「転生」
ペマタンで朝食後、「Tibetan traditional Massage」に挑戦(前回に続き2度目)。
今回は前回「3日後まで予約がいっぱい」と断られた女性の施術師のところ。我ながらチャレンジャーですが、前回とはいろいろ違い面白かった。共通点はオイル使用と裸、かな。
女性は7年前にリタンから来た1世だそう。前回の男性施術師はやはり4年くらい前にアムドから来たと言ってましたから、こういう割と新し目で元手がかからなさそうな職業ってニューカマーが多いのかも。で、今回の先生、マッサージは「母親から学んだ」とのことで完全な伝統民間療法スタイル。カムでは家族や親戚でこういう民間療法やったりするのかな、と興味深く。
昼食はルンタで。比較的すいていたので、今年6月から新しくレストランのスタッフになったパサンさんたちと話す。カンゼ出身で、05年1月に亡命したばかり。30歳を超えていてトランジットスクールという年齢でもなく、外国人がボランティアで開いてる英語塾で英語を学んだりダラムサラ撮影の映画で俳優をしたりしていたとのこと。
早婚のチベット人だけど、ルンタレストランの男性スタッフは1人を除いて皆独身。難民人生苦労も多いよなあ、と思ったり。
昼からは昨日誕生日を迎えたシアトルの女の子の誕生パーティへ。短期間だけどダラムサラのTCVデイスクールに編入してる彼女がクラス全員を招いて、英語の歌を教えてみんなで歌わせたり、「マジシャンズキャッスル」ってテーマパークとマジックのワークショップをやってるフランス人男性(そんなものがダラムサラに!!)のマジックショーもあったりしてものすごくにぎやか。アメリカの子供ってこうやって育つんだろうなあと感心。片隅でツェリン・ドルジェと少し話し込む。
ところで昨晩は夜中に目が覚めて「転生」(篠田節子)一気読み。
帯とアオリ見てキワモノっぽくて(失礼。でも、舞台が現代チベットですよ、シガツェですよ、タシルンポですよ?)積ん読になってたんだけど、いやはや、これが。
「ダプチ」だの「電気棒」だの「ニマ・チュエキ」だの馴染み(馴染み!?)の単語がばんばん出てきて、あまりの勢いに最後まで行っちゃった、というか。何かミステリ仕掛けがあるかと覚悟して読み進めたら、種も仕掛けもないそのまんまの勢いのノベルスだった、ってのがまた凄い。英語かチベット語に訳してこのへんのチベット人に読ませてみたい(^^;
篠田節子は割に好きで、「弥勒」もルンタレストランの本棚に入れてるんですが(在住の日本人にはいまひとつウケませんでしたけど)、――あれは虚実ないまぜに架空の国を作りつつ、国家という巨大な流れに翻弄されるとき、個や自我は果たしてどう機能するのか、幸せな生き方とはひとつにこうあるべきと定義されうるものなのか、なんてテーマを根底に押さえた小説だったなあと思っていますが――、「転生」、そんなところはもう突き抜けてます。もう、なんだ、現代チベットでもノベルスできるのよ、冒険活劇できるのよ、ってなところでしょうか。(すいません、私確かに「頭蓋骨のマントラ」で、チベット舞台の活劇は『ちょっと前』が舞台装置としては最高なんだろうな、と思ってました)
で、一夜明けて開店準備中のルンタの屋上では、ツェリンテンパ君が「僕も昔僧だった、89年のデモで逮捕されてダプチに3年いた」とか「87年のデモより少し前に、叔父はネタン寺の僧侶で、当時60歳くらいだったけれど、先頭でチベットの国旗を持ってパルコルを歩いた。そのまま行方不明になって、ひどく殴られて、数ヵ月後に故郷の村に帰ってきたけど、内臓を悪くしていて衰弱するばかりで1年経たずに死んだ」なんて思い出話をとつとつとしてくれるわけで……。
もうね、どっからどこまでが昨日読んだ小説か、っちゅう世界ですよ。ああ、今晩夢に見そう。
Recent Comments