2012.01.04

チベットで「中国共産党指導者の肖像画を飾らせようキャンペーン」

唯色 @degewa
恶心!——人民网:[西藏]山南地区举行送领袖画像进村入户活动 http://tv.people.com.cn/GB/150716/162495/162497/16222598.html
3:46 AM - 3 1月 12 webから
https://twitter.com/#!/degewa/status/153909948001165312

訳)ツェリン・ウーセル「吐き気がする!」 人民ネット:[チベット]ロカ地区で『指導者肖像画を村々の一戸一戸へ贈呈キャンペーン』実施

 映像は15秒ほどの短いニュース(中国語)ですが「1000人に肖像画を贈呈」「社会安定に貢献する」みたいな感じの内容。
 ちなみに描かれている4人は、右上が毛沢東(説明不要、1959年の法王亡命時の中国トップ、左上が鄧小平(文革終了後の1980年から中国の実権を握り1994年ごろまで君臨、97年死亡)、右下が江沢民(鄧小平後の1993~2003年の国家主席)、左下が胡錦濤(現トップ、但し今年の全人代で交代予定)。

Ainqd1cqaerual 唯色 @degewa
西藏自治区在新书记陈全国的领导下,迎来了文化大革命正式、隆重地卷土重来—人民网:[西藏]山南地区举行送领袖画像进村入户活动
2012年1月3日 - 13:25 webから

訳)ツェリン・ウーセル
(人民日報ネット版「チベット:ロカ地区で『中国共産党首脳肖像画を村々の一軒一軒に贈って浸透させるキャンペーン』実施」の映像ニュースへのリンクに)
「チベット自治区は新しい自治区書記陳全国の指導の下、正式かつ厳かに文化大革命の捲土重来を迎えている…」

唯色 @degewa
话说有关“送领袖画像进村入户”的事情,俺原本是没去关注滴,昨晚在人人网上看到年轻的藏人大学生们嘲讽此事,才毅然决然去关注了,想不到离开才两个多月的拉萨,已然是文化大革命“进村入户”且“进寺庙”了。。。
2012年1月3日 - 13:56 webから

訳)ツェリン・ウーセル
「この『指導者肖像画の村々戸々贈呈キャンペーン』についていえば、私はこれまでそれほど関心を払っていなかった。昨夜(※1/2夜を指す)人人ネットで若いチベット人大学生たちがこれを皮肉っているのを見かけて、ようやく意を決して関連ニュースを探して、思ってもいなかった現実は、わずか2カ月強前に離れたばかりのラサで、既にこれほどまで文化大革命が“村の一戸一戸まで浸透”し、“寺院に浸透”していたとは……」


Ainrfvqcaaagcug 共産党機関紙の記事は読んでるとくらくらしますが、とりあえず参考までに記事を一つ訳しておきます。要約すると、「蒙昧なチベット農業牧畜民に写真を飾らせ共産党への恩を常に感じるようにしますよ」ということ…かな? 毛沢東・周恩来の肖像画は、小中学校などではこれまでも非常によく見かけるものでした(義務かどうかは知りませんが、「共産党にはむかっていません」という一定の白旗表示になっている)が、今回、4人の肖像画を掲げさせる対象が、学校や病院などの公共施設のみならず、寺院や祠にも、という話も漏れ聞こえてきていて(軽く検索しましたが掲示する場所を解説している記事はありませんでした)、そうなると反発は必至ではないかと心配です。


山南地区(ロカ地区)で中国共産党指導者の肖像画を村々一軒一軒浸透キャンペーンイベント
山南ネット2011年11月03日
記者プルブ・ワンチュク、インターン記者万李 
 11月3日、我々の地方では、『中国共産党指導者の肖像画を描いて村々の一軒一軒に贈って浸透させるキャンペーン』イベントが開かれた。地区党委員会書記、人民代表大会の地区工作委員会主任チメ・リンチェン、地区委員会副書記の肖伝江、地区委員会委員で党紀律検査委員会書記の宗蓮、地区委員会委員で事務総長の王寿平が出席した。地区委員会副書記の華学健は談話を述べた。地区委員会委員で地方行政機構副専門員の張健は司会進行を行った。
20111103155501133725 (写真:ジグメ・リンチェンら党幹部が現場の民衆のため肖像画を掲げているところ)
 身を切るように冷たい寒風も、農民牧畜民大衆の高まる熱気を妨げることはできず、キャンペーンイベント会場は情熱的な喜びに沸きあがった。
 華学健は「チベット平和解放60年から、毛沢東同志、鄧小平同志、江沢民同志をもって中核的な党中央の三世代指導者グループである。胡錦涛同志は党総書記として党中央にあり、チベットの発展と安定に対して、またチベットの各民族の幹部と民衆の生活向上に極めて大きな配慮と支援に寄与した」と指摘した。共産党指導者の肖像画を描いて村戸に浸透させるキャンぺーンは、自治区党委員会および政府にとって、チベットの自治区情勢の特徴と各民族の幹部民衆の強烈な要求に基づいて策定した、一つの重要な身の振る舞いであり、愛国主義精神をさらに一歩高めることができるだけでなく、社会主義精神文明建設を強力に促進することでもあり、幅広い農業牧畜民の政治的自覚を適切に高めさせ、さらには、農牧業地域の思想文化および基盤の設立を必ずや強力に推進することになり、祖国統一と民族団結と社会安定の護持に寄与するものである。
 華学健は、中国共産党指導者の肖像画を村戸に贈り浸透させるキャンペーンは祝賀イベントの重要な内容であり、同時に重要な政治的任務の一つであり、各階級の党と政府は適切に肖像画を受け取り保管し受け渡す作業を、仔細に、確実に、しっかりと行うよう求めた。健康的・文明的・向上的思想は、農業牧畜地域の思想文化基盤を堅牢に占拠するよう努めねばならず、愛国的で、恩を感じ、勤勉で、団結し、開放的で、革新的な「山南精神」を強力に発揚させ、幹部と民衆に永遠に共産党への恩を銘記するよう教育指導し、この上ない非常によい情勢と貴重なチャンスを大切にし、大慶の祝賀イベントがかきたてる情熱を、飛躍的発展と長期安定の強大な動力を推進する力に転嫁させ、より一層自覚的に、共につくり共に享受する和諧社会を維持し、徹頭徹尾共産党の導く方向に向かって奮闘全身し、ヤルルンの大地で絶えず1人1人が奇跡を生み出すよう極力努め、1曲1曲の華やかな楽章を「諧」し続ける。
[編集:梁秋]

山南地区举行送领袖画像进村入户活动仪式
http://www.xzsnw.com/Info.aspx?ModelId=1&Id=41936
  来源:山南网  时间:2011年11月03日   作者:记者普布旺堆见习记者万李 
  11月3日,我地举行送领袖画像进村入户活动仪式。地委书记、人大地区工委主任其美仁增,地委副书记肖传江,地委委员、纪委书记党宗莲,地委委员、秘书长王寿平出席;地委副书记华学健讲话;地委委员、行署副专员张健主持。图为其美仁增等领导为现场群众发放领袖画像。

  凛冽的寒风阻挡不了农牧民群众高涨的热情,活动现场一片欢腾与热情。

  华学健指出,西藏和平解放60年来,以毛泽东同志、邓小平同志、江泽民同志为核心的党的三代中央领导集体和以胡锦涛同志为总书记的党中央,对西藏的发展和稳定,对西藏各族干部群众生活的提高给予了极大的关怀和帮助。送领袖画像进村入户活动,是自治区党委、政府根据西藏的区情特点和各族干部群众的强烈要求而采取的一项重要举措,不仅可以进一步弘扬爱国主义精神,极大地促进社会主义精神文明建设,切实提高广大农牧民的政治觉悟,而且必将有力地推动农牧区思想文化及阵地建设,有利于维护祖国统一、民族团结和社会稳定。
 华学健要求,送领袖画像进村入户活动是大庆活动的重要内容,是一项重要的政治任务,各级党政组织要切实把画像的接收保管和发放工作做细、做实、做好,力争用健康、文明、向上的思想牢牢占领农牧区思想文化阵地,大力弘扬爱国、感恩、勤劳、团结、开放、创新的“山南精神”,教育引导干部群众永远铭记党恩,倍加珍惜大好形势和宝贵机遇,把大庆活动激发出来的热情转化为推动跨越式发展和长治久安的强大动力,更加自觉地维护共建共享和谐社会,始终沿着党指引的方向奋勇前进,力争在雅砻大地不断创造一个个人间奇迹,谱写一曲曲华彩乐章。

[编辑:梁秋]

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2011.10.27

[訳]作家らの拘束続く

 ウーセルブログ2011年10月27日付「藏人作家交巴李加被拘捕,藏人教师达瓦被判刑三年」 (前半のみ訳)

 知らせが届き、報道も目にした――10月19日、チベット作家チュパ・ルギェルが蘭州で当局に身柄拘束された。
 チュパ・ルギェルはチベットのアムド(現青海省)ドウィ(循化県/Yadzi)(道幃郷/Dobi)出身、大学は西南民族学院を卒業し、西北民族学院で修士課程を修めた30代。身柄拘束前は甘粛民族出版社に勤務し、チベット語編集者を務めていた。『人性毅力(人間性と意志力)』『遥见根敦群培(ゲンドゥン・チュンペーを遥かに仰いで)』『仁卓研究(レンドゥル研究)』『察佤达纽随笔(ツァワダニ エッセー)』など、影響を与える多くのチベット語書籍を編集・出版した。また同時に、『本我叢書(自我シリーズ)』や、チベット人大学生が主催した雑誌『シャルトゥンリ』の編集も担当したことがある。
 彼はチベット語で文章を綴り、しばしば雑誌やインターネット上に文章を発表していた。
 チュパ・ルギェルが拘束されてから今に至るまで、当局は家族に対して拘束理由や拘留場所を明らかにしていない。

得到消息,也看到报道——10月19日,藏人作家交巴李加在兰州被当局拘捕。

交巴李加是西藏安多(今青海省)循化县道帏乡人,大学毕业于西南民族学院,在西北民族学院获硕士学位,30多岁。被拘捕前就职于甘肃民族出版社,任藏文编辑。编辑、出版多部有影响的藏文书籍,如《人性毅力》、《遥见根敦群培》、《仁卓研究》、《察佤达纽随笔》等。并担任过本我丛书、藏人大学生主办刊物《夏东日》的编辑。

他以藏文写作,经常在刊物和网络上发表文章。

交巴李加被拘捕至今,当局未向其家人交待拘捕理由及关押地点。

(訳注付記)
※「本我叢書」…案内の残る掲示板によるとキャッチコピーは「チベット人現代青年思想家が協力して世に問う作品」。2005年に雲南民族出版社から発行されたチベット語の論文集6冊シリーズで、それぞれ「批判」「懐疑」「真実追求」「人格」「探索」「文化」がテーマだったようだ。発刊の知らせをチュパ・ルギャル本人が書き込んでいて、同じ有名作家で編集者のワンチュク・ツェテンが「チベット語ですか、中国語ですか」と訊ね、チュパ・ルギャルが「チベット語です。目下唯一の(チベット語)思想文化評論シリーズです」と自信たっぷりに回答してたりする。表現者の息遣いを間近に感じて、拘束されて行方不明の現在がなんともやりきれない。

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2011.08.31

[チベット・アムド] 2011年8月ラブランで何が起きているのか(下)

 新華社の記事では、ギャパンチェンの甘粛訪問は「8月9日から21日(うち宗教施設訪問が8月11日~20日)」と示されているだけで、どの寺院を何日に訪れたかという細かい日程は不明です。記事そのものも、現地入りして10日以上も動き回っているにもかかわらず、日程をすべて終えて現地を離れた22日になってようやく配信されています。
 これは要人の政治動向を伝える際に中国当局がとるオーソドックスな手法で、ふーんギャパンチェンて情報操作上は金正日だの胡錦濤並みの扱いなのかへーえ、と参考になるわけですが、とりあえずその、彼が甘南のどっかでなにかやっていた8月19日前後、ラブランエリアでは、相次いでチベット人が姿を消しました。

 [チベットNOW@ルンタ] 2008年に拷問証言のビデオを制作した僧ジグメ・ギャンツォ、再び拘束される(2011年8月24日)
 [チベットNOW@ルンタ] 続報:拘束されたラプラン僧院僧侶ジグメ・ギャンツォ(2011年8月25日)
 翻訳元→TCHRD(チベット人権民主センター)More Details of Monk Jigme Guri’s Arrest
 翻訳元→Free Tibet: Guri Jigme detained

 中国語で出てる情報から「チベットNOW」既出以外の情報を補足……と思ったんですが見当たらなかったので、拘束前後の状況を少し再掲します。まず「FreeTibet」(本部ロンドン)のリリースから抜粋。

ジグメはラブラン寺院から72km離れたツォエ(合作市)のホテル「桃園酒店」で身柄拘束された。
ジグメは、著名なチベット人歌手数人も参加した文化人の晩餐会(a cultural evening party)に招待されていた。ジグメは8月19日にツォエに到着した。
信頼できる筋によると、ジグメは8月20日午後2時から少なくとも21日明け方まで、私服警察十数人と軍人2人によってホテルの自室に閉じ込められていた。21日以降は所在不明。(Free Tibet.org

 TCHRD(チベット人権民主センター)ではこんな経緯。

8月19日に、ジグメはツォエの催し(festival)に、歌手シェルテンのような他の著名なチベット人とともに招かれていた。
催しにジグメが現れないので、弟子2人が師を探しに行った。(19日)午後7時ごろホテルに着くと、大勢の警官がいて、ジグメのいるはずの部屋に2人が立ち入ることは許されなかった。警察官は2人に「ジグメは中にいない」と言ったが、2人は室内から師ジグメの声を聞いた。彼は彼ら双方に「これ以上問題が起きる前にここを離れなさい」と言ったという。またジグメの弟子2人は、部屋の窓越しに、ジグメがベッドに横たわっているのを見たという。(TCHRD

 ここで気になるのは「19日に拘束され、少なくとも21日明け方までホテルに閉じ込められ、その後の消息は不明」という時系列の符合。ギャパンチェンの甘粛滞在は21日まで。ギャパンチェンが甘粛を離れるまで、身柄を押さえたその場で監禁状態に置き、その後……という図が思い浮かんだりします。
 「チベットNOW」24日記事には、「ギャパンチェンの訪問中、ジグメは当局から僧院を離れるよう命じられていた」という記述がありますが、英語・中国語ソースでは発見できずじまいでした。「不服従の英雄」として地元の人望厚い僧侶ジグメの身が懸念されます。

 チベット本土から顔と名前を明らかにして中国当局の拷問の実態を告発したジグメ・ギャンツォ(ジグメ・グリ)を筆頭に、ラブラン・タシキルは、間違っているものは間違っている、とはっきり声を上げる人たちが際立っています。
 2007年末、トゥンドゥプ・ワンチェンに協力して「Jigdrel - LEAVING FEAR BEHIND」を撮影したゴロク・ジグメもラブラン寺院の僧侶でした。2008年3月15日、前日のラサの血の弾圧に抗議して数千人が街頭へ(YouTube)。同4月9日には、当局が徹底的抑圧と思想教育の成功をPRするはずだったプレスツアーで、なお数十人が捨て身でカメラの前に進み出たのです(YouTube)。このうちの数人にはダラムサラでじかに会いました。でも、この映像の中の1人ジャムヤン・ジンパはこの直訴のあと10日間の拷問を受け、3年寝たきりの後、今年4月亡くなりました。

 今回のギャパンチェンのラブラン訪問にどこまでの意味があるのかは分かりません。
 経師ゲシェ・ジャンヤン・ギャツォ(サムチャ・ツァン・リンポチェ、全国政協委員)がラブラン寺院の仏教学院研究所長であり、歴代パンチェン・ラマとラブラン寺院は歴史的にも深いつながりがあります。本来、師と一対一で修行することが重要なチベット仏教の修行階梯のなかで、ラブラン寺院の学堂に入って教えを受ける段階になるはずだったのではないか、とみる人もいました。
 他方、ギャパンチェンをパンチェン・ラマと認めることを拒んだ先代のラブラン座主グンタン・リンポチェの経緯からも、ラブラン寺院にギャパンチェンを受け入れさせること自体が、中国当局のチベット仏教政策の「成功」であり、当局のメンツにかけても「盛大に大成功」しなくてはならないものだった、と推測する人もいました。
 とにかく、強制的「愛国愛教」キャンペーンへの不満や反感、タギェ(夏の馬祭り)の中止や強制など場当たり的命令への反感、その他の火種を抱えたラブランのチベット人たちに、表面上だけ盛大にギャパンチェンを歓迎「させ」、祝福「させ」ることが、党中央の最高命令として、省や地方政府の党委員会や公安局や宗教局に対して、上意下達の強大な圧力でふりかかっていたんではないのかなあ、と想像しています。
 上から「お墨付き」があると、武警や公安などの末端は往々にして暴走します。省の公安局員より県の公安局員、県の公安より「城管」という半官半民の街頭パトロールみたいな都市管理員のほうが荒っぽいしめちゃくちゃやる、という図式があります。

 そして8月29日には、新たにもう一人、若い女性歌手も(20日時点で)行方不明になっていた、という情報が伝わりました。

 [チベットNOW@ルンタ] アムドの有名な女性歌手ラルン・ツォ 拘束(2011年8月29日)

 VOT(ボイス・オブ・チベット中国語)から抜粋します。

 【VOT(ボイス・オブ・チベット)8月27日】チベットのアムド・カンロの若い女性歌手ホルツァン・ラルン・ツォが8月20日、公安に突然身柄を拘束された後、行方不明となっている。
 インド南部デプン寺院の僧侶グンドゥン・プンツォクがVOT記者に明らかにしたところによれば、8月20日、中国共産党の公安がツォエで彼の経師ジグメ・ギャンツォを礼状なしで拘束したほか、チベット人女子学生で若手歌手のホルツァン・ラルン・ツォも拘束している。
 グンドゥン・プンツォクは次のように述べた。「今月20日、ツォエの『雪域歌劇院』で歌舞晩餐会が催され、主催組織は現地でよく知られた歌手を招いた。このうち、招待に応じて晩餐会参加のため来ていた若いチベット人歌手ホルツァン・ラロン・ツォは当日(の昼間)、中国共産党の公安に拘束され、晩会に参加することができなかった」
 拘束されたホルツァン・ラロン・ツォは今年二十数歳、チベットのアムド・カンロ、サンチュの人で、拘束前は成都市のある翻訳センターで実習していた。

 拘束時の詳細な経緯がやはり不明で、更に注意深く続報を待ちたいのですが、彼女の名のホルツァンはラブラン地域サンチュの村(郷)の名前。彼女は「ホルツァン出身のラルン・ツォ」と名乗って歌っていることになります。ふるさとへの深い愛と誇りを感じます。(もう1人同姓同名のラルン・ツォという歌手がいて、わかりやすく区別するために出身地の名前をつけてるって可能性が高いけど)
 それで、前後して同じ場所で同じように拘束されたジグメ・ギャンツォ(ジグメ・グリ)との共通点を考えるに、やはり気になるのは「サンチュの人」という点。サンチュの人が、8月19日に、サンチュを離れてツォエで晩餐会の招待を受けていた、ということが、何かそんなにも公安の逆鱗に触れる、もしくは、「党にそむく行為」の口実にされるようなことでもあったのでしょうか……?


以下資料保存のための記事本文コピー

西藏安多女歌手沃仓拉龙措被拘押
发布者:西藏之声 - 8月28日
西藏安多女歌手沃仓拉龙措被拘押
【西藏之声8月27日报导】西藏安多甘南州青年女歌手沃仓拉龙措于本月20日被中共公安人员突然拘捕后,目前下落不明。
印度南部哲蚌寺僧人更敦平措向本台驻地记者介绍说,本月20日,中共公安在甘南州合作市境内随意拘捕他的经师晋美嘉措之外,还拘押了西藏女学生、青年歌手沃仓拉龙措。
更敦平措表示,(录音)本月20日,在西藏安多甘南州合作市雪域歌剧院中举办了一个歌舞晚会,主办单位邀请当地部分知名歌手参与,但其中受邀参与晚会的西藏青年女歌手沃仓拉龙措在当天被中共公安拘押,未能参与晚会。
这位西藏青年女歌手遭捕后,家人陷入担忧。更敦平措说,(录音)沃仓拉龙措被拘捕后,她的家人非常担心她的处境,并希望她能早日获得释放。
被拘捕的西藏青年女歌手沃仓拉龙措,现年20多岁,是西藏安多甘南州夏河县人,被捕前曾在成都市一家翻译中心实习。
另据西藏流亡政府网站消息,去年4月14日,在西藏康区结古多(玉树)发生强烈地震,导致当地藏人遭到极大的灾难和损失后,中共政府以重建灾区为名,实施着违背藏人意愿的建筑工程,很多土地被当局强行没收或挪用,引发当地藏人的强烈抗议与不满。
消息指出,目前大量汉人已迁移到西藏结古多夏渠库(音译)等地,肆意占用当地藏人的农田,使当地藏人的生活处境陷入困境。此外,这些移民汉人正在发布广告招收种地员工,企图把汉人继续引进藏地,并兴建汉人长期居住区,导致千百年来土生土长的藏人开始失去家园和生活来源。
元リンク:http://www.vot.org/?p=371

【RFA普通話2011年8月29日】另据《西藏之声》星期六报道,甘肃省甘南州青年女歌手沃仓拉龙措于本月20日被公安拘捕,目前下落不明。报道称,甘南州合作市也拘捕了她的经师晋美嘉措。当天他们原计划参加该市雪域歌剧院举办的歌舞晚会。沃仓拉龙措被捕后,她的家人非常担心其处境,并希望能早日获释。20多岁的沃仓拉龙措是夏河县人,曾在成都市一家翻译中心实习。 格桑表示,在官方电视中出现的藏族歌手,均是在官方刻意安排下,唱的都是歌颂共产党的汉文歌曲,但这些歌曲不被多数藏民接受:“在藏族的民众当中并没有市场。反而唱藏族歌曲,有些真正弘扬藏族文化的深受藏族民众欢迎的受到打压。西藏有很多歌手,原来拉萨的歌手康区的或者青海的很多歌手,有些被判了10多年的都有,当局都归类为民族分裂的范畴里面来进行打压。” 以上是自由亚洲电台特约记者乔龙的采访报道
元リンク:http://www.rfa.org/mandarin/yataibaodao/p-08292011093638.html

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2011.08.30

[チベット・アムド] 2011年8月ラブランで何が起きているのか(上)

 アムドのラブラン・タシキル(ラブラン寺院)はカンロ(Kanlho/甘南:中国の区分では甘粛省南部)地域の中心的な大僧院で、蘭州など中国の都市からのアクセスもよい観光名所でもあります。クンブム(タール寺院)と並んで1980年代後半から当局による商業観光地化がいち早く進み、今となっては胸の痛む情景を見ることも多い場所ですが、この8月、その地からのニュースがいくつかありました。460769001  チベット本土から伝わってくる話は、断片的だったり時系列も前後していたりすることが多く、時として、注意深く小さな情報をつなぎあわせる(マニアックともいう)作業が必要となります。同時期、8月15日にカムのタウで若い僧侶が焼身自殺をする悲劇があり、タウで何が起きているかの情報も整理したいのですが、個人的に思い入れある場所でもあり、先に可能な範囲でラブラン・タシキル関連をざっくりと追いかけておこうと思います。


 まずは「中国当局はものごとをこのように見せたがっている」ということを示す、8月22日付の新華社記事を。
 パンチェン・ラマって2人いてね、という前提は省略、これは中国当局発の記事なので登場するパンチェン・ラマはもちろんチベット人言うところのギャ・パンチェン(中国のパンチェン)。区別するため地の文ではギャパンチェンと書き分けてみます。ちなみに「加班禅」と中国語表記した場合の「加(ジィア)」は中国語で「ニセ物」の意「假(ジィア)」の掛詞ともとれますが、ここでは単にチベット語をカタカナ表記しています。
 記事は長いうえに政治的言い回しが散見されてて血の気の多い人は最後まで読めないかもしれないので、注釈を訳末ではなく途中に挟んでみました。却って読みずらいという人には申し訳なく。

班禅额尔德尼·确吉杰布到甘肃参观学习并举行佛事活动(パンチェン・エルデニ・ギェルツェン・ノルブが甘粛で視察と仏教法事)
新華社電2011年8月22日
http://news.xinhuanet.com/politics/2011-08/22/c_121894067.htm
 【蘭州8月22日王衛記者】 8月9日から21日まで、パンチェン・エルデニ・ギェルツェン・ノルブは甘粛省蘭州市および甘南州で視察と仏教祭事を行った。これは2003年以来パンチェンの2回目の甘粛訪問である。日程のなかで、パンチェンは仏教学の深い造詣と愛国愛教の心情をつまびらかにし、ありとあらゆる僧侶俗人の熱烈な歓迎と心からの尊敬を受けた。

 まあ、「新華社が記事にしたこと」=「中国当局が『これが事実だ』ということにしたい主張」はこのリードに尽きるわけですが。「パンチェンは仏教に詳しいよ」「愛国愛教の心情があるよ」「ありとあらゆる人が尊敬してるよ」この3点。ここ重要です。
 「愛国愛教」は中国当局の政治キャンペーンの一つで、意味は「国家を愛し、宗教を愛する」=「中華人民共和国に忠誠を誓うことと、仏教に帰依する信仰心を両立させるべきだ」というもの……というのはもちろん建前で、実態は、「国家への忠誠心が阻まれるような宗教信仰はケシカラン」(→活動制限の口実へ)、「国家への忠誠心は宗教信仰よりも優先される」(→活動停止の口実へ)、というものです。
 愛国愛教という耳ざわりのよい語句を借りた宗教抑圧は、チベット仏教に対してよりも、ムスリムやキリスト教徒に対してより早期から、より強力に、行われています。

 蘭州で、パンチェンは中国石油蘭州石油化学会社及び中国科学院近代物理研究所、西北民族大学楡中キャンパスを視察し、解説に真剣に耳を傾け、時に詳しく質問した。彼は、学校がますます発展し、社会に役立つ人材をより一層育成していることを祝った。また、甘粛省仏教協会のある文殊院では仏教法事を催した。

 11日から20日まで、パンチェンは、(甘南州)サンチュのラブラン寺院やクツェ寺、ルチュの新シツァン寺、モリ寺、ツォエのツォエ寺などのチベット仏教寺院を相次いで訪問、法要や法話、祝福を与える儀式を執り行った。各地からの群集が次々に押し寄せ、手にカターを捧げ持ったり、「ルンタ」を撒いたり、「サンを焚きあげ」るなど、チベットの民族色豊かな一連の儀礼で熱烈に歓迎した。各寺院も一様に、最上級の宗教儀礼でパンチェン訪問を受け入れた。

 ラブラン寺院では、グンタン・ツァン、デワ・ツァン・ナンチェンと面会し、医学院や印経院(経典製版所)のための開眼供養を行い、顕教学堂で論じられていた仏教学弁論試験を観覧し、本堂で僧侶のため読経した。サンチュでは、パンチェンは彼の経師(経文に詳しい高僧)ジャムヤン・ギャツォを訪問し、パンチェン10世の母親及び高齢の高僧代表やラブラン寺院代表と会見した。カンロでの10日間の間に、パンチェンは延べ5万人の僧侶と俗人の頭をなでて祝福を与えた。

 どうでもいいような施設名や企業名からやけに細かい寺院名、さらにはトゥルクや高僧の名前をずらずらと並べているのは、私みたいなマニアックなチベット好きの興味に応えるため……ではなく、誰と誰と誰がギャパンチェンに支持を表明したよ、という、圧力というか言質ですね。あーこわ。日本の新聞記事ならこんなとこはばっさり削られ「具体的情景描写をワンシーンと関係者コメント追加!」だろうなと思うと、これはやはり「記事」ではなく、「中国当局にとって『これが事実なのだ』という主張」、だと分かりやすいかもしれません。(え、分かりにくい?)
 感慨深いのはグンタン・ツァン・リンポチェでしょうか。2000年に亡くなった(殺されたと信じるチベット人も多い)先代のリンポチェについてはこちら(チベット・インフォメーション・ネットワーク)。今回ギャパンチェンが会見した7世についてはこちら(チベット式2005年8月)
 それを思うと、切れ者でやり手と名高いラブラン寺主ジャムヤン・シェパ(ジャムヤン・リンポチェ)の名前が出ないのが気になるところ……。(「ラブラン寺院代表」とだけ言及されているのは、ジャムヤン・シェパが出てこなかったから……?)

 カンロ(甘南州)の宗教関係代表者との会談で、パンチェンは「8年の時を経て再度カンロに来たことで、宗教を信仰する幅広い一般民衆が充分に宗教信仰の自由を享受していることを感じた。これは共産党と国家の配慮(による恩恵)と切り離せないものであり、チベット仏教界の人たちは、法律を学び、理解し、守り、「愛国愛教、護国利民(国家愛と宗教愛は国家を護り国民を利する)」の求めに照らして、祖国の統一と民族の団結を維持し、絶えず仏教修行を続け、求めにかなう一僧侶として、更に信徒民衆に仕え、チベット仏教と社会主義社会をマッチングさせる努力をしてほしい」と述べた。彼はまた、「歴代パンチェンラマを手本として、代々の愛国愛教の栄えある伝統を継承し、仏教を中心とする各方面の知識を更に一歩深め、祖国繁栄と仏法隆盛のために貢献したい」と表明した。

 ルチュで、パンチェンは「遊牧民定住プロジェクト」定住居を見学。全員が広く明るい新築住居に住み始めているのを見たパンチェンは喜び、「共産党と政府は民族地域の発展に十分に関心をもっており、特に農牧民の生活に十分な注意を払っている。あなた方がまじめに生産力を向上させ、一刻も早くまずまず豊かな生活水準に至るよう願っている」と話した。ツォエで、パンチェンは甘粛民族師範学院を参観し、チベット、回、漢などの民族の特別困窮世帯や生活保護世帯に寄付した。
 甘粛省の陸浩・共産党委員会書記、劉偉平・甘粛省長がパンチェンに面会し、彼に甘粛省の経済や社会の発展状況を紹介した。

 ギャパンチェンの言葉はすべて「中国当局が彼にこう言わせたい内容」であると考えると、非常に分かりやすいです。パンチェン・ラマ10世の業績についても巧妙にすり替えられていることが分かります。そもそも「歴代パンチェンラマを手本に共産党の愛国愛教の伝統を継承」するって(爆笑)、作文した新華社の王衛さんはいったいパンチェン何世の時代から中国共産党政府があったと思っているのか小一時間(略)。本当に「先代パンチェンを手本に」したらと思うといろいろ考えちゃって胸が詰まります。

 上記記事のTVニュースの動画はこちら

 ちなみに、現地に何度も行ってる人は、動画を見て、「ショボい」と一言。
 「本当のリンポチェが来たときのチベット人の盛り上がりったらこんなもんじゃないよ、押すな押すなの人込みをかき分けながら進むってなもんよ。ラブランの冬の大タンカ開帳より人が少ないんじゃない?」「い…一応、途切れず人の列が続いてるじゃん?」「人垣の厚みがぜんっぜん違うって!」
 というわけで、いくら「ありとあらゆる僧俗民衆が熱烈な歓迎」と文章表現を盛ってみても、映像はシビアだね……という結論ではあるのですが。

 さて、ギャパンチェンのラブラン寺院訪問がどんな状況下で行われたかは、新華社の記事が出る10日前のBBC記事からも類推できます。

班禅到访前外国人被令离开夏河(パンチェン訪問を前に外国人がサンチュを追い出される)
BBC中国語2011年8月12日
 中国当局は目下、中国甘粛省西南部のサンチュ(夏河県)に外国人観光客が立ち入ることを禁じている。信頼できる筋によると、中国当局が選定したチベット仏教指導者パンチェン・ラマが近く現地を訪問するとみられる。
 ロンドンにあるチベット人権組織が8月11日発表した声明によると、パンチェン・ラマが数日中にサンチュ(夏河県)を訪問する見込みとなり、中国当局は現在、外国人に現地を出ていくよう求めている。
 AP通信によると、夏河県旅行局の李職員は、彼らは既に、(入域)禁止令が通達される前に夏河県に入った外国人に対し、当地を離れるよう通知したと話したという。AP通信はさらに、同県内のあるホテル従業員の話として、県公安局と旅行局から既に外国人を受け入れてはならないという通知を受け取っている、と伝えている。
 ロイター通信の記者が現地の多くのホテルに電話取材したところ、パンチェン・ラマがまもなく現地を訪問することと、当局が外国人に出ていくよう要求している情報は事実だと判明した。
 夏河県はチベット人が主な住民の地域で、また、チベット仏教ゲルク派の著名寺院ラブラン寺院がある。これまで夏河県では2008年3月にチベット人の騒ぎがあり、ダライ・ラマ14世を支持する仏教僧侶や他のチベット人が抗議デモを行い、警察や軍隊と対峙した。
 パンチェン・ラマはチベット仏教第2位の人物で、ダライ・ラマに次ぐ地位になぞらえられる。夏河訪問を予定しているパンチェン・ラマは、1995年に中国側が選定したほうである。ダライ・ラマは当時、別の男児をパンチェン・ラマとして選んでおり、多くのチベット人が中国当局の選んだほうのパンチェン・ラマの地位を認めていない。
原文リンク= http://www.bbc.co.uk/zhongwen/simp/chinese_news/2011/08/110812_xiahe_panchen_visit.shtml

 「目撃者」たる外国人をすべて追い出さなければ安心して(?)実施できないギャパンチェン訪問とはいったい。今年は自治区でも「17条協定60年」(チベット平和解放60年)の記念式典だという理由で、外国人観光客は1カ月にわたって締め出されていました。

 以下はよた話として聞いてください。こんな話もあったらしいよ、という程度の噂話です。

 別の人によると、「2003年(の初訪問時)はもっとアレだった」んだそうな。
 「当局が無料バスを仕立てて、近隣の住民を無料でというか無理やりバスに乗せてラブラン寺院に向かわせるんだけど、皆イヤイヤだから、手前のツォエあたりで『ちょっと用事が』なんて言い訳して降りちゃう。それで結局、全然人が集まらなかった」。
 つまり8年を経ての今回、中国当局は、是が非でも「チベット人民に広く受け入れられ、敬愛される、若く人望溢れるパンチェン・ラマ」を演出しなければいけなかったのだと思われるのです。なんせ中国仏教協会副会長。肩書きならチベット仏教どころか中国仏教界のナンバー2にまつりあげているんですし。

 そこでどんなことが繰り広げられたかというと、また別の人の話。
 集落全戸の、家族全員の名簿を手にした住民委員会(共産党の下部組織)が1軒1軒を回り、誰と誰がギャパンチェンの祝福に行ったか、自宅に残っている者はいないか、名前をチェックしての強制動員。片田舎の、どこの家が何人家族かも村じゅうすべて筒抜け顔見知りの小さな集落まで、1人1人名簿チェックされて、有無を言わさず連れ出された、という話。休暇で遠くの学校の寄宿舎から戻ってきた、とか、具合の悪い家族を見舞いに来た、とかの事情もいっさい無視で「とにかく全員行け」だったと。特に厳しいのは僧侶で、1人も欠けることは許されない勢いだったと。地元のチベット人たちは、「お坊さんはお坊さんだよねえ」「パンチェンじゃないけどねえ」と言い合って、カタを準備して、敬意を表しに行った、んだという話。

 以下蛇足。
 さて、そうすると、「8年ぶりに再訪して、民衆が宗教信仰の自由を充分に享受していることを感じた」というギャパンチェン君のコメントったらブラックジョーク過ぎて凄すぎます。
 つまり、8年前に比べたら遥かにたくさんの人たちが、行く先々に駆けつけて出迎え、カタを捧げてくれたことがありありと感じられたからこそ、「8年前より宗教信仰の自由度が高まった」というニュアンスの言い回しになったんでしょう。そこまで言わせるなんて、8年前って、よっぽど、子供心が傷つくくらい、人が来てくれなかったんだろうな……ううっ。
 とはいえ、トゥルク英才教育の対象の最終候補に選ばれるくらいではあるんだから、ギャパンチェン君自身、相当の切れ者のはず。きちんと仏教を修めていれば、祝福を受けにくる人たちが、強制的に動員されて来ているのか、自ら喜んで駆けつけてきたのかなんて一目で見抜けてしまうと思うのです。(というかその、素人目で動画みたってゴニョゴニョだしさ…)
 であればこそ“宗教の自由”なんて敏感用語は胸の内にしまってスルーしておけばよさそうなものを、敢えてひとこと言いたくなって、『宗教の自由を享受している(ようにうわべだけをとりつくろう政治力が行使されている)状況を感じましたが?』というメッセージを含めてるんだったら……怖ぇええ。記事中の彼の発言の中で、8年ぶり再訪の感想のくだりだけが、彼自身の言葉っぽいんだよね。その他は当局の公式見解を一字一句なぞってるだけだし。
 ギャパンチェン(ギャナク・パンチェン)がナクポ・パンチェン(黒パンチェン)になる日が来るのかも……?(なんか分かりにくいダジャレ書いたごめんなさい)

 閑話休題、ラブランで何が起こっていたかの本題は、冗談にできない話になってくるので記事を分けて「下」に続きます。


(以下、資料保存のための原文コピーペースト)

班禅额尔德尼-确吉杰布到甘肃参观学习并举行佛事活动
2011-8-22 16:55:56

  新华网兰州8月22日电(记者王衡)8月9日至21日,班禅额尔德尼·确吉杰布到甘肃省兰州市和甘南藏族自治州参观学习并举行佛事活动。这是自2003年以来班禅第二次到访甘肃。一路上,班禅展现出的高深佛学造诣和爱国爱教情怀,受到广大僧俗群众热烈欢迎和由衷爱戴。

  在兰州,班禅前往中石油兰州石化公司、中科院近代物理研究所和西北民族大学榆中校区参观学习,认真倾听讲解,不时询问有关情况。他祝福学校越办越好,为社会培养更多人才。并到甘肃省佛教协会所在地文殊院举行佛事活动。

  11日到20日,班禅先后在甘南藏族自治州夏河县拉卜楞寺和科才寺、碌曲县西仓新寺和毛日寺、合作市合作寺等藏传佛教寺庙讲经说法、摸顶赐福、祈福祝愿,各地群众纷纷赶来,以手捧哈达、抛撒“龙达”、“煨桑”等一系列富有藏族特色的仪式热烈欢迎。各寺庙均以最隆重的宗教礼仪迎接班禅的到来。

  在拉卜楞寺,班禅走访了贡唐仓、德哇仓囊欠,为医学院、印经院等开光,观看闻思学院辩经考试,并在大经堂为僧人讲经。在夏河县,班禅看望他的经师加羊加措,会见十世班禅母亲代表以及年老喇嘛和拉卜楞寺的代表。在甘南藏族自治州的10天里,班禅共为5万多名僧俗群众摸顶赐福。

  在与甘南藏族自治州宗教界代表人士座谈时,班禅说,时隔8年再次来到甘南,感到广大信教群众充分享有宗教信仰自由,这些都离不开党和国家的关怀,希望藏传佛教界人士要学法、懂法、守法,按照“爱国爱教、护国利民”的要求,维护祖国统一和民族团结,不断提高佛法修行,做一名合格的僧人,更好地服务信教群众,努力使藏传佛教与社会主义社会相适应。他表示将以历代班禅大师为榜样,继承他们爱国爱教的光荣传统,进一步学好以佛学为主的各方面知识,为祖国繁荣、佛法昌隆作出贡献。

  在碌曲县,班禅考察了游牧民定居工程定居点。看到大家住进了宽敞明亮的新居,班禅高兴地说:“党和政府十分关心民族地区的发展,特别是对农牧民的生活十分关心。希望你们认真搞好生产,尽快致富奔小康。”在合作市,班禅参观了甘肃民族师范学院,并向藏、回、汉等族特困户和五保户捐款。

  甘肃省委书记陆浩、省长刘伟平看望了班禅,并向他介绍了甘肃经济社会发展情况。


班禅到访前外国人被令离开夏河
更新时间 2011年8月12日, 格林尼治标准时间10:18
中国当局目前禁止外国游客进入位于中国甘肃省西南部的夏河县,据信由当局选定的藏传佛教领袖班禅喇嘛将到那里访问。
在伦敦的一个西藏人权活动组织星期四(8月11日)发表声明说,班禅喇嘛将在未来几天访问夏河,当局正在要求外国人离开。
美联社援引夏河县旅游局一位李姓官员的话说,他们已通知在禁令下达之前来到夏河县的外国人离开这里。
美联社还引述夏河县一家酒店工作人员的话说,他们接到县公安局和旅游局的通知,不能接待外国客人。
拉卜楞寺
路透社记者也打电话给当地的多家酒店,证实了班禅喇嘛即将到访和当局要求外国人离开的消息。
甘肃省夏河县是一个以藏民为主的地区,也是著名的藏传佛教格鲁派寺院拉卜楞寺的所在地。
夏河县曾在2008年3月发生藏民骚乱事件,忠于达赖喇嘛的佛教僧侣和其他藏民举行示威,同警察和军队发生对峙。
班禅喇嘛是藏传佛教的第二号人物,仅列达赖喇嘛之后。即将前往夏河访问的班禅喇嘛由中国方面在1995年选定。
由于达赖喇嘛当时选择另一个男孩作为新的班禅喇嘛,许多藏民不承认中国当局选定的这位班禅喇嘛的地位。

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2011.01.11

Woeser/画面越しの拝謁(訳)

 チベット人作家ウーセルさんのブログと「Radio Free Asia(中国語版)」サイトに1月10日アップされた、ウーセルさんのコラム。(ウーセルさんブログはこちらRFA中国語版サイトはこちら
 1月4日、ダライ・ラマ14世と中国知識人とのネット対談が行われた際、インターネットのビデオチャットで、画面越しに法王と対面した喜びを綴っています。

 パスポートのない私、ダライ・ラマ法王に謁見

 7年前、私はエッセー集「チベット・ノート」(西蔵筆記)で、1枚の記念写真に添えて、ラサからこっそりとダラムサラを訪ねたチベット人父子の物語を書いた。「左右は遠慮がちに恭しく待ち受ける人たちであふれ、その中心に囲まれているのが、まさにその人だった。敬虔なチベット人の誰もが一番よく知っていて、一番心に近い存在の、一番待ち焦がれている人――ダライ・ラマ法王」。
 この描写と、他のいくつかの章でチベットの現実に言及したことを、当局は“重大な政治的誤り”と認定した。『ダライ・ラマ14世、カルマパ17世の存在を賛美し、宗教信仰など重要な政治的立脚点及び観点の齟齬を広めた』。
 この後、私はすべての公職を解かれ、ラサを離れざるを得なくなった。

 もっと以前から――既に16年前に、私は1編の詩に含みを持たせて綴っている。
 私はこの世では成長しない花を胸に抱き
 枯れてしおれる前に、と急ぐ
 感激の涙があふれるまま
 はやく、はやくと 急いて走る
 ただ 深紅の衣の老人に捧げるために
 ただ 一縷の微笑み
 つぎの生と世 そのつぎの生と世でも
 つながりを得られるように

 のちに私はこの詩を歌詞に書き換え、「深紅の衣の老人」の部分を「我らがイシ・ノルブ、我らがクンドゥン、我らがゴンサチョ、我らがギャワ・リンポチェ……」*にかえた。すべてチベット人がダライ・ラマ法王を称える敬称である。

 数多くのチベット人とまったく同様に、なんとかダライ・ラマ法王にお目に掛かりたい、教えを受け、祝福を授かりたい、と思い焦がれる気持ちは、私自身にとっても最大の切実な願いだ。若いころから、ただひたすらその願いが実現するその日を待ち望んできた。しかし、私は他の多くのチベット人と同様、パスポートの発行が認められていない。あの政権に支配されている限り、たった1冊のパスポートという恩恵さえ永遠に与えられないかのようだ。そもそも(ある国民に対し国家間の移動を国が保証するパスポートの取得は)国民の基本的権利として一人ひとりに保障されているべきものだというのに。

 昨年、ラサで「60歳以上の高齢者にパスポートが発給される」という情報が流れた。しかし申請期間はたった1週間。パスポートセンターは髪も真っ白になった、足元もおぼつかない老人たちであふれかえった。実際には誰もが知っている――彼ら年寄り全員が、ヒマラヤ山麓のあの場所に長年会うことが叶わなかった人がいて、仏教の聖地を参拝することだけが願いなのだと。同時に、それは決して口に出して言ってはいけない、誰もが知っている願望だった。私は悲しく考えた。このままひたすら60歳まで待ち続ければ、そのときようやく私もパスポートを手にすることができるのかどうか……。

 しかし、インターネットは、パスポートを持たない私にとってのパスポートのようなものになった。新しい年を迎え、私の願いはほとんど実現した――インターネットを通じて。まるで夢を見ているような、しかし紛れもない現実――ダライ・ラマ法王にお目にかかっている!

 縁を結んだのはインターネットの映像を使ったビデオチャット(テレビ電話)システムだった。2011年1月4日、ダラムサラのダライ・ラマ法王と、中国の人権派弁護士滕彪、江天勇両氏と作家王力雄氏との間で、インターネット放送を通じた交流が行われた。私も当時、(夫の)王力雄の後ろに控え、一言一言に耳を傾けた。リアルタイム中継でダライ・ラマ法王が画面に姿を現した時には、信じられない思いで、ただ涙があふれ出るばかりだった。

 デジタル技術の革新は奇跡を起こした。距離も地形も超越し、人為的な垣根を飛び越えて、亡命して半世紀におよぶダライ・ラマ法王と中国の知識人との間に意思疎通の架け橋がわたされたのだ。大きな意義があることは疑いもない。

 ダライ・ラマ法王が3人の中国知識人に話しかけるのをこの耳で聞いた。「互いの息遣いや臭いが感じられないことを除けば、同じ場所に一緒にいるかのようですね」。
 70分以上の対話を終えて、法王は思いやり深く問いかけた。「そちらからはよく見えましたか?」 3人がうなずいて同意すると、法王はユーモアたっぷりに自らの眉毛を指差し、笑いながら言った。「じゃあ、眉毛が白くなってるのも見られちゃいましたかね?」

 私は泣けて泣けてしかたなかった。チベットの礼儀作法にのっとり3回ひざまずいて頭を地に着け、口の中で真言を唱えながら、両手にカターをささげ持ち、パソコンの前にひざまずいて献上した。涙でかすむ画面に、ダライラマ法王が、カタを受け取り、祝福を与えるしぐさと同じように、ゆったりと両腕を差し伸べてくださるのが見えた。そのときの気持ちを言葉で表すことはできない――。私はなんと福徳に報われたことだろう。チベットではたくさんのチベット人が、法王の写真を1枚持っていたというだけの理由でひどい目に遭っているのだ。

 実のところ、近年、決して少なくない中国の各界の人々がダライ・ラマ法王に面会している。しかし彼らがそのことによって自由を奪われることはなく、彼ら中国人は依然としてこの国家の公民である。チベット人が法王に拝謁して罪に問われるというのはまったく理不尽なことだ。

 ビデオチャットを見つめる私に、ダライ・ラマ法王は丁寧に仰られた。
 「決してあきらめず、努力を続けましょう。漢民族の知識人と私たちチベット人知識層のあいだで、いついかなるときも、こちら側とそちら側の真実の状況を伝えあい、相互理解と意思疎通につとめることは、非常に大切なものであることを、どうか常に心に置いてください。過去60年来、私たちチベット内のチベット人の勇気と敬虔さは山のようにゆるぎない。チベットの現実は国際社会の注目するところであり、世界各地からチベットの真実を見られるようになった。中国国内の知識人はこのことについても理解してきている。巨視的にみれば、強大な中国が現在変化のただ中にあるといえる。ですから、あなたがたは必ず信じ続け、更に努力を続けてください。いいですか?」

 この時に至って、私はようやく落ち着いてきて、法王の言葉をしっかりと心に刻みつけた。

2011年1月7日 北京 RFA特約コラム

注:このコラムは同時にRFAチベット語放送でも紹介された

*イシ・ノルブ(智慧の宝珠)、クンドゥン(御前)、ゴンサチョ(至高の存在)、ギャワ・リンポチェ(偉大な貴宝)……いずれも、チベット人がダライ・ラマ法王について話す時や呼び掛ける時に、法王に敬意を表し、名前を直接口にせず、婉曲的に象徴する時に用いられる比喩表現。

 「ウーセルさんの個人的な特別体験」ではなく、ひとりのごく普通の敬虔なチベット女性の心情を思いました。このコラムの向こう側に、一目お目にかかりたい、と思っている数限りない人たちがいるんだなあ、と。
 「私はなんと福徳に報われたことだろう(我是多么地有福报啊)」の「福報(福徳応報)」は、チベット仏教の因果(果報)や縁起の考え方を中国語で表そうとした表現です。今生で善行を少しでも積むことで来世で報われる、という確固としたチベットの世界観が背景にあります。
 ぴったりはまる日本語がないのでうまく訳せていませんが(仏教用語で超訳すれば「私は果報者です!」ってことになるんだろうけど、ちょっとニュアンスが消える気がする。それは日本の価値観がそれだけ仏教から離れてしまったということでもある)、チベット人同士の会話では、すぐに自分の得になるわけじゃないことを損得抜きで引き受けたりすることを(冗談で)「ソナム(福徳)を積んだよ」と言ったり、病気になったりして人から世話を焼いてもらった時などに「申し訳ない」と恐縮するかわりに(冗談で)「私のソナムがずいぶん減っちゃたわ」なんて言ってみるなど、「情けは人のためならず」がちゃんと原義通り生きているのがチベット世界です。
 それを思うと(ウーセルさんは漢語教育を受けてチベット語では文章の読み書きができないから厳密に純粋なチベット人とはいえない、とか、ウーセルさんは他のチベット人と違う、などと評論する向きもあるので思うんですけど)、チベット人だなあ、と。改めていろいろ考えたことでした。

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2010.10.22

ツイッター上の一般の中国人はチベット問題にどう言及しているか

 19日からアムドの各地で続いているチベット人学生の抗議活動。
 漢語(中国語)で言論活動を続けている作家のツェリン・ウーセルさんが、22日午前、携帯電話のSMSで届いたメールをツイッターに流した。
 前日21日夜にコラムニスト安替氏の講演「中国におけるネットメディアの興隆と日本との関係」を聴きにいったせいもあり、ツイッター世論というのがどう形作られていくか気になり、ウーセルさんのアカウントに対するリプライやコメントをたどって見ていった……ら、興味深くて止まらなくなってしまった。
 ので、訳出してご披露。
 ……まあ、しかし、これって興味深いし面白いんだけど、結局、「中国語を使いこなし」「(リスク覚悟で)ツイッターで積極的に発言している」「本土チベット人」は、ほぼウーセルさんしかいないような気がしてきた。となると、本土チベット人の考えを知る手段ではなく単なる中国ウオッチになってしまうので、私にとってはイマイチ不毛。キリがないし、もうやりません。
 また、中国におけるツイッターというネット空間の特殊性はあちこちで語られていますので、それを踏まえた上で。

「民族消滅はまず言語から、だな」

「注目だ。チベット文化を尊重しようよ~」(香港から)

「始皇帝が天下を再統一したわけだな」

「ひどい!少数民族の言語は歴史文化遺産。そんなふうに壊滅させるだなんて」

「信仰をふみにじり、言語を滅ぼし……。そりゃ逃げざるを得ない、それが難民になるってことだ……」

「好き放題言いやがる」

「政府は狂ったの? 明らかにばかげてる。ドちくしょう」
「これって、あなたの小さい頃にもあったんじゃない?」
※文化大革命のことか?

「殲滅作戦始まったな。次はトゥルク語と広東語だな」

「地域の習俗を漢民族化し、グループを分散居住させれば遠からず母語は消滅する。目的は奴隷化と制圧だな」(香港から)

「チベット人は学校に通う子供がもともと少ない。これからもっと少なくなるんじゃないか?」

「多方面で発展すればいいね」

「チベット語さえまもれないで、広東語が残るはずないだろう。単独では難しいだろうが多方面から支援を!」

「これってソ連がウクライナで実行した政策じゃないかな」

「ドーデの『最後の授業』を思い出した」

「こんなの絶対に違憲だろう」
「これは文化絶滅、民族殲滅の始まりだよ」

「間違いなくファシストだ!」
「チベット版『最後の授業』」
「おくにの真っ赤なナチ版『最後の授業』」
「『最後の授業』は妄想。こっちは実話」
「外国語になっちゃうんだよね」

「日本統治時代を思い出したんだけど」
「怖い!」

(「漢人は街で広東語擁護をできて世界の注目を浴びてお咎めなし。それならチベット人も街でチベット語擁護をできて世界の注目を浴びてお咎めなしでなければ、明らかに民族不平等だ」に対して)
「この結論の証明は必要なのか? 証明の必要もないようにみえるんだが。」
「漢人だって広東語擁護活動が『できた』訳じゃない、ただ街に出た人が多すぎて警察がつかまえきれなかった人がいるってだけだよ」
「漢人だって決して『お咎めなし』じゃないよ……」

「党中央はいつから憲法より上になったんだ?」

「こんな規定があるわけ? キチガイへの道を歩いてる」

(チベット語が教科からなくなる)「証拠はあるの?」

「壁の中の新浪にも転載したよ!」
※ツイッターはブロックされているため一般大多数の中国人には閲覧できない。中国国内向けの似たようなサービス「微博(マイクロブログ)」があり、ブロックされておらず誰でも閲覧できる代わりに、検閲があり削除される

「私はかねてから暴政の元で漢族と少数民族は等しく迫害を受けていると思っていた。ここ数年分かってきた。チベット人、ウイグル人の受けている抑圧は漢人より遙かに酷い」(学者、弁護士、民主活動家の滕彪氏)
「民族の言語は憲法にも明記され、国際人権条約でも保障されている。中国語の方言よりよっぽど重要だ」(民主活動家の李方平弁護士)
「民族言語は憲法に書かれてる」
「少数民族政策の中に、民族言語に関する発行と教育については厳格な規定があるよね」

「周囲が同じように迫害を受けている境遇の漢人は軽い調子で迫害を描写するもんなんだよ。動乱は、殺される数が少なすぎる場合に発生するんだ。私はこの種の不平等を身をもって会得したよ」
ウーセルさん(滕彪弁護士へ)「今日、ラサではとても明らかでした」
ウーセルさん(李弁護士へ)「なぜなら、民族の言語は権利の擁護でもあるから」

「若い世代のチベット人の多くはそもそもまったくチベット語を読めないし書けないんだが。彼らはそのへんどう思ってるんだ。チベット語を滅ぼそうと?」(チベット人かチベットで生まれ育っている言論活動家Zhumazha)

「チベット人なんて滅べばいい おとなしく(政策に)協力するべきなのに、単純に暴力で反抗する奴らが多すぎる」

「教育部のその規定はどこでチェックできるの?」

「ダライラマ法王を思い出した」

「チベット人同胞よ、立ち上がるんだ」(本人は広州の中国人)

「ソースはある? なくて話だけだったら、私はちょっとこれが本当だなんて信じられない」(これ=小学校の教科からチベット語を廃止すること)

「少数民族の言語は歴史文化遺産なんだし、国連のユネスコに連絡をとって助けてもらうことはできないのかしら?」

「自分がダルツェドに数年いた経験からいえば、80后のチベット人で流暢にチベット語を話せる人は既にとても少なくなっていた。これはダルツェドの地理的位置と漢民族化の影響が深刻なことと関係するかもしれないけどね」

「秦に李斯あり、現代に中国共産党あり」
※李斯は焚書坑儒を推進した宰相

(人人ネットに書き込み直した、という発言に)
「ウーセルも人人ネットやってるの?」
「チベットのネット検閲は大陸よりさらに厳重だからなあ。頑張って!」

「私も書き込んだけど、すぐ消された」

「教育委員のいうお美しい『バイリンガル教育に力を入れることによりこれらの民族学生にさらに前途洋々の将来を広げる』という文言には何も問題ないし私は支持する。ただし、学校内でのいわゆるバイリンガルを考えるとき、本来の民族言語は教室で学習が必要なものなのだろうか? 実質的に漢語しか勉強できなくなるだろう。行き過ぎれば、学校で民族言語を話した学生を処罰するような学校も現れないとはいえない」

「北京で坑儒、チベットで焚書。すばらしい『調和のとれた世界』だね」

「他人の母語を救うことは、自分たちの母語を救うことだ」

「すいません、その教育部の規定はどこにありますか?」

「(チベット語科目)取り消しに賛成! 少数民族死ね!」

「漢族学生の『将来を広げる』ために、(漢族学生に)55種類の言語教科を増設することを支持するよ」

「これは……私がだんだん訳分からなくなってるのか、それとも政府がどんどんアホになってるの? なんで、こんなデタラメがまかりとおってるの?」

「先月チベットから帰ってきたばかりだけど、ラサは見た感じ中国内地の中核都市みたいで、ジョカン周辺には武装警察ばっかりだった」

「バイリンガル教育ではないの? 自治条例ではどれも民族の文字を使う権利を認めているはず。教育部が勝手に人民大会で決めた法律を廃止したの?」

「チベット語の科目をなくすんだとしたら、(チベット民主化を求める人たちを)『大チベット主義だ』なんて批判はできなくなるね。それは組織的な『大漢族主義』だし」

「この文章が婉曲に理由を説明しているね
http://www.tibet.cn/zxyj/xzsm/sr/201008/t20100803_612438.htm

「チベットエリアの小学校からチベット語を取り上げる? なんて盗っ人猛々しい! 満州国だってそんなことしなかっただろうに」
「人をバカにするにも程がある!」
(チベットに関する著作も多いカナダ在住の華人作家)

「チベット文化も我々中華民族の貴重な文化の一部分。私はまだあの長々しいケサル王伝説を読んだことはないけどね。まあ翻訳本を読むしかないわけだけど」

「衛生部は我々の身体を殺し、教育部は我々のたましいを殺す。最も消滅させてしまわなきゃいけない2機関だ。最近は国家を分裂させる病巣でさえある。言葉もないよ!」
※衛生部=厚生労働省、教育部=文部科学省みたいな

「translate @degewa: China Edu.Ministry is banning Tibetan in schools,sparking protests among students in Tibet and Qinghai」

「チベット人居住エリアではチベット語を保護するべきだ。教育もチベット語を中心として行ったうえで、中国語と英語の学習を奨励したらいいじゃないか」

「抗議!」(民主活動家)

「やくざ組織どもがやる事は本当に人間には思いつかないようなことだな。一つの民族に母語を学ばせないだと? 頭を戸に挟んで潰されちまっても軽すぎる、やらんでいいことの典型だよ!」

「公式文書はあるの? 本当のこととはちょっと信じられない」(数日前までチベットを旅行し、チベットに関してツイートを重ねていた中国人)

「彼ら(政府)はまさにチベット文化を破壊し尽くしたいのさ、まったく人間性のかけらもないやつらだ」

「チベット人はまだ騒ぎ足りないのか?」
「ほかのどの国に、自分たちの文化を消滅させようとする政府があるんだよ?」
「文化のない政府だな」
※文化=民族文化などのcultureの意のほかに、基礎的教養、礼儀、マナー、常識なども指す。「文化がない」で民族文化の破壊と常識知らずを掛けている

「教育部のやつら、狂ってんじゃないか?」

「Freedom's #Language Can Only Flourish Under #Tibet's Independence: http://t.co/YoDP0Wo http://tmi.me/2rtIh

 まあ何ですかね、昨日聴いた安替氏の講演どおり、ツイッター内には既にオピニオンリーダーがいて、その人のリツイートやコメントに対して最も多く反応が返ってきてはいるのは事実。五毛っぽいあからさまな釣り発言もあるけど、スルーされて話題がつながってないのも事実。
 それと同時に、普通の(ただしファイヤーウォールを乗り越えるくらいには知的探求心と問題意識のある)中国人って、チベット問題に対してそれほどの関心は持ってないんだな、とも感じました。また同時に、チベット人は登場しない空間なんだな、とも。「既にチベット語話せない層が増えてるんじゃないの?」とか「そもそもチベット語に共通チベット語が存在しない状態で、『まもれ』というのは何をまもるのか?」という議論にはならないんだな、と、興味深く眺めておりました。

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2009.01.25

スムチュドゥチェン

 本土にいる知人から、短いメール。

「あまりいい感じではないです」(大意)
(略)
「本土でも皆外国のテレビ見てるんで、今年のスムチュドゥチェンは頑張ってください。と、××××に伝えてください。」
(※××××は共通の知人)

 これだけではありますが。

 スムチュドゥチェン(3月10日記念日)、って、まさに当日昼間、ツェリンさんから聞いて知ったばかりのチベット語。まったく同じ言葉が“かの地”からもメールで届いてびっくり。ツェリンさんから聞いていなかったら「スムチュドゥチェン」という単語を知らず、メールは意味不明だったわけで、こういう偶然って、あるんだなあ。

 あまりいい感じではない(大意)、というのは、中国政府の抑圧や監視が非常に厳しくなっていることを示唆しているんだと思う。
 そして、外国のテレビ見てる、というのは、僻地では地上波届かなくて衛星放送の受信アンテナを立てるから、それで漏れ電波を拾って海外のTVが見えちゃっている、ということかなぁと推測します。

 そっか……本土で見てるのか……。

 とっさにいろんなものが駆けめぐって、しゅんと言葉を失ったメールでした。
 

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2008.02.07

Losar Tashi Delek !

 ロサ(チベット新年)おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 やりかけのルンタ作業&早急に必要なチベット関係もろもろの準備が同時進行でいろいろあって、あちこち滞ってて内心焦りつつ、オモテの仕事に追われつつ。
 こんなんですが今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 「Tibetan New Year」で検索したら、ロサをお祝いする映像がYouTubeにものすっごいたくさん上がっていて、むしょうに嬉しくなったり。ネット世界ではけっして少数派じゃないのねチベットって。
 気合入れてメドレー風に編集してる「Collection Of Tibetan Losar Songs HAPPY LOSAR 07 Feb. 2008 」とか、「Happy New Year 2008 from Tibetan」とか。メドレーにも使われてた「tibetan new year, " LOSAR" song!!! 」はすごいよ、チベット語の分からない私にも冒頭あたりは何を言ってるか分かるもん素敵。「ンガツォペーゲローサーターシデーレショー(私たちの故郷の新年をお祝い申し上げます)」「アマパジョコンカムサ(お父さんお母さんご健勝をお祈りします)」……はは、その後の「デーントデナトーバーショ」以降は全然分かんないけど。で、チベット人らしき青年がひとりウェブカメラに何か言っている「2008 Losar Wishes 」なんてのまで。何でもありだー。
 チベット語でタイトル入ってる(例えばこんなん→「ང་དང་གངས་རིའི་དགེ་མཚན」)もあって、読めないし意味分からんけど、チベット語が単独で「ある」(それって、チベタンがチベタン向けに発信してる、ってことだもんね)ってだけで嬉しい。

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2007.11.16

「ちょっと、イケメンじゃん!」

Jarnal003 「ちょっと、イケメンじゃん!」とメールなどいただいてしまったので、ダライラマ法王随行記者団のメンバーなどをこそっと紹介。いや、冷やかしではなく。実に爽やかな好青年揃いです。

 左手前でムービーを回しているのは、WebTV「チベット・オンライン」のカメラマン、リグデンさん。いかつい体に強面という見かけによらず、おちゃめでいたずら好き。来日初日の食事でも日本食にチャレンジ、刺し身や漬け物に挑戦していました。

Jarnal002 童顔ですらっと背の高さがひときわ目立つのが総合情報サイト「パユル(祖国)ドットコム」のカメラマン、最年少のダセルさん。童顔もそのはず、だって23歳(!)という若さ。ID(インドの居留証)の関係で突然来日できなくなったダライラマ法王専属フォトグラファーに代わり、周囲の推挙で派遣が決まったイチオシの人材なんだとか。カメラマンらしく、食事のときも移動中も、常にキヤノンの一眼レフとともに行動。日本のどんな情景を切り取っているのか、楽しみです。

Jarnal001 「これチベット人記者かよ! なんかすげーかっこいいなあ!」と日本人同業者(?)を唸らせたのが、ダセルさんの右側で真剣な表情でパソコンに向かう「パユル・コム」Web責任編集者のプルブさん。どうしても仕事中の情景写真が欲しくて、取材執筆中の部屋に侵入して写真を撮り、気を散らせて悪いことをしてしまいました(申し訳ない……)。
 英文記者なんだから当然だけど、アポ、取材、執筆すべて英語でこなし、国際事情にも明るく、日本の政治情勢や要人の名前もよく知っています。「ミスターマキノは……(聞き取れず)」と尋ねられたので、「前国会議員で、2005年の衆院選に落選した」と言いたかったんだけど、「前」も「国会議員」も「落選」も英語でなんて言うのか分からず、あうあうあう(情けない)。「ルース(負けた)、ジェネラルエレクション」とかめちゃめちゃ言ってしまった。もう嫌。
 今回の4人のリーダー格で、来日後も思うところいろいろあるらしく、厳しい表情や考え込んだ顔を見せることが多い彼。何を感じ考えているのか、できればいつか、腹を割って話を聞いてみたいのだけれど。

Jarnal004 物静かで控えめな、チベット語雑誌「チチョク・メロン(社会の鏡)」編集長、ジグメさん。チベット語の文章力をかわれ、26歳で編集長に抜擢されたそうです。
 日本では、サポート役の日本人女性に「あっ、左薬指に指輪! 結婚指輪でしょ?」と尋ねられ、大あわてで「結婚はしていない」と言いつつ、「でも恋人はいるんでしょ?」と畳みかけられ「います」と大照れ。突っ込まれた翌日はリングを中指に嵌めかえていました。

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2007.11.14

随行記者団

F50 朝8時15分の成田行きで成田空港へ。ちっちゃ! プロペラ機初めて乗って思わず記念撮影。
 予定より15分早く9時20分成田着、だけど滑走路のすみからすみまで延々走り回ってカートとかたくさん並んでる隅っこで降ろされ、バスに乗って第1ターミナルに着いたのは9時40分ごろ。到着フロアを走り抜けて(なんでこんなに出口が遠いんだ! ……と思ったけど、成田に着く国内便だから端っこにあるんだった)黄色い循環バスに飛び乗って、第2ターミナルに駆け込んだのは9時55分でした。……ううむ、この飛行機で11時00分2タミ発のデリー行きに乗り換えようというのは、不可能とはいわないけどやっぱり厳しいかもしれない(リスク高い……)。当日は荷物ももっと多いだろうし。

Tibetan_2 いや、そんな実験をしにきたわけではなく、ダライラマ14世来日講演随行記者団のメンバーです。チベット人海外ペンクラブ(本部ロンドン)の代表派遣記者、チベット発ネットニュース最大手ペユル・コムの記者とカメラマン、亡命政府のオフィシャルカメラマン。23~33歳の若手ながら、みな編集責任者や主任編集クラスの精鋭ばかり。
 話はあまり本題に入らないまま、たわいない話題ばかりに終始してしまった(反省)。チベットにかかわるニュースソースがチベット人自身の手でつくられるのは有意義なことだと思うし、有望で魅力的なチベット人青年たちと、招聘を企画実現したTさんに乾杯。

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