アムドのラブラン・タシキル(ラブラン寺院)はカンロ(Kanlho/甘南:中国の区分では甘粛省南部)地域の中心的な大僧院で、蘭州など中国の都市からのアクセスもよい観光名所でもあります。クンブム(タール寺院)と並んで1980年代後半から当局による商業観光地化がいち早く進み、今となっては胸の痛む情景を見ることも多い場所ですが、この8月、その地からのニュースがいくつかありました。
チベット本土から伝わってくる話は、断片的だったり時系列も前後していたりすることが多く、時として、注意深く小さな情報をつなぎあわせる(マニアックともいう)作業が必要となります。同時期、8月15日にカムのタウで若い僧侶が焼身自殺をする悲劇があり、タウで何が起きているかの情報も整理したいのですが、個人的に思い入れある場所でもあり、先に可能な範囲でラブラン・タシキル関連をざっくりと追いかけておこうと思います。
まずは「中国当局はものごとをこのように見せたがっている」ということを示す、8月22日付の新華社記事を。
パンチェン・ラマって2人いてね、という前提は省略、これは中国当局発の記事なので登場するパンチェン・ラマはもちろんチベット人言うところのギャ・パンチェン(中国のパンチェン)。区別するため地の文ではギャパンチェンと書き分けてみます。ちなみに「加班禅」と中国語表記した場合の「加(ジィア)」は中国語で「ニセ物」の意「假(ジィア)」の掛詞ともとれますが、ここでは単にチベット語をカタカナ表記しています。
記事は長いうえに政治的言い回しが散見されてて血の気の多い人は最後まで読めないかもしれないので、注釈を訳末ではなく途中に挟んでみました。却って読みずらいという人には申し訳なく。
班禅额尔德尼·确吉杰布到甘肃参观学习并举行佛事活动(パンチェン・エルデニ・ギェルツェン・ノルブが甘粛で視察と仏教法事)
新華社電2011年8月22日
http://news.xinhuanet.com/politics/2011-08/22/c_121894067.htm
【蘭州8月22日王衛記者】 8月9日から21日まで、パンチェン・エルデニ・ギェルツェン・ノルブは甘粛省蘭州市および甘南州で視察と仏教祭事を行った。これは2003年以来パンチェンの2回目の甘粛訪問である。日程のなかで、パンチェンは仏教学の深い造詣と愛国愛教の心情をつまびらかにし、ありとあらゆる僧侶俗人の熱烈な歓迎と心からの尊敬を受けた。
まあ、「新華社が記事にしたこと」=「中国当局が『これが事実だ』ということにしたい主張」はこのリードに尽きるわけですが。「パンチェンは仏教に詳しいよ」「愛国愛教の心情があるよ」「ありとあらゆる人が尊敬してるよ」この3点。ここ重要です。
「愛国愛教」は中国当局の政治キャンペーンの一つで、意味は「国家を愛し、宗教を愛する」=「中華人民共和国に忠誠を誓うことと、仏教に帰依する信仰心を両立させるべきだ」というもの……というのはもちろん建前で、実態は、「国家への忠誠心が阻まれるような宗教信仰はケシカラン」(→活動制限の口実へ)、「国家への忠誠心は宗教信仰よりも優先される」(→活動停止の口実へ)、というものです。
愛国愛教という耳ざわりのよい語句を借りた宗教抑圧は、チベット仏教に対してよりも、ムスリムやキリスト教徒に対してより早期から、より強力に、行われています。
蘭州で、パンチェンは中国石油蘭州石油化学会社及び中国科学院近代物理研究所、西北民族大学楡中キャンパスを視察し、解説に真剣に耳を傾け、時に詳しく質問した。彼は、学校がますます発展し、社会に役立つ人材をより一層育成していることを祝った。また、甘粛省仏教協会のある文殊院では仏教法事を催した。
11日から20日まで、パンチェンは、(甘南州)サンチュのラブラン寺院やクツェ寺、ルチュの新シツァン寺、モリ寺、ツォエのツォエ寺などのチベット仏教寺院を相次いで訪問、法要や法話、祝福を与える儀式を執り行った。各地からの群集が次々に押し寄せ、手にカターを捧げ持ったり、「ルンタ」を撒いたり、「サンを焚きあげ」るなど、チベットの民族色豊かな一連の儀礼で熱烈に歓迎した。各寺院も一様に、最上級の宗教儀礼でパンチェン訪問を受け入れた。
ラブラン寺院では、グンタン・ツァン、デワ・ツァン・ナンチェンと面会し、医学院や印経院(経典製版所)のための開眼供養を行い、顕教学堂で論じられていた仏教学弁論試験を観覧し、本堂で僧侶のため読経した。サンチュでは、パンチェンは彼の経師(経文に詳しい高僧)ジャムヤン・ギャツォを訪問し、パンチェン10世の母親及び高齢の高僧代表やラブラン寺院代表と会見した。カンロでの10日間の間に、パンチェンは延べ5万人の僧侶と俗人の頭をなでて祝福を与えた。
どうでもいいような施設名や企業名からやけに細かい寺院名、さらにはトゥルクや高僧の名前をずらずらと並べているのは、私みたいなマニアックなチベット好きの興味に応えるため……ではなく、誰と誰と誰がギャパンチェンに支持を表明したよ、という、圧力というか言質ですね。あーこわ。日本の新聞記事ならこんなとこはばっさり削られ「具体的情景描写をワンシーンと関係者コメント追加!」だろうなと思うと、これはやはり「記事」ではなく、「中国当局にとって『これが事実なのだ』という主張」、だと分かりやすいかもしれません。(え、分かりにくい?)
感慨深いのはグンタン・ツァン・リンポチェでしょうか。2000年に亡くなった(殺されたと信じるチベット人も多い)先代のリンポチェについてはこちら(チベット・インフォメーション・ネットワーク)。今回ギャパンチェンが会見した7世についてはこちら(チベット式2005年8月)。
それを思うと、切れ者でやり手と名高いラブラン寺主ジャムヤン・シェパ(ジャムヤン・リンポチェ)の名前が出ないのが気になるところ……。(「ラブラン寺院代表」とだけ言及されているのは、ジャムヤン・シェパが出てこなかったから……?)
カンロ(甘南州)の宗教関係代表者との会談で、パンチェンは「8年の時を経て再度カンロに来たことで、宗教を信仰する幅広い一般民衆が充分に宗教信仰の自由を享受していることを感じた。これは共産党と国家の配慮(による恩恵)と切り離せないものであり、チベット仏教界の人たちは、法律を学び、理解し、守り、「愛国愛教、護国利民(国家愛と宗教愛は国家を護り国民を利する)」の求めに照らして、祖国の統一と民族の団結を維持し、絶えず仏教修行を続け、求めにかなう一僧侶として、更に信徒民衆に仕え、チベット仏教と社会主義社会をマッチングさせる努力をしてほしい」と述べた。彼はまた、「歴代パンチェンラマを手本として、代々の愛国愛教の栄えある伝統を継承し、仏教を中心とする各方面の知識を更に一歩深め、祖国繁栄と仏法隆盛のために貢献したい」と表明した。
ルチュで、パンチェンは「遊牧民定住プロジェクト」定住居を見学。全員が広く明るい新築住居に住み始めているのを見たパンチェンは喜び、「共産党と政府は民族地域の発展に十分に関心をもっており、特に農牧民の生活に十分な注意を払っている。あなた方がまじめに生産力を向上させ、一刻も早くまずまず豊かな生活水準に至るよう願っている」と話した。ツォエで、パンチェンは甘粛民族師範学院を参観し、チベット、回、漢などの民族の特別困窮世帯や生活保護世帯に寄付した。
甘粛省の陸浩・共産党委員会書記、劉偉平・甘粛省長がパンチェンに面会し、彼に甘粛省の経済や社会の発展状況を紹介した。
ギャパンチェンの言葉はすべて「中国当局が彼にこう言わせたい内容」であると考えると、非常に分かりやすいです。パンチェン・ラマ10世の業績についても巧妙にすり替えられていることが分かります。そもそも「歴代パンチェンラマを手本に共産党の愛国愛教の伝統を継承」するって(爆笑)、作文した新華社の王衛さんはいったいパンチェン何世の時代から中国共産党政府があったと思っているのか小一時間(略)。本当に「先代パンチェンを手本に」したらと思うといろいろ考えちゃって胸が詰まります。
上記記事のTVニュースの動画はこちら。
ちなみに、現地に何度も行ってる人は、動画を見て、「ショボい」と一言。
「本当のリンポチェが来たときのチベット人の盛り上がりったらこんなもんじゃないよ、押すな押すなの人込みをかき分けながら進むってなもんよ。ラブランの冬の大タンカ開帳より人が少ないんじゃない?」「い…一応、途切れず人の列が続いてるじゃん?」「人垣の厚みがぜんっぜん違うって!」
というわけで、いくら「ありとあらゆる僧俗民衆が熱烈な歓迎」と文章表現を盛ってみても、映像はシビアだね……という結論ではあるのですが。
さて、ギャパンチェンのラブラン寺院訪問がどんな状況下で行われたかは、新華社の記事が出る10日前のBBC記事からも類推できます。
班禅到访前外国人被令离开夏河(パンチェン訪問を前に外国人がサンチュを追い出される)
BBC中国語2011年8月12日
中国当局は目下、中国甘粛省西南部のサンチュ(夏河県)に外国人観光客が立ち入ることを禁じている。信頼できる筋によると、中国当局が選定したチベット仏教指導者パンチェン・ラマが近く現地を訪問するとみられる。
ロンドンにあるチベット人権組織が8月11日発表した声明によると、パンチェン・ラマが数日中にサンチュ(夏河県)を訪問する見込みとなり、中国当局は現在、外国人に現地を出ていくよう求めている。
AP通信によると、夏河県旅行局の李職員は、彼らは既に、(入域)禁止令が通達される前に夏河県に入った外国人に対し、当地を離れるよう通知したと話したという。AP通信はさらに、同県内のあるホテル従業員の話として、県公安局と旅行局から既に外国人を受け入れてはならないという通知を受け取っている、と伝えている。
ロイター通信の記者が現地の多くのホテルに電話取材したところ、パンチェン・ラマがまもなく現地を訪問することと、当局が外国人に出ていくよう要求している情報は事実だと判明した。
夏河県はチベット人が主な住民の地域で、また、チベット仏教ゲルク派の著名寺院ラブラン寺院がある。これまで夏河県では2008年3月にチベット人の騒ぎがあり、ダライ・ラマ14世を支持する仏教僧侶や他のチベット人が抗議デモを行い、警察や軍隊と対峙した。
パンチェン・ラマはチベット仏教第2位の人物で、ダライ・ラマに次ぐ地位になぞらえられる。夏河訪問を予定しているパンチェン・ラマは、1995年に中国側が選定したほうである。ダライ・ラマは当時、別の男児をパンチェン・ラマとして選んでおり、多くのチベット人が中国当局の選んだほうのパンチェン・ラマの地位を認めていない。
原文リンク= http://www.bbc.co.uk/zhongwen/simp/chinese_news/2011/08/110812_xiahe_panchen_visit.shtml
「目撃者」たる外国人をすべて追い出さなければ安心して(?)実施できないギャパンチェン訪問とはいったい。今年は自治区でも「17条協定60年」(チベット平和解放60年)の記念式典だという理由で、外国人観光客は1カ月にわたって締め出されていました。
以下はよた話として聞いてください。こんな話もあったらしいよ、という程度の噂話です。
別の人によると、「2003年(の初訪問時)はもっとアレだった」んだそうな。
「当局が無料バスを仕立てて、近隣の住民を無料でというか無理やりバスに乗せてラブラン寺院に向かわせるんだけど、皆イヤイヤだから、手前のツォエあたりで『ちょっと用事が』なんて言い訳して降りちゃう。それで結局、全然人が集まらなかった」。
つまり8年を経ての今回、中国当局は、是が非でも「チベット人民に広く受け入れられ、敬愛される、若く人望溢れるパンチェン・ラマ」を演出しなければいけなかったのだと思われるのです。なんせ中国仏教協会副会長。肩書きならチベット仏教どころか中国仏教界のナンバー2にまつりあげているんですし。
そこでどんなことが繰り広げられたかというと、また別の人の話。
集落全戸の、家族全員の名簿を手にした住民委員会(共産党の下部組織)が1軒1軒を回り、誰と誰がギャパンチェンの祝福に行ったか、自宅に残っている者はいないか、名前をチェックしての強制動員。片田舎の、どこの家が何人家族かも村じゅうすべて筒抜け顔見知りの小さな集落まで、1人1人名簿チェックされて、有無を言わさず連れ出された、という話。休暇で遠くの学校の寄宿舎から戻ってきた、とか、具合の悪い家族を見舞いに来た、とかの事情もいっさい無視で「とにかく全員行け」だったと。特に厳しいのは僧侶で、1人も欠けることは許されない勢いだったと。地元のチベット人たちは、「お坊さんはお坊さんだよねえ」「パンチェンじゃないけどねえ」と言い合って、カタを準備して、敬意を表しに行った、んだという話。
以下蛇足。
さて、そうすると、「8年ぶりに再訪して、民衆が宗教信仰の自由を充分に享受していることを感じた」というギャパンチェン君のコメントったらブラックジョーク過ぎて凄すぎます。
つまり、8年前に比べたら遥かにたくさんの人たちが、行く先々に駆けつけて出迎え、カタを捧げてくれたことがありありと感じられたからこそ、「8年前より宗教信仰の自由度が高まった」というニュアンスの言い回しになったんでしょう。そこまで言わせるなんて、8年前って、よっぽど、子供心が傷つくくらい、人が来てくれなかったんだろうな……ううっ。
とはいえ、トゥルク英才教育の対象の最終候補に選ばれるくらいではあるんだから、ギャパンチェン君自身、相当の切れ者のはず。きちんと仏教を修めていれば、祝福を受けにくる人たちが、強制的に動員されて来ているのか、自ら喜んで駆けつけてきたのかなんて一目で見抜けてしまうと思うのです。(というかその、素人目で動画みたってゴニョゴニョだしさ…)
であればこそ“宗教の自由”なんて敏感用語は胸の内にしまってスルーしておけばよさそうなものを、敢えてひとこと言いたくなって、『宗教の自由を享受している(ようにうわべだけをとりつくろう政治力が行使されている)状況を感じましたが?』というメッセージを含めてるんだったら……怖ぇええ。記事中の彼の発言の中で、8年ぶり再訪の感想のくだりだけが、彼自身の言葉っぽいんだよね。その他は当局の公式見解を一字一句なぞってるだけだし。
ギャパンチェン(ギャナク・パンチェン)がナクポ・パンチェン(黒パンチェン)になる日が来るのかも……?(なんか分かりにくいダジャレ書いたごめんなさい)
閑話休題、ラブランで何が起こっていたかの本題は、冗談にできない話になってくるので記事を分けて「下」に続きます。
(以下、資料保存のための原文コピーペースト)
班禅额尔德尼-确吉杰布到甘肃参观学习并举行佛事活动
2011-8-22 16:55:56
新华网兰州8月22日电(记者王衡)8月9日至21日,班禅额尔德尼·确吉杰布到甘肃省兰州市和甘南藏族自治州参观学习并举行佛事活动。这是自2003年以来班禅第二次到访甘肃。一路上,班禅展现出的高深佛学造诣和爱国爱教情怀,受到广大僧俗群众热烈欢迎和由衷爱戴。
在兰州,班禅前往中石油兰州石化公司、中科院近代物理研究所和西北民族大学榆中校区参观学习,认真倾听讲解,不时询问有关情况。他祝福学校越办越好,为社会培养更多人才。并到甘肃省佛教协会所在地文殊院举行佛事活动。
11日到20日,班禅先后在甘南藏族自治州夏河县拉卜楞寺和科才寺、碌曲县西仓新寺和毛日寺、合作市合作寺等藏传佛教寺庙讲经说法、摸顶赐福、祈福祝愿,各地群众纷纷赶来,以手捧哈达、抛撒“龙达”、“煨桑”等一系列富有藏族特色的仪式热烈欢迎。各寺庙均以最隆重的宗教礼仪迎接班禅的到来。
在拉卜楞寺,班禅走访了贡唐仓、德哇仓囊欠,为医学院、印经院等开光,观看闻思学院辩经考试,并在大经堂为僧人讲经。在夏河县,班禅看望他的经师加羊加措,会见十世班禅母亲代表以及年老喇嘛和拉卜楞寺的代表。在甘南藏族自治州的10天里,班禅共为5万多名僧俗群众摸顶赐福。
在与甘南藏族自治州宗教界代表人士座谈时,班禅说,时隔8年再次来到甘南,感到广大信教群众充分享有宗教信仰自由,这些都离不开党和国家的关怀,希望藏传佛教界人士要学法、懂法、守法,按照“爱国爱教、护国利民”的要求,维护祖国统一和民族团结,不断提高佛法修行,做一名合格的僧人,更好地服务信教群众,努力使藏传佛教与社会主义社会相适应。他表示将以历代班禅大师为榜样,继承他们爱国爱教的光荣传统,进一步学好以佛学为主的各方面知识,为祖国繁荣、佛法昌隆作出贡献。
在碌曲县,班禅考察了游牧民定居工程定居点。看到大家住进了宽敞明亮的新居,班禅高兴地说:“党和政府十分关心民族地区的发展,特别是对农牧民的生活十分关心。希望你们认真搞好生产,尽快致富奔小康。”在合作市,班禅参观了甘肃民族师范学院,并向藏、回、汉等族特困户和五保户捐款。
甘肃省委书记陆浩、省长刘伟平看望了班禅,并向他介绍了甘肃经济社会发展情况。
班禅到访前外国人被令离开夏河
更新时间 2011年8月12日, 格林尼治标准时间10:18
中国当局目前禁止外国游客进入位于中国甘肃省西南部的夏河县,据信由当局选定的藏传佛教领袖班禅喇嘛将到那里访问。
在伦敦的一个西藏人权活动组织星期四(8月11日)发表声明说,班禅喇嘛将在未来几天访问夏河,当局正在要求外国人离开。
美联社援引夏河县旅游局一位李姓官员的话说,他们已通知在禁令下达之前来到夏河县的外国人离开这里。
美联社还引述夏河县一家酒店工作人员的话说,他们接到县公安局和旅游局的通知,不能接待外国客人。
拉卜楞寺
路透社记者也打电话给当地的多家酒店,证实了班禅喇嘛即将到访和当局要求外国人离开的消息。
甘肃省夏河县是一个以藏民为主的地区,也是著名的藏传佛教格鲁派寺院拉卜楞寺的所在地。
夏河县曾在2008年3月发生藏民骚乱事件,忠于达赖喇嘛的佛教僧侣和其他藏民举行示威,同警察和军队发生对峙。
班禅喇嘛是藏传佛教的第二号人物,仅列达赖喇嘛之后。即将前往夏河访问的班禅喇嘛由中国方面在1995年选定。
由于达赖喇嘛当时选择另一个男孩作为新的班禅喇嘛,许多藏民不承认中国当局选定的这位班禅喇嘛的地位。
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