2013.11.08

中国政府オフィシャルサイトからチベット国歌が! の周辺の話題

※短い引用訳出はTumblrを使ったりしていてココログがあまり稼働しておらずすみません。今回、長文やリンクが増えそうなのでブログを使うことにしました。まとまったコラムではなく覚え書きです。統一感なくてすみません。

 「中国政府が新しく立ち上げたプロパガンダサイトでチベット国歌をBGMに使う痛恨のオウンゴール!」(チベットNOWルンタ http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51808978.html)について関連を。
 「チベット語ページに掲載されていた動画だし、責任を問われて処分されるのはチベット人だったりしないだろうか?」「チベット人が仕組んだことではないか?」など周囲で盛り上がっていたので、本土や中国ではどんな話題になっているのか、ちょっとだけみてみました。

1) やらかした動画について

 《暴走青春 光影流动的西藏——李背包和杜小胖的西藏旅行视频纪录》(青春の暴走 光と影の流れゆくチベット――バックパッカー李くんと杜ちゃんのチベット旅行映像記録)というのが、アップされていた7分14秒の動画のタイトル。
 カップルであちこちを旅行しながらマイクロブログweiboに旅日記や映像をアップしている「旅行作家」らしく、今年5月頃からweiboに書き込みが登場しています。
http://s.weibo.com/weibo/%25E6%259A%25B4%25E8%25B5%25B0%25E9%259D%2592%25E6%2598%25A5%2520%25E5%2585%2589%25E5%25BD%25B1%25E6%25B5%2581%25E5%258A%25A8%25E7%259A%2584%25E8%25A5%25BF%25E8%2597%258F%25E2%2580%2594%25E2%2580%2594%25E6%259D%258E%25E8%2583%258C%25E5%258C%2585%25E6%259D%259C%25E5%25B0%258F%25E8%2583%2596&b=1&page=3
 検索結果から日付を辿ると、動画がアップされたのは2013年6月末。動画末尾のクレジットによると、制作は「录途影像」という北京の映像制作会社。李鹏さんと杜莎さんのカップルが世界各地をバックパッカー旅行する映像をシリーズでつくっているようです。
(企業公式weibo)
http://weibo.com/p/1006063212930602/home?from=page_100606&mod=TAB#place
 これをみると、動画を制作したのは北京在住の漢人で、チベット人はかかわっていないとみていいんじゃないかと思います。

◇参考:主演?の李鵬さんが撮影裏話を紹介している自身のブログ。
動画も埋め込まれていますが、残念ながら「この映像は削除されました」となってしまっています。
暴走青春 光影流动的西藏——李背包和杜小胖的西藏旅行视频纪录 http://www.mafengwo.cn/i/1287594.html

(参考:YouTubeにアップされていた複製で、公開は2013年6月25日となっていますが、なぜか11月8日時点で既に手際よく冒頭1分33秒の音声が消去されたもの)

 動画は、全編にわたって漢人の若い金持ちカップルがチベット各地の「きれいな風景の前で」記念写真を撮りまくるシーンで構成されています。ジョカ ン前で五体投地するチベット人仏教徒の姿も、聖地に祈りを込めて積まれた石も、よりよき来世を願って身につけてきたものの一部を聖木にかけて「うまれかわ り」を祈る習慣も、彼らの前ではすべて「きれいな風景」でしかありません。遊牧民の家で干し生肉の一片を嫌そうにつまんだり口に入れかけて出してみたり、 マニ車をオモチャみたいにぶん回して遊んでみたり、シンギングボウルを「チーン」とひっぱたいたり、漢人がいかにチベット文化に無関心・無理解で植民地侵 略者であるかを端的に示す、ほんとにいい映像資料になってます。

2) 動画への反応

2013110852154

 新浪weiboをタイトル検索した範囲で、かつ、weiboはよく削除されるので正確なところは分かりませんが、現時点で検索結果からみる限りでは、普通と言うか、あまり大きな反応はなく、チベット人の(中国語での)反応はゼロです。
 主に漢人が、
「チベット…一生の間に一度は行ってみたい!」
「ぼくも旅行に行きたくなった。この動画は一見の価値ありだぞ!」(※この発言は一字一句同じものが3つも並んでるのでヤラセ投稿かも)
「ヤバいねチベット ところでこれ全体の旅費っていくらくらいなの?」
などの発言を投稿している程度でした。もちろん、BGMについて触れている人はいませんでした。

3) VOAなどに報じられて以降の反応

[中国人のツイート]
中国政府のオフィシャルサイト「中国チベットの声ネット」はオープンしてまだ日も浅いのに、民衆は意外にもサイトのトップページでミュージックビデオのなかに禁止されているチベット国歌、すなわち現在のチベット亡命政府の国歌でもある「Gyallu」が流れているのを発見してしまった。もし「較量無声」がアメリカ映画からBGMを盗用したのだとしたら、じゃあ、チベット関連の中国政府オフィシャルサイトがチベット亡命政府の国歌を使用しているのはどう説明するんだろう?

[ウーセルさんのツイート]
およそ2カ月ほど前、チベット衛星テレビの、あるチベットの現代芸術家をテーマにした番組のエンディングのBGMが、まさに今回のダラムサラの子どもたちが合唱するチベット国歌でした。私も聞きました。

※えーーっ、初めてやらかしたんじゃないんだ!!!

[チベット人のツイート]
聞いたわ、すっごくよかった。チベット衛星テレビで放映された映像も、この「バックパッカー李君と杜ちゃん」のビデオなのかしら?

「ウーセルさんのツイート」
(「前半の子どもたちの歌の部分は、覚え間違いでなければ、ケルサン・チュキも歌っていた歌ではないですか? とてもいい歌! 聞きながら思わず鼻歌が出そうです」に返信して)
そうです、ケルサン・チュキのアルバムのなかに彼女が歌ったチベット国歌があります。とても感動的です。

[ウーセルさんのツイート]
チベット衛星テレビで放映されたのは、この動画ではありません。あるチベット人画家のインタビューで、終わりの部分でこのダラムサラの子どもたちが歌うチベット国歌が流れたんです。当時それを聞いた私は驚きすぎてあぜんとしましたよ。

[ウーセルさんのツイート]
(「そのインタビュー番組の映像はネット上にありますか? チベット語? 中国語?」という質問に答えて)
中国語です。その日はネットにも上がっていました。ただ、エンディングのBGMのせいで、インターネット上では今は、最後の曲の部分だけカットされたものしかありません。

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2013.03.25

[訳]ウーセル・ブログ:焼身したチベット人の遺族は言う――「これでは、あと何人失うのか?」

このコラムに関する次のやりとりも合わせてどうぞ
きょう(3月25日)また焼身が起きた!
http://lungtaprojectjapan.tumblr.com/post/46428373754/tsepa-voa


焼身したチベット人の遺族は言う――「これでは、あと何人失うのか?」

看不見的西藏:自焚藏人的家人说:就这样,还会有多少人离去?(2013年3月27日)

(ウーセルさんの前書き)

RFA(ラジオ・フリー・アジア)チベット語放送局の記者パルデン・ギャルは一昨日(3月25日)彼自身のブログに短いコラムを寄せた。VOA(ボイス・オブ・アメリカ)チベット語部の記者ツェリン・キが中国語に翻訳し、ウーセルが校正した。パルデン・ギャルは焼身者の家族だ。2012年11月15日、彼の姪である23歳のテンジン・ドルマは、村のなかのマニ堂で焼身の犠牲となった。テンジン・ドルマはアムドのレゴン(レプコン)、現在の青海省黄南州同仁県扎毛乡果盖里仓村(ツェンモ郷ゴゲ村)の人で、父親の名はプロ、母親はタシ・ドルマ。

ツェリン・キもまた焼身者の家族であり、今年(2013年)1月12日、彼女の甥である22歳のツェリン・タシが放牧を終えて町まで行き自らを炎とした。ツェリン・タシはアムドのラブラン、現在の甘粛省甘南州夏河県の、アムチョクの牧畜民で、父親の名はドゥッカル・キャプ、母の名はツェリン・ドルマ、妻の名はユムツォ・キ。

自由亚洲电台藏语部记者班旦加(Palden Gyal),前天在他的博客上写了这篇短文,由美国之音藏语部记者才让吉(Tsering Kyi)译成中文,并由唯色修订。 班旦加是一位自焚藏人的家人,去年11月15日,他的侄女、23岁的当增卓玛(Tangzin Dolma)在村里的转经堂自焚牺牲。当增卓玛是安多热贡(今青海省黄南藏族自治州同仁县)扎毛乡果盖里仓村人,父亲名叫普洛,母亲名叫扎西卓玛。
才让吉也是一位自焚藏人的家人,今年1月12日,她的侄子、22岁的才让扎西(Tsering Tashi)放牧后走到镇上点燃了自己。才让扎西是安多拉卜让(甘肃省甘南藏族自治州夏河县)阿木去乎镇牧民,父亲名叫都嘎嘉,母亲名叫才让卓玛,妻子名叫玉措吉。

だとしたら、あと何人失うのか?
文:パルデン・ギャル
チベットのアムドで、昨日、2013年3月24日、1人、今日、2013年3月25日、また1人、焼身した。彼らは「チベットに自由を」と叫び、「ダライ・ラマ法王のご帰還を」と叫んだ。しかして中国共産党の焼身者の要求に対する回答はあっただろうか?
チベット亡命政府は中国政府にただ「チベットで実施している高圧的な政策を変えれば、チベット人の焼身は止まる」とだけ表明している。しかし中国政府はチベット政策を路線変更するどころか、更に厳しさを強め、却って強硬的な方法に転じさえしている。
では、チベット人はもっと焼身を続けるべきなのだろうか?
先日、私は子どもを焼身で亡くした母親に会った。その母親は私を抱きしめて泣いた。数分間泣き続けて、ようやく思い出して「おかえりなさい」とあいさつした。私は彼女を抱きしめ返し、両手で彼女の顔を包み、「泣かないで」としか声にできなかった。それ以上何も話すことはなかった。何も口から出て来なかったからだ。涙も流れなかった。涙があふれ出る彼女の眼の奥に、苦しみ、傷つき、恐れ、疑いが混沌となって見てとれた。
どうしたらいいのか? それは恐ろしくさえあるような感覚だった。焼身の火炎はまだ猛烈に燃え続けるのだろうか? だとしたら、あとどれだけの人を失うのだろうか?
火炎の中でダライ・ラマ法王の御名を高らかに叫ぶ!
くずおれながら民族の自由を呼び覚ます!
これほどあまたの生命とたましいが、火炎のようにたちのぼり、天空から雪の国を見下ろしている……
2013年2月25日

就这样,还会有多少人离去?
文/班旦加(Palden Gyal)

在安多藏区,昨天,3月24日,一人;今天,3月25日,又一人;自焚了。
他们喊着“西藏要自由”,喊着“让达赖喇嘛回到西藏”,然而中共会回应这些自焚者的要求吗?
流亡西藏政府表示只要中共政府改变在西藏实施的高压政策,藏人自焚抗议事件就会停止。可是中国政府不但没有改变对西藏的政策,并且变本加厉,还诸于更强硬的方式。
那么,藏人还要继续自焚吗?

前不久,我与一位自焚族人的母亲见过面。那位母亲抱着我哭了。哭了几分钟才想起问我 “你回来了呀”。我拥抱着她,双手捧着她的脸庞,只说了声“不要哭”。我没有再说更多的话,因为说不出口。我也没有流泪。从她那被泪水淹没的眼里,我看到了痛苦、创伤、恐惧、疑惑,就像一片混沌的画面。
现在应该怎么办?
我有一种害怕的感觉。焚身的火焰还会猛烈地燃烧吗?就这样,还会有多少人离去呢?

在火焰中高喊着尊者的法名!
在倒下时呼唤着民族要自由!

这么多生命的灵魂,像火焰上升,在天上看着雪域藏地……

写于2013年3月25日


(付記)
中国語翻訳からの二重訳ですご了承ください。
チベット人記者がチベット語で書いたコラム、という点にも興味があって訳しました。
一般に、チベット語でものを書くときには伝統的なセオリーがあり、直接的に表現せず、婉曲表現を使い、回りくどく描写するのが美しい、とされていると聞きます。(中国語も多少その傾向はあり、格調高い文章ほど美辞麗句や故事成語や慣用表現を駆使するように思います)
なるほどなあ、と考えながらコラムを読みました。

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2013.03.20

20130320

四川省阿壩で故意殺人遺体焼却事件を解決
2013年3月20日

新華社ネット成都3月20日電(党文伯記者) 四川省阿壩州の警察機関はこのほど、緻密な内偵捜査により、故意殺人と死体焼却損壊事件を解明し、犯罪容疑者であるドルマ・キャプを既に逮捕した。

判明したところによると、2013年3月11日夜、犯罪容疑者ドルマ・キャプ(男、チベット族、32歳、若爾蓋県)と妻クンチョク・ワンモは、ドルマ・キャプの禁酒や賭博断ち、夫婦感情のもつれから激しいけんかとなり、けんかの最中にドルマ・キャプは手でクンチョク・ワンモの首を絞めて窒息死させてしまった。翌日2時ごろ、ドルマ・キャプは死体を隠して証拠を隠滅するためにクンチョク・ワンモの遺体を焼いた。

現在のところ、犯罪容疑者のドルマ・キャプは故意殺人罪で若爾蓋県警察に刑事拘留されており、事件はさらに捜査が進められている。

四川阿坝侦破一起故意杀人焚尸案
2013年03月20日 17:22:02 来源: 新华网
新华网成都3月20日电(记者党文伯) 近日,四川省阿坝州公安机关经过缜密侦查,成功破获一起故意杀人焚尸案,犯罪嫌疑人卓玛甲,已被抓获归案。此前,有媒体将这件刑事案报道成自焚事件。
据了解,2013年3月11日晚,犯罪嫌疑人卓玛甲(男,藏族,现年32岁,若尔盖县人)与妻子广秋俄么因卓玛甲戒酒戒赌、夫妻感情等问题发生激烈争吵,争吵中卓玛甲用手掐住广秋俄么的脖子,致使广秋俄么窒息死亡。次日2时许,卓玛甲为毁尸灭迹将广秋俄么的尸体焚烧。
目前,犯罪嫌疑人卓玛甲因涉嫌故意杀人罪已被若尔盖县公安局刑事拘留,案件正在进一步侦查中。
http://news.xinhuanet.com/legal/2013-03/20/c_115098604.htm
http://news.xinhuanet.com/legal/2013-03/20/d_115098604.htm

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2013.03.16

[訳]SFT代表テンドル:ドゥプツェの遺体はネパールの試金石

SFT代表テンジン・ドルジェ: ドゥプツェの遺体はネパールの試金石
[ハッフィントン・ポスト 2013年3月15日]
投稿日:2013年3月15日11:04

古い仏教説話は次のように説いている。――前世でネパールの王子だったブッダは、ある時、飢えた子連れの母虎が飢えのあまり子虎を食べようとしているのを見て、憐憫と慈悲の心から、その地に横たわり、自分の身体を母虎と子虎に施し与えたという。のちに、チベット人はブッダが「捨身飼虎」した場所を、チベット語で「雌虎に身を捧げた場所」を意味する「Takmo Lujin (stag mo lus sbyin/タクモ・ルジン)」と呼び、その場所は現在、ネパールを巡礼で訪れる人々や観光客からもっとも尊ばれる目的地の一つとなっている。

2月13日、ネパールの首都カトマンズの中心部で、ある25歳のチベット人僧侶――ドゥプチェン・ツェリンが、中国が彼の祖国を統治していることに対して身に炎を放って抗議した。そのニュースを知ったとき、私には、炎に包まれる彼の姿が、タクモ・ルジンの丘の上で飢えた虎に囲まれて横たわるブッダの姿と二重写しに思われた。ブッダの前世である王子が虎の群れに自らを捧げたように、ドゥプツェは弾圧の顎に自らを供したのだ。自らのもろい肉体で北京政府の鋭い牙を鈍らせ、ほかの人々を守ろうとしたのだ。もしブッダの前世の王子がチベット人として現代に生まれていたなら、彼の臣民、彼の国土、彼の文化が残虐横暴な帝国にむさぼり食われようとしているのを目の当たりにして、いったい何をするだろうか。

ネパールは過去何十年もの間ずっと、中国の弾圧から逃れてきたチベット難民の避難場所だった。子どものころ、私は冬休みになるとカトマンズに住む親せきを訪ねた。タクモ・ルジンは、毎冬恒例の巡礼の旅の目的地リストで常にトップだった。ネパールで過ごすあいだ、ネパールの人々の優しさ、旋律豊かな言葉の響き、自然とともにあるさまざまな文化に感化され、時に羨ましくさえ思ったものだった。ネパールは何世紀もの間、多くの宗教や文化が共存し続けてきた土地である。実際、スワヤンブナートや他の多くの聖地では、仏教寺院もヒンドゥー寺院も同じ建物の中におさめられている。

この10年、アジアにおける中国の覇権主義の伸長で、ネパールは、チベット難民にとってのサンクチュアリから悪夢の場所へと変わってしまった。この悲劇は、現在ネパール政府がドゥプチェン・ツェリンの焼身に関して行ってきた対応に端的に表れている。

2月13日にドゥプツェが焼身した――2009年以来、自由を求めて100人以上が焼身している――のち、彼の遺体はネパール警察によって押収された。数日内に、ネパール在住のチベット人が、チベット仏教徒の死者にとって必要不可欠な仏教儀式や火葬を営むため遺体を返還するよう強く求めたが、彼の遺体は安置所に留められたままだった。ネパール当局はチベット人コミュニティーからのすべての要求を拒否し続けている。

ある人が医学的に死亡を告げられた臨終(死有)の際に「明確な光の瞬間」(moment of clear light)と呼ばれる窓が開くタイミングがあり、徳を積んだラマはちょうどその時に死者の魂をより高い輪廻に送ることができる、と仏教徒は信じている。もし徳の高いラマが不在であれば、普通の僧侶たちが故人の傍らに座り「バルドゥ・トゥドル(チベットの死者の書)」を唱え続ける。肉体を離れた故人の魂がもっとも純粋で効力のある段階を通過する瞬間にその祈りが聴き届けられることによって、魂がより高い次元に転生できると考えられているのだ。その窓は、臨終の数時間後から数日間のうちに訪れる、生と死のサイクルの中で最も重要な瞬間の一つと考えられている。

ドゥプツェの遺体は安置所に留められていたために、その重要な機会は1日また1日と彼から遠ざかってしまった。チベット仏教徒にとってこれ以上に大きな損失はないというのに。

真の極悪人は、ネパール政府の最上層部の奥深くにまで触手を伸ばしている中国であることを忘れてはならない。北京政府が伸ばした抑圧という長い腕は、ドゥプツェの人生から政治的な自由を奪っただけではなく、彼が死を迎える際に精神的に解放されるための最後のチャンスまで盗み取った。こうした不正義がやすやすと行われることで、ネパール政府は政府自体が専制政治の装置となっていることを示している。

ドゥプチェン・ツェリンの遺体を地元チベット人コミュニティーに返還するべきだという国際的圧力が強まる中、ネパール政府は「35日以内に肉親からの遺体引き取り申請がなされなかった場合、遺体に対する法的権限は地元政府に移る」と警告を発した。しかし、ドゥプツェはわずか1カ月前にヒマラヤを歩いて越えてきたばかりで、ネパールには誰1人身寄りはいない。チベット人コミュニティーが彼の唯一の縁者なのである!

次に何が起こるかが、ネパールの民主主義と人道主義とその主権にとっての試金石となるといえよう。3月20日、ドゥプツェが焼身を図ってから35日目に、ネパール政府は、ドゥプツェの遺体について、チベット人コミュニティーによって営まれる本来あるべきふさわしい火葬を認めるのか、または中国の外交官に引き渡すのか。もしくは、遺体を秘密裏に「処理」することで彼に2度目の死を与えるのか。

ネパールは今も、仏教を信じる少数者の権利を尊重する民主主義国家だろうか? ネパールは今も、カトマンズを首都とする主権国家だろうか? それとも、ネパールは既に、北京の決定のもとに動かされている衛星国家状態になっているのだろうか? ネパールは今も、ブッダの前世の王子が具現した寛容さと思いやりの精神を尊重する土地だろうか?

ネパールがこの試金石をそれと認めるか否かにかかわらず、我々は3月20日には結果を知ることになる。

Drupchen's Body Is a Litmus Test for Nepal
TheHuffingtonPost 2013/3/15

One of the most enduring Buddhist tales goes like this. In a previous life, when the Buddha was a Nepalese prince, he saw a starving tigress about to eat her own cubs. Overwhelmed by compassion, the prince lay down on the ground and offered his own body to the tigress and her cubs. Takmo Lujin ("Body Offered to the Tigress"), as the site of this sacrifice came to be known among Tibetans, is today one of the most revered destinations for pilgrims and tourists in Nepal.

On February 13, in the heart of Kathmandu, Nepal, a 25-year-old Tibetan named Drupchen Tsering set himself on fire to protest Chinese rule of his homeland. When I heard the news, I couldn't help but imagine him in flames, surrounded by hungry tigers on the hills of Takmo Lujin. While the Buddha prince fed himself to tigers, Drupchen fed himself to the jaws of oppression, using his fragile human body to blunt Beijing's teeth so that others might be spared. If the Buddha prince had been born today as a Tibetan watching his people, nation and culture being devoured by a draconian empire, what would he do?

Nepal was for many decades a sanctuary for Tibetan refugees fleeing China's oppression. When I was a child, I used to visit my extended family in Kathmandu during the winter holidays. Takmo Lujin was always #1 on the list of annual pilgrimage trips. The time I spent in Nepal has made me admire, and sometimes envy, the Nepalese people's infectious kindness, their melodious language, and their natural acceptance of all cultures. Nepal is a land where many religions and cultures have coexisted for centuries. In fact, at Swayambunath and many other holy sites, Buddhist and Hindu shrines would often be housed in the same temple.

Over the last decade, amid China's growing hegemony in Asia, Nepal has turned from a sanctuary to a nightmare for Tibetan refugees. This tragedy is embodied in the way the Nepalese government has so far responded to Drupchen Tsering's self-immolation.

After Drupchen set himself on fire on February 13 - joining more than a hundred Tibetans who have self-immolated for freedom since 2009 - his body was seized by the police. In the days that followed, as Tibetans in Nepal scrambled to claim his body in order to perform the essential Buddhist rites and cremation rituals, his body remained locked up in a mortuary. The Nepali authorities consistently rejected all requests to hand over the body to the Tibetan community.

After a person is pronounced clinically dead, Buddhists believe, there is a window of opportunity called the 'moment of clear light' when a trained lama can transfer the deceased person's consciousness into higher rebirth. In the absence of a lama, ordinary monks would sit by the deceased and chant from the Tibetan Book of the Dead. The departing consciousness of the deceased, passing through its most pure and potent stage, can hear the prayers that carry instructions on how to exit one's body and enter a higher rebirth. This window, which could last from a few hours to a couple of days, is considered one of the most precious moments in the cycle of life and death.

As Drupchen's body lay still in the mortuary, day after day, this opportunity slipped away from him. For a Tibetan Buddhist, there is no greater loss.

It must be remembered that the real culprit is the China, whose tentacles stretch deep into the highest echelons of Nepal's government. Beijing's long arm of oppression not only deprived Drupchen of political freedom in his life, but it also stole his final opportunity for spiritual liberation in his death. In facilitating this injustice, Nepal has allowed itself to be used as an instrument of tyranny.

Amid growing international pressure to hand Drupchen's body to the Tibetan community, the Nepalese government issued a warning that if the body is not claimed by family members within 35 days, it would belong to the state. But Drupchen had escaped from Tibet just a month before by walking over the Himalayas, and had no family in Nepal. The Tibetan community was his only family!

What happens next will be a litmus test for Nepal's democracy, its humanity, and its sovereignty. On March 20th, the 35th day since the self-immolation, Nepal will decide whether to give Drupchen a proper cremation by the Tibetan community, or to hand it over to Chinese diplomats, or to secretly "dispose of" the body and subject Drupchen to a second death.

Is Nepal a democratic nation that respects the rights of its Buddhist minorities? Is Nepal a sovereign state centered in Kathmandu or is it a satellite state that outsources its decision making to Beijing? Does Nepal still honor the spirit of generosity and compassion embodied by the Buddha prince at Takmo Lujin?

Whether Nepal passes this litmus test or not, we will know on March 20th.

 

Follow Tenzin Dorjee on Twitter: www.twitter.com/tendor

http://www.huffingtonpost.com/tenzin-dorjee/drupchens-body-is-a-litmu_b_2883737.html?utm_hp_ref=tw

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2013.03.15

[訳][Phayul2013年2月28日]ネパール当局、焼身死したドゥプツェの遺体を押収

[Phayul 2013年2月28日]
ネパール警察はチベット人4人を逮捕 ドゥプツェの遺体は押収されたまま

(ダラムサラ2月28日電) 高齢の女性2人を含む4人のチベット人が、カトマンズで2月27日、容疑事実不明のまま身柄を拘束された。
4人は、チベット人僧侶ドゥプチェン・ツェリン(通称ドゥプツェ)が中国のチベット占領政策に抗議の焼身をした2月13日から2週間目となる日に逮捕された。ドゥプツェは焼身当日、焼身の数時間後に地元の病院で亡くなった。ネパール当局は、地元のチベット人による度重なる抗議にもかかわらず、遺体を押収し続けている。逮捕されたチベット人4人の身元は、ソナム・トンドゥプ35歳、ジグメ35歳、テンジン・ヤンチェン60歳とツェリン65歳で、病院の近くで逮捕されたという。

情報筋によると、4人はこの日までにカトマンズ市内最大のハヌマーン・ドカ刑務所(Hanumandhoka prison)に移送された。匿名希望のカトマンズ在住のチベット人活動家は「4人はチベット民族蜂起記念日である3月10日まで、犯罪事実の根拠がなくても拘束される可能性がある」と話した。さらに「市内には同様の状況があり『厳戒態勢』で、ドゥプツェの遺体が安置された病院の周囲は要塞のようになっている」(同前)という。「この数日内に地元のチベット人リーダーや活動家が逮捕される懸念は非常に大きい」(同前)。

ネパール当局は、ドゥプツェの遺体について「法律上、遺体を引き渡すことができるのは彼の両親か血縁者、または公式の外交官に限られる。35日以内に交渉がない場合、ネパール当局が遺体に対する法的権利を有することになる」と表明している。

 

ドゥプツェは今年1月にチベットから亡命したばかりでカトマンズに滞在中だった。

聖なるボダナート仏塔の近くで焼身をはかる直前、ドゥプツェは、チベットという「美しい国」に対する彼の愛情を外国人に打ち明けていた。のちに、その外国人はダラムサラに本拠地を置く人権団体「チベット人権民主センター(TCHRD)」に当時の様子を語り、「ドゥプツェはとても穏やかな様子だった」と振り返った。
「私たちがガレリア・カフェに入ったのは午前8時15分ごろでした。朝食をとっているところに、おそらく20~25歳くらいの若いチベット人男性が話しかけてきました。彼はチベットがどんなに美しい場所で、どんなに彼がそこを愛しているかについて話しました」と目撃者は語った。

ドゥプツェは喫茶店を去る前に、慎重にライターを取り出し、目撃者に対して写真を撮ってほしいと頼んだ。
目撃者は、ドゥプツェが焼身をはかるつもりだとは想像も及ばなかったという。
「すべてはあっという間の出来事でしたが、彼はとても穏やかでした」。
「大きな物音が聞こえました。人々の悲鳴が上がり、走り去っていきました。彼は炎に包まれながら、右手のほうへ走って行きました。彼は声を上げませんでした。長くても3分くらいの出来事だったと思います。すぐに、周囲の人たちが、火を消すために上着やセーターを脱ぎだしました」

ドゥプツェ(25)は自身に火をつける前に、ガソリンを体に浴びていた。彼は全身の96%に火傷を負い、その日のうちに絶命した。

ドゥプツェの母はツェラ、父はトゥルク(転生ラマ)であるサンガク・テンジン。東チベットのカム、セルタのヌップスルという町のギェルチュク村の出身。

ドゥプツェは以前、友人たちや親せきに、「これまではチベットの大義のために何一つできなかったが、将来のチベットの人々のために何か建設的なことをすると約束する」と話したことがあるという。

Nepali police arrest four Tibetans, Continue to hold Druptse’s body
Phayul[Thursday, February 28, 2013 23:38]

Tibetan self-immolator Drupchen Tsering in an undated photo.
DHARAMSHALA, February 28: Four Tibetans, including two elderly women, were arrested yesterday in Kathmandu by Nepali police on unknown charges.

The arrests came exactly two weeks after a Tibetan monk, Drupchen Tsering (Druptse) set himself on fire protesting China’s occupation of Tibet in the Nepali capital on February 13. He passed away at a local hospital hours after his protest.

Nepali authorities, despite repeated appeals by local Tibetans, are still holding the body.

The four Tibetans, identified as Sonam Dhondup, 35, Jigme, 35, Tenzin Yangchen, 60, and Tsering, 65, were arrested near the hospital.

Sources tell Phayul that the four were shifted to the Hanumandhoka prison, the biggest in the city, earlier today.

“They could well be kept in custody for no plausible crime until March 10, the Tibetan National Uprising Day,” a Tibetan activist in Kathmandu who didn’t wish to be named said.

The same source added that the situation in the city is “extremely tense” and the area near the hospital where Druptse’s body is being kept has been turned into a fortress.

“Fears over the arrest of local Tibetan leaders and activists over the next few days is very real,” the source said.

Nepalese authorities have maintained that Druptse’s body can legally be handed over only to his parents, family members related in blood or official diplomatic representatives. If these options are not met within 35 days, authorities say they will have legal right over the body.

Druptse had only in January escaped from Tibet and was staying in Kathmandu.

Moments before setting himself on fire near the holy Boudhanath stupa, Druptse had expressed his love for the “beautiful land” of Tibet to a foreigner.

The foreigner, speaking to Dharamshala based rights group, Tibetan Centre for Human Rights and Democracy later recalled that Druptse was “very calm.”

“We arrived at Galleria cafe in Boudanath around 8:15 am. We were to have our breakfast, when a young Tibetan guy, probably between 20-25 years old, came forward to speak to us. He then spoke about Tibet and said that it is a beautiful land and he loved it so much,” said the eyewitness.

Before Durptse left the cafe, he discreetly took out a lighter and asked the eyewitness to take his pictures.

The eyewitness, who had no idea that Druptse was going to self-immolate, said that although “everything happened so fast, but he was very calm."

"I heard a large noise, of people screaming and running away. He was running to the right, engulfed in flames. He didn't scream. The moment lasted around three minutes. Soon, people took out their jackets and sweaters to put out the fire.”

Druptse, 25, had doused his body with gasoline before setting himself ablaze. He passed away on the same day after suffering 96 percent burns.

Druptse is survived by his mother Tselha and father Sangnag Tenzin, who is a reincarnated lama. He is a native of Gyalchung village in Nupsur town of Serta, eastern Tibet.

Druptse earlier told his friends and relatives that he had not been able to do anything for the Tibetan cause in the past but promised to do something constructive for the Tibetan people in the future.

http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=33110&article=Nepali+police+arrest+four+Tibetans%2c+Continue+to+hold+Druptse

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2013.02.02

[訳]新華社:炎の背後にあるデマと真実(前半)

炎の背後にあるデマと真実:甘南〔カンロ〕チベット焼身ルポ
2013年1月31日
元記事:新華網

新華社ネット甘粛省甘南1月31日電(記者李恵子、姜偉超) 冬の日の午後、63歳のチベット人獣医師其繞〔チュェラプ/チュロ*1〕は、ベッドにあぐらをかいて座っていた。傍らには1匹の黒猫が身をすり寄せている。今に至るまで、どれだけ考えても、彼には息子が焼身した理由が分からなかった。
「私の教育がなっていなかった。こんなことをしでかすとは、バカなやつだ」
チュロの眼ににじんだ涙が光った。息子には、さらに立派な人間になるよう常に高く求めていた。31歳の才考〔ツェカル/ツェリン・ナムギャル*2〕は生前、妻子と仲が悪く、商売で金儲けをしたいと考えていて、父親に金を無心し、その父親から拒否され叱責されていた。焼身をすれば“英雄”になれると噂で聞いて、ツェカルは同じ村の牧民の尕藏东知〔ケルサン・トゥンドゥプ〕にこう言った。「こんな生活に比べたら、焼身したほうがましだ」

2012年11月29日、ツェリン・ナムギャルは碌曲県双盆郷落措村〔ルチュ・ゾン、サムツァ、ロツォ〕の大橋の近くで焼身をはかり、彼の同郷の友人2人が現場で油をかけて燃やして手助けし、ツェリン・ナムギャルは現場で死亡した。
これとほぼ同時に、ほかの2人の村人が国外に向けて焼身が起きたことを伝えて情報提供し、いくつかの海外メディアが焼身が広まっていると報道し、ツェリン・ナムギャルはダライ集団の吹聴する“英雄”となった。

その日、村人たちはツェリン・ナムギャルの遺体を彼の家に送り届けたが、家族はこの事実を受け止められなかった。たった一人の息子がこの世を去ってしまうことは、チュロ一家に大きな打撃だった。ツェリン・ナムギャルの姉、伝統的なチベットのドレスを身にまとった旦知草〔タムディン・ツォ〕は、声もなくくずおれた。

ロツォ村のある甘粛省甘南州〔アムド、カンロ〕は、チベット高原東端の山々のなかに位置し、青海、四川のチベットエリアに接する。ある時期から、青海、四川、甘粛の3省が接するエリアで多くの焼身事件が相次ぐようになった。焼身者の多くは20歳前後の若者だった。

18歳の桑代杰〔サムテン・キャプ〕は、甘粛省人民病院焼傷科のベッドに横たわっている。すねから下は既に手術で切断されていた。去年12月2日、この甘南州夏河県〔サンチュ・ゾン〕の青年は、村の売店で3リットルのガソリンと5元の鎮痛薬を買った。借りてきたバイクでボラ寺院の近くまで走り、チベット服の上からガソリンをかぶって火をつけ、チベット服が燃えあがってから、彼は僧院の方向に向かって走り出した。しかし、鎮痛薬を飲むのを忘れたサムテン・キャプは、痛みに耐えかね、チベット服を脱ぎ捨てて、駆けつけたパトカーに向かって投石を始めた。

警察の調べによると、サムテン・キャプは内向的で、長い間にわたって国内外の「藏独」〔チベット独立活動家〕から思想的にそそのかされ、たぶらかされ、ダライ集団の言う「焼身はチベット族がなしとげるべきことへの貢献である」という話を深く信じて疑わなかった。去年5月27日、親友の1人が焼身をはかったことも、彼を突き動かした。焼身する前の11月30日、サムテン・キャプはチベット人の焼身について報道する「ボイス・オブ・アメリカ」のチベット語番組を観た。彼は、番組の出演者に「とてもあこがれており」「彼らを英雄のように思っていた」という。  

「息子が焼身したと聞かされた時は、ショックのあまりぼうっとなりました。最近、地元ではそのようなことが起きていたけれど、我が家に起こるとは考えもしませんでした」
サムテン・キャプの父親、ツェリン・ドルジェは話す。  

サムテン・キャプのことに話を向けると、母ワンデ・ツォはひざの中に頭を埋めるようにうずくまった。唇からは絶えまなく念仏が漏れ、手の中では数珠を手繰り続けている。やがてしばらくすると、念仏は低いくぐもったすすり泣きに変わった。彼らの家は、40~50平方メートルの家畜小屋でヤクや羊を飼っていて、木造2階建ての小さな建物の中には絨毯が敷かれており、チベット族の生活の息遣いに満ちていた。決して裕福ではないが、十分に満ち足りた暮らしぶりだった。しかし、跡取り息子の焼身は、家族全員を悲しみと暗闇のどん底に陥れたのだった。

祖父南杰〔ナムギャル/ナンジェ〕は言う。「サムテン・キャプが成長して、ようやく一人前に働くようになり、嫁をみつけて、家の牛や羊の数も増え、だんだんと希望が見えてきたところだった。こんなことが起きてしまって、これからどうやって生きていけばいいのか」

甘南州政府のあるチベット族政府職員は、ダライ集団はこのような生活環境の劣る人などに焼身者としてターゲットを絞っている、と語る。扇動者はしばしば焼身者に対して「ダライ・ラマがじきじきにあなたのために経を上げて来世の救いをしてくださいますよ」などと持ちかける。チベット仏教における、生物は生まれ変わって何度も人生を繰り返すという伝統的観念は、焼身者に一定の効果を発揮している。ダライ・ラマはかつて、現世で焼身した者は来世でも再び人として生をうけるであろう、と述べている。  

「そんなの、人間性がまったく欠けていやしませんか。17、18歳の子どもをたぶらかして焼身させて、なぜ彼自身は焼身しないのでしょう?」彼は言った。

甘南州にはチベット仏教ゲルク派6大寺院の一つラブラン僧院をはじめ、ラモ寺〔タクツァン・ラモ・キルティ僧院〕、ツォェ寺院ミラレパ9階建て仏閣など、121のチベット仏教寺院がある。  
1673年に創建されたツォェ寺院は、チベット仏教ゲルク派の寺院で、現在147名の僧侶が在籍する。農暦(*3)12月1日の早朝、40人以上の僧侶で構成された「宗教舞踏」〔チャム〕が並んで陣形を作って練習中だった。ホラ貝の音が低く高く響く。彼らはまさに、正月14日(西暦2月23日)の仏教法要の活動のための準備をしているところだった。近所の子どもたちが三々五々、境内に遊びに来ては、経堂〔マニ堂〕の前を通り過ぎるついでにぺこりと頭を下げてお祈りしていく姿が見えた。  

ツォェ寺院の傍らに立つ白い仏塔には、チベット族も漢族の信者も、家族連れからお年寄りから子どもまで、バイクから自転車まで、道端にいったん止めて、塔を一周して福を祈っていく(グオラ転という一種の宗教儀式である)〔コルラ〕。
2012年8月7日正午、仏塔から北西にある山の中腹で、火だるまになって草むらに横たわった張可草〔*4ドルカル・ツォ〕は、こうつぶやき続けていた。「死なせて、死なせて」。仏塔をグオラ〔コルラ〕していたチベット族女性の一人が発見し、火はすぐに消し止められた。

まもなく、ツォェ寺院の僧侶青倍〔チュンペー〕が現場にかけつけた。26才のドルカル・ツォの写真を撮り、その他の僧侶と一緒に、まだ死んでいなかったドルカル・ツォを寺院の建物内に運び入れ、警察に通報せず、病院に運ぶこともしなかったために、初期救急救命のタイミングは失われてしまった。

チュンペーが警察の取り調べに対して供述した内容によると、彼は自分で撮影した4枚の写真を、微信〔WeChat、ボイスチャットSNS〕を通して発信し、その後携帯電話のQQを使って、焼身者の姓名、その父母の名前及び、「彼女は『ダライ・ラマのご帰還を』『民族の自由を』と話していた」などの情報を提供した。その後、海外メディアに公開された4枚の写真は、チュンペーが送信した写真と一致していた。現時点で、チュンペーは甘南州検察に故意殺人罪の容疑で逮捕され、取り調べを受けている。

警察の調べによると、ドルカル・ツォは左足に障害があり、夫や姑家族との関係がうまくいっておらず、姑からは頻繁に注意さればかにされていた。2012年の春節(*5)、夫の妹は<ドルカル・ツォが>焼身した人を「この人たちはダライの帰国とチベット族のなすべきことのため尽くして本当にすごい」と称賛するのを耳にした、と述べた。焼身をはかる4日前、ドルカル・ツォは夫とともに健康診断を受け、病気の症状が出ているので婦人科にまめに通うようにと診断された。このとき、彼女には生まれ変わってやり直したいとの思いが頭に芽生えた。8月6日に実家に帰省した時、彼女の父親は「死んだ時に、ダライ・ラマが読経して供養してくださるなら、その人たちは果報者だなあ」と話した。これらの会話にドルカル・ツォはさらに心を動かされた。

このことについて、62歳のツォェ寺院の活仏〔化身ラマ、トゥルク〕索藏仓〔ソゾンツァン・リンポチェ〕はこう話す。「いわゆる『焼身後にある人が焼身者のため転生儀式をとりはからい、よりよい来世に生まれ変わることができる』という考え方は、仏教の教義の中には存在しないものだ。焼身は愚かで、仏教の教えを捻じまげる行為であり、『英雄的行為』などでは決してない」。

しかし、ドルカル・ツォの「民族英雄」のイメージは、桑吉坚措〔サンギェ・ギャンツォ〕の「あこがれ」となった。
26歳のサンギェ・ギャンツォは、友人とマージャンをしながら酒を飲んでいる時に言った。「ツォェの名声は1人の女性が獲得した。多河〔ドハ〕(村)の名声はオレがもらう」。警察が取り調べで得た供述によると、サンギェ・ギャンツォは当時、友人数人に微信〔WeChat〕でツォェ市でドルカル・ツォが焼身後に草むらに横たわっている写真を転送した。彼はまた、「ボイス・オブ・アメリカ」チベット語放送を頻繁に見ていた。警察筋によると、彼の自宅からは衛星テレビアンテナと受信機が押収されたという。警察によると、「ボイス・オブ・アメリカ」のチベット語番組は毎週月、水、金に放送され、「チベット独立のための焼身」などの内容が彼らの仲間に大きな影響を与えていたという。

*1 其绕:以下、チベットNOWルンタの表記に即して「チュロ」とする。VOT中文の報道では「曲绕」
*2 才考:以下、チベットNOWルンタの表記に即して「ツェリン・ナムギャル」とする。VOT中文は「才让南加」
*3 「農暦」は「中国の旧暦」のこと。記事は、無知であるか故意にか、中国の伝統の旧暦と、チベット暦を同じものとして記述している。
*4 張可草:亡命政府側に伝わった名前に即して「ドルカル・ツォ」とする。
*5 チベットに「春節」(中国の旧正月)の習慣はありません。

ああ

火焰背后的谎言与真相:甘南藏区自焚调查
http://news.xinhuanet.com/legal/2013-01/31/c_114575087.htm
2013年01月31日 21:11:55
来源: 新华网

    新华网甘肃甘南1月31日电(记者李惠子 姜伟超)冬日午后,63岁的藏族兽医其绕,盘腿坐在床上,一只黑猫趴在身旁。直到现在,他也不知道儿子才考自焚的原因。

    “是我对他管教不严。他做出这样的决定,太愚蠢了。”其绕眼含泪光,对儿子恨铁不成钢。31岁的才考生前与妻子不和,想做生意,向父亲借钱,被其父拒绝并遭训斥。听说自焚能成为“英雄”,才考对同村牧民尕藏东知说:“与其这样活着还不如自焚。”

    2012年11月29日,才考在碌曲县双岔乡落措村大桥旁点火自焚,他的两位同村好友现场浇油助燃,直至才考身亡。与此同时,另外两名村民向境外提供并传递自焚信息,一些境外媒体对自焚事件进行了报道,才考成为达赖集团鼓吹的“英雄”。

    当天,村民将才考遗体运回他家,家人无法接受这一事实。唯一儿子的离去给其绕家造成很大影响。才考的姐姐、身穿传统藏袍的旦知草在一旁沉默不语。

    落措村所在的甘肃省甘南藏族自治州位于青藏高原东缘的群山中,与青海、四川藏区毗邻。一段时间以来,青海、四川、甘肃三省交界地区发生了多起自焚事件,自焚者多为20岁左右的年轻人。

    18岁的桑代杰躺在甘肃省人民医院烧伤科病床上,小腿已被截肢。去年12月2日,这位甘南州夏河县的年轻人在村小卖铺买了3升汽油和5元的止痛片。骑着借来的摩托车到达博拉寺院附近后,他将汽油浇在藏衣上点燃,藏衣起火后,他向寺院方向跑去。然而,忘吃止痛片的桑代杰疼痛难忍,遂脱下藏衣,并向驶来的警车打砸石头。

    根据警方调查,桑代杰性格内向,长期受境内外“藏独”思想煽动和蛊惑,对达赖集团“自焚是为藏族事业献身”深信不疑。去年5月27日一位好友的自焚对他触动很大。自焚前的11月30日,桑代杰收看了报道藏人自焚的“美国之音”藏语节目,他说自己对节目里的人“特别崇拜”,“他们像个英雄”。

    “当接到我儿子自焚的消息后,我整个人都懵了。虽然这里最近发生过一些这样的事,但没想到也会发生在我们家里。”桑代杰父亲才让道吉说。

    一说起桑代杰的事,母亲完代草便把头埋进膝盖中间,嘴里不停地念着佛经,捻动手里的佛珠。过了一会儿,念经声被低低的啜泣声代替。他的家,四五十平米的院落养着牦牛和羊,一座纯木的二层小楼里,放着毛毡,充满了藏族的生活气息,这是个虽不富裕但能自足的家庭。然而男孩的自焚让全家陷入了悲痛和阴霾。

    爷爷南杰说,随着桑代杰逐渐长大,能干活,娶了媳妇,家里的牛羊多了,也渐渐看到了希望。但出事后,不知该怎么走下去。

    甘南州政府一位藏族官员称,达赖集团选定自焚的人有针对性,比如生活境遇差的。煽动者常对欲自焚者说,达赖喇嘛会亲自为你念经超度。藏传佛教轻今生、重来世的传统对自焚发挥了一定作用。达赖喇嘛曾说,在世自焚,来世就会重生。

    “这是人性的泯灭。煽动十七八岁的孩子自焚,为什么你自己不去自焚?”他说。

    甘南藏族自治州有藏传佛教格鲁派六大宗主寺之一的拉卜楞寺,以及郎木寺、合作寺米拉日巴九层佛阁等121座藏传佛教寺院。

    创建于1673年的合作寺是藏传佛教格鲁派寺院,现有147名僧人。农历十二月初一早晨,由40多名僧人组成的“法舞”方阵正在排练,法号声此起彼伏,他们正为正月十四(西历2月23日)的佛事祈福活动做准备。附近的孩子们三三两两来寺院玩,路过经堂,顺便跪拜。

    合作寺旁的白塔,藏族与汉族信众,全家老小,将摩托车、自行车停在一旁,绕塔祈福(转锅拉,一种宗教仪式)。2012年8月7日中午,白塔西北方的山坡上,浑身火焰的张可草倒地,不停念叨:“让我死、让我死。”在白塔处转锅拉的一名藏族妇女发现并将火扑灭。

    随后,合作寺院僧人青倍赶到自焚现场,对26岁的张可草拍照,并与其他僧人一起将尚未死亡的张可草抬至寺管会房内,既不报警,也不将自焚者送医院,贻误了抢救时机。

    根据警方提供的青倍供述,他将所照的4张照片通过微信发出,后又使用手机QQ,将自焚者姓名、其父母姓名以及“她说达赖喇嘛回国,民族自由”等信息发出。案发后,境外媒体上出现的4张图片与青倍通过微信所发的照片一致。目前,青倍已被甘南州检察院以涉嫌故意杀人罪批准逮捕。

    根据警方调查,张可草左腿残疾,与丈夫和婆家关系不好,常遭婆婆的批评和欺负。2012年春节,丈夫的妹妹在讲述有人自焚时赞叹说:“这些人为了达赖回国和藏族事业真厉害!”自焚前4天,张可草在丈夫陪同下检查身体,诊断出患有常见妇科疾病。据此,她产生了轻生的念头。8月6日回家时,她父亲说:“就是死了,达赖喇嘛也会念经超度,也是这些人的造化。”这些话对张可草再次有了触动。

    对此,62岁的合作寺住寺活佛索藏仓说:所谓“自焚后有人为自焚者超度,从而获得很好的来生”这一说法在佛教教义中是不存在的,自焚是愚蠢的、曲解教义的行为,不是“英雄行为”。

    然而,张可草自焚的“民族英雄”形象却成了桑吉坚措的“榜样”。26岁的桑吉坚措与朋友打牌喝酒时说:“合作(市)的名声一个女的取得了,多河(村)的名声我要取呢。”根据警方获得的供述,桑吉坚措曾与几个朋友在微信群中转发合作市张可草自焚后躺在草地上的照片。他还经常收看“美国之音”藏语节目。警方证实,他家中装有接收电视信号的卫星接收器,“美国之音”的藏文节目每周一、三、五播出,藏独自焚等内容在他们中间有很大影响。

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[日本語訳]甘粛省夏河(サンチュ) 6人にそれぞれ懲役12~3年の判決

中国官製報道の翻訳垂れ流しは不本意ではあるのですが、当局側が何を言っているか把握しないことには批判もできないし、ということで…。

適用罪名とか容疑事実とか事実認定の確認のための翻訳です。

 

甘肃数人阻挠武警救援自焚人员 被判故意杀人罪
(甘粛:武装警察の焼身者救護活動を妨害した数人に故意殺人罪を適用)

2013年2月1日
元記事:人民日報

 甘粛省夏河県〔サンチュ〕の県人民法院〔地方裁判所〕で、故意殺人罪に問われた完麼当知〔ペマ・トゥンドゥプ〕▽尕藏加木措〔ロサン・ギャムツォ〕▽完玛草〔ペマ・ツォ〕▽拉毛当知〔ラモ・トゥンドゥプ〕の4被告と、<騒ぎを引き起こし他人の財産に損害を与えた>騒乱挑発罪に問われた斗格加〔トプギャル〕、杨毛吉〔ヤンモ・ツォ〕両被告に対する公開法廷での判決公判が開かれた。故意殺人罪に問われた被告人ペマ・トゥンドゥプに懲役12年と2年間の政治権利剥奪▽ロサン・ギャムツォに懲役懲役11年と政治権利剥奪1年▽ペマ・ツォに懲役8年▽ラモ・トゥンドゥプに懲役7年――の実刑が言い渡された。また、騒乱挑発罪に問われた被告人トプギャルに懲役4年▽ヤンモ・ツォに懲役3年――の実刑がそれぞれ言い渡された。
 夏河県人民検察は法廷に職員を派遣して公判維持し〔=十分な証拠をそろえて犯行を立証し〕、6被告とその弁護人らが訴訟に参加した。夏河県人民法院は厳格に法律にのっとって規定通りにこの公判の審理を行い、公判における被告人6人の法的権利は十分に保障された。公判審理において、裁判所は6被告のためにチベット語の通訳を用意し、罪状の言い渡し、量刑にかかわる事実認定、証拠調べと被告人質問を行って、被告6人及び被告側弁護士は弁護側弁論で十分に主張を述べることができた。
 夏河県人民法院での審理を通じて明らかになったところによると、2012年10月23日15時30分ごろ、夏河県洒乙昂村〔サンチュ、サユ〕の村民の道吉仁青〔ドルジェ・リンチェン〕は、夏河県扎西奇街欧諾丹増商場〔サンチュ、タシ・キ通りのウデン・テンジン市場〕の近くで焼身をはかり、発見した勤務中の武装警察官が炎を消し止めようとした。ドルジェ・リンチェンは当時まだ生体反応があった。執務中の武装警察官が救急救護措置をとろうとしている時に、ペマ・トゥンドゥプ被告は現場で大声で叫び、ロサン・ギャムツォ、ペマ・ツォ、ラモ・トゥンドゥプの各被告らを呼び集め、彼らを率いて公務中の武装警察官に突撃し、殴りかかって、公務中の人たちのドルジェ・リンチェンに対する救急救命活動を妨げ、公務執行を妨害した。さらに、現場に駆けつけた公安や人民警察が、周囲の野次馬に向かって救急救命活動を邪魔しないよう呼びかけたにもかかわらず、ペマ・トゥンドゥプ、ロサン・ギャムツォ、ペマ・ツォ、ラモ・トゥンドゥプは引き続いて突っ込んでいって公務執行員を殴り倒し、ロサン・ギャムツォはドルジェ・リンチェンの身体を別の者から奪い取り、混乱に乗じて別の者にドルジェ・リンチェンを運んでその場から連れ去らせ、現場での救急救命を間に合わなくさせて死亡させた。トプギャル、ヤンモ・ツォ両被告は、現場付近で騒ぎたてて騒動を起こし、野次馬見物が大勢集まるようにしむけて、現場に深刻な秩序の混乱をもたらし、商業地域の正常な経営活動を阻害し、道路交通の秩序を著しく乱した。
 判決によると、ペマ・トゥンドゥプ、ロサン・ギャムツォ、ペマ・ツォ、ラモ・トゥンドゥプの4被告は、公務執行中の人に飛びかかって殴りつけるなどの手段で焼身者への速やかな救急救命活動を妨害したとしていずれも故意殺人罪に認定された。トプギャル、ヤンモ・ツォの2被告は、公共の場所で大騒ぎを引き起こし、公共の秩序を著しく乱したとして騒乱挑発罪が適用された。
 ペマ・トゥンドゥプ、ロサン・ギャムツォ、ペマ・ツォ、ラモ・トゥンドゥプは共謀してわざと救急救命活動を妨害したとして、共同犯罪が成立した。このうち、ペマ・トゥンドゥプは群衆を呼び集めると同時に真っ先に現場へ突っ込み、ロサン・ギャムツォは現場で積極的に衝突を起こすとともに焼身者の奪い取りに加わり、主導的な役割を果たしたとして主犯とされ、2人が関与したすべての犯罪の罰則にのっとって対処された。ペマ・ツォ、ラモ・トゥンドゥプは現場での襲撃にかかわったが、従属的な立場で関わったとして従犯として扱われ、法律に基づいて処罰が軽減された。被告6人の犯行の事実、性質、情実や社会に対する危害の程度によって、かつ検察・弁護人双方の主張を十分に考慮したうえで、裁判所は法律にのっとって以上の判決を導いた。
 被告人の親族ら関心のある各方面の70数人が公判を傍聴した。

 

〔○○〕文中の中国の行政区分などに対してチベット地名などを補足した注記
<○○>原文にない部分を補足した注記

 


新华新闻 新华法治
甘肃数人阻挠武警救援自焚人员 被判故意杀人罪
2013年02月01日 10:25:54
来源: 人民日报

 甘肃省夏河县人民法院对被告人完么当知、尕藏加木措、完玛草、拉毛当知故意杀人、被告人斗格加、杨毛吉寻衅滋事一案公开开庭审理并当庭宣判,以故意杀人罪判处被告人完么当知有期徒刑十二年,剥夺政治权利二年,判处被告人尕藏加木措有期徒刑十一年,剥夺政治权利一年,判处被告人完玛草有期徒刑八年,判处被告人拉毛当知有期徒刑七年;以寻衅滋事罪判处被告人斗格加有期徒刑四年,判处被告人杨毛吉有期徒刑三年。

 夏河县人民检察院派员出庭支持公诉,六被告人及其辩护人等到庭参加诉讼。夏河县人民法院严格依照法律规定审理此案,充分保障了六被告人的诉讼权利。庭审中,法庭为六被告人提供了藏语翻译,对与定罪、量刑有关的事实、证据进行了调查、辩论,六被告人及其辩护律师充分发表了辩护意见。

 夏河县人民法院经审理查明,2012年10月23日15时30分许,夏河县洒乙昂村村民道吉仁青在夏河县扎西奇街欧诺丹增商场附近自焚,被执勤武警发现并及时将火扑灭。道吉仁青当时尚有生命迹象。执勤武警准备实施抢救时,被告人完么当知在现场呼喊、纠集被告人尕藏加木措、完玛草、拉毛当知带头冲击、殴打执勤人员,阻碍执勤人员对道吉仁青施救。当闻讯赶至现场的公安民警劝告围观人员不要影响抢救工作时,完么当知、尕藏加木措、完玛草、拉毛当知仍继续冲击、殴打执勤人员,尕藏加木措还与他人抢抬道吉仁青,致道吉仁青被人趁乱抬离现场,未能得到及时救治而死亡。被告人斗格加、杨毛吉在现场附近起哄闹事,引起大量群众聚集围观,造成现场秩序严重混乱,影响了商业区的正常经营和道路交通秩序。

 夏河县人民法院认为,被告人完么当知、尕藏加木措、完玛草、拉毛当知采取冲击、殴打执勤人员等方式,阻碍执勤人员对自焚者施救,其行为均已构成故意杀人罪。被告人斗格加、杨毛吉在公共场所起哄闹事,造成公共场所秩序严重混乱,其行为均已构成寻衅滋事罪。完么当知、尕藏加木措、完玛草、拉毛当知共同故意阻碍施救,属共同犯罪。其中,完么当知纠集人员并为首冲击现场,尕藏加木措积极冲击现场并参与抢抬自焚者,起主要作用,是主犯,应当按照二人所参与的全部犯罪处罚;完玛草、拉毛当知参与冲击现场,起次要作用,是从犯,可依法减轻处罚。根据六被告人犯罪的事实、性质、情节和对于社会的危害程度,并充分考虑控辩双方的意见,法院依法作出上述判决。

 被告人亲属及各界群众70余人旁听了庭审。

http://news.xinhuanet.com/legal/2013-02/01/c_124310149.htm?prolongation=1

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2013.02.01

MADE IN TIBET - Shapaley(シャパレ)

引用元:ブログ「看不見的西藏」2011年11月2日
「Shapaley说唱:Tibet制造 【Made in Tibet】」
(シャパレの歌う「メイド・イン・チベット」)

歌詞日本語試訳

アマラ(お母さん)、パーラ(お父さん)、ぼくたち子どもの敬愛する両親
僕が生まれたその日から ずっとそばにいてくれて ずっと育ててくれた
僕たち子どもを 喜びも悲しみも どんな時だって
愛情と親心で満たしてくれた 僕たちは深く深く感謝しています
僕たちはあなたの教えを決して忘れません
男なら、何が起きても 慈悲を持って人に接すること。
どんな困難に直面しても 誠実に人と接すること。
もし倒れても、また立ちあがって、歩き続けること。
道がどんなに険しくても、それでもまっすぐに歩き続けること。
女なら、心の中の信仰を、どこへ行っても失わないこと。
アマラとパーラに感謝して、ご長寿を願い、そのために祈っています

僕たちの故郷 それはプゥネ(チベット) 僕たちはけっして忘れない
いつも いつも それを思うんだ
僕たちは 自分がプゥネ(チベット)から来たんだって

同じ体の一部であるきょうだいたち 
君たちにこの歌が聞こえているか僕たちは知らない
それでも貴方たちにいつかこの知らせが届いたらいいな
心配しないで 僕たちはみんな元気にしています
お父さんもお母さんも とてもお元気にしています
僕たちは離ればなれにさせられているけれど お互いの距離はとても遠いけれど
僕たちは片時も君たちを忘れたことはない
プェリ(チベット人)のきょうだいはいつも心の中で 同じ時を刻んでいる
どんなに歳月が流れたとしても 僕たちは君たちを忘れない
どうか君たちも信じていてほしい
僕たちは君たちだけを置き去りにはしない 僕たちはそばにいる
同じからだをわけあうきょうだいたちよ これからも永遠にずっと
心から言うよ 僕たちは決して忘れない
だから君たちはどうか楽に過ごして 心配しないで 体を大切にして
僕たちは一日もはやく会える日を祈って
空をながめ 君たちの幸福を祈っています

僕たちの故郷 それはプゥネ(チベット) 僕たちはけっして忘れない
いつも いつも それを思うんだ
僕たちは 自分がプゥネ(チベット)から来たんだって

いま ここまで手紙を書いたけれど 涙でインクがにじんだ
僕の心はふるさとに行ったまま それはプゥネ それはカワチェン 僕たちの楽園
人生について僕が知ることは多くない でも僕はプェリだ それだけははっきりしてる
僕はこんなふうに考えるんだ 僕の心は決して変わらないと
言葉を飾らずいうと これは僕の誇りだ
僕たちはみんな一緒に 一つにまとまり どんな場所に行ったとしても
プェリのきょうだいの心を抱いて 
楽しい時は一緒に笑い 幸せな時は喜びをわかちあい
そして 辛い時は 一緒に涙を流すんだ
心から言うよ 今まで胸に秘めてきた
でも今ここで 僕はすべてを君に打ち明けたい
どれだけの時間 何分何秒でも 何日でも 何年でも
数えることができないくらいの時が流れたとしても
僕たちは未来永劫カワチェンの子ども

僕たちの故郷 それはプゥネ(チベット) 僕たちはけっして忘れない
いつも いつも それを思うんだ
僕たちは 自分がプゥネ(チベット)から来たんだって

Tibet制造 【Made in Tibet】
说唱:Shapaley

阿妈啦、爸啦,你们是我们孩子们敬爱的父母。
从我们生下的第一天,就陪伴在我们身边,多年来抚养我们长大。
当我们还是孩子,无论是快乐、悲伤或任何时候,
你们给予爱和亲情,我们深深地感谢你们。
我们不会忘记你们的教导:
年轻的男孩,不管发生什么事,要慈悲待人。
不管遇到多大的困难,要诚实待人。
如果摔倒,就爬起来,继续走;
无论道路有多么崎岖,要一直往前走。
年轻的女孩,你内心的信仰,
无论走到哪里都不要失去。
感恩阿妈啦和爸啦, 愿你们长寿,我们为此祈祷。

我们的故乡是博域【1】,我们忘不了。
每当想起,我们知道自己来自博域。

手足同胞们,你们是否能够听到我们不知道,
但还是希望您们收到这讯息。
不要担心,我们所有人都很好,爸啦和阿妈啦他们两位也很好。
虽然我们被分开,彼此相距遥远,
但是我们一直在惦记着你们。
博日【2】同胞在我们心上,时刻牵挂着。
无论岁月流逝,我们不会忘记你们。
请你们相信,我们不会将你们孤独地放下,我们就在这里。
有幸成为手足同胞,一生一世都是手足同胞。
说实话,我们生生世世不会忘记你们。
所以你们要尽量开心地生活,不要担忧,保重身体。
我们怀着与你们早日见面的希望,
望着天空,为你们的幸福而祈祷。

我们的故乡是博域,我们忘不了。
每当想起,我们知道自己来自博域。

此时此刻,当我用墨水写下这些话语不禁落泪。
我的心就在我称为祖国的地方,那是博域、喀瓦坚【3】,我们的乐土。
关于人生我知道的不多,但我是博日这一点我很清楚。
我就是这么认为的,这是我内心的感受并不会改变。
即使我没有太多的表现,但这是我的骄傲。
我们大家都一样,团结一致,走到任何地方都怀着博日同胞的情谊,
欢笑的时候一起欢笑,幸福的时候我们在一起分享,
而痛苦的时候,我们也一起流泪。
这是心里话,一直珍藏到现在,
但在今天,我将这一切向你们倾诉:
不管多少分钟、多少天、多少年,无论时间流逝多久也不算什么,
我们生生世世都是喀瓦坚的子女。

我们的故乡是博域,我们忘不了。
每当想起,我们知道自己来自博域。

【1】博域:即图伯特,即TIBET,即西藏(Bod)。按照博域传统的地理观念,由高至低,分为上、中、下三大区域,有上阿里三围、中卫藏四如、下多康六岗之说。分布在现如今行政区划的甘肃省、青海省、四川省、云南省的藏地,以及西藏自治区。

【2】博日:藏语,藏人。藏语中对藏人的称谓,还有“博巴”、“博弥”、“岗坚巴”即雪域之子、“果纳博”即黑头藏人,等等。

【3】喀瓦坚:藏语,雪域,对图伯特的又一个美好的称呼。

Made in Tibet

Mother and father, you’re our beloved parents.
You were beside us from the first day on,
you stayed with us till we became grown-ups.
When we were kids, whether happy, sad or ill, you showed us your love
and affection at all times, and we thank you for that.
We won’t forget the way you’ve showed us:
Young man, whatever happens, be compassionate with others.
Whatever hardships you may encounter, be honest with them.
If you fall down, get up again and go on,
whatever the obstacles, stay on the right path.
Young girl, wherever you go, never lose your faith and hope.
Beloved mother and father, may you live long.

Brothers and sisters, we don’t know if you can hear us, but we hope you’ll receive this message.
Don’t worry, we’re all doing fine; Father and Mother are fine, too.
Although we’re far away from you, our thoughts are with you.
We bear in our hearts our brotherly bond, and however much time has passed, we haven’t forgotten you.
We’ll never forget you, you can trust us, we haven’t forsaken you, we’re at your side!
We are and we’ll be forever brothers and sisters.
Honestly, we’ll never forget you!
So don’t worry, take care of yourselves.
Hoping that we’ll meet you soon, we look up to the sky and pray for your happiness.

And while I’m here and write these lines with an ink stained with tears, my thoughts are in the place that I call my homeland - Tibet,the land of snow, our land.
I don’t know much about life, but I know I’m Tibetan. That’s how I feel and that won’t change.
Even if I don’t have much to show, this is my pride.
We’re all the same, we stick together.
And wherever we are on earth, we have a common brotherhood.
We laugh together when times are good.
And when bad times come, we also cry together.
I’ve kept to myself what I had on my heart until now.
But today, I want to say it all.
And no matter how much time goes by, we’ll always be children of the land of snow.


 本土のヒップホップミュージシャンは、本土から会えない法王を慕う気持ちを吐露しているけれど、彼の歌「メイド・イン・チベット」は、故郷を離れて育った亡命チベット人第2世代が、故郷チベットのチベット人に向けた思いを手紙のようにつづった歌です。

 彼は「シャパレ」(チベット料理の肉挟みパン、ミートパイ)がチベット人の間で大ヒットして、通り名が「シャパレ」になったチベット人ヒップホップミュージシャン。スイスのショートフィルムフェスティバルにコントドラマを出品するなどコメディアンとしても活動しています。
 2月13日にダラムサラで初公演があると聞いてちょっと盛り上がって、彼の2年前のラップを聞いていました。

 下の映像(約1分)は、ダラムサラでのコンサートに「乞うご期待!」と動画で呼び掛けるシャパレくん。

 以下、あてずっぽう推測訳→「ゴンカムサー(こんにちは)、ンゲーミン(僕の名前は)シャ・パ・レ!」以下さらにあてずっぽう推測訳→「2013年2月13日のチベット独立宣言<とされる>記念日のSFT India のコンサートに出演します」「時間がある人は、シャパレを知っている人は、聞きに来てくれたら嬉しいです。お目にかかりましょう。トチェナン(ありがとうございます)」「シャパレを召し上がれ!」
 手に持っているのはもちろんシャパレ(チベットのミートパイ)です。。どっから。。(笑)

 日本でもシャパレ人気が盛り上がらないかなあぁ!

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2013.01.17

新華社報道「中国警察、ツォェ(合作)の焼身事件を解決」への懸念

 新華社通信がまた奇妙な記事を配信していました。

 焼身はTYC(チベット青年会議)が企てた計画的犯行である、ということにしたいらしいです。「TYC幹部を逮捕した、という記事らしい」というので、最初は、ダラムサラで見かけたりFacebookでみかけるTYCの何人かの顔を思い浮かべて「誰が!?」と失笑しかけたのですが、記事を全部読むと、なかなかひどいことになっていました。

 ・逮捕されたのはチベット本土、ツォェのドカル僧院の僧侶ら
 ・焼身した青年ともともと非常に関係が深い人物に後から都合のいい筋書きをでっちあげて「TYC幹部」などの濡れぎぬを着せたとみられる
 ・ブッダガヤのカーラチャクラ潅頂法要、及び潅頂法要に参加した信心深い人たちがターゲットにされて『焼身を計画した不法分子』というスケープゴートにされた(今後もされうる可能性がある)

甘粛省警察、ダライ集団である「チベット青年会議」構成員が計画した焼身殺人事件を解決
2013年1月15日 ソース:新華網(新華社ネット)
 【新華社蘭州1月15日】甘粛省の警察はこのほど、国外のダライ集団である「チベット青年会議」幹部構成員が組織的に計画し、チベット域内のならず者が惑わせて扇動した、組織的かつ計画的な焼身殺人事件の捜査解決に成功した。この事件では1人が死亡している。ケルサン・ギャツォ、ゴンポ・キャプ、タシ・ジャムツォ[尕藏加错、贡保杰、扎西尖错]ら主要容疑者7人がこの事件で逮捕された。
 2012年10月6日、甘粛省合作市那吾郷多河村<アムド、ツォェ、ドカル村>の村民サンゲ・ギャンツォ(26歳男性)が焼身により死亡し、甘粛省公安庁<警察本部に相当>はすぐさま専門の捜査本部を設置し、全力で捜査に当たった。これまで明らかになったことによると、2007年、サンゲ・ギャンツォは他の者と共謀して連続窃盗事件を起こし法にのっとって処分され、長期にわたり正規の職業についておらず、また同時に多数の女性と不適当な関係を続けていた。2011年、国外の「チベット青年会議(TYC)」メンバーであるチュギャムツォ[祁坚措](33歳男性、元ドカル僧院僧侶、サンゲ・ギャンツォの同郷の親友で、2000年に不法出国してインド「デプン寺院」で僧侶となっている)がチベット領域内に入って活動した期間に、何度もサンゲ・ギャンツォに「チベット独立」思想を持ち込んで吹き込み、同年9月にインドに戻った後も、インターネットや電話などの手段を通じて密接な関係を保ち、焼身した何人かについていわゆる「英雄的行為」であると吹聴し、「チベット人のための活動に貢献すれば、自分と家族の地位が高まる」とそそのかした。2012年1月には、ダライ集団がインドで開催した「カーラチャクラ潅頂法要」の期間に、チュギャムツォと「TYC」の別の1人の幹部構成員ゴンポ・ゴンチュク[贡保贡去乎](33歳男性、元ドカル僧院僧侶、2000年に不法出国)が呼んでインドを訪れカラチャクラ法要に参加したケルサン・ギャツォ(41歳男性、ドカル僧院会計担当、チュギャムツォの兄)、ゴンポ・キャプ(32歳男性、ドカル僧院僧侶)など30人余りの甘粛省甘南州<アムド、カンロ地方>僧侶が会合を開き、チベット本土域内での焼身アクションの実施について計画した。2012年4月、ゴンポ・ゴンチュクはインドから<チベット本土に>ひそかに戻り、サンゲ・ギャンツォに会ってそそのかしと扇動をすすめ、合わせて「焼身さえすれば、その写真を領域外に送信し、ダライ・ラマ組織のインドの僧侶たちが読経して供養することを保証する」と確約して、焼身の決意を固めさせた。10月6日、サンゲ・ギャンツォはゴンポ・キャプら3人に電話を掛けて、焼身する時間と場所を伝えた。サンゲ・ギャンツォが火をつけた後、現場に先回りしていたタシ・ギャツォ(25歳男性、ドカル僧院僧侶)、ゴンポ・キャプらの人々は焼身の一部始終や現場の状況を撮影し、いちはやく領域外に伝えた。<焼身した>当日午後、領域外在住のチュギャムツォはすぐさまメディアに情報を公表した。続いて、ダライ集団は全力で自作自演を行い、チベット地域がいわゆる「人道主義の危機」に臨していると言いふらし、国際勢力に口出しさせるよう要求した。サンゲ・ギャンツォが焼身した後、ゴンポ・ゴンチュクはただちにこっそり出境し逃れた。
 警察筋によると、他人を組織的、計画的、扇動的、そそのかして焼身させることは、命あるものを害することであり、社会に危害を及ぼし、故意に他人の命を奪う重犯罪行為である。中国の警察当局は既に、国際刑事警察機構を通じ、関係国に対しゴンポ・ゴンチュクを身柄請求した。同時に、今後さらに背後関係の捜査に力を入れ、他者の生命をふみにじる犯罪行為は法にのっとって厳罰に処する。

元記事、記事原文はこちら

甘肃警方侦破达赖集团“藏青会”成员组织策划自焚杀人案
http://news.xinhuanet.com/politics/2013-01/15/c_114378934.htm
2013年01月15日 19:50:55
来源: 新华网
    新华网兰州1月15日电  近日,甘肃警方成功侦破境外达赖集团“藏青会”骨干成员组织策划,境内不法分子蛊惑、煽动的有组织有预谋自焚杀人案,该案造成1人死亡。尕藏加错、贡保杰、扎西尖错等7名主要犯罪嫌疑人被缉捕归案。
    2012年10月6日,甘肃省合作市那吾乡多河村村民桑吉坚措(男,26岁)自焚死亡,省公安厅立即组成专案组全力侦破。现查明,2007年,桑吉坚措因伙同他人连续盗窃作案被依法处理,长期无正当职业,同时与多名女性保持不正当关系。2011年,境外“藏青会”成员祁坚措(男,33岁,原多河寺僧人,与桑吉坚措是同村好友,2000年非法出境后在印度“哲蚌寺”为僧)入境活动期间,多次向桑吉坚措灌输“藏独”思想,同年9月返回印度后,通过互联网、电话等方式与其保持密切联系,向其宣扬一些自焚人员的所谓“英雄事迹”,鼓动其“为藏人的事业做出贡献,提高自己和家人的地位”。2012年1月,达赖集团在印度召开“时轮金刚法会”期间,祁坚措与“藏青会”另一骨干成员贡保贡去乎(男,33岁,原多河寺僧人,2000年非法出境)召集赴印度参加法会的尕藏加错(男,41岁,多河寺寺管会会计,祁坚措的哥哥)、贡保杰(男,32岁,多河寺僧人)等30余名甘南州僧人开会,策划在境内实施自焚行动。2012年4月,贡保贡去乎从印度潜回,当面对桑吉坚措进行煽动教唆,并承诺“只要自焚,保证将其照片发往境外,让达赖喇嘛组织印度的僧人为其诵经超度”,坚定其自焚的决心。10月6日,桑吉坚措给贡保杰等3人打电话,告知其自焚的时间和地点。桑吉坚措点火后,早已守候在现场的扎西尖错(男,25岁,多河寺僧人)、贡保杰等人将自焚过程和现场情况进行拍摄后迅速传往境外。当天下午,在境外的祁坚措即在媒体发布了消息。随后达赖集团极力炒作,宣扬藏区面临所谓“人道主义危机”,要求国际势力干预。桑吉坚措自焚后,贡保贡去乎随即潜逃出境。
    警方表示,组织、策划、煸动、教唆他人自焚,残害生灵,危害社会,是故意剥夺他人生命的严重犯罪行为。中国警方已通过国际警务合作渠道,向有关国家警方对贡保贡去乎发出协查请求;同时,将进一步加大案件侦办力度,依法严惩残害他人生命的犯罪行为。

 名指しされた南インド、デプン僧院の僧侶チュギャムツォさんは17日、VOT(ボイス・オブ・チベット)の取材に応じ、「まったく事実無根」と訴えています。

 チベットの僧侶、中国共産党のでっちあげを非難(中国語)
 西藏僧人批评中共编造故事欺骗世人
 (記事はかなり長いので、訳出は後回しにします)

 上記記事のなかでチュギャムツォさんが訴えている内容のポイントをまとめたもの
 南印哲蚌寺僧人的说明(南インドデプン寺僧侶の訴え)(中国語)

  1. 自分はそもそもTYC(チベット青年会議)のメンバーではなく、また、焼身をそそのかしたこともない。
  2. サンゲ・ギャンツォとは同じ村の出身で、村の全員が彼のひととなりを知っている。真面目で素朴で老人をいたわり子どもをかわいがり、正義感のある青年だ。連続窃盗だの多数の女性と不倫という当局の報道は完全なでっちあげである。
  3. 中国当局は、サンゲ・ギャンツォの家族に「家庭内の不和が原因で焼身したことにするなら100万元の賠償金を支払う」と持ちかけた。家族が拒否した後に、このような荒唐無稽なでっちあげが流された。
  4. 当局の報道がいう「カラチャクラ潅頂法要の間に会合を開き犯罪の計画を立てた」などという事実はなく、まったくの作り話である。名前を上げられたケルサン・ギャツォはこれまで一度もインドに来たことはなく、また自分(チュギャムツォ)はゴンポ・キャプという知り合いはいない。すべてでっちあげである。
  5. VOTはTYC議長ツェワン・リグジンを取材しており、ツェワン・リグジンは「南インドのデプン僧院のチュギャムツォはTYCとまったく関係ない」と明言している。
  6. ツェワン・リグジンは同時に、TYCが焼身を扇動したこともない、すべて作り話であると述べている。

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2012.11.23

当局記事「この冬のチベット駐屯新兵が出発」

Tumblrにメモとしてアップしようと思った覚え書きなのですが、引用が多くなるので整理のためブログ使います。

RFAの22日の記事「藏人自焚引起汉人震撼 网上呼吁当局改变治藏政策(图)」の最後1段落が気になったので、元報道を捜してみました。

然而最新传出的消息是,本周再有一批军人进入四川藏区,这也令外界有更多的联想。据中新社报道,11月20日晚,今冬首批进藏新兵抵达成都集结,他们将和各地陆续抵达的新兵一起进行短暂休整、集训后,奔赴雪域高原。
http://www.rfa.org/mandarin/yataibaodao/ql3-11222012103239.html

日本語訳

 最新のニュースによれば、今週また一団の軍人が四川省のチベットエリアに進駐し、このことは各方面に更に多くの事態を連想させている。中新社(中国新聞社)の報道によると、11月20日晩、この冬初のチベット進駐新兵が成都に集められ、彼らはまもなく各地から続々と集められてくる新兵と一緒に短い調整を行い、集団訓練ののち、チベットの雪の高原に赴く。

6月に高校(高中)や中等専門学校(中専)や高等専門学校(高専)を卒業して新たに人民解放軍に入隊した新入隊員(っていうの?)がチベットに大量に派兵されるようです。ふうん、と検索したら、関連記事が大量にあふれかえっていました。

首批进藏新兵抵达成都集结
发布时间:2012-11-21 09:16:09
121121016fa_2_2 11月20日晚,今冬首批进藏新兵抵达成都集结,他们将和各地陆续抵达的新兵一起进行短暂休整、集训后,奔赴雪域高原,守卫祖国边陲。据悉,今年西藏军区征集入伍的新兵大部分都是“90后”,不少新兵还有一技之长。图为胸带红花踏上军旅路。
关键字: 参军、成都、新兵、西藏、90后
中新社发 刘忠俊(四川分社) 摄 ( 2012-11-21 )

チベット進駐新兵第一団が成都に集結

(2012年11月21日)11月20日夜、この冬第一陣となるチベット駐屯新兵が成都に集結した。彼らは各地から集まる新兵と調整や訓練の後、雪の高原に赴き、祖国辺境の守衛につく。聞くところによると今年の人民解放軍チベット管内に入隊する新兵は大部分が「90後(1990年以降生まれ)」で、少なくない新兵が一芸に長けているという。写真は、胸に大きな赤い花をつけて軍人としての第一歩を踏み出すところ。

動画ニュース(CCTV軍事ニュース 2012年11月19日)(誰かが短く切ってアップしたものがYouTubeにありました)
「全国トップを切ってチベット進駐新兵が河南省を出発」

あとの記事は、中味はほぼ同じなので見出しだけ紹介。

郑州首批95名新兵进藏戍边(图)
鄭州(河南省の省都)から95人の新兵がチベット国境防衛に進駐
时间:2012-11-23 08:06:51 来源: 中新网河南新闻中新河南网
郑州11月23日电(门杰丹 马涛)
1353629248_5614(战友们相互加油鼓劲。马涛 摄)
11月22日,郑州市首批95名新兵奔赴雪域高原戍边卫国,2012年冬季郑州新兵运送工作正式启动。
1353629268_3356(临行前向女友敬礼告别。马涛 摄)
      据了解,郑州市今冬征集的进藏新兵以“90后”为主,大学以上学历青年占6成以上,所有人员均对“条件特别艰苦”的西藏充满了憧憬,主动申请进藏服役。     “越是艰苦的地方,越能锻炼提高,我们能吃苦,不怕苦!”来自河南化工职业学院的新兵余晓涛说出了全体进藏兵的心声。(完)

こちら「半島新聞」(青島の地方ウェブニュースと思われる)は中新網からの転載。写真が大きいので引用。「新兵」がすごく若くて子どもで、そこいらへんのあんちゃんだなあ、と思わされます。

半島新聞
http://news.bandao.cn/news_html/201211/20121121/news_20121121_2024696.shtml
组图:今年首批进藏新兵抵达成都集结
2012-11-21 14:01  
来源: 中国新闻网
20121121140407_a158gc4v 11月20日晚,今冬首批进藏新兵抵达成都集结,他们将和各地陆续抵达的新兵一起进行短暂休整、集训后,奔赴雪域高原,守卫祖国边陲。20121121140415_ytml51th 据悉,今年西藏军区征集入伍的新兵大部分都是“90后”,不少新兵还有一技之长。20121121140423_hckt1f9c 为全力做好新兵驻训转运保障工作,西藏军区驻川办事处专门成立了驻训管理、医务保健、车站转运、机场中转等9个工作保障组,20121121140431_0vmtop3z 热情为新兵提供饮食住宿、医疗卫生、交通运输等服务,使新战士踏入军营便能感受到大家庭般的温暖。20121121140440_bag58c8b 图为首批进藏新兵整队走出火车站。范航 摄

次は「陝西農村網」の記事。陝西省(省都・西安)は甘粛、青海に隣接する省です。写真はなし、記事のみ。

咸阳市欢送今冬首批进藏新兵
http://www.sxncb.com/index.php?m=content&c=index&a=show&catid=121&id=6248
陝西省咸陽市からこの冬初のチベット駐屯新兵100人余

时间: 2012-11-20 09:12:59   
来源:咸阳日报
陕西农村网讯:(咸阳日报 张帆 胡博伟)

11月19日12时,咸阳市首批新兵100余名个个胸戴大红花,身着07式新山地迷彩服,带着家乡亲人的嘱托,在咸阳军分区的组织下从咸阳火车站列队启程,奔赴西藏边陲,为国戍守边疆。市委常委、常务副市长赵润民,市委常委、咸阳军分区司令员赵宽兴出席欢送仪式并讲话。咸阳军分区政委徐世忠等出席了欢送仪式。
欢送仪式上,赵润民代表市委市政府勉励新兵发扬咸阳人民爱国爱军的光荣传统,听从党的召唤,奔赴到祖国最需要的地方。
赵宽兴在讲话中要求新兵视西藏为第二故乡,热爱西藏的一草一木,认真执行党的民族政策,尊重少数民族风俗习惯,做维护西藏稳定的坚强柱石和忠诚卫士,与西藏各民族群众一道,共同构筑维护祖国统一、国家安全和社会稳定的钢铁长城。
据咸阳市征兵办的同志介绍,这次进藏的100余名新兵,是从众多的应征青年中经过严格挑选的。为调动广大应征青年到艰苦地区服役的积极性,咸阳市政府相继出台了一系列优惠政策,为每个进藏兵优抚对象发放了10000元特别优待金。各市、县兵役机关针对进藏新兵提前启运的实际,实行优先报名、优先体检、优先政审、优先定兵,确保选取高学历高素质青年,确保进藏新兵按时启运。新兵代表汪强在发言时说:“到部队后,我一定刻苦学习军事知识,苦练杀敌本领,提高军事技能,决不辜负家乡人民的殷切期望,为家乡人民争光,请家乡人民放心。”
责任编辑:胡艳静

記事によれば、咸陽から出発する新兵の人数は100人余り。咸陽市政府は恩恵政策の一環としてチベット駐屯を希望する者には1人1万元の特別優待金を支払っていると。

 江西省新建県の政府サイトにもこんな記事が。

我县今冬首批入藏新兵启程
http://www.xinjian.gov.cn/zjxj/news/2012-11-21/12282.html
わが県(江西省新建県)からこの冬初のチベット駐屯新兵30人が出発
浏览量:69
发布时间:2012-11-21 信息来源:
20日上午7时30分, 我县今冬首批进藏的30名新兵带着家乡人民的重托,奔赴边疆,开始了保家卫国的军旅生涯。县委常委、县人民武装部部长熊宝龙,县人民武装部政委刘斌祥到现场欢送。
欢送仪式上,熊宝龙、刘斌祥亲自为新兵佩戴大红花,向新兵们表示祝贺,并勉励进藏新兵要把参军入伍当作人生历程的新起点,进藏后爱军精武、刻苦训练,争当优秀士兵,争取更大光荣,以实际行动为部队建设,为边疆建设作出应有的贡献。          欢送现场,新兵们身着崭新的军装,迈着整齐划一的步伐,佩戴着鲜艳的红花,在一片欢腾的炮仗声和亲人的美好祝福声中,登上迎接新兵的专车,奔赴高原,担负起卫国戍边的神圣使命。
据了解,自今年冬季征兵工作开展以来,我县进行了广泛宣传动员,在广大适龄青年中进行严格筛选,把政治合格、身体健康的青年吸收入伍,使我县征兵工作取得了阶段性成果。我县有1247名适龄应征青年报名参加体检,经过政治审查等程序,有300余名适龄青年被批准应征入伍,他们将于12月10日开始,分八批奔赴军营。

 こちらは世界遺産で有名な張家界の「張家界オンライン」より。

张家界市桑植县今冬首批20名入藏新兵启程赴军营
http://www.zjjzx.cn/news/szyw/223852.html
張家界市桑植県から今冬初の20人がチベット駐屯新兵に
张家界在线 
2012年11月22日 13:46:30

 红网张家界站11月22日讯(通讯员 向娜 王优仙)11月21日,张家界市桑植县首批20名进藏新兵,带着亲人和家乡人民的祝福和嘱托,开始了保家卫国的军旅生涯。
  县委常委、常务副县长金则胤代表县委、人大、政府、政协和全县46万各族人民,向关心国防事业,积极送子参军的家长们表示崇高的敬意。他希望,入伍的新兵同志,要端正入伍动机,牢固树立为民当兵的思想,争做“有理想、有道德、有文化、有纪律”的优秀战士;要发扬吃苦耐劳精神,自觉经受磨难和考验,熟练掌握军事技能,努力使自己成为军事过硬的标兵;要自觉遵守国家法律法规,遵守部队条例和规章制度,服从命令指挥,严格要求自己,坚决完成部队赋予的各项任务,为保卫祖国、建设祖国做出更大的贡献,为家乡争光。
  欢送现场,新兵们在“保家卫国终不悔、驰骋西藏献青春”横幅上签名,以此来表达担负起卫国戍边神圣使命的决心。随后,新兵们还来到贺龙纪念馆进行庄严宣誓,参观馆内的珍贵照片和文物,了解贺龙元帅等老一辈无产阶级革命家的光辉事迹和伟大成就,接受爱国主义教育。
  据了解,自今年冬季征兵工作开展以来,桑植县进行了广泛宣传动员,共有403名适龄应征青年报名参加体检,经过体检、政审等程序,有140余名适龄青年被批准应征入伍,将于11月21日开始,分4批奔赴军营。体检、政审“双合格”青年中,有30多人自愿递交了进藏进疆服役申请书,县征兵办从这些应征青年中选取了身体素质好、文化程度较高、思想素质过硬的20人进藏,此次运送的进藏新兵,将先抵达成都,接受一个月的高原环境适应训练,随后正式进入西藏,开始为期两年的军营生活。

広西チワン自治区の広西新聞網にはこんな記事が。

我市今冬首批新兵入藏
http://qz.gxnews.com.cn/staticpages/20121122/newgx50ad7c0b-6461659.shtml
我が市(広西自治区欽州市)からこの冬初のチベット駐屯兵
Bb88580f738e2aacd907902aa83692a6   神州共沐盛会,长城又添新兵。11月20日,我市在火车东站举行简朴而隆重的仪式,欢送今冬征集的首批新兵进藏建功。市委常委、钦州军分区司令员徐斌,市委常委、政法委书记寇兴广,市人大常委会副主任周斌,副市长何有成,市政协副主席李磊岩等军地领导参加欢送仪式。钦州军分区参谋长雷云久主持仪式。
  这批新兵分别征集自浦北和灵山县,他们将分赴武警西藏总队所属部队服役。徐斌在仪式上讲话时说,今年,上级赋予我市征集350名进藏新兵这一光荣的任务,既是对各级兵役机关的一次严峻挑战,更是对全市干部群众国防观念的一次实际检验,如今看到眼前的战友个个勇往直前、人人立志奔赴艰苦地区戍边卫国,这充分证明钦州人民的国防观念是强的,新兵同志们个个都是好样的。
  徐斌勉励新兵们,部队是所大学校、大融炉,是强者生存的福地、有志男儿成才的摇篮,希望新兵们不畏艰苦,迎难而上,练就过硬的军事本领,早日成为一名合格的共和国卫士。
  寇兴广代表市委、市政府和全市人民向新兵同志们表示热烈的祝贺,向关心支持国防事业的应征青年家长表示崇高的敬意。寇兴广指出,建设强大国防,走质量建军、素质强军之路,是建设有中国特色社会主义的重要内容,希望新兵同志们牢记肩负的神圣使命,继承和发扬革命传统,向爱国奉献的革命先烈和英雄模范学习,为早日实现国防和军队现代化作贡献。
编辑:陈琳燕  来源:钦州市人民政府网

 もう飽きてきたのでこのへんにしますが、とにかくこんな感じで、陝西省、河南省、江西省、広西自治区などの小さな市政府県政府が「おらんとこからもチベット駐屯兵が出発しただ」と出発式典を開き、政府系新聞に記事にさせまくっている状況。軍服の胸に赤い大きな造花をつけ(女性につけてもらったりして)、列車に乗り込んだり偉い人が訓示をたれるという記事です。
 二度と帰って来られないかもしれない紛争地に、お国のため命がけで赴く若者をこぞって送りだすってノリですよねこれ?(フラグ立てまくって何がしたいんだ^^;;)

 チベットっていったいどんな所なんだったっけ!? 彼らは何しに行くんだ? と、くらくらしてきました。

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