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December 2010

2010.12.22

投稿ビデオ「衝撃! 五体投地を激写!」

 (今回もツイッター関連。すみません)
 チベット人がチベット語で「心動かされる映像。彼らはカムからラサへ歩いて巡礼に行く信仰心の篤い人たちなのだ」とツイート(していたのを@tonbaniさんが「必見!列をなし、ラサを目指してリヤカーを引きながら進むカムの巡礼者たち。五体投地の人も。リヤカーの中の子どもたちが可愛い!」と引用リツイート)していた映像です。
 中国版YouTube「優酷」(YouCool、とでもいうニュアンスでしょうか)への、漢人辺境旅行好きビデオマニア(たぶん)の素人レポート。「拍客」(アマチュアビデオレポーター)のレポートもさることながら、コメント欄も盛り上がっていて、「どんなことが書いてあるのか訳して」といわれたので粗訳してみました。

 元映像はこちら【拍客】震撼!实拍最虔诚的朝拜者“五体投地”(【投稿レポート】衝撃! 最も敬虔な巡礼者の「五体投地」 ホンモノを激写)


レポーター「私の前方には、巡礼でラサに向かう隊列がいます! リタンからの人たちです」(タシデレ~、と声がかかる。※「タシデレ」は本土チベットでは、身内相手には使わないヨソ者向けの挨拶言葉。ビデオ撮影者は一見して旅行者とわかる格好やそぶりをしているんだと思う
レポーター「(巡礼者に)タシデレー」「彼らは既に2ヶ月以上歩いています」(ワンボックスカーがクラクションを鳴らし通り過ぎる)
レポーター「隊列の長さはだいたい200メートル以上あります」(はあ、はあと荒い息)「だいたい2~3人で1台の荷車を引いています」「これが信仰の力です」「2カ月以上、野外炊飯で野宿です」「すべてラサに巡礼するためです」(巡礼者から「ラサに行くよ、ラサラサ」「タシデレ」と声が掛かる)「ハハハ、タシデレ」(「ホーイ」と手を挙げ応える巡礼者)
レポーター「彼らは子どもも連れて行きます」
レポーター(子どもを連れて行くのは)「天への畏敬、神への信仰を子どもたちに培うためです」(荷車の荷台に座る女児もを写す)
レポーター「お嬢ちゃん、年はいくつ?」(女児、手を振ってにこにこ。荷車を引く父親が代わりに答える)「9歳だよ、もう大きいよ」
レポート「9歳か、学校は行かないのか」
父親「ああ、自習してる」
レポーター「そうか、休学申請*はしたのか」(*「請暇」という単語を使っている)
父親「今年は行ってない」(※学校に行ってない、という意味で、「請暇」は通じてない)
レポーター「そうか、ラサに行ったら何をして過ごすんだ?」
父親「行ったら頭を地面にうちつける」
レポーター「え? ああ、つまり『礼拝する』んだな」
父親「そうだ、『礼拝』する」
レポーター「ラサにはどのくらい滞在する予定?」
父親「あ?」
レポーター「ラサでどれくらい過ごす予定? そうか、3日か。予想ではラサにはあとどれくらいで着く予定?」
父親「いまはー……あー、10日ちょっとだろう、多くても」
レポーター「十数日か、そうか」
父親「そうだ、十数日だ」
レポーター「既に70日くらい歩いてるんだな、リタンから出発して」
父親「おーや(そうだ)」
レポーター「あ~」(荷車の小さな子どもが手を振って「タシデレェ」)「タシデレ」(おっさんが「ニーハオ」)(激しく車のクラクション)
レポーター「歩き続けて2カ月あまり、あと10日ほどでラサに着きます。前方にはまだ標高5020メートルの『ミーヤー峠』を越えなくてはなりません」「ようやく到着してたった3日間の礼拝」(「タシデレ」と声が掛かる)「タシデレ」(後方から巡礼の隊列の荷物を映す。巡礼者の歌声がマイクに入る)(でかい音で中国語の歌がかぶさる。五体投地の老女)
老女「リタン」
レポーター「じゃあ2カ月ちょっと歩いてきたのか」
老女「3カ月ちょっと」
レポーター「3カ月以上歩いているのか、もう」
レポーター「彼らは3カ月以上も旅の途上に身を置いている」
(場面変わり、ラサ)(ポタラ宮の前)
レポーター「私は今、ポタラ宮の前にいます」(舗装された道路の端でチベット人が五体投地を繰り返している)
レポーター「私の前には聖地に礼拝し祝福を求める人たちがいます」「彼らはまず時計回りにポタラ宮の周囲を回るのです」(五体投地する人)(終わり)


 以下、映像に寄せられたコメント。

1. mada3958
神聖だ!


2. 竹廬賞雪
イイネ! イイネ! イイネ!


3. 手紙1990
まったく五体投地には感心するよ!


4. 忘れ難き愛
イイネ! イイネ! イイネ! イイネ!


5. 刀仔強
イイネ! イイネ! イイネ! イイネ!


6. ふらふら仏を信じちゃったイエス
イイネ! イイネ! イイネ!


7. 87287226
ひどい盲信だ。彼らは一生で3回しか風呂に入らない。尊敬できるのはそれだけだね 


8. 唐詩ここにあり
なむあみだぶつ!南無観世音菩薩! 


9. 唐詩ここにあり
功徳を積む喜びを。南無阿弥陀仏! 


10. 阿川阿川
タシデレ 


11. sd1314521
タシデレ 


12. ジェントル東東
タシデレ、ナンマイダ 


13. 無敵のサヨコ
信仰は信仰に帰すよ でも風呂には入るべきだろうな 


14. 孤独な雀
イイネ! タシデレ 


15. wzy632241927
信仰心の大きさ 


16. 龍城84
あまりに忠誠を尽くしてる。信仰心の深さは人を感動させるね 


17. カッコE
(涙にむせぶ絵文字) 


18. 強×奸↓範
誰が撮影したかしらないけど、息も絶え絶えだね! たぶん標高がだいぶ高いんだろうね!


19. 風を駆ける鄧盛(投稿者)
 >>18
 誰が撮影したかしらないけど、息も絶え絶えだね!


……私は車に乗りながら撮影したんだ……


20. shujiemuzi
こんな一生を送ったら、人類の発展には何一つ貢献しないね 


21. 北街龍少
 >>20
 こんな一生を送ったら、人類の発展には何一つ貢献しないね


くだらないことを。中国に貢献しなくても、ほかにすべきことはあるだろ。撮影者に感謝するよ。(イイネ!) 


22. cankushi
中国全土でも最も純粋無垢な地域だろうな、、 ここの人たちはなんて素朴なんだろう。


23. zyx830416
無知蒙昧 


24. zも捨
神や悪魔を信じない私でも、これほど純朴な人たちの姿には本当に感動させられたよ(胸をドキドキさせている絵文字) 


25. 林肯、
大学院まで勉強したけど、私はなぜだか神や悪魔はいると思えるな。神や悪魔のいる世界もある、と感じてしまう。ハハ、私も無知蒙昧なんだろうな。


26. 飛DFF
 >>21
 くだらないことを。中国に貢献しなくても、ほかにすべきことはあるだろ。


すぐ一つ前のコメントを止めてくれてるけど、あなたのコメントが本当に世の中に必要なことかね! まったく、あなたみたいに物の道理が分からない人がいるから中国からは各種の差別偏見がなくならないんだ! 


27. 飛DFF
 >>21
 くだらないことを。中国に貢献しなくても、ほかにすべきことはあるだろ。


あんたの存在こそ中国に何の貢献もしてないんだよ! 


28. 扉を開けて
個人的には……一つの国家の人民はやはり、多少の信仰に基づくモラルと道徳規範と礼儀を持ち合わせるべきだと思う。貪欲さは報いを受けると信じてる。善行を積むべきだよ!!


29. 上海神話
(冷や汗を流してる絵文字)でも、彼らの偉大な活 仏 ダ ライ は亡命し 第二位の活 仏 パン チェン の生まれ変わりは 彼らチベット人の多くには受け入れられていない

※訳注:検閲削除を避けるため文字と文字の間に空白がはいっている


30. 独り寝の夜空
信仰は人類の発展になんら貢献せず、彼らは無知蒙昧だって書いてる人がいるけど 聞きたいんだが 貢献していないのは誰? 蒙昧なのは誰? あなたがたは既に知ってるでしょ 永遠に変わらないものなんてありえない 人類に信仰心がなかったら とっくに滅亡していたでしょう かわいそうな人たち 


31. 普通の牛糞
チベットは神秘的な場所だ。第二次世界大戦ではヒットラーも目をつけて、部隊を派遣して研究していた。中国が解放してからは国家分裂問題を起こして世界中の注目を集めている。 


32. 刀丛中の小詩
 >>13
 でも風呂には入るべきだろうな

水がないんだよ 


33. 刀丛中の小詩
どんなにつらくても、彼らには喜びがある。それが満ち足りているってことだ! 


34. 普兆銀
私には彼らが騙されているようにしか思えない。あんなに険しい道を、疲れるでしょ? もし本当に神が存在するなら、あんな様子を見れば心を痛めるはずでしょ? ひざまずいて祈りを捧げる人たちを守ることができるはずじゃない。本当の神様なら、あんなふうに1人1人巡礼して拝ませるようなことを求めないで、人間らしい自分の生活を大切にしろって、、 


35. 普兆銀
 >>25
 大学院まで勉強したけど、私はなぜだか神や悪魔はいると思えるな。


世界には何でも起こりえるし、疑ってかかることも必要。ただし最も大切なのは自分の生活をよりよく過ごすことで、自分の生活が過ごしやすくなかったら、信仰なんて誰にも必要とされない。 


36. 普兆銀
世界には何でも起こりえるし、疑ってかかることも必要。ただし最も大切なのは自分の生活をよりよく過ごすことで、自分の生活が過ごしやすくなかったら、信仰なんて誰にも必要とされない。


37. 普兆銀
 >>28
 貪欲さは報いを受けると信じてる。善行を積むべきだよ!!


アップされてる映像の人たちは、私には貪欲に思えるけど。だって(自らの欲望のために)2カ月も歩いて、たぶん1年分の蓄えも使い果たして、子どものことも考えないで。 


38. 大樹狂人を招く
 >>37
 子どものことも考えないで。
 

彼らの子どもたちはそんなこと気にしてないと思うけどな。だって両親と同じ信仰を持ってるんだし…… 


39. 一滴の水oooo
どれだけ珍しいの? 


40. timspac
ナムアミダブツ! 


41. 日々煮え煮え
精神の支えだ。(イイネ! イイネ! イイネ!) 


42. 情報源はテレビドラマ
(撮影レポーターは)見聞が狭くなんでも珍しがる奴の典型だな。あんたが見たことのないものなんて世の中にあふれてるんだよ! 何が「衝撃!」だ。こんなのが衝撃だったらあんた衝撃で死ねるよ。 


43. crazyバカな子
信仰があるというのは一つの幸福だと思う 


44. liqiang2185917
チベット人同胞はほんとに素朴で、見ず知らずのカメラマンにも「タシデレ」と挨拶してくれてる あの山のように心の広い人たち 彼らに限りない祝福がありますように 


45. アサドVB
現代社会のせわしなさ、落ち着かなさの原因は信仰心の欠如だと思う もし小中学生の教科書に仏教学か道徳を加えれば、納税者の税金を使って公共利益を喧伝する必要はなくなると思う 現代社会の変化は早い 指導者らの私利私欲がもたらしたものだ 


46. 保健寺
私は、信仰心があるのは良いことだと思う。ただし、少なくとも、人に良いことを勧め、よく勉強する習慣を教える必要はあるだろう。こんな風に、学校に通わず、働くこともせず(訳注:直訳は「畑を耕しもせず」)に半年もほっつき歩かせるようでは(もちろん彼らはほかの人たちより信仰熱心なんだろうけど)、邪教と変わりないんじゃないかと思う。 


47. 菩提樹の下で読経を聞く
人間に本当に必要なものは信仰心だ。信仰心を持たない人間は生ける屍のようなものだ。 


48. bjxljc
格好を見ると徒歩でラサ巡礼をしているんだろうな。私は今年9月に川蔵線(四川―チベット路線)をドライブした。頭を打ちつけてる(訳注:「五体投地してる」の直裁的な表現)人がたくさんたくさん。 


49. フフン
信仰心があるのはいいね 


50. 緗╊唯緗⒈
見た感じ、彼らは本当にいいね。オレ達のいわゆる「裕福な」場所なんて、モラルのかけらもないし、信仰心もないから物欲が横行してひどいもんだよ 


51. 風にも噛みつく
見たところオレ達のほうがまさに野獣だな 


52. 4321185
吉祥如意 


53. 夢を追いかけて
信仰心のある人と金を持っているだけの人を一緒にすると、まさに違いを見抜くことができるよ。西洋人は幼いころからキリスト教の教育を受けている。道理で西側諸国は文明国家ともいえるわけだよ。 


54. lele808
信仰心の大きさ。彼らを尊敬する。 


55. tian5106
宗教を信じるかどうかは別にしても、人間は何か信じるものは必要だ。そうでなければ、生きることに何の意味があるのだろうか? 


56. zhadun
風呂? ハハハ……、清潔か不潔かでいえば彼らはあんたたちに比べるまでもないけど、彼らの心根、魂は…あんたらの百倍澄んでるよ…… 


57. 反駁者の
 >>465
 少なくとも、人に良いことを勧め、よく勉強する習慣を教える必要はあるだろう。こんな風に、学校に通わず、
畑を耕しもせずに半年もほっつき歩かせるようでは(もちろん彼らはほかの人たちより信仰熱心なんだろうけど)、邪教と変わりないんじゃないかと思う。

あんたに何が分かる? あてずっぽうでいいかげんなことを言うなよ。誰が「学校に通わせず、畑も耕さない」なんて言った? 毎年こんなことをしてると思ってるのか? 彼らは何年ごしに待ち焦がれてようやく巡礼できるんだ。。 


58. 反駁者の
 >>34
 もし本当に神が存在するなら、あんな様子を見れば心を痛めるはずでしょ?

あんたは誤解してる。五体投地は神に庇護を求めるものじゃない。それはあんたらの浅はかな考え方だ。五体投地は自分の信仰心そのものを神に示すもの。彼らが数百元の交通費くらい持ってないわけないだろ。それをなんで徒歩で巡礼するか考えろ。信仰の厚さを示すためだろ。一生に一度、聖地を訪ねて参拝するのは、信仰が育んできた小さな小さな望みなんだ。70日間もかけて歩きとおし、ようやく長年の願いがかなう。あなたが想像するほど、人類が自分で自分を食べさせていくのは難しいことじゃない。信仰があれば、人の心に巣くう悪魔は抑えられるんだ。。。 


59. 反駁者の
 >>27
 あんたの存在こそ中国に何の貢献もしてないんだよ!

あんたこそ、信仰を持たない悪魔だ。「あんたの存在こそ中国に何の貢献もしてないよ」というのは正しい。あんたらは機会をうかがって、あんたのような人たちが機会さえあれば世界を混乱に陥れようとしてるんだ。


60. 反駁者の
>>20
こんな一生を送ったら、人類の発展には何一つ貢献しないね

あんたのように信仰のないヤツは人類に損害を与えるだけの存在だ。生きていたって、土の中に埋められたゴミのようなものでしかない。


61. 反駁者の
 >>7
 彼らは一生で3回しか風呂に入らない。

あんたこそ無知だからそんなことを信じるしかないんだよ


62. NancyJackson
 >>36
 アップされた映像の人たちは私には貪欲に思えるけど。だって2カ月も歩いて、たぶん1年分の蓄えも使い果たして、子どものことも考えないで。

あんたこそ、自分のことをちゃんとやれよ


63. yangcuo90525
 >>46
 こんな風に、学校に通わず、働くこともせずに半年もほっつき歩かせるようでは、邪教と変わりないんじゃないかと思う。

学校に行かせない? 働かない? ハ、こんな巡礼の動画を一つ見ただけで、どこからそんな情報が分かるのか、感心するね。それに、邪教と同じようなものだって? あんたが何を分かってるんだ? 仏教が人に勉強をさせないだって? 仏教が人を働かせないだって? あんたのコメントを読んだ奴からそれだけ笑われてよく平気だな。よくもまあ、それだけ意味も理解しないまま、字だけ打ち込むことができるな! 半分水が入ってチャプチャプいってるだけの脳みそで、よくも訳の分からない論評ができるもんだ。ヒマでヒマで罵る相手を探してるだけなんだろ、違うか?


64. ハスエルデン
 >>63


レス先を間違えた。62のレスは46が返信している相手へのレス


65. 落木未央
 >>46

 こんな風に、学校に通わず、働くこともせずに半年もほっつき歩かせるようでは、邪教と変わりないんじゃないかと思う。

 信仰心がないってかわいそうだね!


66. 西RAP藏
 >>65
 信仰心がないってかわいそうだね!

あんたこそ、どうして彼らが学校をサボらせてないって分かる? どうやってちゃんと働いているって知ったんだ? いいかげんにしろよ!


67. 西RAP藏
 >>66
 いいかげんにしろよ!

レス番違い 65が返信してる相手(=46)に言いたかった ごめん 許して


68. ナンラン
 >>61
 あんたこそ無知だからそんなことを信じるしかないんだよ!

おうかがいしますが、あなたは仏教についてどの程度理解していますでしょうか? 何を「迷信」というかご存知ではないのでしょうか? あなたに申し上げますが、あなた自身が「迷惑(悟りに至るまでの智慧が身に付いておらず迷い戸惑い途方に暮れている状態。自らに不足のある状態)」のなかにあります。例えるなら、ある人が転んで横たわったまま他の人を見たら、その人にとって、すべての他人が横に倒れて(間違って)見えるでしょうが、実際には倒れて(間違って)いるのは自分自身ですよね。これと同じ道理です。


69. ノルブ・タシ
 >>62
 あんたこそ自分のことをちゃんとやれよ

分かってないな! 信仰のないあんたたちに理解できるもんじゃないんだよ! はッ! 根本的に民族の違う者同士、考え方は当然さらに似てもにつかないんだ。あんたは二度と口を開くな!


(2011年1月4日追記:「面白かった」と言われて調子に乗り、ハンドルネームを転記して投稿者を分かりやすくし、発言が2個増えてたので追加しました。)

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2010.12.08

「今日のニュース(12月8日)」

 これもツイッター発言の補足で申し訳ありません。
 昨日見かけて興味を持ったツイートの訳、tweetlongerあたりに覚え書きしておこうと思ったら、際限なく長くなってきたのでブログに切り出しました。いかんなあ、中国ブログになってしまうなあ。ご容赦。

(中国のツイート:李歆照 @lixinzhao の発言/2010年12月8日)

今日のニュース:カラマイ火災16周年(*1)、豆板の崔衛平コミュニティー解散(*2)、ミシェル・ヨー アウンサンスーチーに面会 近く本人役を演じる(*3)、アンティ蒼井空に面会(*4)、ツイッター有名人王仲夏、劉莎莎 拘束される、唐吉田弁護士が釈放要求(*5)、著作出版で拘束拷問された謝朝平のため陕西省渭南市の移民が1万人の署名を集め公開書簡(*6)、王力雄夫妻軟禁される(*7)
http://twitter.com/lixinzhao/status/12763725891117056

今日新闻:克拉玛依大火十六周年;豆瓣解散崔卫平小组;杨紫琼缅甸会昂山素姬,将出演她;安替日本会苍井空;推特王仲夏、刘莎莎被捕,唐吉田律师遣返;渭南老移民携万人签名信为谢朝平上书被拘遭打;王力雄夫妇遭软禁。

 結論から先に言うと、「世界が違うなあ」としみじみ実感。
 12/8に「今日は○○の日だね」って流れてきた私のTLの日本語ツイートは、だいたい「ジョン・レノン追悼」であふれ「パールハーバー」話がほんのちょっと、あとは「アサンジ逮捕」と「海老蔵出てきた~」でした。中国民主人権派の中国人が列挙した項目には、いっこも入ってない!

 そして、「ああ、それが自然なんだ」「当然のことなんだ」と思ったのでした。
 この見知らぬ中国の人のツイートは、ごく素直に、その彼もしくは彼女が「今日関心を寄せた、解決すべき問題をはらんでいる見過ごせない事案」を羅列したもの。その結果が日本のTLや一般の報道とはあまりにも重ならない、日本人は知らない中国国内の「事件」なのを改めて実感して、興味関心や問題意識というものはまず自分に有形無形に関係する身の周りに向けられることが「普通」なのだ、日本の人たちの目の前の課題と、中国の人たちの目の前の懸案は違って当然、チベットと中国、アメリカと中国、ウイグルと日本においておや、などと思ったのでした。

 敷衍部分も書いてしまう。ちょっと暴論かもしれないけど。
 海外に詳しいことを自認する人たちが日本のメディアを評したり、インドや中国に住んでる直接の知人が日本に一時帰国した時に「海外ニュースが少ない」「どうでもいい国内ニュースばっかりで国際感覚に欠ける」と言うことがあるんけど、それは日本が多すぎるんではなくて、当地でのドメスティックニュースが相対的に少なすぎるだけじゃないかと思ったりするのですよ。
 本来だれだって自分に直接かかわる身の回りへの関心が一番高いわけで、個々の興味関心の幅からいえば、例えば、ある人の両親が住む町で特別養護老人ホームが全焼し入所者10人が亡くなり防火管理体制や避難誘導が適切だったかを報じるニュースと、ナイジェリアで半年に1500人が殺されている宗教対立のニュースだったら、世界的には死者1500人の宗教紛争のほうが大問題だとしても、その人は「特養ホームのニュースを見たい」と思うんじゃないか、思って当然じゃないか、とか、そういうこと。個人が社会生活の中で「知りたいな」と思うのは、朝の大渋滞の原因はなんだったのか、消防車のサイレンが激しく鳴り響いていたけどどこで火災が起きたんだろう、保育所の待機児童数はどの市町村が最も多いか、携帯電話の製品事故を小耳にはさんだけど自分の機種は関係あるか……などなどなどなど、「国際的・世界的な大問題」ばかりじゃないと思うんだよね。そうして一定のニーズのあるニュースを列挙していったら尽きなくて、そのうえでもちろん「国際問題を知りたい」「アメリカの経済情勢を知りたい」って欲もちゃんとあるから国際ニュースが流れている。
 中国なんかの場合、そこが逆転してて「お上が知らしめたいこと」が知らしめたい順でニュースにされるから、「30人死んだ国内の食中毒」を報じずに「インドネシアで鳥インフルエンザ流行し141人死亡」を報じたりしてるんじゃないか、と。国内の「小さな問題」をあまり詳細に流したくないから海外の「大きな問題」にたっぷり時間を割くニュース報道になってるんじゃないか、などと邪推してみたりする。

 だから、冒頭の「(中国の)今日のニュース」というツイートが、羅列を読んでも分からないことだらけ、知らないことだらけであることに、逆に「そうじゃなくちゃ」と感じたのでした。それが普通だよ。いや、ちょっと大変だけど中国は。




 以下、上記140字の訳だけじゃわけわからん部分を注釈・補足。

(*1)カラマイ友誼館火災:1994年12月8日、ウイグル自治区カラマイ(克拉瑪依)市で小中学生を集めた舞台劇の上演中に火災が発生、死者323人(325人説あり)、負傷者130人の大惨事となった。死者のうち288人が小中学生で、臨席の党幹部25人は全員無事。出火当時「皆さんは着席、動くな! 来賓を先に!」と指示が出されたと伝えられ、友誼館職員や行政関係者の責任が裁判で問われたが、当局の規制により火災の詳細が報道されることはなく、遺族や被害者の真相究明を求める声は封じられた。
 2009年には事件をテーマにした6時間の大作ドキュメンタリー「KARAMAY」(徐辛監督)が完成、2010年のロカルノ映画祭などで賞を獲得した(中国国内では上映禁止)。
 検索したらこんな文章が!(2010年11月15日付「ドキュメンタリー映画の最前線」) 日本人も関わってる電影基金出資のドキュメンタリーだったのか!そしてその電影基金が栗憲庭って、あのチベット現代美術展のプロデューサーじゃん。

(*2)豆板(豆瓣=豆板醤のこと):中国のSNS(ミクシィみたいなサービス)の名前。崔衛平は北京電影学院教授で民主活動家で、劉暁波の08憲章の第一次署名者で、ツイッターやSNSでも積極的に言論活動を展開。自分自身で主宰していた「崔衛平コミュ」がSNSの運営会社(豆板)に消去されたらしい。そのことを書いてる個人ブログ(中国語)。
 崔衛平については集広舎の及川淳子さんのコラム(中段以降の「知識人のつぶやき」のくだりを)このへん(今年10月21日の記事の引用が読める)を。

(*3)ミシェル・ヨー(楊紫瓊)はハリウッドや香港映画で活躍する女優(中国系マレーシア人)。これは日本語の記事にもなってたので私のTLが偏ってただけかもです(すみません)→「元ボンドガール、M・ヨー主演でスー・チーさんの生涯を映画化」(AFP時事)。

(*4)アンティはツイッターのパワーユーザーで中国人コラムニスト、蒼井そらは日本のAV女優。この2人の対談がなぜ中国ツイッター界でニュースになるのかは「<中国気になる話>「蒼井そらの夜」とは何か?!エロとツイッターが取り結ぶ日中交流」コラム「ツイッター in China」とアンティ氏へのインタビュー「安替:ネットメディア外交のスゝメ」あたりを。

(*5)

(*6)三門峡ダム建設にかかわる強制移民

※*5以下はあとで追記

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2010.12.07

モンゴルとチベット かつての出来事1(訳)

 在日モンゴル人作家ダシ・ドノロブさんが「民主中国」に寄稿したコラムです。
 先日の「チベットの歴史と文化学習会」でテーマになっていたドルジーエフについてモンゴル人の視点から触れておられたのが興味深かったのでざっと訳してみました。チベットでのいわゆる「双語教育」についても、経験者の視点、隣人の視点、ある意味“双語教育”が成功し漢語を自由自在に使いこなすお立場からの視点、そして日本というさらなる「異民族の言語の海」に飛び込まれた視点からの指摘をもっとうかがってみたいと思いました。

 原文はこちら(「民主中国」达希东日布:蒙藏往事(一)) 。表題は(1)となっており、文章も「続く」となっていて、何回かの連載となるようです。

  蒙藏往事(一)(モンゴルとチベット かつての出来事 その1)
                    ダシ・ドノロブ(モンゴル人作家)
 2010年10月21日、たまたま次のようなニュースを目にした。
 ダラムサラ発の「国際西藏郵報」(The Tibet Post International)で、記事は「『1913年蒙藏条約』国際シンポジウムがモンゴルの首都ウランバートルで開かれ、モンゴル、インド、米国、韓国、ロシア、カナダ、台湾、オランダ、ドイツからの専門家が参加した」というもの。報道によると、「今回のシンポジウムは、モンゴル内外の学識者27人で組織する研究団体を含め、1913年にモンゴルとチベット両国で交わされた友好同盟条約と締結の合法性をテーマに討論する。この条約を締結したことにより、モンゴルとチベットは相互を独立国家として承認したことを宣言した」という。
 その記事で、私はある人を思い出した――ダライ・ラマ13世の外交官、ブリヤートモンゴル人のドルジーエフである。多くのブリヤートモンゴル人同様、彼の名前も非常に特徴的で、前半部分の「ドルジー」はチベット語の単語「ドルジェ」からの借語、後半部分の「エフ」はロシア語の語尾である。このドルジーエフこそが、1913年に「蒙藏条約」を調印したチベット側代表者なのだ。
 一編の新聞記事に、私の好奇心が刺激された。このブリヤートモンゴル人はどのようにしてチベット政府の代表となったのだろうか? この条約が締結された当時の国際情勢はどのような状況だったのだろうか? まるまる100年の間、モンゴル人とチベット人――この、同じ宗教を信仰する二つの民族はどのような歴史の過程を歩んできたのだろうか。

 まもなく、私は図書館で1冊の本を探し当てた。書名は「ダライラマの外交官ドルジーエフ チベット仏教世界の20世紀」。1ページ目を開いた私は、次のような描写に読み至った。

 ――1900(明治33)年の夏の盛り、1人のブリヤート人僧侶が上海からの客船より長崎の港に降り立った。
 彼の名前はアグワン・ドルジーエフといった。当時40代後半の男盛りで、がっちりとした体躯、黒い肌、鋭い眼光、大きな頭顱(とうろ)、そして何より意志の強さを感じさせる率直な顎骨の形が、会う人に強い印象を残したはずである。彼は、ダライラマ13世の使者として、ロマノフ王朝のツァーリ(皇帝)、ニコライ2世と会うためチベットの都ラサからロシアへの旅の途中であった。日本に来ることになったのは、義和団事件の発生によって天津、北京から内陸を通ってロシアへ向かうことができず、海路ウラジオストックを目指したためである。

 初めて日本に到着したドルジーエフは、日記にチベット語を用いて次のように記している。

 リピンともいう日本の、長崎という町に到着した。そこには仏教寺院が多くあるものの、礼拝する者は少ない。また人口が多く土地は狭い。自分の民族のみを尊び、どこへ行っても日本のことを考えていない者は誰もいないようで、国内は非常に安定しているために大国になった。そうすると、日本が世界で名声を博したのは、国内の安定に拠るようだ。

 この段落を読み終えて、私は、ドルジーエフのこの旅行は外交目的であったことを推測した。あの列強が横行する時代に、チベットやモンゴルのような弱小民族が自身の民族の利益のために列強の各大国と渡り合わなければならず、縦横に交錯するそれぞれの覇権主義勢力のパワーバランスを縫って、民族が生き延びるための隙間をさぐらなければならなかったのだ。日本とロシアのはざまのモンゴル人と、イギリスとロシアのはざまのチベット人は、宗主国である清王朝の絶体絶命の窮地に直面して、何を捨て、何を選びとるべきだったのだろうか。
 当時、漢人の革命党人員(訳注:辛亥革命)はとっくに「駆逐韃虜、回復中華(打倒満州族、中華復権)」という民族主義のスローガンを叫び、「鉄血十八星国旗」をデザインし、「漢地18省に限った」独立運動を始めていた。(いわゆる鉄血十八星国旗とは、赤・黄・黒3色を組み合わせ、赤地と9角の黒色が「血」と「鉄」を象徴し、革命が必ず鉄血主義=武器と兵力=によるものであることを象徴する。黒い9角の星は、歴史書「禹貢」に記載のある古代の9州=冀、兗、青、徐、揚、荊、豫、樑、雍=を表し、事実上、モンゴル、チベット、ウイグルなどの「韃虜=ダッタン人の呼称が変化した蔑称、“異民族野郎”」の居住地域は含まれていなかった。黒い9角の星形の内外両側にある計18個の丸い黄色い星は漢民族の内地18省を表したもの。18個の星の黄金色は、満州人の立てた清朝「韃虜」と対立する漢民族すなわち「炎黄子孫」=炎帝と黄帝の子孫=を示している)

 当時の革命党員の「野心」は決して大きなものではなく、ただ「満州人ら異民族を追い払い中華を復権させる」、すなわち内地18省の漢人の主権を取り戻し、チベット(青海)、モンゴル(内外蒙)、新疆ウイグル及び満州(東三省)の主権はすべて漢人にはあずかり知らないものであった。これが、(辛亥革命の)革命党員が当初主張した民族主義(ナショナリズム)だったのである。
 武昌起義(辛亥革命の幕開けとなる武昌の兵士たちの反乱:1911年10月10日)から1912年10月まで、鉄血十八星旗は中華民国の国旗と定められていた。当然、崩壊寸前の清王朝に直面して、漢人の革命党員のみが自民族を守ろうと奮起したのではない。モンゴル人、チベット人の精鋭たちも座して死を待つことなく、漢人同様に立ち上がり、自らの民族国家を樹立しようと力を尽くし始めた。あるいはもしかしたら、ドルジーエフも、ロシアのチベット独立支持を求めてペテルスブルグに向かい、孫文は当時の満州を譲ることを条件に日本に対して漢地18省が独立することへの支援を取りつけ、清王朝の立場から見れば「国外の帝国主義勢力と結託し国家を分裂させる」挙動を取っていたのかもしれない。
 しかし、誰がどのように歴史を解釈しようとも、歴史的事実そのものが書き換えられはしない。少なくとも、我々はまず、この100年の間に結局は何が起きたかという事実を理解しなければならないのだ。
 このようにして、はるかロシアに旅立ったドルジーエフが、私にこの100年間のモンゴルとチベット両民族の歴史と現状を振りかえらせる契機となった。

 1.漢人の悲しみとチベット人の怒り

 2010年10月21日の「国際西藏郵報」(The Tibet Post International)で私はドルジーエフを思い出した。しかし、当時の丸一カ月間、チベットに関する主要なニュースは、アムド(青海省)で起きたいわゆる「双語教育(バイリンガル教育)」に抗議するデモの報道に占められていて、これはこれでまた私に、言語教育と民族文化の継承の危機の問題を思い起こさせるものだった。

 劉力は仲睦まじい3人家族で、来日して既に10年になろうとしている。彼が学んだ専攻は引く手あまたの分野で、現在はあるソフトウェア開発企業の役員となり、高い給料を受け取り、東京でも高収入家庭に属している。
 去年、劉力の両親は初めて親族訪問で来日して三世代が一堂に会し、本来であれば皆で大いに喜びあうはずだった。しかし、おばあさんは孫を見つめて悲しみに耐えられず涙を流し、おじいさんも傍らでため息をつくばかりだった。劉力の両親をこれほどまでに悲しませたのは、孫の「言語の問題」だった。劉力の息子は日本語しか理解できず、中国語は一言も話せず、祖父母と孫の世代は意思疎通の方法がなくなっていたのだった。
 あるいは、老夫妻の悲しみにはもっと多層的なものがあったかもしれない。まず、親子の情からみれば、祖父と孫の2世代の交流に言葉の壁があることは既に十分に彼らを気落ちさせるに足ることであろう。それ以外にも、我々はさらに彼らの心を傷つける理由があったことは軽視できない。このように自分の跡継ぎの世代が民族の言葉や文化を失う姿を目の当たりにするのは、ある種の心理的ショックとしては言葉の壁以上に強烈なものかもしれない。彼らの可愛い孫が、漢民族文化を伝える核心となる支柱―中国語―を失っているとは。まだましなことに、漢民族の全体からみれば、すべての漢民族の子供が同じ問題に直面しているわけではない。もしそうであれば、この民族そのものが滅亡の危機に瀕していることになってしまうのだ。後になって劉力は私にこう言った。両親は常に彼らに帰国するよう勧めるんだ、漢人の自分たちの場所に戻ってこい、家族を大切にして後の世代に言葉と文化を伝えてくれ、と。もちろん妻は断固として反対し、息子が既に東京の生活環境になじんでいることも考慮に入れた劉力は、帰国する考えは毛頭ないという。仕方のないことではある。彼は職業上の更なる飛躍のため、自らの意志で日本の「先進的民族」の言語の海の中に入ることを選んだ人間なのだ。
 では、我々は老夫婦の悲しみをどのように理解すべきなのだろうか。理屈からいえば、彼らの子孫1人当たりの生活水準は、中国のような発展途上国家の10倍に当たる。息子はコンピューター技師で、人がうらやむほどの安定した高収入を得ており、心身ともに物質的に満足できる消費生活を送っている。
 ここで、イギリスの著名な経済学者コーリン・グラント・クラークが提唱した幸福の定義を見てみよう。クラークは初めてGNP(国民総生産)の概念を用いて一つの国家経済の生活の質を評価した。これはいわゆる「個人の幸福」を解釈する方法で、クラークはまず「持続的に生活必需品を購入できるに十分な現金収入があることが必須条件」として、我々が幸福な生活のためには基本的な衣食住と交通手段が必要であることを理解させた。続いて、クラークは「(生活必需品に加えて)趣味や娯楽への欲求を満たすに十分な財産が必要」と分析した。これは例えば読書や知的好奇心を満たすためのインターネット接続などの精神文化生活といえるだろう。ただし同時に、コーリン・グラント・クラークは特に次のことを強調している。「伝統や伝統を継承するための欲望は必ず満足させなければならない。つまり祖先が伝統的に満たしてきた欲望は、将来的に子孫末裔に伝えられるべきものである」。彼はこれを「個々人の幸福として無視できない重要な構成部分」と認識している。
 劉力の両親にとって、自分の孫の身に起きたことはまさにこの最後の一項目が満たされないことに当たり、悲しみと幸福欠乏感の現任に当てはまっている。見たところ、民族文化をつなぎとめるか喪失するかは、人類の個人の幸福指数に直接に影響を及ぼすといえそうだ。

 2010年月、アムド(青海省)で、幸福だと感じることを脅かされた人たちが、街頭へ出て怒りを表した。彼らは劉力と異なり、異民族の都市へ移住したなどということはなく、個人の成功のために自らなにか「先進民族」の言語の海に飛び込んだというわけでもなかった。彼らが自分たちのふるさとで自民族の言葉の危機に直面しているのは、彼ら自身が選んだ行動の結果ではなく、政府の政策によって引き起こされたものであった。彼らはなにもせず、誰も招きいれず、誰も誘発しなかったのに、政府は突然文章を発表し、彼らの学校内の大部分のカリキュラムでチベット語で授業を受けることを停止するよう求めた。
 少し考えてみよう。もし北京のある漢族学校で、「国語(中国語)」と「英語」以外のすべての教科で、教科書をチベット語に変え、チベット語で学ぶことになったら、学生や先生たちはどのようなショックを受けるだろうか? ある人はこう反論するかもしれない。「中国語は『国語』であり、チベット語はそうではない」。よろしい、我々はこの2種類の言語が法律的地位において確実に不平等であることを認めるわけだ。我々はチベット語は中国語に比べて一段低い存在であると認めることになる。これが現状である。
 もっとも、チベット語がなぜ国語ではないのかといえばこれには二つの政治的原因がある。第一に、チベットは主権独立国家ではなく、自分たちの民族言語を法的に政府の言語にするすべがない。第二に、チベットは「自治地区」でさえなく、カナダのケベック州のようにフランス語を政府言語のひとつとして設定するすべさえもない。
 中国政府は我々がこのように言語の法的地位の不平等さについて論じることさえ面白く思わず、我々がこの種の不公平は漢民族のこの国家内の人口比例からして権力を一手に握ることに発するものだ、と論じることも許されない。当然、我々が言語に関する不平等な政策の合理性について分析することも認めていない。
 彼らは大いに自信たっぷりに中国語がその国土で独尊的な優先権を持つと主張し、悠然と語る。中国はカナダではなく、シンガポールではなく、スイスでもない。中国が、漢語(中国語)以外のいかなる民族の言語にも漢語と同等の法的地位を与えることがないのは中国の特徴である。甚だしくは、彼らは「中国が広く宣伝している民族平等は『民族の言語の地位の平等』とは違う」と放言する。このような言語の不平等政策が学校教育分野で体現されたのがすなわち「バイリンガル教育」なのである。
 チベットでの「バイリンガル教育」は元来、チベット人自治地域のすべての小中学校でチベット語と漢語2種類の言語を同時に教えることをいうものだと思う。理屈からいえば、チベット地域の漢族学校ではチベット語を教える義務はないはずだが、非常に不合理な事情のもと、現在は反対に、チベット人学校で元からあるチベット語の授業を減らし、あからさまな文化的絶滅政策が横行している。一種の「非我族类,虽远必诛(同族でなければ殺しても)」式の、狭隘で残忍な自民族中心主義を体現したものだ。まったく、同じ先祖に生まれなかったからといって何をあわてるのだろうか? まさか、あなた方の民族が強勢を誇っているからといって、ほかの民族の言語や文化を手段を選ばず根絶やしにしてもかまわないなどと考えているのだろうか? ナチスドイツが行った人種的特徴上の大量虐殺と比較しても、文化的意味合いでの民族根絶政策はさらに偽善性と残忍さを備え、柔らかい刀でじわじわとなぶり殺すようなものである。
 いわゆる「バイリンガル教育」政策の背後から、ひそかに隠れて囁く、怖ろしい呪詛の声を耳にするのは簡単だ。「チベット人どもを滅ぼせ!」。その声ははっきりと聞き取れる、凶悪な呪いだ。(続く)

(12月20日追記:「ダライラマの外交官ドルジーエフ チベット仏教の20世紀」(棚瀬慈郎、岩波書店)が手元に戻ってきたので、文章中翻訳されて引用されていた部分について、二重翻訳から原著の本文引用に戻しました。)

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