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November 2006

2006.11.20

雨上がり

Rimg04771  仕事中、虹が出ていてきれいだったので。
 (県庁から東側=千代田町方面=を望む)
 そだね、たまには空も見なくちゃね、と少しなごみました。

Photo  翌朝の地元紙には虹の全景が入った写真が。すごーい、どっから撮ったんだろう(県庁が見えてるので、新前橋の当該社屋ビル屋上あたりかと推測。にしても、障害物がまったくないとは)

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2006.11.19

法王インタビュー(フジテレビ「スタ☆メン」)とデリーのハンガーストライキ

 仕事しながら職場でフジテレビ「スタ☆メン」
 上旬に来日したダライラマ法王の単独インタビュー。インタビュアーは元NHK記者の池上彰氏。ながら見でちゃんと内容を聞いてなかったんだけど(ごめんなさい)、チベット語通訳介さず英語での直接インタビュー。日本語音声かぶせずに字幕にすりゃあいいのにもったいなーい! 英語なら分かる人多いんだし(法王の英語はシンプルで分かりやすいし)、直接ナマ声を聞きたいじゃんねえ。
 チベットとダラムサラの位置関係を示す地図のフリップ(「ダラムサラ」という地名表記はなく「チベット亡命政府」となっていた)とかも出てきて、「現在も年に1000人以上の難民がヒマラヤを越えている」という説明もあったので、今日まさに亡命社会のチベタンが揺れてるビビッドな話も出るかな、と期待して聞いたんだけど、何もなくてガッカリ。
Hansut 20日に中国の胡錦涛総書記が訪印するのね。APEC(アジア太平洋経済協力会議)に出席した足でのアジア4国外遊なんだけど、中国の国家元首としては10年ぶりの訪印(参考リンク:iZa!/中国企業進出、インドに警戒論)。中国とインドは“停戦状態”で、国境問題(アルナーチャル・プラディシュ)はじめ多々懸案事項があるんだけど、チベットもその「火種」なわけで。
 現地の友人から昨日(18日)届いたメールに驚きました。

(以下引用)
今、ダラムサラは不穏な空気が……。
中国総書記の訪印に合わせて、ユースコングレス婦人連盟9-10-3チベット民主同盟SFT(スチューデント・フォア・フリーチベット)が、デリーで大規模なデモ行進を計画していて、今日も4台のチャーターバスがデリーへ出発。ダラムサラのポリスも阻止しようと、張り込んでいる状態。 ユースコングレスの議長には、ずっとポリスがついて歩いてます。

 そうか、グチュスム(Gu-Chu-Sum/9-10-3)の人たちも行ったんだ……(当然か)。活動費として、日本円換算で15万円近く(うわー!)前借りしていったそうで、皆存在賭けて必死なんだなあ、と知ってる幹部やメンバーの顔を思い浮かべてなんともいえない気持ちになりました。
 参考リンク→Tibetans greets Hu Jintao with Protest(チベット人が胡錦濤を抗議で迎える)(Phayul.com) 日本語での記事は以下しかみつからず。

亡命チベット人ら、胡国家主席のインド訪問に抗議 - インド
 【ニューデリー/インド 18日 AFP】20日から23日まで予定されている胡錦濤(Hu Jintao)中国国家主席のインド訪問に抗議し、ニューデリー(New Delhi)でリレーハンガーストライキが行われている。写真は18日、ハンガーストライキに参加し、メッセージを掲げる亡命チベット人の活動家。(c)AFP/MANAN VATSYAYANA
 (AFP通信へのリンク。画像はここからもらいました)

 グチュスムの人たちも、皆温厚なお坊さんたちなんだけど「ここでアピールしなければ」と思うんだろうなあ。胡錦濤ったら89年にラサで人民解放軍に銃をぶっ放させて戒厳令敷いた張本人(当時の西蔵自治区党書記)だもんなあ……。
 メールくれた友人は「強硬な活動をすることで、ダライラマ法王の築いてきた中道政策やインドとの関係がマイナスになったら元も子もないのに。ダライラマ法王の費やした時間、信頼関係、インド政府のチベット難民への寛容……」と心配していました。それも確かにその通りで、亡命から47年、チベット人の「仮住まい」であるはずの居住区には、ホテルや商店が立ち並び、世界中から旅行者が集まり、リチャード・ギアが別荘を建ててしまうほどのいびつな状況に。それもこれもインド政府との微妙なバランスで続いてきたもので、ただし一方でチベット人の閉塞感はぎりぎりまで来ていて……。
 Gu-Chu-Sumの人たちもYouthCongressの人たちも、非暴力主義は貫くはずと信じて(今デリーでやってるのもハンガーストライキだし)、ラサで暴力で言論を封じられた人たちが、デリーでも武力制圧されるなんて悲劇が起きませんように。

 法王インタビュー終了後の「スタ☆メン」は、そーゆーリアルタイムな話題とか法王の発言内容には踏み込まず、「天真爛漫な人柄を感じました」(池上彰)とか「自分も会って話したことがあります。英語も堪能で自然科学の知識もすごい」(宮崎哲弥)とか、会いました自慢だの知ってます自慢合戦になって終わり。えーっ待て宮崎哲弥、チベット問題を読む回の「ミヤザキ学習帳」(週刊誌の書評連載)割と良かったのにー。それじゃインド旅行中のバックパッカー同士の会話だよう。
 ダライラマ法王の話題になるとなぜかこういう展開になることが多い。それだけ、ダライラマ法王以外のチベットが知られていない、ってことなんだろう、ある意味当然かも、とも思うのでした。

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2006.11.18

知人来訪

 「北関東小さな旅」実行中の「旅行人」関係の知人、池彼方さんが高崎を通過するのに合わせ、旅好き数人で食事会。チベット関係のMASSさん他は多忙で、オモテの仕事と趣味の海外好きが微妙にかぶったよく分からないメンバーになるも、話題豊富な池さんの秘技「どんな人でもうーんとうならせる薀蓄」で話は尽きず。

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2006.11.17

小さい母さん(アマ・チュンワ)と呼ばれて――チベット、私の故郷

Photo  ダラムサラ行き直前の10月末のこと。
 帰宅した深夜のポストに、ルンタ・プロジェクト宛の1冊の本が。事務局の看板上げてるとたまにこんな役得もありますふふふ……と中を開けると、「小さい母さん(アマ・チュンワ)と呼ばれて――チベット、私の故郷」(集英社、クンサン・ハモ著)。→bk-1
 わぁすごい、とうとうチベット人が日本語で本を出せる日が来たんだ(いや、ペマ・ギャルポ氏とか先駆者はもちろんいるんだけど)、と感激して本を開く。クンサン・ハモさんって名前は記憶にないけどペンネームかな、そりゃそうだよな、ラサ出身で親類縁者がたくさん本土にいるのなら日本で本なんか出したら差し障りあるだろうしな――と、知っているチベット人の顔を思い浮かべながらぱらぱらと内容を確認するうち、止まらなくなった。翌日も早いのに、仕事山積みなのに、少しでも寝なきゃいけないのに、明け方4時読了。布団にもぐりこんで数時間、チベットの夢を見ました。
 チベットが中国共産党統治に移っていく激動の時代に幼少を過ごし、難民としてインドに逃れ、縁あって日本へ渡ったチベット人女性(1959年ラサ生まれ、とプロフィルにはある)が、国籍を移し「外国人旅行者」としてチベット本土を再訪、長く離れ離れだった親類と再開する旅行記と随想。止まらなくなってしまったのは、故郷チベットを離れ、帰れないまま異郷で暮らすチベットの友人が私の周囲にもたくさんいるから。さまざまに複雑で揺れ動く気持ちを抱えていると思うんだけど、私の拙い英語や北京語では奥底の微妙なものまで言葉で分かち合うことはできず、ただ勝手に想像するしかなく、もしかしたら思い込みかもしれない、一方的な押し付けかもしれない、そんな自戒(自嘲かも)を抱えつつ、友人たちを思っているのでした。
 だから、チベット人がチベット人としてチベットを旅した随想録――って、ものすごく画期的だったのですよ(私には)。チベット(本土)で暮らすチベット人と、本土を長く離れた著者とのやりとりで、小さなギャップやとまどいが生まれては消えていく一つ一つのエピソードが切なくて、××××先生が里帰りしたら何を見るのだろう、××××さんが日本国籍取れたら一緒にチベット行きたいなあ、と、友人知人の顔が具体的に思い浮かんできたのでした。
 印象的だったのは、遠縁の夫婦を訪ねて食事中、外国からの来客である著者に向かって、「昔に比べたら今は生活が良くなった」と人民日報のコメントのような教科書的感想を口にした若い奥さんのエピソード。「本当にそう思っているの」とショックを受ける著者、「本心じゃないだろう」と冷静に指摘する夫、「相手がどんな人か信頼ができない間はきれいごとだけを言っておく習慣が自然に身について……」と恥じ入る若奥さん。そうなんですよこれこそチベットの(中国の)現実ですよ、私が中国に(チベット本土に)何回行ってどれだけ滞在しようと、本心をぶちまけて付き合える友人なんかできないんですよ、チベット人同士だって互いを信頼できないんですよ……といろいろ思い返していたら泣けてきて、涙が止まらなくなったのには自分でもびっくり。おい待てどうしたんだ自分。まあほら、ダラムサラ行き直前で仕事も山積みで、精神的に追い詰められていたんだと思うんだけど。
 というわけで、「チベットのことを知りたい」という人だけでなく、「チベットのことならいろいろ知ってるよ」という人にこそ、読んでほしい本だな、と思ったのでした。
         ◇
 ところでちょっとした後日談。
 ダラムサラ滞在中、「こんな本が届いてね……」という話をしたら、友人が「そんな本が出たんだ、読みたいなあ、クンサン・ハモって××××さんのペンネームだよね」。
 ええええええ
 「うそー、プロフィルにはラサ生まれって書いてあるよー! 信じて読んで感動して泣いちゃったのにー!!」
 「いや嘘はついてないんじゃない? ノンフィクションとは書いてないんでしょ?」
 ぇぇぇぇぇぇぇぇぇ
 
「やっぱり信じらんない、すっごくリアルだったのにー」
 「だから嘘は書いてなくて、本当のことなのかもよ」(←慰めてくれている)
 いやぁ真偽は分からんぞ。何より読んで良かった、いろいろ考えさせられた。でも頭の中には瞬間的に「イザヤ・ベンダサン?」「ポール・ボネ?」とか浮かんじゃって(ふ、古っ!!)。泣き損だなんて思わないからいいもん!
         ◇
 この本も、拾う神のSさんに託すことができて、来週中にはルンタ・レストランの本棚に入ることになりました。Sさんありがとうございます。ダラムサラを通り過ぎる旅人が、1人でも多く目を通してくれて、チベット人の心に触れてもらえれば、と思っています。お薦めです。

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2006.11.14

[東京]12/10~17 馬場崎研二タンカ展

Babasaki チベット関係イベントのお知らせ。
 ダラムサラを拠点にチベット仏画(タンカ)の創作を続ける馬場崎研二さんのタンカ展が開かれます(画像はWebから借りてきました…)。いつもとはちょっと違う展示会になりそうで、楽しみです。

 馬場崎研二 チベット・タンカ(?)展
 日時:2006年12月10日~17日
     (11:00~19:00)
 場所:ギャルリー・ル・コアン銀座
     (東京都中央区銀座4-5-14/03-3535-5259)

 転送してもらったメールには、馬場崎さんからのメッセージもありました。

「今回の展覧会は場所もそしてその内容も、今までのものとは少々趣を異にしたものになりそうです。
 この数年来、様々な事情で、インド、ヨーロッパ、そして日本と行き来をすることが頻繁になり、以前のようにダラムサラの山の上でタンカばかりを描いて生活していたときとは違った環境に身をおくようになったという外的な変化も実際に起こってはいるが、それと共に、過去29年間タンカばかりを書き続けてきた私ではあるが、それだけでは満たされない愚かな内面の葛藤も加わり、タンカの基本姿勢である『模写』という概念に忠実でありながらも、それにもっと芸術味を、それもチベット伝統のものばかりではなく、自分に合った表現手段というべきものを模索中の状況で、そのような私の一過渡期の作品群としてご覧になれば、それなりの意味がある展覧会と位置づけることができるかなと考えております。 馬場崎研二」

 馬場崎さんの詳しい紹介はこのへん(佐世保北高同窓会ホームページ)に。 

 <12月13日追記>
 会場住所が違っていると連絡ありまして(higefumiさんありがとうございます)、ギャラリー住所を「銀座4-15-14」から「4--14」に訂正致しました。

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2006.11.08

前橋ライブ終了! 次は11日(土)熊谷!!

 仕事に追われてろくな準備もできず「もうダメ」と思っていたチベット音楽コンサート(略してチベコン?)、当日は奇跡のように仕事がエアポケット状態で、無事に立ち会うことができました。
 夕方、初対面のパッサン・ドルマさんとクガさんに慌しく挨拶。
 長距離移動でやや疲れている様子だけど、会場に向かう前に明日の切符の予約、ホテルのチェックイン、とやってもらうことは多い。ビジネスホテルでは既に支払いまで済ませておいたにもかかわらず、パッサンさんのパスポートが要求され、もちろん難民にパスポートはないので、無国籍の難民であることを証明するイエローブック(インド政府のレジデンス証明。ダラムサラではIDと呼んだり、黄色い表紙がついているので欧米人は「Yellowbook」と呼んだり)のコピーが取られる。(パッサンさんはインド生まれらしいので出生地主義のインド国籍を持っていてもおかしくないんだけど、孤児だからきちんとした届け出がなくて無国籍状態になったんだろうと思う)
 ギャワ・リンポチェだって同じものを持ってホテルオークラに泊まる。珍しそうにフロント奥に引っ込む従業員を見送りながら、高崎駅前のビジネスホテルじゃ初めてかもなあレジデンス証明、などと考える。「これでア×ホテル高崎駅前の経験値がひとつ上がった」なんてね。
 会場となっていただいた東南アジア料理レストラン「オリエンタル」にダムニェンのケースを運び込むと、会場設営の真っ最中。テーブルを全部店の外に出して、商店街振興会から借りたという折りたたみ椅子も並べて、店内いっぱいにすごい数の椅子が。
 開催の最終決定は10月30日、チラシ完成は3日前。どこにも告知を流せず、もしかしたら参加者は4~5人ではないかと思っていたので、つい「こんなに椅子いるんですか?」と聞いてしまった。そしたら、照美さんが「おかげさまで満員御礼なんですよー」。
 ええええええっ。
 照美さんと彭(パン)さんがチラシを持って商店街を回り、お店の常連さんが知人を誘い、隣のエイブルアートギャラリーやフェアトレードショップの店主、一筋隣の弁天商店街で大学生の起業支援をしているお店の店主ら、前橋市中心部のまちづくりをしている人たちが一口きいてくださったとのこと。うわあびっくり。
 会場入りが遅れチューニングが押したので、チューニングしてもらいながら私がチベットの話、照美さんがお店の紹介をして時間をつなぎ、演奏開始。そのころには空席もほぼなくなって、すごくいい感じになっていました。
Dsc_0189 小さいお店だからマイクもアンプも使わず、店の隅々まで生歌が響きます。木のぬくもりを活かした温かい内装なのもまたよし。オリエンタルは個人経営ではなく、障害者施設やフリースペースなどが市の支援を受けて共同運営しているお店です(行政支援の部分を除けばルンタレストランに似てますな)。壁に飾られているのはダウン症の青年画家、小柏龍太郎君の作品。銀座で個展も開き、ノンフィクションも出版されています(→bk-1:「トバシ!」)。前日7日は地元テレビ局の番組収録で、タレント片岡鶴太郎氏のロケもあったそう(大忙しだ…)。
 さて、コンサートはチベットの伝統民間音楽「トゥーシェー」の名曲「チョラ・タシ」から。パッサンさんの公演は決まったプログラムがなく、クガさんが「次は?」と促すと、パッサンさんが今歌いたくなった歌を告げます。トゥシェーのリズムと構成には一定のスタイルがあって、イントロのフレーズはどのトゥシェーも同じ。それから必ず2部構成になっていて、テンポががらっとかわり速弾きが入り即興演奏でつないでいく、というのがスタイルだそう。Dsc_0206
 トゥシェー、ポタラの紅宮(歴代ダライラマの宮殿「ポタラ宮」の仏殿と霊塔殿)を歌ったトゥシェー、ナンマ(古典宮廷音楽)、オリジナル曲「ダラムサラ」……など1時間にわたり歌いついで休憩。メンツィカンのお土産のハーブティーを使ってもらい、照美さん手作りのココナツとクルミのお菓子が出ました。客席はぎっしりで(途中で椅子を足した)配って歩く余裕もなく、お客さんからお客さんへカップを手渡し。「お茶がまだの方は自己申告でお願いします」「まだお菓子が届いていない人いませんか?」なんて呼びかけたりして。
Dsc_0220 後半はパッサンさんが即興で思い浮かんだメロディーに「オム・マニ・ペメ・フム」の真言をのせていく独唱、男女の深い愛を歌ったトゥシェー「ラモ・ツェ」、トゥシェの速弾き部分だけで構成された「トゥクシェ(?)」、草原を馬が駆けていく姿を歌った「スムジェ・ラ」、オリジナル曲「シデ」(平和を願う歌。すんごい楽しそうに歌っていました)、コンポ地方の民歌「コンシェ」と続き、最後は太陽を称える歌「タンサン・ニマ」(無伴奏)。クガさんが「彼女は何時間でも歌い続けられるんです」と紹介してましたが、後半になればなるほど声が響いてきて、ラストのアカペラ独唱は天井がびりびり震えるような、なんか凄いものがありました。
 いやあ、よかった。お疲れ様でした(まだちょっと残ってるけど)。
 お2人は明日から伊那と東京での大きなコンサート、ラスト11日が再びルンタ主催で熊谷(埼玉県北部)です。熊谷ライブは、50人は入る大きな会場を借りたにもかかわらず、全然宣伝もできず、オリエンタルさんのような側面支援もなく、お先真っ暗。
 パッサンラのナマ歌は一聴の価値あり。入場無料なので、なんとかたくさんお客さんに来てもらいたいものです。なんとかするのは私なのか(無理っぽいなあ…)。
 あ、オリエンタルがロケ地に登場するのは10日(金)夜10時の群馬県広報番組「風人の画布(カンバス)」(群馬テレビ)だそうです。照美さんも出演。

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2006.11.05

11月11日(土)と11月8日(水)にチベット音楽ミニコンサート

 いまさらですが案内作りました。(焦)


チベット音楽ミニコンサートin熊谷
 羽衣~チベットと世界の愛と平和を願って~

01  障害を超えて「祈り」を歌うチベット人女性歌手パッサン・ドルマさんが初来日、ニューヨーク在住27年の日本人アーティスト空閑俊憲(トシ・クガ)さんとのコラボレーションで、チベット音楽のコンサートを開きます。
01_1 チベットの民間伝統楽器ダムニェンの演奏と、独特の発声法で高らかに響くチベットの歌。日本の三味線にも似た、どこかなつかしい旋律と、ヒマラヤ高原を吹き抜ける風のような澄んだ歌声を楽しんでください。

  • 日時:2006年11月11日(土)午後6時半~8時半 (開場午後6時15分)
  • 場所:熊谷市中央公民館(熊谷市立市民ホール)3階
        埼玉県熊谷市仲町19 (会場℡048-523-0895)
        (JR秩父線「上熊谷駅」徒歩7分/JR高崎線「熊谷駅」徒歩15分) 
  • 入場無料(カンパを募ります)
  • 予約不要


 前橋でもあります。

チベット伝統音楽ミニライブin前橋
  • 日時:2006年11月8日(水) 午後6時半~8時
  • 場所:「アジアンカフェ オリエンタル」(027-232-8642)
        前橋市千代田町4-18-4
        (オリオン通り商店街沿い/立川町通り「幸煎餅」から2軒目向かい側)
  • 料金:1500円(ドリンク・お菓子付き)
        青春割引(学生、求職中など)1000円 ←自己申告制です!
  • 定員:30人
  • 予約:オリエンタル(027-232-8642/11:00~20:00月曜休)


出演者プロフィル
【パッサン・ドルマ Passang Dolma】
 チベット難民2世。孤児としてインドの難民学校で育ち、3歳で小児麻痺のため左脚の自由を失う。1980年、チベット亡命政府設立の「チベット舞踏音楽団(TIPA)」に入り、伝統音楽を学び、14年にわたり歌手として活躍。現在は作詞作曲も手がけ、チベットでは珍しい女性シンガーソングライターとして活躍している。2003年に開かれた第1回チベット音楽コンクールでベスト女性シンガー(最優秀女性歌手賞)。
【空閑 俊憲/トシ・クガ Tashi Kunga】
 福岡県北九州市出身。東京で美術を学び、1779年渡米。ニューヨークで画家、造形作家、音楽家として活躍するアーティスト。1998年にチベット仏教思想とチベット音楽に出会い、米在住のチベット仏教僧サンポ・リンポチェからダムニェンの伝統的奏法を学ぶ。ロサル(チベット暦新年)には毎年、米チベット人コミュニティーから祝賀会に招かれ演奏を披露している。


 1日未明、パッサンさんのCDを閉店後の「オリエンタル」のポストに入れて広島行きの荷物を作り、そのまま寝ずに午前3時半高崎発の「ムーンライトえちご」に乗って東京へ。朝一番の飛行機で広島に入り、1日じゅういろいろあってゲーン・ダヤンハーンと1次会→在広チベット人たちと2次会→京都から合流のK嬢と3次会→と流れてようやくホテルにたどり着き、風来坊さんに「これでどうでしょう」とメールを送って力尽きる。
 群馬に戻り、ギャワリンポチェの余韻が抜けた5日になって、ようやくなんとかメールとチラシを作成。Word普段使ってないので思うようにレイアウトできなくてイライラ。片面コピー、片面プリンタのカラー印刷で20枚、両面コピーのチラシを100枚作り、オリエンタルへ。いまさらですが知り合いにメール送信。熊谷のほうは、インターネットで熊谷市内の新聞テレビ(テレビはさすがになかった)を検索して、告知掲載依頼をつくり、チラシと画像のCD-Rを同封して各社あて速達送付。
 これだけのことを夜から作り始めて(もちろん徹夜で)翌昼すぎになんとか完了。やればできる子だよアンタは、もっと早くやってりゃ良かったんだけどね、と自分に突っ込む。
 今からするとチラシだけでもMLだけでも何とかもっと早くできなかったの、と思うんだけど、ほんとどうにも動けないものはできませんでした。Web更新と告知も後手後手に回り中(余裕がなくて自分自身がネットワーフィンできない状態だと自分のサイトを更新しようという気にもならないのね……)。

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