[訳]新華社:炎の背後にあるデマと真実(前半)
炎の背後にあるデマと真実:甘南〔カンロ〕チベット焼身ルポ
2013年1月31日
元記事:新華網
新華社ネット甘粛省甘南1月31日電(記者李恵子、姜偉超) 冬の日の午後、63歳のチベット人獣医師其繞〔チュェラプ/チュロ*1〕は、ベッドにあぐらをかいて座っていた。傍らには1匹の黒猫が身をすり寄せている。今に至るまで、どれだけ考えても、彼には息子が焼身した理由が分からなかった。
「私の教育がなっていなかった。こんなことをしでかすとは、バカなやつだ」
チュロの眼ににじんだ涙が光った。息子には、さらに立派な人間になるよう常に高く求めていた。31歳の才考〔ツェカル/ツェリン・ナムギャル*2〕は生前、妻子と仲が悪く、商売で金儲けをしたいと考えていて、父親に金を無心し、その父親から拒否され叱責されていた。焼身をすれば“英雄”になれると噂で聞いて、ツェカルは同じ村の牧民の尕藏东知〔ケルサン・トゥンドゥプ〕にこう言った。「こんな生活に比べたら、焼身したほうがましだ」
2012年11月29日、ツェリン・ナムギャルは碌曲県双盆郷落措村〔ルチュ・ゾン、サムツァ、ロツォ〕の大橋の近くで焼身をはかり、彼の同郷の友人2人が現場で油をかけて燃やして手助けし、ツェリン・ナムギャルは現場で死亡した。
これとほぼ同時に、ほかの2人の村人が国外に向けて焼身が起きたことを伝えて情報提供し、いくつかの海外メディアが焼身が広まっていると報道し、ツェリン・ナムギャルはダライ集団の吹聴する“英雄”となった。
その日、村人たちはツェリン・ナムギャルの遺体を彼の家に送り届けたが、家族はこの事実を受け止められなかった。たった一人の息子がこの世を去ってしまうことは、チュロ一家に大きな打撃だった。ツェリン・ナムギャルの姉、伝統的なチベットのドレスを身にまとった旦知草〔タムディン・ツォ〕は、声もなくくずおれた。
ロツォ村のある甘粛省甘南州〔アムド、カンロ〕は、チベット高原東端の山々のなかに位置し、青海、四川のチベットエリアに接する。ある時期から、青海、四川、甘粛の3省が接するエリアで多くの焼身事件が相次ぐようになった。焼身者の多くは20歳前後の若者だった。
18歳の桑代杰〔サムテン・キャプ〕は、甘粛省人民病院焼傷科のベッドに横たわっている。すねから下は既に手術で切断されていた。去年12月2日、この甘南州夏河県〔サンチュ・ゾン〕の青年は、村の売店で3リットルのガソリンと5元の鎮痛薬を買った。借りてきたバイクでボラ寺院の近くまで走り、チベット服の上からガソリンをかぶって火をつけ、チベット服が燃えあがってから、彼は僧院の方向に向かって走り出した。しかし、鎮痛薬を飲むのを忘れたサムテン・キャプは、痛みに耐えかね、チベット服を脱ぎ捨てて、駆けつけたパトカーに向かって投石を始めた。
警察の調べによると、サムテン・キャプは内向的で、長い間にわたって国内外の「藏独」〔チベット独立活動家〕から思想的にそそのかされ、たぶらかされ、ダライ集団の言う「焼身はチベット族がなしとげるべきことへの貢献である」という話を深く信じて疑わなかった。去年5月27日、親友の1人が焼身をはかったことも、彼を突き動かした。焼身する前の11月30日、サムテン・キャプはチベット人の焼身について報道する「ボイス・オブ・アメリカ」のチベット語番組を観た。彼は、番組の出演者に「とてもあこがれており」「彼らを英雄のように思っていた」という。
「息子が焼身したと聞かされた時は、ショックのあまりぼうっとなりました。最近、地元ではそのようなことが起きていたけれど、我が家に起こるとは考えもしませんでした」
サムテン・キャプの父親、ツェリン・ドルジェは話す。
サムテン・キャプのことに話を向けると、母ワンデ・ツォはひざの中に頭を埋めるようにうずくまった。唇からは絶えまなく念仏が漏れ、手の中では数珠を手繰り続けている。やがてしばらくすると、念仏は低いくぐもったすすり泣きに変わった。彼らの家は、40~50平方メートルの家畜小屋でヤクや羊を飼っていて、木造2階建ての小さな建物の中には絨毯が敷かれており、チベット族の生活の息遣いに満ちていた。決して裕福ではないが、十分に満ち足りた暮らしぶりだった。しかし、跡取り息子の焼身は、家族全員を悲しみと暗闇のどん底に陥れたのだった。
祖父南杰〔ナムギャル/ナンジェ〕は言う。「サムテン・キャプが成長して、ようやく一人前に働くようになり、嫁をみつけて、家の牛や羊の数も増え、だんだんと希望が見えてきたところだった。こんなことが起きてしまって、これからどうやって生きていけばいいのか」
甘南州政府のあるチベット族政府職員は、ダライ集団はこのような生活環境の劣る人などに焼身者としてターゲットを絞っている、と語る。扇動者はしばしば焼身者に対して「ダライ・ラマがじきじきにあなたのために経を上げて来世の救いをしてくださいますよ」などと持ちかける。チベット仏教における、生物は生まれ変わって何度も人生を繰り返すという伝統的観念は、焼身者に一定の効果を発揮している。ダライ・ラマはかつて、現世で焼身した者は来世でも再び人として生をうけるであろう、と述べている。
「そんなの、人間性がまったく欠けていやしませんか。17、18歳の子どもをたぶらかして焼身させて、なぜ彼自身は焼身しないのでしょう?」彼は言った。
甘南州にはチベット仏教ゲルク派6大寺院の一つラブラン僧院をはじめ、ラモ寺〔タクツァン・ラモ・キルティ僧院〕、ツォェ寺院ミラレパ9階建て仏閣など、121のチベット仏教寺院がある。
1673年に創建されたツォェ寺院は、チベット仏教ゲルク派の寺院で、現在147名の僧侶が在籍する。農暦(*3)12月1日の早朝、40人以上の僧侶で構成された「宗教舞踏」〔チャム〕が並んで陣形を作って練習中だった。ホラ貝の音が低く高く響く。彼らはまさに、正月14日(西暦2月23日)の仏教法要の活動のための準備をしているところだった。近所の子どもたちが三々五々、境内に遊びに来ては、経堂〔マニ堂〕の前を通り過ぎるついでにぺこりと頭を下げてお祈りしていく姿が見えた。
ツォェ寺院の傍らに立つ白い仏塔には、チベット族も漢族の信者も、家族連れからお年寄りから子どもまで、バイクから自転車まで、道端にいったん止めて、塔を一周して福を祈っていく(グオラ転という一種の宗教儀式である)〔コルラ〕。
2012年8月7日正午、仏塔から北西にある山の中腹で、火だるまになって草むらに横たわった張可草〔*4ドルカル・ツォ〕は、こうつぶやき続けていた。「死なせて、死なせて」。仏塔をグオラ〔コルラ〕していたチベット族女性の一人が発見し、火はすぐに消し止められた。
まもなく、ツォェ寺院の僧侶青倍〔チュンペー〕が現場にかけつけた。26才のドルカル・ツォの写真を撮り、その他の僧侶と一緒に、まだ死んでいなかったドルカル・ツォを寺院の建物内に運び入れ、警察に通報せず、病院に運ぶこともしなかったために、初期救急救命のタイミングは失われてしまった。
チュンペーが警察の取り調べに対して供述した内容によると、彼は自分で撮影した4枚の写真を、微信〔WeChat、ボイスチャットSNS〕を通して発信し、その後携帯電話のQQを使って、焼身者の姓名、その父母の名前及び、「彼女は『ダライ・ラマのご帰還を』『民族の自由を』と話していた」などの情報を提供した。その後、海外メディアに公開された4枚の写真は、チュンペーが送信した写真と一致していた。現時点で、チュンペーは甘南州検察に故意殺人罪の容疑で逮捕され、取り調べを受けている。
警察の調べによると、ドルカル・ツォは左足に障害があり、夫や姑家族との関係がうまくいっておらず、姑からは頻繁に注意さればかにされていた。2012年の春節(*5)、夫の妹は<ドルカル・ツォが>焼身した人を「この人たちはダライの帰国とチベット族のなすべきことのため尽くして本当にすごい」と称賛するのを耳にした、と述べた。焼身をはかる4日前、ドルカル・ツォは夫とともに健康診断を受け、病気の症状が出ているので婦人科にまめに通うようにと診断された。このとき、彼女には生まれ変わってやり直したいとの思いが頭に芽生えた。8月6日に実家に帰省した時、彼女の父親は「死んだ時に、ダライ・ラマが読経して供養してくださるなら、その人たちは果報者だなあ」と話した。これらの会話にドルカル・ツォはさらに心を動かされた。
このことについて、62歳のツォェ寺院の活仏〔化身ラマ、トゥルク〕索藏仓〔ソゾンツァン・リンポチェ〕はこう話す。「いわゆる『焼身後にある人が焼身者のため転生儀式をとりはからい、よりよい来世に生まれ変わることができる』という考え方は、仏教の教義の中には存在しないものだ。焼身は愚かで、仏教の教えを捻じまげる行為であり、『英雄的行為』などでは決してない」。
しかし、ドルカル・ツォの「民族英雄」のイメージは、桑吉坚措〔サンギェ・ギャンツォ〕の「あこがれ」となった。
26歳のサンギェ・ギャンツォは、友人とマージャンをしながら酒を飲んでいる時に言った。「ツォェの名声は1人の女性が獲得した。多河〔ドハ〕(村)の名声はオレがもらう」。警察が取り調べで得た供述によると、サンギェ・ギャンツォは当時、友人数人に微信〔WeChat〕でツォェ市でドルカル・ツォが焼身後に草むらに横たわっている写真を転送した。彼はまた、「ボイス・オブ・アメリカ」チベット語放送を頻繁に見ていた。警察筋によると、彼の自宅からは衛星テレビアンテナと受信機が押収されたという。警察によると、「ボイス・オブ・アメリカ」のチベット語番組は毎週月、水、金に放送され、「チベット独立のための焼身」などの内容が彼らの仲間に大きな影響を与えていたという。
*1 其绕:以下、チベットNOWルンタの表記に即して「チュロ」とする。VOT中文の報道では「曲绕」
*2 才考:以下、チベットNOWルンタの表記に即して「ツェリン・ナムギャル」とする。VOT中文は「才让南加」
*3 「農暦」は「中国の旧暦」のこと。記事は、無知であるか故意にか、中国の伝統の旧暦と、チベット暦を同じものとして記述している。
*4 張可草:亡命政府側に伝わった名前に即して「ドルカル・ツォ」とする。
*5 チベットに「春節」(中国の旧正月)の習慣はありません。
ああ
火焰背后的谎言与真相:甘南藏区自焚调查
http://news.xinhuanet.com/legal/2013-01/31/c_114575087.htm
2013年01月31日 21:11:55
来源: 新华网新华网甘肃甘南1月31日电(记者李惠子 姜伟超)冬日午后,63岁的藏族兽医其绕,盘腿坐在床上,一只黑猫趴在身旁。直到现在,他也不知道儿子才考自焚的原因。
“是我对他管教不严。他做出这样的决定,太愚蠢了。”其绕眼含泪光,对儿子恨铁不成钢。31岁的才考生前与妻子不和,想做生意,向父亲借钱,被其父拒绝并遭训斥。听说自焚能成为“英雄”,才考对同村牧民尕藏东知说:“与其这样活着还不如自焚。”
2012年11月29日,才考在碌曲县双岔乡落措村大桥旁点火自焚,他的两位同村好友现场浇油助燃,直至才考身亡。与此同时,另外两名村民向境外提供并传递自焚信息,一些境外媒体对自焚事件进行了报道,才考成为达赖集团鼓吹的“英雄”。
当天,村民将才考遗体运回他家,家人无法接受这一事实。唯一儿子的离去给其绕家造成很大影响。才考的姐姐、身穿传统藏袍的旦知草在一旁沉默不语。
落措村所在的甘肃省甘南藏族自治州位于青藏高原东缘的群山中,与青海、四川藏区毗邻。一段时间以来,青海、四川、甘肃三省交界地区发生了多起自焚事件,自焚者多为20岁左右的年轻人。
18岁的桑代杰躺在甘肃省人民医院烧伤科病床上,小腿已被截肢。去年12月2日,这位甘南州夏河县的年轻人在村小卖铺买了3升汽油和5元的止痛片。骑着借来的摩托车到达博拉寺院附近后,他将汽油浇在藏衣上点燃,藏衣起火后,他向寺院方向跑去。然而,忘吃止痛片的桑代杰疼痛难忍,遂脱下藏衣,并向驶来的警车打砸石头。
根据警方调查,桑代杰性格内向,长期受境内外“藏独”思想煽动和蛊惑,对达赖集团“自焚是为藏族事业献身”深信不疑。去年5月27日一位好友的自焚对他触动很大。自焚前的11月30日,桑代杰收看了报道藏人自焚的“美国之音”藏语节目,他说自己对节目里的人“特别崇拜”,“他们像个英雄”。
“当接到我儿子自焚的消息后,我整个人都懵了。虽然这里最近发生过一些这样的事,但没想到也会发生在我们家里。”桑代杰父亲才让道吉说。
一说起桑代杰的事,母亲完代草便把头埋进膝盖中间,嘴里不停地念着佛经,捻动手里的佛珠。过了一会儿,念经声被低低的啜泣声代替。他的家,四五十平米的院落养着牦牛和羊,一座纯木的二层小楼里,放着毛毡,充满了藏族的生活气息,这是个虽不富裕但能自足的家庭。然而男孩的自焚让全家陷入了悲痛和阴霾。
爷爷南杰说,随着桑代杰逐渐长大,能干活,娶了媳妇,家里的牛羊多了,也渐渐看到了希望。但出事后,不知该怎么走下去。
甘南州政府一位藏族官员称,达赖集团选定自焚的人有针对性,比如生活境遇差的。煽动者常对欲自焚者说,达赖喇嘛会亲自为你念经超度。藏传佛教轻今生、重来世的传统对自焚发挥了一定作用。达赖喇嘛曾说,在世自焚,来世就会重生。
“这是人性的泯灭。煽动十七八岁的孩子自焚,为什么你自己不去自焚?”他说。
甘南藏族自治州有藏传佛教格鲁派六大宗主寺之一的拉卜楞寺,以及郎木寺、合作寺米拉日巴九层佛阁等121座藏传佛教寺院。
创建于1673年的合作寺是藏传佛教格鲁派寺院,现有147名僧人。农历十二月初一早晨,由40多名僧人组成的“法舞”方阵正在排练,法号声此起彼伏,他们正为正月十四(西历2月23日)的佛事祈福活动做准备。附近的孩子们三三两两来寺院玩,路过经堂,顺便跪拜。
合作寺旁的白塔,藏族与汉族信众,全家老小,将摩托车、自行车停在一旁,绕塔祈福(转锅拉,一种宗教仪式)。2012年8月7日中午,白塔西北方的山坡上,浑身火焰的张可草倒地,不停念叨:“让我死、让我死。”在白塔处转锅拉的一名藏族妇女发现并将火扑灭。
随后,合作寺院僧人青倍赶到自焚现场,对26岁的张可草拍照,并与其他僧人一起将尚未死亡的张可草抬至寺管会房内,既不报警,也不将自焚者送医院,贻误了抢救时机。
根据警方提供的青倍供述,他将所照的4张照片通过微信发出,后又使用手机QQ,将自焚者姓名、其父母姓名以及“她说达赖喇嘛回国,民族自由”等信息发出。案发后,境外媒体上出现的4张图片与青倍通过微信所发的照片一致。目前,青倍已被甘南州检察院以涉嫌故意杀人罪批准逮捕。
根据警方调查,张可草左腿残疾,与丈夫和婆家关系不好,常遭婆婆的批评和欺负。2012年春节,丈夫的妹妹在讲述有人自焚时赞叹说:“这些人为了达赖回国和藏族事业真厉害!”自焚前4天,张可草在丈夫陪同下检查身体,诊断出患有常见妇科疾病。据此,她产生了轻生的念头。8月6日回家时,她父亲说:“就是死了,达赖喇嘛也会念经超度,也是这些人的造化。”这些话对张可草再次有了触动。
对此,62岁的合作寺住寺活佛索藏仓说:所谓“自焚后有人为自焚者超度,从而获得很好的来生”这一说法在佛教教义中是不存在的,自焚是愚蠢的、曲解教义的行为,不是“英雄行为”。
然而,张可草自焚的“民族英雄”形象却成了桑吉坚措的“榜样”。26岁的桑吉坚措与朋友打牌喝酒时说:“合作(市)的名声一个女的取得了,多河(村)的名声我要取呢。”根据警方获得的供述,桑吉坚措曾与几个朋友在微信群中转发合作市张可草自焚后躺在草地上的照片。他还经常收看“美国之音”藏语节目。警方证实,他家中装有接收电视信号的卫星接收器,“美国之音”的藏文节目每周一、三、五播出,藏独自焚等内容在他们中间有很大影响。
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