2009.01.25

スムチュドゥチェン

 本土にいる知人から、短いメール。

「あまりいい感じではないです」(大意)
(略)
「本土でも皆外国のテレビ見てるんで、今年のスムチュドゥチェンは頑張ってください。と、××××に伝えてください。」
(※××××は共通の知人)

 これだけではありますが。

 スムチュドゥチェン(3月10日記念日)、って、まさに当日昼間、ツェリンさんから聞いて知ったばかりのチベット語。まったく同じ言葉が“かの地”からもメールで届いてびっくり。ツェリンさんから聞いていなかったら「スムチュドゥチェン」という単語を知らず、メールは意味不明だったわけで、こういう偶然って、あるんだなあ。

 あまりいい感じではない(大意)、というのは、中国政府の抑圧や監視が非常に厳しくなっていることを示唆しているんだと思う。
 そして、外国のテレビ見てる、というのは、僻地では地上波届かなくて衛星放送の受信アンテナを立てるから、それで漏れ電波を拾って海外のTVが見えちゃっている、ということかなぁと推測します。

 そっか……本土で見てるのか……。

 とっさにいろんなものが駆けめぐって、しゅんと言葉を失ったメールでした。
 

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2008.02.07

Losar Tashi Delek !

 ロサ(チベット新年)おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 やりかけのルンタ作業&早急に必要なチベット関係もろもろの準備が同時進行でいろいろあって、あちこち滞ってて内心焦りつつ、オモテの仕事に追われつつ。
 こんなんですが今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 「Tibetan New Year」で検索したら、ロサをお祝いする映像がYouTubeにものすっごいたくさん上がっていて、むしょうに嬉しくなったり。ネット世界ではけっして少数派じゃないのねチベットって。
 気合入れてメドレー風に編集してる「Collection Of Tibetan Losar Songs HAPPY LOSAR 07 Feb. 2008 」とか、「Happy New Year 2008 from Tibetan」とか。メドレーにも使われてた「tibetan new year, " LOSAR" song!!! 」はすごいよ、チベット語の分からない私にも冒頭あたりは何を言ってるか分かるもん素敵。「ンガツォペーゲローサーターシデーレショー(私たちの故郷の新年をお祝い申し上げます)」「アマパジョコンカムサ(お父さんお母さんご健勝をお祈りします)」……はは、その後の「デーントデナトーバーショ」以降は全然分かんないけど。で、チベット人らしき青年がひとりウェブカメラに何か言っている「2008 Losar Wishes 」なんてのまで。何でもありだー。
 チベット語でタイトル入ってる(例えばこんなん→「ང་དང་གངས་རིའི་དགེ་མཚན」)もあって、読めないし意味分からんけど、チベット語が単独で「ある」(それって、チベタンがチベタン向けに発信してる、ってことだもんね)ってだけで嬉しい。

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2007.11.16

「ちょっと、イケメンじゃん!」

Jarnal003 「ちょっと、イケメンじゃん!」とメールなどいただいてしまったので、ダライラマ法王随行記者団のメンバーなどをこそっと紹介。いや、冷やかしではなく。実に爽やかな好青年揃いです。

 左手前でムービーを回しているのは、WebTV「チベット・オンライン」のカメラマン、リグデンさん。いかつい体に強面という見かけによらず、おちゃめでいたずら好き。来日初日の食事でも日本食にチャレンジ、刺し身や漬け物に挑戦していました。

Jarnal002 童顔ですらっと背の高さがひときわ目立つのが総合情報サイト「パユル(祖国)ドットコム」のカメラマン、最年少のダセルさん。童顔もそのはず、だって23歳(!)という若さ。ID(インドの居留証)の関係で突然来日できなくなったダライラマ法王専属フォトグラファーに代わり、周囲の推挙で派遣が決まったイチオシの人材なんだとか。カメラマンらしく、食事のときも移動中も、常にキヤノンの一眼レフとともに行動。日本のどんな情景を切り取っているのか、楽しみです。

Jarnal001 「これチベット人記者かよ! なんかすげーかっこいいなあ!」と日本人同業者(?)を唸らせたのが、ダセルさんの右側で真剣な表情でパソコンに向かう「パユル・コム」Web責任編集者のプルブさん。どうしても仕事中の情景写真が欲しくて、取材執筆中の部屋に侵入して写真を撮り、気を散らせて悪いことをしてしまいました(申し訳ない……)。
 英文記者なんだから当然だけど、アポ、取材、執筆すべて英語でこなし、国際事情にも明るく、日本の政治情勢や要人の名前もよく知っています。「ミスターマキノは……(聞き取れず)」と尋ねられたので、「前国会議員で、2005年の衆院選に落選した」と言いたかったんだけど、「前」も「国会議員」も「落選」も英語でなんて言うのか分からず、あうあうあう(情けない)。「ルース(負けた)、ジェネラルエレクション」とかめちゃめちゃ言ってしまった。もう嫌。
 今回の4人のリーダー格で、来日後も思うところいろいろあるらしく、厳しい表情や考え込んだ顔を見せることが多い彼。何を感じ考えているのか、できればいつか、腹を割って話を聞いてみたいのだけれど。

Jarnal004 物静かで控えめな、チベット語雑誌「チチョク・メロン(社会の鏡)」編集長、ジグメさん。チベット語の文章力をかわれ、26歳で編集長に抜擢されたそうです。
 日本では、サポート役の日本人女性に「あっ、左薬指に指輪! 結婚指輪でしょ?」と尋ねられ、大あわてで「結婚はしていない」と言いつつ、「でも恋人はいるんでしょ?」と畳みかけられ「います」と大照れ。突っ込まれた翌日はリングを中指に嵌めかえていました。

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2007.11.14

随行記者団

F50 朝8時15分の成田行きで成田空港へ。ちっちゃ! プロペラ機初めて乗って思わず記念撮影。
 予定より15分早く9時20分成田着、だけど滑走路のすみからすみまで延々走り回ってカートとかたくさん並んでる隅っこで降ろされ、バスに乗って第1ターミナルに着いたのは9時40分ごろ。到着フロアを走り抜けて(なんでこんなに出口が遠いんだ! ……と思ったけど、成田に着く国内便だから端っこにあるんだった)黄色い循環バスに飛び乗って、第2ターミナルに駆け込んだのは9時55分でした。……ううむ、この飛行機で11時00分2タミ発のデリー行きに乗り換えようというのは、不可能とはいわないけどやっぱり厳しいかもしれない(リスク高い……)。当日は荷物ももっと多いだろうし。

Tibetan_2 いや、そんな実験をしにきたわけではなく、ダライラマ14世来日講演随行記者団のメンバーです。チベット人海外ペンクラブ(本部ロンドン)の代表派遣記者、チベット発ネットニュース最大手ペユル・コムの記者とカメラマン、亡命政府のオフィシャルカメラマン。23~33歳の若手ながら、みな編集責任者や主任編集クラスの精鋭ばかり。
 話はあまり本題に入らないまま、たわいない話題ばかりに終始してしまった(反省)。チベットにかかわるニュースソースがチベット人自身の手でつくられるのは有意義なことだと思うし、有望で魅力的なチベット人青年たちと、招聘を企画実現したTさんに乾杯。

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2006.05.15

東京新聞に日本人タンカ絵師

Tokyo02  東京新聞にタンカ絵師の紹介記事が。
 おおっ同世代。
 誰、誰!? と思ったけど知らない人でした(すぐに「すわ、知り合い!?」と思っちゃうのは悪いクセですねー。世の中そんなに狭くはありませんな)。ダラムサラベースではなく、ネパール(都市名は書いてないけどカトマンズかな?)ベースのようです。
 漫画研究会(高校で)→編集者→バックパッカー→タンカ絵師っすかー。いろんな人がいるもんだ。(ただこの経歴、タンカ絵師として“異色の経歴”じゃなくて、日本人でタンカ絵師を名乗ってる人のある種“王道”に思えちゃう自分がイヤ。宮坂宥明先生みたいなケースがまれなのってどうよ^^;)
 検索したらなぜかテンテンゲストハウス(風来坊さんの紹介で1度泊まりました)のサーバー内に作品紹介があったり(びっくり)。

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2006.04.18

いぬのおしっこ

Maostatue チベット自治区に初の毛沢東像が建つそうで。しかも、完成すれば「中国」内最大の毛沢東像になるんだそうで。

 わははは、最初はエイプリルフールのブラックジョークかと思った(ネットで見たとき初出の書き込みが4月1日付だったんだもん)。しかも、私英語が苦手なものだからずっと中文版の新華網とか人民網とか見ていて、そっちではぜんぜん出てこない。新華社、英文ニュースと中文ニュースの内容が違うからなぁ……。

Chi_tib_map203  ポタラ前にそびえる「自治区成立50周年記念碑」を見ても思うんだけど、なんちゅうセンスのなさ。モニュメントぶったてる時代はとっくに終わってると思うんだが……。
 まぁなんだ、たぶん、中国共産党にとって「毛沢東像」は犬のオシッコ(=マーキング)みたいなもんで、『オレのもんになった』ところには建てずにいられないんだろうなあ。
 そんでまぁおそらく、文化大革命の時代ですら、チベット民族の抵抗というのは大きくて、せいぜいがそれまであったチベット的なものを徹底的にぶち壊すくらいで、毛沢東像のようなあからさまなモノは建てられなかったのかもしれない。
 文革の嵐が過ぎた後はパンチェンラマ10世を懐柔して操ろうとして失敗(14年間拘束)、80年代の緩和策が87年以降の民主化運動につながり、「人民軍」が人民に銃を向けた武力制圧と戒厳令(89年)を経て、札束で顔をひっぱたく「西部大開発」が始まり、10年かけてカネカネカネの価値観にチベット人を馴らしておいて、「よーしそろそろ毛沢東像を建てちゃうぞ」なころあいを計った、……ってことなんでしょうか。
 そこまでしても彫像を作りたかったんかい中国共産党、50年の執着ときたらすげぇよなあ、とも思うし、そこまでやってもやっぱり結局はラサ市内には作れないってことかな、ラサ市内に作ったらさすがのチベット人も黙っちゃいないと思っていいのかな、……なんて考えたり。
 いずれにせよ「体を張ったセンスのないギャグ」にしか見えない出来事で、中国共産党自らネガティブキャンペーンを張ってるとしか思えない。
 はたからどう見えるかを自覚して、そういう行為がどう受け止められるかを客観的に理解しつつ、それでもなお「オレはココに毛沢東像を建てるんだぁ!」てやってるんだとしたら、もうある意味チョー超一流のギャグメーカーとして拍手を送りたいくらい。個人的にはもう、正面から「なにすんだ!!」と憤るより、生暖かくニヤニヤしながら「作るんだ、ふーん、この際108個くらい建てとけば?」と見つめたい気がしますが。樹脂製のヤシの木といい、日本のパチンコ屋みたいなネオンサインといいい、チベットはこのままネタの宝庫になっていってしまうんでしょうか……。
 (実際には、文革で悲惨な思いを味わい「マオ」の名前を聞くだけで精神状態が揺さぶられる人たちがまだまだいたり、現在進行形で思うことさえ人前では口に出せずそれでも生きてかなきゃいけない人たちの住む場所で、目の前にそびえたつマオジューシー、っつーのはちょっとやっぱ傷が新しすぎ生々しすぎてギャグにはなんない、ってことは分かるんですけどね)
 いつか時代がくだったとき、毛沢東モニュメントが「こんなくだらないものを作った時代もあったんだねぇ」と、センスのなさの露呈として見世物になったり、二度と間違いを繰り返さないための象徴として(原爆ドームとか墜落した日航123号機のように)末永くさらしものにされる、そんな活用方法に変わってますように。まぁ、そんな日が来たとしたらやっぱ、レーニン広場のレーニン像とか、バグダッド市内のサダム・フセイン像みたいになっちゃうのかもしれませんが。


元記事(中国政府オフィシャルサイト)

Huge statue of Mao Zedong en route to Tibet
Thursday, March 30, 2006
GOV.cn
A huge, 35-ton statue of late Chinese leader Chairman Mao Zedong is en route to Tibet and expected to arrive in Gonggar County in a week.
The statue will be placed on the Changsha plaza which is under construction in Gonggar County, making it the first plaza in Tibet with a statue of Mao.
Changsha, the capital of central-south China's Hunan Province, donated 6.5 million yuan (about 812,500 U.S. dollars) for the plaza.
The statue measures 7.1 meters tall and is made of quality chiseled stone from Dingzi Township, Wangcheng County of Hunan Province, according to designer Zhu Weijing, who is also head of the Changsha Sculpture Institute.
The statue, which began its journey Monday, will go through five provinces including Hubei, Henan, Shaanxi, Gansu and Qinghai provinces to reach Tibet.
Mao Zedong, born to a farmer's family on Dec. 26, 1893, was the founder and leader of the Communist Party of China and the People's Republic of China. He is remembered and revered by people in China and the world.

Editor: Zhu Jin
Source: Xinhua


チベットの入り口に毛沢東の巨大彫像

2006/3/30
 中国のリーダー毛沢東の総重量35tの巨大な彫像が、現在チベットへ向かっており、今週中にもゴンカル(貢嘎/Gonggar)県に到達する。
 彫像は、現在ゴンカルに建設中の「長沙(changsha)広場」に設置され、完成すれば長沙広場はチベットで初の毛沢東像を備えた広場となる。
 長沙(Changsha)は中国中央南部の湖南(Hunan)省の省都で、同省は広場建設のため650万元((約812,500米ドル)を寄付した。
 像は高さ7.1m。像をデザインした長沙彫刻協会会長のZhuWeijing氏によると、湖南省Wangcheng(望城?)市のDingzi地区から産出する高品質な石材だけで作られているという。
 月曜に搬出される彫像は、湖北(Hubei)、河南(Henan)、山西(Shaanxi)、甘粛(Gansu)と青海(Qinghai)の5省を通過してチベットへ到達する。
 毛沢東は1893年12月26日農家生まれ。中国共産党と中華人民共和国の生みの親またリーダーとして、中国のみならず世界の人々の記憶に残り崇拝されている。

元記事(新華社通信英文版)

Huge statue of Mao Zedong stands in Tibet county
www.chinaview.cn 2006-04-17 10:28:15
LHASA, April 17 (Xinhua) -- A huge statue of China's revolutionary leader Mao Zedong is being erected at a square in Gonggar County, Tibet Autonomous Region, according to the local government.
The 35-ton granite statue, rising 7.1 meters from a 5.16-meter pedestal, was said to be the largest of its kind in China and the first in Tibet with Mao's statue.
Changsha, capital of Hunan Province and Mao's hometown, donated6.5 million yuan (812,500 U.S. dollars) for the plaza, of which 480,000 yuan (60,000 U.S. dollars) was spent on the statue, said Feng Conglong, deputy head of Gonggar county.
Hunan people had donated more than 25.8 million yuan (3.22 million U.S. dollars) to Tibet over the past decade to build hospitals, schools and greenhouses, said Daindar, deputy secretary of the county's committee of Communist Party of China.
"Many Tibetan people suggested we should have a statue of Chairman Mao to show our gratitude for the people of his hometown when we planned the square," said Daindar.
Mao Zedong, born into a farming family on December 26, 1893, was the founder and leader of the Communist Party of China and the People's Republic of China.
In 1951, Mao and his comrades peacefully liberated Tibet and then ushered in a reform to abolish the thousands years old serfdom on this plateau.
This year is the 30th anniversary of his death.
The statue is placed at Shangcha square which is under construction in the county.
Thousands of local people gathered in the county seat to see the statue when it arrived early this month, some with hada, a traditional white scarf for a blessing, said Soinam, a construction worker at the square.
"To protect the statue, we attached a lightning rod and strengthened the base, so Chairman Mao can withstand earthquakes up to 5.5 on the Richter scale," said Daindar.
"We seldom see earthquake or lightening in Gonggar, but we want to ensure the statue is secure," said Daindar.
The statue will be the central landmark of the square, which covers about 40,000 square meters and will be completed in July.
The square will also host the annual week-long commodity fair of Gonggar in October, attracting around 10,000 people from home and abroad, said Daindar.
Dagzain, a female farmer, said she would come to the square to honor Mao.
"Now, we can present hada to him at any time," said Dagzain. Enditem
Editor: Yang Lei


巨大毛沢東像がチベットに
www.chinaview.cn 2006-04-17 10:28:15
 拉薩、4月17日(新華社電)――地方政府によると、中国革命の最高指導者、毛沢東の巨大な彫像膨大な像が、チベット自治区ゴンカル(Gonggar)地域の広場に建設されている。
 総重量35tの花崗岩像は、高さ5.16mの台座に7.1mの立像が建っており、中国全体でも最も大きな像の一つであると同時に、チベットにおける初の毛沢東像になるという。
 ゴンカル地区副代表のFeng Conglongの話では、毛沢東の出身地である湖南省の省都長沙市から、広場建設に650万元(81万2500米ドル相当)が寄付され、うち48万元(6万米ドル)が毛沢東像の建設費に充てられたとされる。また、中国共産党ゴンカル地区委員会のDaindar副書記によると、湖南省の人々からチベットへは過去10年、病院、学校、温室設備などの建設費用として2580万元(322万米ドル)を超える寄付があったという。
 「広場の建設計画中、毛沢東の故郷の人々に我々の謝意を示すためには毛沢東像を建てるべきだ、と多くのチベット人から示唆があった」とDaindarは説明する。
 毛沢東は1893年12月26日生まれ。農家の出身で、中国共産党と中華人民共和国の創設者、指導者。1951年には毛沢東のグループはチベットを「和平解放」、チベット高原で数千年続いてきた旧習の農奴制を廃止する改革を指導した。今年は毛沢東の死後30年の記念の年にあたる。
 毛沢東像はゴンカル地区に建設中のShangcha*広場に設置される。(*訳注:Changsha=長沙のスペルミスか?/Shangcha→上茶とか商査しか思いつかん)
 広場建設に従事する作業員ソナム(Soinam)氏は「今月初めに像が広場に到着した時は、像を見ようと数千人の地元住民が郡都に集まり、何人かは現地の伝統で祝福を示す白い布カター(hada)を持ってきていた」と話した。
 「彫像の保護のため、避雷針を取りつけ基礎を強化したため、マグニチュード5.5以上の地震があっても毛主席は台座の上で耐えられます」とDaindarは言う。「ゴンカルでは地震や落雷はほとんど見られないが、確実な安全対策をとりたい」。
 毛沢東像は、約4万平方m規模の広場中央のランドマークとして、7月にも完成する。またDaindarによると、10月に約1週間程度、広場を会場に、国内外から約1万人を集めるゴンカル商業フェアが開催されるという。
 農業の女性Dagzainは、毛沢東を尊敬するため広場に行くとして「これからはいつでも毛沢東にカターを捧げることができます」と話した。(了)
Editor: Yang Lei

記事(BBC)

Giant Mao statue erected in Tibet
Monday, 17 April 2006, 07:35 GMT 08:35 UK
The Chinese authorities say they are putting up a huge statue of Chairman Mao Zedong in Tibet.
The 35-ton memorial is being built to commemorate the 30th anniversary of the former leader's death.
It is being erected in Gonggar County, near the Tibetan capital Lhasa, China's state-run news agency Xinhua said.
The statue will rise 7m from a 5m pedestal strengthened to withstand earthquakes. Mao Zedong ordered the Chinese takeover of Tibet in 1950.
The statue will be the central landmark of Gonggar County's Shangcha square, which covers about 40,000 sq metres, and is scheduled for completion in July. According to the Beijing authorities, the statue of Mao Zedong will be the largest of its kind in China and the first in Tibet.
Changsha, capital of Hunan province and Mao's hometown, has donated 6.5m yuan ($811,000; £461,000) towards the cost of the plaza and statue, Xinhua reported.
"Many Tibetan people suggested we should have a statue of Chairman Mao to show our gratitude," a local Communist Party official told Xinhua:

Mixed reaction
The BBC's Daniel Griffiths in China says the statue is likely to get a mixed reaction from many Tibetans.
From Beijing's perspective, the area has been part of China for centuries. But for many, the Chinese government is an occupying power which has shown scant regard for human rights or for Tibet's unique culture, our correspondent says.
Communist troops marched into Tibet in 1950. Nine years later, the region's spiritual leader, the Dalai Lama, fled into exile along with tens of thousands of his followers after a failed uprising against Chinese rule.
Since then, China has exerted tight control over the region and this new statue of Mao Zedong is another reminder of Beijing's influence there, our correspondent adds.

チベットに巨大毛沢東像
Monday, 17 April 2006, 07:35 GMT 08:35 UK
 毛沢東は現代中国の創設者としていまだに多くの崇敬を集めている。
 中国当局によると、毛沢東主席の巨大像がチベットに建設中だという。
 総重量35tの記念像は、元最高指導者の死後30年を記念するため建設中である。
 中国の新華社通信によると、チベットの首都ラサに近いゴンカル県(Gonggar County)に建立されているという。
 像は高さ7mで、耐震強化された5mの台座上に立つ。毛沢東は、1950年のChinese takeover of Tibet(人民解放軍のチベット派兵を指す)を命じた人物。
 彫像は、約4万平方mに広がるゴンカル県のShangcha*広場(*新華社電のスペルミスを踏襲?)の主要な目印として7月完成予定。北京当局によると、この毛沢東像はチベット初、中国の同種のもののなかで最大になるという。
 新華社は、湖南省の省都で毛沢東の生誕地長沙市が、広場と彫像建設のために650万元(81万1000米ドル/46万1000ポンドに相当)を寄付したと伝えている。
 「我々の謝意を示すため毛主席の彫像を作るべきだ、と多くのチベット人が示唆した」と、地元の共産党職員は新華社に述べている。

 複雑な反応
 BBC中国特派員のダニエル・グリフィス(Daniel Griffiths)は、毛沢東像は多くのチベット人から複雑な反応がありそうだとみている。
 北京政府の見解では、この地域は何世紀も前から中国領の一部であったとされる。しかし、BBCの特派員が伝えるところでは、多くの人にとって中国政府は、チベット独自の文化や人権に対する尊重が乏しい「力による占領」である。
 中国共産党の人民解放軍は1950年、チベットに入った。 9年後、地域の精神的指導者のダライラマは、中国の規制に反対して蜂起するが失敗し、何万人もの支持者と共に逃れ、追放されるに至った。
 それ以来、中国はチベット地域を非常に厳しい管理下に置いている。特派員は「この新しい毛沢東像は、ここが北京の影響下にあることを改めて思い出させるものになる」と付け加えている。

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2006.03.23

名古屋でチベイベ

 名古屋のイベントのご案内です。
 以前ダラムサラで日本食レストラン「えみえみカフェ」を開いていらっしゃったご夫妻が出店します。チベットの写真やチベット問題の紹介もあるそうです。

「相生山徳林寺 第24回花祭り」
日時:4月1日(土)~8日(土)
場所:徳林寺(名古屋市天白区野並相生28-341)
内容:花まつり潅仏大法会(8日午前10時から)▽毎日朝夕坐禅(参加自由)▽地獄極楽六道画軸15幅展示▽チベット、ネパール仏教画展示▽カトマンズのバザール、インド、東南アジアの物産販売など
http://www.aioinet.net/Hanamatsuri.pdf

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2006.03.19

イベントレポート:THF講演会参加報告

 4週連続チベット・イベントの最終週(!)。
 THF(チベット・ヘリテージ・ファンド)の講演会「チベットの歴史建築物の紹介――10年にわたる研究と保護活動を通じて」。代表の1人ピンピンさんはTHFの仕事のため16日に離日しており、アンドレさんと平子さん2人から報告がありました。
 「協力者」なんて肩書き(?)だけもらってたものの、Webに案内をアップしたのみでほとんど手伝えず申し訳なく。が、会場には約30人が集まり、熱心に耳を傾けました。

THFDSCN2781  THF代表アンドレ・アレクサンダーさん=写真左=の話はまず、チベットの建築の歴史から。
 「7世紀の終わり、ソンツェンガンポ王が勢力を拡大し、ネパールから妃ブリクティを迎え、初めての寺院が建築された。当初はインドの影響が強かった建築物は、次第にチベット独自の様式を持つようになり、独特の町並みを形成していった」「ノルブリンカに残された壁画に描かれる中世以前のラサの様子と、1956年以前に撮影されたラサの古い写真はほとんど変わっていない」
 「歴史的に大きな転換点となるのは1965年に正式に中国政府が『チベット自治区』を成立させてから。1966年から1977年ごろまで、文化大革命に巻き込まれ、10年間に多くの寺院が破壊された。寺院の建物だけではなく、壁画や仏像も失われた」「一方で都市化が進み、1948年にはジョカンを中心とする1Km四方に限られ、あとはポタラ、セラ、ノルブリンカなどに集落が点在する状態だったラサの市街地は、2000年には十数Km四方、人口50万人規模に広がり、その50%以上が漢民族の移住者となっている」THFDSCN2768
 百貨商店の看板や企業広告、飲食店のネオン看板が並ぶ商店街(たぶんジョカンの前からポタラ方面に伸びる道だと思う)の様子を「背景にポタラ宮殿が写っていなければラサとは分からなくなってしまった」。参加者からチチチ、と舌打ちが(チベット人がいる!? と驚いた^^)。
 アンドレさんは1987年に初めてラサを訪問。「当時は(寺院は破壊された後だったものの)古い一般家屋はほとんどそのまま残っており、平屋根に厚い白壁、窓飾りのチベット建築の町並みが美しかった」と振り返り、「ラサの都市そのものが巡礼路を中心として発展してきた歴史をもつ。露店が立ち並び、一見して市中心の商業道路のように見えるパルコルは、雨が降って店がすべて閉まっていても人通りが減らない。巡礼者にとってパルコルは回ることに意義がある場所だから」と、ラサ市街の文化的、歴史的成り立ちの特徴を説明していました。
 「町並みが急激に変わるのは、1990年代初め、中国政府がラサ市街地の再開発を始めてから。厚い土壁のチベット建築を壊し、壁の薄い、質の低いコンクリートの建物が建てられた。一説には、この時期の建物は15年ほどしか寿命がないという。一方で上下水道の設備や暖房などインフラ整備は行われず、都市計画としても非常に低レベルな再開発だった」
 ふむ。中国では確かに、黄河流域以北(東北・華北・西北地域)の都市に限って暖房インフラを整備(ビルを建てるときにボイラー管を通してビル全体を暖める集中暖気システムをつける)してるようです。80年代の話ですが、当時から北京なんか一歩ビル内に入れば半袖で生活できるくらいあったかかったもんなあ。もちろん、ホテルとか留学生宿舎とか友諠商場とか、外国人が出入りするようなレベルの場所に限ってだけど。内陸の盆地で冷え込む成都とか重慶とかは逆になんの設備もなくてひどいもので(今もない! 韓国人は内装段階で注文建築してオンドルつけてたよ)、笑えることに、チベットは中国政府的には“西南地域”(=暖かいところ)なんだよね。華麗なる標高無視。ラサときたら真冬でも日中は10度くらいまで気温が上がり、夜中は零下15度近くまで下がる、真夏でも1日の寒暖差は20度くらいはある、という日本人の常識からも外れている気候なので、そりゃアンドレ代表の言うとおり、「ラサの気候と条件に合った都市開発をしなくては意味がない」のは当然だ(ほんとは、チベットに限らず、中国の各都市も、日本の市町村もそうなんだけどさ)。こういう、中央集権的行政施策のなりたちを思うときは「あ~『チベット政府』が存在してればねぇ」とは思うな。
THFDSCN2772  閑話休題、アンドレさんの話を続けます。
 アンドレさんたちは1993年から、せめて壊される前に、とラサ旧市街の古い建物を記録し、何が壊されたかをチェックする作業を始めたんだそう。「この写真で壊されている建物は、1700年前後に建てられたダライラマ法王の宮殿の一部」「3年間、ただ壊されていくのを見ているのはつらかった」。
 1996年、アンドレさんらは、チベットに関心のある有志を募り、古い町並みの修復と保存を目的とする「チベット・ヘリテージ・ファンド(THF)」を組織化したそうです。この行動力はすごいよ。なんたって相手は中国、場所はチベットだもん。
 「1996年、THFはラサ市政府と5年間の協定締結に成功しました。モデル保存地区を設定し、(1)その中の古い建物は壊さないこと。(2)建物を修復する費用は100%THFが出資すること。(3)ラサ市政府もプロジェクトに参加して、残すべき建物にサインボード(重点歴史文物、と書いてあった)を掛けること――の3点を約束しました」
 政府職人ではなく、民間の技術者を募って修復チームをつくり、居住する住民も参加する形で、建物修復保存プロジェクトを立ち上げたのだそうです。(すごい!)
 モデルケースの実現例として、パルコル内にあった元貴族の住宅「Rongda House」の修復と、やはりパルコル内で9世紀から歴史のある寺院「Meru Nyingpa」の修復活動を報告。いま使われている建材のうち再利用可能なものは再利用し、それ以外も伝統的な建材(土、木、石など)を使い、オリジナルな形を守りながら、トイレなど上下水道を整備する形で、現在の都市機能に合わせ改修したとのことでした。
 Meru Nyingpaはネチュンに属し、1959年にネチュンがダライラマ法王とともに亡命して以降メンテナンスされていなかったそうです。寺院自体も、主がいなくなったため、中国政府が数世帯の住居として割り当て、民間人が住んでいたとのことでした(1990年当時のサムイェも境内に民家がたくさんありました。「人民公社でここに来た」と言ってた。11年後に再訪したら、寺院の再建はある程度進んでいて、民間人は追い出されたらしくどっかにいなくなってましたが…)。
 チベット寺院の特徴である壁の赤い装飾「ペンデ」のため、伝統的な塗料を作ってる様子も紹介。大きな鍋を火にかけて何かをぐつぐつ煮込んでいました(怪し~^^)。ふつう塗料として使われる発色材料のほかに、「ミルク」「バター」「ブラウンシュガー」などを入れるのが伝統的な製法、と話していました(そんなもんを混ぜて壁に塗って平気とは、さすが高地の乾燥気候、さすが紫外線の殺菌効果だ)。
 このほか面白かったのは、チベットの伝統的な屋根の防水工事「アルガ」。
 カルシウムを含む石材を山から運び下ろし、細かい破片にしてつき固め、最後に油を塗って、チベット独特の平屋根を雨風から守り、雨漏りを防ぐのだそうです。完成した後は舗装したようにつるつるになるとか。ジョカンやポタラの屋上でよくみかける、丸い長い棒を持った女性たちがたくさん列を作り、歌を歌って調子を合わせながら前後に足踏みしている光景、アレです。よく見かける光景ということは、1回「アルガ」をしたら数年ほっといていい、という性質の防水加工ではなく、ひんぱんに歌を歌って屋根を固めて、建物を大切に守り続けていく、という工事なんだろうなあ。
 ラサ市内での事業は成功し、2000年までにTHFのプロジェクト関係者や協力者は約300人に。参加メンバーも、ドイツ、オランダ、イギリス、香港、チベット、そして日本人と、各国からの協力者を迎えたものに広がったとのことでした。
 しかし2000年、5年間の協定が期限を迎えたのを機に、ラサ市政府からは「十分にやった」と契約更新を断られます。協定の期限が切れたラサ旧市街は、再び古い建物が取り壊され、コンクリートのビルが建てられはじめたそうです。アンドレさんは、2002年夏に撮影したラサ旧市街の写真を示しました。ジョカンの一部が取り壊され、集合住宅の建設が始まっていました。THFDSCN2782 「中国の民間の建設業者が作っている、ただセメントを流し込んだだけの、集中暖房設備もない、壁の薄い質の悪い建物。利益主義で、儲けを出すために建設費を安く上げようとする結果、こういうものばかり作られる。これではチベットの冬の寒さにも適さないし、地震が来れば倒壊するだろう」とアンドレさんは悔しそうでした。
 講演ではアンドレさんも平子さんもあまり(あえて?)詳しく触れていませんでしたが、翌2001年、THFはチベット自治区内での活動に政府からストップがかかり、それまでラサ市内に置いていた事務所の立ち退き、メンバーの自治区外退去を命じられたのでした。最後の質疑応答で、「活動の成功例を見せてもらいましたが、失敗したケースはありますか」という質問に、アンドレさんは「……ラサの旧市街が壊されるのを防ぐことができませんでした」と応えていました。
 ……とまぁ濃い話が続くんですがこれで講演内容のまだ半分以下!
 全部書ききれないので後ははしょりますが▽アムド地方の寺院再建▽青海省南部カム地域でのチョルテン(仏塔)修復▽モンゴルのゴビ砂漠地方の寺院修復再現▽北インドのラダックの都市レーの町並み保全▽ラダックのアルチ僧院の修復――など、チベット文化圏の広い地域に活動を広げ、技術を提供している報告がありました。

THFDSCN2786  質疑応答では上記のほか「チベット自治区内の活動について、中国政府との交渉はどのように成功させたのか。今は認められていないのではないか」「旅行者のほうがフットワーク軽くあちこちに行くので『この建物はもうすぐ壊されるらしい』などの情報を入手しやすい面がある。そういう情報はTHFに提供したほうがいいのか」「チベットの伝統的建築は現代的な生活にも対応できるものか」「ジョカンの建築の内部調査はかなり貴重なものだと思うが記録は公表しているか」――などの質問や意見が交わされました。(質疑応答の詳しいやり取りは「ちべ者」さんで

THFDSCN2787 (参加者もゲストも立ち働いてのお片付け。お疲れ様でした→)
 終了後は飲み物とお菓子で軽い交流会。その後、少人数で和食風居酒屋へ(役得。ありがとうございました)。じっくり突っ込んだ話……をするには私の英語が壊滅的で(号泣)。聞きたいことあるのにどう言ったらいいか分からない、とか、質問に熱い答えを返してくれてるのによく意味が飲み込めないとか、ああもうほんと情けない。

 ひとり考えていたことは、ピンピンさんアンドレさんたちが考え、やろうとしていることは、日本のあちこちで今盛んに唱えられている地域活性化や町並み保存と、決して無縁ではないしかけ離れたものではないんだろうな、ということでした。
 群馬県がやってる近代化遺産の保存活用(「世界遺産にする」とか言っちゃってるし)は民間からの動きじゃなくて行政主導型だけど、イギリスから学識者連れてきて県庁で講演会開くとか、「外国人もスバラシイと言ってる!」てのがハクづけに利用されてる例。逆に、詳しくは知らないけど広島県福山市の鞆の浦地区は、架橋工事をめぐって景観保全活動が起き、住民団体がアメリカの世界文化遺産財団に働きかける形で「ワールド・モニュメント・ウォッチ」の指定を受けました。こっちは、外国人からの価値付けを得て行政に影響を与えようという民間の活動のケース。いずれにせよ「外国人が高く評価してるんだ」っていうのは一定の圧力になりうると日本でも思われているわけで、チベットでも中国政府を動かすための力になりえたのかな、など思ったり、……一方で、日本での景観保全活動や地域運動を思うに、利害関係やしがらみのある地元住民を巻き込んだ形での地域活動の難しさはチベットでも同じなのだろうか、とか。
 なーんてことはとてもじゃないが話せないまま、漠然とあれこれ考えて楽しい一夜になりました。もっと精進しようと思います。ありがとうございました。

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2006.03.16

ピースマーチ2006報告

 チベットピースマーチ2006開催レポートをやっとのことで(^^;)まとめました。
 TSNJのWebサイト上にレポートしてみました

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2006.03.10

The Tibetan National Uprising Day

 1959年3月10日のチベット民族蜂起から47年目を迎えました。
 (関係ありませんが、ちべログ開設2周年でもあります)
 個人的には明日11日のピースマーチの準備でいっぱいいっぱい。準備といっても、当日配布する案内の版下をつくり、ゲストに出欠の確認を入れ、宅配業者に集荷の予約を入れ、打ち上げ会場に人数の変更を伝え、メールに返信し、植木鉢に水をやり……と、なんか雑多なあれこれ(それを裏方とゆうんですが)。救いの神のように現れて声明文製作を引き受けてくださった方もいて大感謝。
 発表されたギャワ・リンポチェのステートメントも、私に言ってるように聞こえるよ…。(←疲れています)日本語訳はこちら
 そんなところに届いた、ダラムサラからの便り。

2006_03080004  ダラムサラでは47年めのTibetan National Uprising Day。
 朝、ナムギャル寺でダライラマ法王の話を聞いてから、ダウン・ダラムサラまでデモ行進。時々、小雨の降る曇天でした。
 最も熱いのは、新しく亡命してきてダラムサラ近郊のT.C.Vスジャ校で学んでいる年長の学生たちでした。声をからして、チベットの独立、ダライラマ法王の長寿を叫んでいました。(彼らが準備して、5種類くらいのシュプレヒコールが紙にコピーされて配られていました。)2006_03080007
 ダライラマ法王の声明文はヒンディー語、チベット語、英語の3種類に印刷されて配られ、他にも亡命政府からIntroduction to the Middle-Way Policy and its Historyという小冊子が配布されました。
2006_03080022  4キロの山道、杖をついてのお年寄りの姿も目立ちました。鉢巻して、杖ついて歩くおばあさん達の姿、その思いをつないで行きたいと思います。
 日本ではチベット人やチベット好きな日本人の交流の機会となって、チベットに関する新鮮な記憶になればいいですね。

 ほんとにそうですよね。
 ありがとう。どうもありがとう。
 明日のマーチがいいものになりますよう。ほんとうにささやかなことしかできないけど、力を尽くします。(実際は、せっかくマジュヌカティラで入手した5個セットお供え水入れが見つからなくて、ぎゃーーーーっとか焦ってたりするんだけど^^;;;;;)

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