すごい!)
 モデルケースの実現例として、パルコル内にあった元貴族の住宅「Rongda House」の修復と、やはりパルコル内で9世紀から歴史のある寺院「Meru Nyingpa」の修復活動を報告。いま使われている建材のうち再利用可能なものは再利用し、それ以外も伝統的な建材(土、木、石など)を使い、オリジナルな形を守りながら、トイレなど上下水道を整備する形で、現在の都市機能に合わせ改修したとのことでした。
 Meru Nyingpaはネチュンに属し、1959年にネチュンがダライラマ法王とともに亡命して以降メンテナンスされていなかったそうです。寺院自体も、主がいなくなったため、中国政府が数世帯の住居として割り当て、民間人が住んでいたとのことでした(1990年当時のサムイェも境内に民家がたくさんありました。「人民公社でここに来た」と言ってた。11年後に再訪したら、寺院の再建はある程度進んでいて、民間人は追い出されたらしくどっかにいなくなってましたが…)。
 チベット寺院の特徴である壁の赤い装飾「ペンデ」のため、伝統的な塗料を作ってる様子も紹介。大きな鍋を火にかけて何かをぐつぐつ煮込んでいました(怪し~^^)。ふつう塗料として使われる発色材料のほかに、「ミルク」「バター」「ブラウンシュガー」などを入れるのが伝統的な製法、と話していました(そんなもんを混ぜて壁に塗って平気とは、さすが高地の乾燥気候、さすが紫外線の殺菌効果だ)。
 このほか面白かったのは、チベットの伝統的な屋根の防水工事「アルガ」。
 カルシウムを含む石材を山から運び下ろし、細かい破片にしてつき固め、最後に油を塗って、チベット独特の平屋根を雨風から守り、雨漏りを防ぐのだそうです。完成した後は舗装したようにつるつるになるとか。ジョカンやポタラの屋上でよくみかける、丸い長い棒を持った女性たちがたくさん列を作り、歌を歌って調子を合わせながら前後に足踏みしている光景、アレです。よく見かける光景ということは、1回「アルガ」をしたら数年ほっといていい、という性質の防水加工ではなく、ひんぱんに歌を歌って屋根を固めて、建物を大切に守り続けていく、という工事なんだろうなあ。
 ラサ市内での事業は成功し、2000年までにTHFのプロジェクト関係者や協力者は約300人に。参加メンバーも、ドイツ、オランダ、イギリス、香港、チベット、そして日本人と、各国からの協力者を迎えたものに広がったとのことでした。
 しかし2000年、5年間の協定が期限を迎えたのを機に、ラサ市政府からは「十分にやった」と契約更新を断られます。協定の期限が切れたラサ旧市街は、再び古い建物が取り壊され、コンクリートのビルが建てられはじめたそうです。アンドレさんは、2002年夏に撮影したラサ旧市街の写真を示しました。ジョカンの一部が取り壊され、集合住宅の建設が始まっていました。THFDSCN2782 「中国の民間の建設業者が作っている、ただセメントを流し込んだだけの、集中暖房設備もない、壁の薄い質の悪い建物。利益主義で、儲けを出すために建設費を安く上げようとする結果、こういうものばかり作られる。これではチベットの冬の寒さにも適さないし、地震が来れば倒壊するだろう」とアンドレさんは悔しそうでした。
 講演ではアンドレさんも平子さんもあまり(あえて?)詳しく触れていませんでしたが、翌2001年、THFはチベット自治区内での活動に政府からストップがかかり、それまでラサ市内に置いていた事務所の立ち退き、メンバーの自治区外退去を命じられたのでした。最後の質疑応答で、「活動の成功例を見せてもらいましたが、失敗したケースはありますか」という質問に、アンドレさんは「……ラサの旧市街が壊されるのを防ぐことができませんでした」と応えていました。
 ……とまぁ濃い話が続くんですがこれで講演内容のまだ半分以下!
 全部書ききれないので後ははしょりますが▽アムド地方の寺院再建▽青海省南部カム地域でのチョルテン(仏塔)修復▽モンゴルのゴビ砂漠地方の寺院修復再現▽北インドのラダックの都市レーの町並み保全▽ラダックのアルチ僧院の修復――など、チベット文化圏の広い地域に活動を広げ、技術を提供している報告がありました。

THFDSCN2786  質疑応答では上記のほか「チベット自治区内の活動について、中国政府との交渉はどのように成功させたのか。今は認められていないのではないか」「旅行者のほうがフットワーク軽くあちこちに行くので『この建物はもうすぐ壊されるらしい』などの情報を入手しやすい面がある。そういう情報はTHFに提供したほうがいいのか」「チベットの伝統的建築は現代的な生活にも対応できるものか」「ジョカンの建築の内部調査はかなり貴重なものだと思うが記録は公表しているか」――などの質問や意見が交わされました。(質疑応答の詳しいやり取りは「ちべ者」さんで

THFDSCN2787 (参加者もゲストも立ち働いてのお片付け。お疲れ様でした→)
 終了後は飲み物とお菓子で軽い交流会。その後、少人数で和食風居酒屋へ(役得。ありがとうございました)。じっくり突っ込んだ話……をするには私の英語が壊滅的で(号泣)。聞きたいことあるのにどう言ったらいいか分からない、とか、質問に熱い答えを返してくれてるのによく意味が飲み込めないとか、ああもうほんと情けない。

 ひとり考えていたことは、ピンピンさんアンドレさんたちが考え、やろうとしていることは、日本のあちこちで今盛んに唱えられている地域活性化や町並み保存と、決して無縁ではないしかけ離れたものではないんだろうな、ということでした。
 群馬県がやってる近代化遺産の保存活用(「世界遺産にする」とか言っちゃってるし)は民間からの動きじゃなくて行政主導型だけど、イギリスから学識者連れてきて県庁で講演会開くとか、「外国人もスバラシイと言ってる!」てのがハクづけに利用されてる例。逆に、詳しくは知らないけど広島県福山市の鞆の浦地区は、架橋工事をめぐって景観保全活動が起き、住民団体がアメリカの世界文化遺産財団に働きかける形で「ワールド・モニュメント・ウォッチ」の指定を受けました。こっちは、外国人からの価値付けを得て行政に影響を与えようという民間の活動のケース。いずれにせよ「外国人が高く評価してるんだ」っていうのは一定の圧力になりうると日本でも思われているわけで、チベットでも中国政府を動かすための力になりえたのかな、など思ったり、……一方で、日本での景観保全活動や地域運動を思うに、利害関係やしがらみのある地元住民を巻き込んだ形での地域活動の難しさはチベットでも同じなのだろうか、とか。
 なーんてことはとてもじゃないが話せないまま、漠然とあれこれ考えて楽しい一夜になりました。もっと精進しようと思います。ありがとうございました。

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Comments

詳細な報告、ありがとうございます!

他の講演会と比べて、質疑が濃かったというご意見をうかがいました。

参加いただいたかた、ありがとうございました。
参加できなかったかた、ぜひまたの機会に。

Posted by: ちべ者(管理人) | 2006.03.23 at 09:47 PM

>ちべ者(管理人)さま
お疲れ様でした! こちらこそありがとうございました。

Posted by: うらるんた | 2006.03.24 at 09:01 AM

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