2011.10.28

[非チベット]純中国産妖怪アクションアニメ「クイーバ(魁拔)」を観てきた

<おことわり>この稿はチベットとは関係のないオタク話、しかも「中国産アニメ」というニッチな話になりますのでご興味ない方はとばしてください。


純中国産妖怪アクションアニメ「クイーバ(魁拔)」を観てきた

 観に行くまでの経緯をかいつまみますと、「鳴り物入りで大々的に制作発表された日中合作アニメがもろ『チベット』、ドッキ(チベタン・マスチフ)ネタだった」(気になる! 興味ある!)→「浦沢直樹キャラ原案、監督ら制作陣は日本人、2011年日中両国公開」(なのに公開日が数回ずらされたあげく中国でだけ公開されちゃったぞ!?)→「チベット人歌手alanが日本語・中国語の2バージョンで主題歌+本編にも声優出演」(チベットっぽいいい歌じゃん! あれ、映画公開される前に日本撤退しちゃった!? 映画のプロモーションはしないの!?)→「中国での興行成績ふるわず」(もう1本のアニメ映画に負けた? 『建党偉業』の圧力?)→「中国当局主導の映画紹介イベント『2011中国アニメ・フェス&映画週間』の上映作品にも日中合作ドッキアニメ入らない! もう1本のアニメ映画は上映されるのに!!」→純中国産をフィーチャーしたいってこと? じゃぁまぁまずそれ観に行っとくか? ……という流れでございます。回りくどくてすみません。
 同じようなオタク系思考回路で日中合作ドッキアニメと純中国産妖怪アクションアニメを比較している方はいるようで、このあたりのブログもご参考までにどうぞ。→日中合作アニメ『チベット犬物語』は日本で成功しない(愛と苦悩の日記)

 ちなみに、中国アニメ・フェス&映画週間の直前に日中合作ドッキアニメの日本公開(2012年1月7日~)がアナウンスされました。「鳴り物入りで前打ちしといて無視かよ!」は私の言いがかりで、既にロードショー公開に向けて公開日程の詰めに入っていたために(日本初公開、という売り文句を残すため)映画週間のラインナップから外れた、という想像のほうが当たっていそうです。

 [映画.com ニュース] 「20世紀少年」で知られる人気漫画家・浦沢直樹が、キャラクターデザインを初提供した「チベット犬物語 金色のドージェ」が、2012年1月7日から正月映画として公開されることが決定した。 原作は、母を亡くした孤独な少年と一頭のチベット犬の友情を描いた、楊志軍のベストセラー小説「チベット犬」(人民文学出版社)。日本のアニメスタジオ・マッドハウスと中国の国営映画会社・中国電影集団がタッグを組み、中国政府の許可を受けた初の日中合作アニメとして完成した。
(後略。全文はリンク先へ)
http://eiga.com/news/20111020/9/

 「チベット犬物語 金色のドージェ」かぁ…。そこは「ドルジェ」にしてほしかったなあ。
 主役の男の子の名「田劲(田勁)」は、これまでの日本語記事でよく「ティエンジン」と表記されていたのを、これはチベット人なら「テンジン」一択だけど、チベット名テンジンのよくある漢字表記「旦増」「丹増」と字面が違うので、もしかしたら「田・勁(ティエン・ジン)」という漢人の姓名で実はチベット人じゃないとか漢人とのダブルだという出生の秘密の伏線になってるのかもしれない、と深読みして様子見していたのに、こっちはさくっと公式が「テンジン」になってて逆にがっかり。(※Wikipediaでは「テムシン」というカナ音写表記も見かけたけど、テムシン/テムジンはどっちかといえばモンゴル人の名前だと思う)

 すいません、クイーバ語りの話がドッキ(チベタン・マスチフ)アニメにそれました。「クイーバ(魁拔)」に戻ります。

 『クイーバ』の概要はこのあたりへ。2010年11月2日の記事です。
 →「日本アニメを抜いた?!これが中国の王道熱血アニメだ!」(KINBRICKS NOW)

 愛読する百元さんのブログでも紹介されているので中国ファンの反応も含めてどうぞ。
 →「中国国産アニメ映画「魁抜」が結構気合入っているらしい 」(「日中文化交流」と書いてオタ活動と読む)

 私が『魁拔』(中国語で発音するとクイーバより「クイバー」っぽい)に関心を持ったのは、ドッキアニメと中国での公開が重なったと知ったこと、主役CV(Character Voice)が北京外国語大学卒でニコニコ動画投稿もこなす根っからの日本動漫オタクで青二プロダクション所属の中国人声優劉セイラ嬢だってこと、ドッキアニメのテンジン役も同じ劉セイラ嬢なのでえーっ同時期公開のアニメ映画2本の主役声優がカブるのかよと驚いたこと、それから、中国人のオタク友達が「今の中国でまともな作品を作ろうとしているアニメーション制作会社はあそこくらい。中国人として応援する意味でも観に行きたい」と話していたこと。へぇーへぇーそれは興味深い。

 中国のアニメーション制作は(今「せいさく」って打ったら誤変換で「政策」って出たけど、実際「政策」そのものだ)は日本とはかなり異なる状況にあって、それはその道の先達がいろいろ紹介してくださってます。
 →世界一のアニメ大国・中国が抱える「国策振興」という病(KINBRICKS NOW)
 →【日中アニメシンポジウム】暗~い日本とイケイケドンドンの中国=鮮明だった勢いの差(KINBRICKS NOW)
 →ただし中国側はこういう認識にとどまっているらしい→「日本アニメ要人:模倣はアニメ発展で不可欠の段階」(チャイナ・ネット)

 「クイーバ」の制作会社は「北京青青树动漫科技有限公司(北京青青樹アニメ科学技術有限会社)」、Vasoon animationという英語名で、企業オフィシャルサイトには英語と日本語も準備されてます。1992年に活動開始、1994年に会社組織となって、アニメーション製作やゲーム開発に16年の実績がある、と紹介されているだけでは、正直どんなもんなのか私にはさっぱりですが、オタク友達が「あの会社の作った映画だから見ておきたい」と言うのを聞いた時には、へーーぇ、日本のアニオタが「結局サンライズは……」だの「GONZOは原作破壊」だの語っちゃうのと同じように、中国のアニオタも「○○動漫公司作品だから押さえておこう」とか「××動画社は紙芝居」などと言い合ってるのか!? と考えたら面白くなって、がぜん興味がわいたのでした。

 映画祭の、別に目玉でもない作品で、上映は平日昼と平日夜の2回のみ。平日夜の上映に滑り込んだところ、意外にも映画館は4分の1近くは埋まっていました(去年の東京国際映画祭のチベット映画「夏の草原」より人が入ってた…くそー^^;)。客層は、「なんでこんな人が?」と二度見しちゃうような高齢のおじさんが結構いたのと、中国人留学生っぽい若いグループが多かったかな。映画終わった後、女の子同士が「他是谁的孩子?(あの子は誰の子どもなんだろうね?)」と、残された伏線を真剣に話し合ってる中国語の会話が聞こえてきてほほえましかったです。

 <以下ネタバレあり>

 ストーリーは、KINBRICKS NOWの概要紹介どおり、全5部作(ホントですかね!?)あるうちの第1編なので殆どプロローグ。村を出て、船着き場のある大きな町にたどりついたところで終わっちゃいました。YouTubeに上がっている予告動画に出てくるメインキャラクターの、萌えキャラっぽい幼女もサブキャラ人気狙いっぽい少年も出てきません。メインキャラを捨てて主役2人+αの描写に力を入れた、ということかな。
 なのでこれだけではストーリー語れないんですけど、伏線のちりばめ方(世界の謎の提示)、次につなぐヒキ(ある程度予測可能な部分をチラ見せしないと観客の興味がそがれる)、なかなか練られていたんじゃないかと。
 中華ファンタジーという趣の世界で、擬人化された動物のようなキャラデザと人間キャラが混在しつつ、いろんな姿形の「妖怪戦士」がいてしのぎを削ってる、王や将軍もいるらしい、国も一つ二つじゃないらしい、戦争中ではないらしい、ということで、「十二国記みたいな(半妖がいる)世界なのかなー」と思いながら見てました。これも、いい意味でも説明セリフがほとんどなく、次作以降に持ち越しです。
 そういえば、架空世界が描写されるときには、なにかしら投射や反映などバックグラウンド的テーマがあるんじゃないかと考えながら見てしまったりするんですが(ナウシカなら反核とか、スターウォーズなら冷戦構造とか)、そのへんはきれいさっぱり感じ取れなかったですね。強いていえば親子の信頼や絆、みたいなものかとも思いましたが、主人公キャラが嫌みのない素直で単純な性格に描かれているので元々の相克がなく、つまり乗り越えるべき危機もなし。まあそのへん「対象は6~16歳」と言い切る中国アニメには、高年齢(=オタク)向けの描写や機微は存在しないのかも。
 もう一つ、これが中国らしさかな、と思ったのは描写と演出ですかね。エロなし流血なし、暴力描写もあっさり、戦闘シーンも単調かつ冗長。カメラワーク(描写するときの視線位置)に動きがなくて、わかりやすい絵といえばそうなんだけど、端的にいってテレビアニメ画面だったなあ。このへん、「「80後」「90後」でも変わらない中国のアニメビジネス」での「アニメの作り方を分かる人材がいない。例えばタイミングの取り方がわからない」(中国アニメの現状)ということかなあと。
 そういえば「クイーバ」、中国公開時に「レコード・チャイナ」が翻訳ニュースのネタにして、それが掲示板に転載されたものがまとめサイトで読めます(パクリってのは単なる煽り表現だと思います)が、
【酷い言いがかり】中国が5年費やして製作したアニメ「魁拔」が、日本アニメのパクリであると批判(オモテウラ―ゲーム中心のニュースを紹介するブログ)
【画像】 中国が5年費やして製作したアニメ「魁拔」が、日本アニメのパクリであると批判(hogehoge速報)

>>346
凄いけど何か古い
90年代の日本のアニメみたい


いや、嫌いじゃないけどね

というコメントがちょっともう端的に言い表していたかもしれないです。
(「90年代の日本のアニメみたい」は、パクリだ何だと言っているのではなく、表現やアニメ的演出が全体的に時代がかってる、って文脈で)
 先のブログでは(チベット犬物語に比べて)「同じ中国製のアニメなら(中略)『魁抜』の方が、よほど日本のコアなアニメファンにも理解できる要素がたくさん詰め込まれている」と分析されていましたが、うぅーん、やっぱそれはちょっと過大評価にすぎるのではないか、と思った次第でありました。

 ドッキアニメ、YouTubeなどに出されている予告編や宣伝用の抜粋をみるかぎりでは、「父親との初対面、不安げな表情の主人公をくるっとカメラが回り込んで表情アップ」とか、「父子を乗せて草原を駆ける馬、後方からカメラが追いつき、ズームで馬を描写したあとすうっと馬を追い越したカメラが上方にふれて青空と雪山」とか、かーっ劇場用アニメだなあこれ大画面に映えるぜっていう細かい描写がけっこういちいちキますよ。このきめ細かさが日本アニメなんですかねえ。まあ私の場合、チベットの風景が描写されてるだけで嬉しいアホ客だって部分はありますが。来年1月のドッキアニメも楽しみです。

 あれ、結局ドッキ(チベタン・マスチフ)アニメの話になっちゃった。ごめんなさい。

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2010.11.20

ドキュメンタリー「THE SUN BEHIND THE CLOUDS」上映会(12/19)

 2008年3月にチベット全土で起きた中国当局への抵抗活動と流血を伴う武力弾圧とをチベット人自身の視線で追ったドキュメンタリーの日本初公開です。限定数ですがDVDの販売もあります。

THE SUN BEHIND THE CLOUDS上映会
日時:12月19日(日)開場18:30、開始19:00
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター
   (東京都渋谷区代々木神園町3-1)
    センター棟4F セミナールーム(417)
    http://nyc.niye.go.jp/facilities/d6-1-38.html
料金:1000円(予定)
定員:300人(予約不要)
主催:SFTJapan

 なんだか最近チベット関係のドキュメンタリーってたくさんあるよね、どれも似たようなもんでしょ、もう飽きたよ、とお考えの向きに、映画のご紹介など。  とはいえ、私も作品自体を見たわけではなく、19日の初上映を楽しみにしている1人なので、映画レビューはできませんがご容赦下さい。
 あと、その映画なら知ってるよ! という方もご容赦下さい(新しい内容はありませんので…)。


 『The Sun Behind the Clouds: Tibet's Struggle for Freedom』(2009年/印・英/79分)は、チベット難民2世の映像作家テンジン・ソナム&インド女性リトゥ・サリン共同監督の、初の本格ドキュメンタリー作品です。
 テンジン・ソナム&リトゥ監督夫妻はこれまで、アーティスティックな映像作品や、歴史的事実をストーリーにうまく融合させた作品「ドリーミング・ラサ」(2005年)などで知られています。

 2009年に六本木ヒルズ森美術館で開かれた美術展「万華鏡の視覚~ティッセン・ボルネミッサ現代美術財団コレクションより」でも収蔵コレクションの一つとして監督夫妻の映像作品が紹介され、出展作家の1人として招聘され来日したこともあります。アートレビューはこちら(後半にあります)。
 ドリーミング・ラサのレビューはこの辺り(movie memo)を参考にして下さい。

 私は監督ご本人と面識はありませんが、会った人から聞いた話を総合すると、アート志向が強い芸術家肌の作家だ、という印象を受けています。2008年までは、正面からの(=ベタな)取り上げ方でチベット問題をテーマとするよりも、芸術や人間ドラマを通じてチベットを描き出していくアーティストなのだろうと感じていました。
 それが今回のドキュメンタリー制作に至ったのは、ひとえに、2008年3月の蜂起があり、1959年から半世紀という時期を迎えて、「チベット人として今自分がやらなければいつ誰がやるのか」という気持ちに駆られたのだろうと想像しました。
 その意味で、「THE SUN BEHIND THE CLOUDS」は、監督にとって、満を持してのドキュメンタリー制作だったのではないか――と思うのです。

 そのこともあり、製作中から「あのテンジン&リトゥ監督がついにチベット問題のドキュメンタリーを作り始めた」という報道を、チベット関係のニュースサイトでたびたび目にしました。
Dalailama_2  ダライ・ラマ法王へのインタビュー風景(顔の50センチくらい手前まで接近してカメラ回してたような……)や、Tenzinginterviewingwoeser 北京在住のチベット人女性作家ツェリンウーセルさんを訪ねてインタビュー撮影をしたことも、ウーセルさんご本人がブログで紹介しています。
(ブログ本文はこちら→被中国导演抵制的西藏纪录片拍摄花絮

 そして完成した作品は、2009年8月の韓国DMZドキュメンタリー映画祭(DMZは南北分断非武装地帯の意)出品を皮切りに、欧米アジア各地の映画祭に招待されました。2010年1月パームスプリングス国際映画祭で「Best of the Fest」授賞、同2月ムンバイ国際フィルムフェスティバルで「Silver Conch Award」授賞、同3月プラハ「ワンワールド国際フィルムフェスティバル」で最高賞の「Vaclav Havel Award and the Rudolf Vrba Award for Best Film in the Right to Know category」など、数多くの賞を受賞しています。

 このうち、パームスプリングス映画祭では、このTHE SUN BEHIND THE CLOUDSの正式招待に抗議して、中国の映画監督・陸川(チベットの自然保護活動を描いた『ココシリ』の監督)が参加をボイコットするなど、国際問題にもなりました。
http://www.chinanews.com.cn/yl/yl-yrfc/news/2010/01-07/2059588.shtml
(↑元ソースですが中国語)
http://blog.goo.ne.jp/dashu_2005/e/655ba95d302bcd73d0cdcc4b858889f1
(↑上記記事を受けた日本の方の個人ブログ)
 当時日本では、(陸川は有名な監督なので)中国の監督が国際映画祭をボイコットとは短く伝えられましたが、要因が「THE SUN BEHIND THE CLOUDS」であることまでは伝えられていなくて、残念だった記憶があります。


 と、まあ、こんな感じにけっこうな逸話のある話題作です。

 これまでチベット問題に関するドキュメンタリーは、BBC製作や、「チベット難民 世代を超えた闘い」(日本)など、チベット人以外の手で撮影されることが多かったので、「チベット人自身が表現を始めた/声を上げ始めた」という点からもぜひたくさんの人に見てもらいたいですし、ごくふつうの一般人が市井の1人の視点で撮影した「Leaving Fear Behind」とはまた違った、プロフェッショナルでガチンコのドキュメンタリーが観られるはずです。

 そして出演者は皆チベットの当事者たち。ブログ「チベットNow@ルンタ」(2010年3月30日)によると、タイトルの「The Sun Behind the Clouds」はガワン・サンドル(囚われのチベットの少女)ら、ラサ・ダプチ刑務所の獄中で抵抗歌をうたい拷問を受けた尼僧たちの歌のリンジン・チュキ(チベット@ルンタより) 一節からとったもので、映画のラストシーンで歌を歌う元政治囚の女性リンジン・チュキは、撮影当時はダラムサラのルンタハウスの奨学生寮に住み、英語とコンピュータの職業訓練コースで学ぶ学生だったそうです。
リンジン・チュキの証言
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51101231.html

 19日に映画を観た後で、もう一度、上記ブログを読んでいただければ、映画に登場する一人ひとりがそれぞれのつらい経験を背負っていることが実感できるし、それから、日本からの支援と顔が見える形で直接につながっていることも実感できて、身近に思えるのではないかと思います。ぜひ。

 以上、「The Sun Behind the Clouds」上映会が成功しますように、映画を見てなるほどこれがそうかとにやにやできそうな豆知識のご紹介でした。
 また、まだ時期は未定ですが、監督ご夫妻の来日計画も浮上中とのこと。つまり、実際に映画を見てみて、これはいい、ぜひ監督から直接話を聞く機会を持ちたい、という気持ちになったら、そのチャンスが巡ってこないわけでもない、ということです。そのためにも、実際に映画を一度見なくては。
 当日を楽しみにしています。

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2010.09.21

ドキュメンタリー「TIBET IN SONG」とガワン・チュペル

 Music Tibet comより、ガワン・チュペルさんの略歴

 ガワン・チュペル(Ngawang Choephel)
 ガワン・チュペルは1966年チベット生まれ。1968年、母親のソナム・デキの背に背負われてヒマラヤを越え、中国占領下のチベットからインドに逃れる。インド南部ムンゴットのチベット難民セツルメントで育つなかで、ガワンは故郷の音楽の響きに魅せられるようになる。難民として異郷で育つ彼にとって、伝統音楽の響きだけが唯一、故郷と直接の結びつきを感じられるよすがであった。10代のころ、彼はダムニェンを弾けるようになりたくて、ひょうたんと釣り糸で自作のダムニェンを作って練習した。
 1992年にインド北部ダラムサラのTIPA(チベット伝統歌舞団:Tibetan Institute for Performing Arts)を卒業後、フルブライト奨学金を得て、米バーモント州のミドルバリー大学(Middlebury College)で数年間、民族音楽と映画制作について学んだ。
 その後ガワンは、チベットの伝統的歌や踊りを継承するため、チベット本土へ戻って後継者を育てようと計画した。10代の若いチベット人は伝統音楽より流行りのポップミュージックに興味を持ち、チベット本土では中国当局がチベット文化を抹消するための構造的なキャンペーンを展開し、チベットの伝統音楽の担い手は消滅の危機にさらされていた。
 しかし、故郷チベットに帰還したガワンに、事態は悪い方に進み始める。
 1995年8月、チベットに戻りやっと1カ月が経ち、伝統音楽と舞踊のドキュメンタリー制作の準備に入ろうとしたときに、ガワンは中国当局に身柄を拘束され、監禁状態に置かれ、外部との連絡手段を絶たれてしまう。翌1996年12月まで、彼が法的にどんな状態に置かれているのかさえも公にされず、生死も不明な状態が続いた。最終的に、ガワンは非公開での密室裁判で、「スパイ行為及び反革命的活動を行った」という罪をきせられ、懲役18年の判決を受けた。この判決は、その当時までチベット人政治犯に下された刑期のうちで最も重いものの1人だった。
 6年後の2002年、ガワンは健康上の理由で釈放された。現在はニューヨークに住み、映画製作の仕事に携わっている。

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2008.02.23

知らなかったー/NHKラジオ深夜便にチベット

 し、知らなかったー。
 「映画・テレビ」カテゴリに入れたけど、ラジオの話。

 NHKラジオ第一放送に、夜中、車を走らせていると聞こえてくる「ラジオ深夜便」という番組があって、たまにチベットものに出会うこともある。(えっこんなところで、と驚く。)これまでに女性登山家(お名前失念、すみません)の回と、小林尚礼さんの回をたまたま耳にして、自宅に戻ったら車を降りなきゃいけないからなんとなく環状線をぐるっと回って番組を聞いたりした。
 だけどこれは知らなかった……。

2008年1月17日
(4:00)
 ▽ニュース
 ▽こころの時代
  「チベット仏教に学ぶ」
             チベット語通訳…マリア・リンチェン
https://pid.nhk.or.jp/pid04/
ProgramTable/Show.do?tz=now&media=05&style=s&date=
20080117&area=600&x=37&y=12

(NHKオンラインの過去の番組表検索から)

 よっぽど注意していても分からないなあ、これ。しかも明け方4時……。
 再放送ないかな。
 著作もある方とはいえ、ふだんは通訳で、メーンゲスト(法王睨下とか)の後ろにそっと控える姿が印象的。前に出て自分自身のことを語る姿ってほとんど見かけないので、すごく貴重な機会だった、と思うのでした。

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2008.02.21

[テレビ番組]日本テレビ系で「梅里雪山」

 元京大山岳部でカメラマンの小林尚礼さんからいただいたお知らせです。
 本日2月21日と3月2日に、小林さんの著書「梅里雪山 十七人の友を探して」(山と溪谷社)をベースにしたドキュメンタリーが放送されるそうです。

◇◇◇◇◇梅里雪山に関するテレビ番組◇◇◇◇◇
★『梅里雪山』 (全国放送)
  2月21日(木)22:54~日本テレビ系列のニュース番組「NEWS ZERO」での特集で一部を放送
★ドキュメンタリー特別番組 『梅里雪山 十七人の友を探して(仮)』(90分)
  3月2日(日)13:25~14:55 日本テレビ
【内容】
 中国雲南省の梅里雪山(6740m)で起こった、史上最悪の山岳遭難。そこで亡くなった17人の友を、探し続ける男がいる。美しい雪山を背景にして、厳しい遺体捜索活動、遺族との旅、チベット族の村人との交流を見つめる。原作は、『梅里雪山 十七人の友を探して』(小林尚礼著、山と溪谷社)。俳優・小栗旬が、ドキュメンタリー初ナレーション。
【番組紹介ホームページ】
http://www.k2.dion.ne.jp/~bako/news-NTV2008.html

 「梅里雪山(メイリーシュエシャン:中国名)」とは、東チベット・カム南部の聖峰「カワ・カルポ/カワカブ(カム音)」。チベット人は主峰カワカブを伝説の王の姿とみて、2週間かけて巡礼路をまわります。(私はデチェンが未開放だった時代に虎跳峡を歩いてチラッとてっぺんを見ただけですが…)
 それがいまやデチェン(中甸)は、アメリカの小説に登場するチベットの伝承をモチーフとした架空のユートピアを指す造語から持ってきた「香格里拉(シャングリラ)」なんちゅう恥ずかしい地名(中国名)に変えられ、観光地化驀進中。まぁ、観光目当てに外来語を持ってきちゃった恥ずかしい改名は「南アルプス市」だの「南セントレア市」だの、よその国のことを言える状態じゃありませんが。

 話を戻すとカワカルポは信仰の地。チベット人の思考回路には「山を征服する」とか「そこにあるから登る」なんちゅう山屋さんの考え方は存在しません。1991年の「史上最悪の山岳遭難」は、“日中友好学術”の名のもと、地元チベット人の反対をおしてのチャレンジで起きた悲劇でした。
 小林さんは、当事者として事故と捜索にかかわり、現地に住み込み、山とチベットの文化に魅せられ、今も「巡礼」の途上にある方です。遠くから来て登る人の気持ちと、そこに生まれ自然を敬い暮らす人の気持ちの双方を理解する稀有な方なんだろうと想像しています。
 ドキュメンタリーが、景色の美しさ、挑戦の過酷さ、悲劇の強調に終わらず、その背景にある文化の違いや小林さんの思いまでとらえたものでありますように。

 未踏峰ってそんなにいいもんかねぇとか思ってたら、15年経ってもまだやってるし。
 山形県山岳連盟が聖山の頂に初到達(2007.10.16山形新聞)
 ことさらに「聖山」を強調して喜んでる(登頂に対して付加価値つけようとしてる)山形新聞の見出しが悪質に思えてなりません(……という話題は年明けにチベ友が教えてくれたのですが、ヤマにあまり興味がなくてそのままにしてたのを、カワカルポの話題があったので便乗しました。すみません)。

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2007.07.20

チベ映画「ブラインド・サイト~小さな登山者たち」

Blindsight  週刊新潮の映画評コーナーで知りました。
 映画「ブラインド・サイト ~小さな登山者たち~」(ルーシー・ウォーカー監督、2006年イギリス)。おやチベットが舞台だ、えええドキュメンタリー、ええ、出演者サブリエ・テンバーゲンんんん!!

 サブリエさんはチベットを愛し、ラサに盲学校を建て、運営してるすごい人。
 すこし以前の話になりますが、ラサの、彼女の盲学校を訪ねたことがあります。突然電話して押しかけたんですが、サブリエさんは、連れ合いのポールさんとともに快く歓迎してくださり、貴重な話を聞かせていただきました。
 その時、既に出版されていた自伝の日本語訳出版が準備中で、「今企業メセナの社会貢献顕彰者に推薦されていて、もしそこで選ばれて賞金が出たら、日本語訳の出版に合わせて訪日するから」と聞いて、楽しみにしていたのですが、結局選ばれなかったようで来日の連絡はなく、残念に思っていたのでした。(自伝の日本語訳は出版されました。「わが道はチベットに通ず―盲目のドイツ人女子学生とラサの子供たち」<風雲舎、2001年>。自身も目の不自由なサブリエさんが、音や匂いや明暗で描写するチベットの様子がすごく新鮮で、チベットの一面を知るという以上の発見をもらいました)
 それが映画! 標高7000mを登る! ひえええ。

02  週刊新潮では、

 で、検索して2度ビックリ。
 偉大なる盲目の挑戦者に大きな拍手! 紀子さまもご出席の『ブラインドサイト』試写会(yahoo! ニュース)
 映画『ブラインドサイト』舞台挨拶レポ(INTRO movie magazine)
 試写会やってる! 紀子様とか見てる(まぁこれはどうでもいいけど)! サブリエ女史が来日してる!! (そしてたぶんもう離日してる!) くはー、知らなかった…。(ま、参院選公示中のこの時期では、知っていても何をどうすることもできなかたとは思いますが…)

 週刊新潮の映画評への細かいツッコミとか、吹っ飛んじゃったじゃんよ、もう。
 しかしとにかく、この映画は必ず見るぞ、と心に誓うのでした。

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2007.07.14

映画「選挙」

Senkyo  オモテの仕事で、映画「選挙(英題:CAMPAIGN)」仙台公開の舞台挨拶へ。
 2005年9月にあった実際の川崎市議補選を舞台に、告示期間の9日間を候補者に密着したドキュメンタリー。映画の登場人物(というか主役というか)で、今年5月に任期満了で元市議となった「山さん」こと山内和彦さんが、選挙活動をパロディ化したたすき姿で登場、観客を沸かせてました。

 「選挙」って映画については、「ベルリン国際映画祭に招待されて海外で話題に」などというニュースで聞いて知っていた程度。仕事で絡んで、改めてどんな人が撮ったのか、想田和弘監督のプロフィルを探したら、へぇ、と思うような記述が。


ダライ・ラマ法王14世の大ファンで、94年にはインド・ダラムサラで雑誌用のインタビューを行った。
http://www.laboratoryx.us/campaignjp/bio.html

 結局反応するのはそういうトコかよ、って、しょうがないじゃん! 目に飛び込んできちゃうんだから(^^;

 ただ何だ、紙幅に限りのある公式パンフのプロフィル欄で、わざわざ、というかあえて、「ダライラマ法王14世のファン」って書き添えるのって、かなりその部分アピールしたいって意図マンマンだよね? (少なくとも、自らは触れてない「○○大学文学部宗教学研究室出身」よりアピールしたいポイントなんだとみた)

 個人的なことをいえば、へぇー、と思ったのはそこだけじゃなくて、「栃木県生まれ」(同郷だ)とか「93年からニューヨーク在住」(93年ごろ大学卒業したいわゆる氷河期世代=つまり同世代かも)なんかも。別のプロフィル見たら誕生日がまるっきり一緒の1歳違いでした。まぁ、つまりは単なる赤の他人ってだけだし、「それが何か?」と言われればそれだけなんですけど。
 でも、もし機会があるんなら話してみたいじゃん。ついでにチベット話も(結局ソレが目的かい)。

 あれこれ見たらこの数ヶ月、「選挙」日本公開のPRのため、監督さんは一時帰国してあちこちの映画館で舞台挨拶に駆け回っていたようで、神戸、京都、金沢、横浜と地方巡業状態。おおこれは仙台も期待できるのでは、とその先のスケジュールを見ると、東北地方の予定はなく、既にアメリカに帰国した後でした。ありゃ、残念。

 「山さん」は気さくでいい方、かつ面白い人でした(「選挙」も面白かったし、裏話はもっと面白かった)。とりわけ、ドキュメンタリーについて「撮られた立場」の人から解説を受けるというのもあまりない話で、いろいろ示唆的で勉強にもなりました(チベットとは関係ないけど)。夏頃には新書の出版も予定しているそうです。
 機会があったら監督の話も聞いてみたい、とも改めて思うのでした。

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2007.02.25

久しぶり雪蓮(XueLian)

 日曜日だけど仕事してて、ふっと気づくとテレビでユーミンが歌っていた。(職場はNHK掛け流し状態。なのでついNHKの話ばっかりになって申し訳ない。自宅では見ないんだけどね)
 しばらく聞き流していて、はっと気づく。あ、これってもしかして、あれじゃないの!?
 すごいすごい、初めて動いて歌う雪蓮(シュエリィェン)が見られるかも!

 しばらく頑張って画面見つめてると、真っ暗なステージに後方からバックライト浴びて、背の高い3人のシルエットで、伴奏なしのアカペラ。「~~~~methok..!」と聞こえたような気がするんですが、あれはチベット語(かアムド語)ではなかったでしょうか!
 もしかしてこのまま待ってれば、アムド語青蔵高原とか歌ってくれませんか!
 ……曲はダンス音楽に変わってしまい、別の歌手が真打ちって感じで登場して「あ~あ」だったんだけど、そのうち、その若い男性に「MC SNIPER(韓国)」とか女性に「平原綾香(日本)」とか字幕紹介が出て、ほほーう、と。
確か香港の林憶蓮(サンディ・ラム)とか上海あたり出身のaminとか一緒に出てたわけで。“カッコ中国代表”は既にいるんだし、ここは一発、「雪蓮 Xie Lian (チベット)」とか出ますか。出ませんか。どうですか。
 しばらく画面を見詰めていたんですが、何も出てこず、シュエリィェンはコーラス&バックダンサー状態で(チベット民族歌謡の3姉妹にヒップホップのラップに合わせて踊れっていうちょっと酷な立ち位置だった……)、仕事が忙しくなったのでテレビ前を離れました。

 そんなわけで仕事中でビデオも何も撮れず。誰か、見た人いませんか?

 事前に知らなかったのでじっくり聴けず残念だったけど、たったワンコーラスのイントロ独唱だけでもほれぼれ聴き応えありました。あれ本当にチベット語だったのか(ギャゲってことはなかったと思う)、何言ってたのか、分かるともっと良かったなあ自分。とか思ったり。

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2006.11.19

法王インタビュー(フジテレビ「スタ☆メン」)とデリーのハンガーストライキ

 仕事しながら職場でフジテレビ「スタ☆メン」
 上旬に来日したダライラマ法王の単独インタビュー。インタビュアーは元NHK記者の池上彰氏。ながら見でちゃんと内容を聞いてなかったんだけど(ごめんなさい)、チベット語通訳介さず英語での直接インタビュー。日本語音声かぶせずに字幕にすりゃあいいのにもったいなーい! 英語なら分かる人多いんだし(法王の英語はシンプルで分かりやすいし)、直接ナマ声を聞きたいじゃんねえ。
 チベットとダラムサラの位置関係を示す地図のフリップ(「ダラムサラ」という地名表記はなく「チベット亡命政府」となっていた)とかも出てきて、「現在も年に1000人以上の難民がヒマラヤを越えている」という説明もあったので、今日まさに亡命社会のチベタンが揺れてるビビッドな話も出るかな、と期待して聞いたんだけど、何もなくてガッカリ。
Hansut 20日に中国の胡錦涛総書記が訪印するのね。APEC(アジア太平洋経済協力会議)に出席した足でのアジア4国外遊なんだけど、中国の国家元首としては10年ぶりの訪印(参考リンク:iZa!/中国企業進出、インドに警戒論)。中国とインドは“停戦状態”で、国境問題(アルナーチャル・プラディシュ)はじめ多々懸案事項があるんだけど、チベットもその「火種」なわけで。
 現地の友人から昨日(18日)届いたメールに驚きました。

(以下引用)
今、ダラムサラは不穏な空気が……。
中国総書記の訪印に合わせて、ユースコングレス婦人連盟9-10-3チベット民主同盟SFT(スチューデント・フォア・フリーチベット)が、デリーで大規模なデモ行進を計画していて、今日も4台のチャーターバスがデリーへ出発。ダラムサラのポリスも阻止しようと、張り込んでいる状態。 ユースコングレスの議長には、ずっとポリスがついて歩いてます。

 そうか、グチュスム(Gu-Chu-Sum/9-10-3)の人たちも行ったんだ……(当然か)。活動費として、日本円換算で15万円近く(うわー!)前借りしていったそうで、皆存在賭けて必死なんだなあ、と知ってる幹部やメンバーの顔を思い浮かべてなんともいえない気持ちになりました。
 参考リンク→Tibetans greets Hu Jintao with Protest(チベット人が胡錦濤を抗議で迎える)(Phayul.com) 日本語での記事は以下しかみつからず。

亡命チベット人ら、胡国家主席のインド訪問に抗議 - インド
 【ニューデリー/インド 18日 AFP】20日から23日まで予定されている胡錦濤(Hu Jintao)中国国家主席のインド訪問に抗議し、ニューデリー(New Delhi)でリレーハンガーストライキが行われている。写真は18日、ハンガーストライキに参加し、メッセージを掲げる亡命チベット人の活動家。(c)AFP/MANAN VATSYAYANA
 (AFP通信へのリンク。画像はここからもらいました)

 グチュスムの人たちも、皆温厚なお坊さんたちなんだけど「ここでアピールしなければ」と思うんだろうなあ。胡錦濤ったら89年にラサで人民解放軍に銃をぶっ放させて戒厳令敷いた張本人(当時の西蔵自治区党書記)だもんなあ……。
 メールくれた友人は「強硬な活動をすることで、ダライラマ法王の築いてきた中道政策やインドとの関係がマイナスになったら元も子もないのに。ダライラマ法王の費やした時間、信頼関係、インド政府のチベット難民への寛容……」と心配していました。それも確かにその通りで、亡命から47年、チベット人の「仮住まい」であるはずの居住区には、ホテルや商店が立ち並び、世界中から旅行者が集まり、リチャード・ギアが別荘を建ててしまうほどのいびつな状況に。それもこれもインド政府との微妙なバランスで続いてきたもので、ただし一方でチベット人の閉塞感はぎりぎりまで来ていて……。
 Gu-Chu-Sumの人たちもYouthCongressの人たちも、非暴力主義は貫くはずと信じて(今デリーでやってるのもハンガーストライキだし)、ラサで暴力で言論を封じられた人たちが、デリーでも武力制圧されるなんて悲劇が起きませんように。

 法王インタビュー終了後の「スタ☆メン」は、そーゆーリアルタイムな話題とか法王の発言内容には踏み込まず、「天真爛漫な人柄を感じました」(池上彰)とか「自分も会って話したことがあります。英語も堪能で自然科学の知識もすごい」(宮崎哲弥)とか、会いました自慢だの知ってます自慢合戦になって終わり。えーっ待て宮崎哲弥、チベット問題を読む回の「ミヤザキ学習帳」(週刊誌の書評連載)割と良かったのにー。それじゃインド旅行中のバックパッカー同士の会話だよう。
 ダライラマ法王の話題になるとなぜかこういう展開になることが多い。それだけ、ダライラマ法王以外のチベットが知られていない、ってことなんだろう、ある意味当然かも、とも思うのでした。

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2005.03.28

“OLダライラマ”

takano 「ちべ者」さんで「OLダライラマ」と紹介された謎の番組(>嘘)、見ました。
 番組内容詳細はご本人のサイトでどうぞ(画像もそこから貰ってきましたごめんなさい)。
 月末と年度末の雑務仕事が立て込み、帰宅が0時40分くらいだったから、最初の10~20分は見逃したけど、たぶんだいたい見た。ラダックでシャーマンに占いをしてもらう場面から始まって、デリー経由パタンコット経由でダラムサラ行ってました。シャーマンの占い、アムチの診療、アマラの料理、クショラの踊り、ゲンラの語り、ギャワ・リンポチェの握手――と、押えるポイント押えまくりって感じで、「風の旅行社さんGJ!」かと。1年放浪ではなく1カ月の旅行でこれだけ押えるのは相当頑張ってコーディネートされたと思います。同じ旅モノで、この前見た「シャングリラ」が「2週間の(長期)ロケ」をうたいものにしてたことと比べても。それにしても、やっぱりチベットはいいですねえ。
 著作(Amazon)も売れてるらしいんですが、私の側に「あ~、後藤ふたば系?」(※)みたいな、ちょっと食わず嫌いな部分もあってまだ読んでません。(※私の世代には後藤ふたばさんという女性旅行作家がいて、「チベットはお好き? ―女ひとりラサへカイラスへ」という旅行記があって、元気印女性の向こう見ず一人旅プラス自分探しそのままの私がイチバン! みたいなチベット本のハシリになったんですねー。読んだ内容はもう忘れちゃったんですが。あ、チベット女性一人旅モノの先達にはアマ坪野和子ラのラサエッセー「チベットで深呼吸」がありますがあれは別格^^;)
 ……てなわけでちょっと斜に構えつつ見たんですが、いやいやいや、面白かったです。「イマドキきゃぴきゃぴ女性(を装ったたかの氏)」がダライラマ萌えしつつイケメンチベタンにきゃぁきゃぁと旅をする、というノリで、登場するチベット人もなかなかイイ男ぞろいで(笑)。チベット仏教僧に懸想しちゃうのを懸念してたんですが、まぁそんなにヒドい事態にはなってなかったし。
 そういえば3月10日記念デモの時、周囲をきょろきょろしていた参加者が、「たかのてるこさん来てないかなぁと思って…」とつぶやいてたっけ。ええーっ、来ないでしょこういう所にその手の人はー、と驚いて尋ねたら、「私あの人がすごい好きで。本を読むと、チベット問題に関心持っているみたいだったし…」と言ってた。人気あるんだなぁ、単にラオスやモロッコ後のマイナー旅行先としてチベット選んだだけならちょっと罪作りかも。
 番組のほうは見ながら甘酸っぱいような生暖かいような気持ちになってきて、なんだこの気持ちは、と考えてみたら、私が初めてダラムサラを訪ねた1991年の旅行ルートって、この「OL旅行」と順番は違うけどほぼ同ルートだったのでした。
 タイ・ネパール経由で陸路インドに入り、マジュンカティラ(デリーのチベット人居住区)を経て長距離バスを乗り継いでダラムサラ、それからマナリー経由でラダックとザンスカール。ダラムサラではやっぱり「ダライラマ14世に一目…」という動機があって、思いがけずクンドゥンにお目に掛かって。当時既にチベットに転がり墜ちていたけど、アレで這い上がれなくなったような気がする。旅行記書いて同人印刷してダミーサークル作って学祭で売るくらいの自己顕示欲はあったし(苦笑)、「若い女の子自分探しの一人旅」ってのは当たらずとも遠からずな旅だった……たぶん。うはぁ。あの旅から私はいったいどこまで前へ進めたんだろうか。
 たかのてるこ氏って現在の私とそう大きな年齢差はない(向こうから見たらあるのかな!?)と思うと、14年前に21歳の私が旅したルートをきゃぴきゃぴ旅できるパワーはすげえなー、とも思うし、どうふるまえばどう映るか、どう行動すれば番組が成立するかというそれなりに老成されたしたたかな計算があってこその企画旅行だったんだろうな、とも思った番組でした。14年前と同じことやれって言われてもできないもん、私。トシとか見栄とか危機管理とか、くだらないモノがジャマする。んじゃ、そこは14年前に既に通った道だとして、それから何を知りどれだけ先に進み今なにを残せたか、というとそれもない。チベット語が話せるようになったわけでもなく、仏教の教えを学んだわけでもなく、例えば仕事でチベットに関する何かまとまった蓄積ができたわけでもなく……うへー…。
 とまあ、ダライラマ14世関連で自省的になるちべ者さんに比べ、旅行番組で己を振り返っちゃう私の底の浅さといったらないんですが、すみません。いやぁほんと、若かりし自分のまき散らした行動を思い浮かべて冷や汗モンの番組でした。
 ちべモノ的には、スタジオコメンテーターにはツッコミ役の島田紳助以外に、「チベットでは~~という意味があるんですよ」とか「この~~は~~~ですね」とチベ知識を補足してくれる人がもう1人いると良かったかもですが、まあ、そういう番組じゃないし。
 番組で印象的だったのは、「アイウォントスィーダライラマ!」と大騒ぎするたかの氏に、「なぜ君は直接会いたいんだ?」ととまどうチベット人男性の表情ですかね。
 「君が会ってどうするんだい?」
 「会って考えていることを聞きたい」
 「考えを知りたいなら講話を聞けばいいし、たくさん出ている本を読めばいいじゃないか」
 「だってカッコイイし、私をアピールしたいし、会ったら人生が変わるような気がするんだもん!!」
 「……」
(↑記憶で書いてます。だいたいこんな流れだったような)。わはは、チベット人が正しいだろ、そりゃ。会えなきゃ番組のオチがつかない、というのはあったんだろうけど。
 「金八先生に似てるよ」と言われたゲンラの「なぜ求めるんだ。大切なのは執着ではなく愛すこと。世の中に変わらないものはない。執着からは何も生まれない」という語りも、ああチベット人だなあ、という感じで良かったし、何より、「ホワットイズミーニングオブライフ?」「アーユーハッピー?」というすごい質問に応えたダライラマ法王の言葉も深かったなあ。
 「生きることの意味は分からないが、ひとつ言えるのは『ここに自分が存在している』ということ」「幸せかどうかというのは自分の心の状態が決めるもの。私のこれまでの道のりは平坦なものではなかったし、困難な環境にあったこともあるけれど、常に誠実に受け止めようと努め、その中で平穏な心の状態を保とうと心がけてきて、今、私の心はかなり平穏だと言えます」(←これも薄い記憶で書いてます)
 番組直前に電話を掛けてきて「人間関係がしんどい、他人のやっかみや敵意を感じて精神的に参っている」とこぼしていた知人に聞かせたい、とちょっと思ったり、一方で、この日アメリカ留学中の友人から届いたメールに「これまでの仏教哲学の世界観とは違った切り口で社会を分析した時に『知のバランス』を考えた」…とあったことも思い出し、ギャワ・リンポチェという存在の立ち位置と直面する世界とのバランスに思いを馳せたり、しながら見ることが出来ました。(なんか番組そのものとはズレまくった感想だ……)
 <本筋とは関係ないアレコレ>
 ・「ダラムサラには列車とバスを乗り継ぐしかない」→ダラムサラにはデリー郊外のチベット人居住区マジュンカティラから直通の夜行バスが出てます。400Rsくらい。
 ・「チベット仏教寺院では厳しい問答で修行している」→うわっ! ラダックの寺院を訪ねるシーンでなぜラサのセラ寺が挿入されるの!? たかの氏もいてるし。前半10~20分見逃してたけど、たかの氏が本土側を旅していた描写もあったの?

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