2007.12.08

「転生」

 ペマタンで朝食後、「Tibetan traditional  Massage」に挑戦(前回に続き2度目)。
 今回は前回「3日後まで予約がいっぱい」と断られた女性の施術師のところ。我ながらチャレンジャーですが、前回とはいろいろ違い面白かった。共通点はオイル使用と裸、かな。
 女性は7年前にリタンから来た1世だそう。前回の男性施術師はやはり4年くらい前にアムドから来たと言ってましたから、こういう割と新し目で元手がかからなさそうな職業ってニューカマーが多いのかも。で、今回の先生、マッサージは「母親から学んだ」とのことで完全な伝統民間療法スタイル。カムでは家族や親戚でこういう民間療法やったりするのかな、と興味深く。

 昼食はルンタで。比較的すいていたので、今年6月から新しくレストランのスタッフになったパサンさんたちと話す。カンゼ出身で、05年1月に亡命したばかり。30歳を超えていてトランジットスクールという年齢でもなく、外国人がボランティアで開いてる英語塾で英語を学んだりダラムサラ撮影の映画で俳優をしたりしていたとのこと。
 早婚のチベット人だけど、ルンタレストランの男性スタッフは1人を除いて皆独身。難民人生苦労も多いよなあ、と思ったり。

 昼からは昨日誕生日を迎えたシアトルの女の子の誕生パーティへ。短期間だけどダラムサラのTCVデイスクールに編入してる彼女がクラス全員を招いて、英語の歌を教えてみんなで歌わせたり、「マジシャンズキャッスル」ってテーマパークとマジックのワークショップをやってるフランス人男性(そんなものがダラムサラに!!)のマジックショーもあったりしてものすごくにぎやか。アメリカの子供ってこうやって育つんだろうなあと感心。片隅でツェリン・ドルジェと少し話し込む。

 ところで昨晩は夜中に目が覚めて「転生」(篠田節子)一気読み。
 帯とアオリ見てキワモノっぽくて(失礼。でも、舞台が現代チベットですよ、シガツェですよ、タシルンポですよ?)積ん読になってたんだけど、いやはや、これが。
 「ダプチ」だの「電気棒」だの「ニマ・チュエキ」だの馴染み(馴染み!?)の単語がばんばん出てきて、あまりの勢いに最後まで行っちゃった、というか。何かミステリ仕掛けがあるかと覚悟して読み進めたら、種も仕掛けもないそのまんまの勢いのノベルスだった、ってのがまた凄い。英語かチベット語に訳してこのへんのチベット人に読ませてみたい(^^;
 篠田節子は割に好きで、「弥勒」もルンタレストランの本棚に入れてるんですが(在住の日本人にはいまひとつウケませんでしたけど)、――あれは虚実ないまぜに架空の国を作りつつ、国家という巨大な流れに翻弄されるとき、個や自我は果たしてどう機能するのか、幸せな生き方とはひとつにこうあるべきと定義されうるものなのか、なんてテーマを根底に押さえた小説だったなあと思っていますが――、「転生」、そんなところはもう突き抜けてます。もう、なんだ、現代チベットでもノベルスできるのよ、冒険活劇できるのよ、ってなところでしょうか。(すいません、私確かに「頭蓋骨のマントラ」で、チベット舞台の活劇は『ちょっと前』が舞台装置としては最高なんだろうな、と思ってました)

 で、一夜明けて開店準備中のルンタの屋上では、ツェリンテンパ君が「僕も昔僧だった、89年のデモで逮捕されてダプチに3年いた」とか「87年のデモより少し前に、叔父はネタン寺の僧侶で、当時60歳くらいだったけれど、先頭でチベットの国旗を持ってパルコルを歩いた。そのまま行方不明になって、ひどく殴られて、数ヵ月後に故郷の村に帰ってきたけど、内臓を悪くしていて衰弱するばかりで1年経たずに死んだ」なんて思い出話をとつとつとしてくれるわけで……。
 もうね、どっからどこまでが昨日読んだ小説か、っちゅう世界ですよ。ああ、今晩夢に見そう。
 

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2007.12.07

ダラムサラより

 夜行バス→飛行機→夜行列車→車(チャーター)と乗り継いでダラムサラです。
 仙台を出たのが5日午後10時50分なので、所要約40時間かな(疲れた…)。一応これが最速ルート、のはず。

 ダラムサラはもう冬で、外国人観光客の姿も少なくなりました。1年2カ月ぶりになるんだけど、なんか「しばらく来れなかった…」という気持ちが強くて、迎えの車で山道を登り、斜面にへばりつく家並みが見えてきたときには「来れてよかった」となんだかへんな感慨がありました。
 ルンタハウス(ルンタ・レストラン)の前の道(ジョギバラ通り)が全部舗装され、ジョギバラは下から上へ、マクロードガンジの2本のメーンストリートのうち南側はバススタンド方向へ、北側はお寺方向への一方通行規制がかけられ、交通トラブルがかなり少なくなった印象(ルンタに車で行くには不便になったけど^^)。

 昼食はルンタで日替わり定食(本日は金曜日で巻き寿司)、夕食はシアトルから「チベット・チャリティ」プロジェクトで滞在中のアメリカ人女性医師のお子さんの8歳の誕生日にご一緒してインドレストラン「アショカ」。……あれ、チベット料理まだ食べてないや(笑)

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2005.11.23

From Dharamsala

ダラムサラのネットカフェからです。
今日11月23日はチベット暦9月25日、「ラパブ・ドゥチェン」という祭日(というか仏教のお祭りの日)で、「釈迦がいったん天にいって亡くなった母親に会い再び地上に戻ってきた日」。ひたすら盛大にお香を焚きまくる日で、皆で早起きしてリンコル、サンを燃やし新しいタルチョを張ってきました。朝の日差しの中、ルンタをまきまくってるチベタンがカッコよかった(紙ルンタ買えなくてやれませんでした)。
ちょうど水曜日の朝にあたり、長寿祈願の歌を歌いツァンパをまくところにも居合わせることができました。
今回タイミングがすごくて、ナムギャル寺をのぞいたら声明が聞こえ、なんだろうと思ったら完成済みの砂マンダラが。ラパブ・ドゥチェンに合わせチューキョン(護法尊)の一つデーキョン(だったかな)の砂マンダラだそうで、明日護摩焚きがあるそうです。ナムギャル寺の声明はさすが言葉がぴったりそろっていて聞きごたえあります。
ニントブリン(障害者施設)、ノルブリンカ(工房&観光施設)のついでに尼僧院のドルマリンに寄ったら、ここでは観音菩薩の砂マンダラを制作中でした。同行者も「尼さんが砂マンダラを作るのは珍しい」と感心。いいものを見せてもらいました。
TCVにも行って里子の近況も尋ねたしクショラにも会えたしアニ・ガワン・ワンドゥンにも会えたし、なんだかやたら忙しいです。まだ土産のひとつも変えてません。Blog更新もできなくてすいません(もうできない気がする)。
  まだ肝心な用件もいくつか(今日はラパブ・ドゥチェンの祝日でチベット人のオフィスが軒並み休みで、インフォメーションオフィスにもグチュスムにもまだ行けていないのでした)。あと2日しかないです。ある意味日本にいるとき以上に忙しい(←時間に追われるって意味ではなく、やりたいことこなしたいこと目の前で起きることが充実しているって意味で)ってどうなんだ。いいのかわるいのか。
取り急ぎ。

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2005.10.08

【ダラムサラ・ツアー】詳細決定!

 水面下であたためていた「風の旅行社」催行のダラムサラ・ツアー、詳細が確定しました。
 ルンタ・プロジェクトの現地スタッフは不在のため、スタッフが現地を案内することはできませんで、あくまでも「風」の企画旅行でのツアーです(参加したらルンタにマージンが入る、なんてこともありません。ルンタ・ハウスにも泊まりません。うらるんたも参加予定ですが客の1人として料金払って参加しますー)。チベット語が堪能でルンタの活動にも詳しい現地在住の日本人が現地ガイドについて下さる予定です。
 現在、3人参加(私含む)で催行決定。6人集まるともうちょっと安くなります。
【日程】
2005年11月20日~27日
【スケジュール】

行程
11月20日(日) 10:00 成田空港集合 12:00 AI301便にてデリーへ。デリー泊/食事:朝なし 昼機内 夕あり
11月21日(月) 08:00 列車でデリー発 16:30パタンコット着 20時前後 専用車に乗り換えてダラムサラへ。ダラムサラ泊/食事:朝あり 昼弁当 夕あり
11月22日(火) 終日:ダラムサラ観光/食事:朝あり 昼あり 夕あり
11月23日(水) 終日:ダラムサラ観光/食事:朝あり 昼あり 夕あり
11月22~23日2日間で、ダライラマの居城(パレス)、ナムゲルゴンパ、ツクラカン、ペンズーカン、メンツィカン、チベット亡命政府等ノルブリンカ、ギュト僧院、ダライラマ法王の守護神を祭るネチェンドルジェゴンパ、TIPA,TCVなどを訪問。(現地事情により観光できない場合もございます。)時間を見てホテル周辺のバザールも散策致します。
11月24日(木)  終日:ダラムサラにてフリータイム。
※22~24日の訪問地はニントプン(障害者施設)やルンタ・ハウスの英語クラス参加など多少のアレンジを加えてもらう予定でいます。まだ細部詰めていません
11月25日(金) 午前:フリータイム。午後:パタンコットヘ。18:40パタンコット発 デリーへ。宿泊:車内(2等寝台) 食事:朝あり 昼あり 夕お弁当
11月26日(土) 06:10 デリー着 車でホテルへご案内。ホテルにてご休憩。21:35 AI308便にてデリーを出発、帰国の途へ。食事:朝あり 昼なし 夕あり
11月27日(日) 08:00 成田空港到着。通関後、解散。

【料金】
*6人以上集まった場合
24万2000円(※女性特別 23万円)
*2~5人の場合
25万7000円(※女性特別 24万5000円)
(※「女性特別」は、エア・インディアの「レディース特別料金」を利用した場合の金額。女性限定です)
【催行条件】
・添乗員:同行しません。
・ガイド:デリー着、デリー発まで日本語ガイド(インド人)が同行します。
・利用航空会社:エアインディア
・一人部屋代金(40,000円) トリプルの場合エクストラベッドになる可能性があります。
【その他に必要となる料金】
・ 成田空港使用料:2,040円
・ インド出国税:600円
・ 燃油付加特別運賃:3,400円 (原油高騰による航空会社の値上げ運賃)
・ インドビザ代金:5,200円(ビザ代・手数料込 6ヶ月マルチプルビザ)
【申し込み・内容問い合わせ先】
風の旅行社 企画手配部 中村さん
TEL:03-3228-5883(企画手配部)/03-3228-5173(代表)FAX:03-3228-5174

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2005.06.11

チベット満喫イベント

mankitsu01 連休が取れたので思い立って関西へ。
 「風の旅行社」主催のチベット旅行案内イベントに顔を出してみました。前日に予約の電話入れたら滑り込みセーフだったので。
 講師は長田幸康さん。「最近のラサのトレンドはお手製毛糸編みのマニ車カバー」など、「どこが初心者向けじゃ」と突っ込みたくなるような小ネタを交え、淡々とチベット旅行の基礎知識。長田さんって誰か隣にツッコミ役を配して笑いドコロをツボ押ししたほうが生きるキャラかもしれないーああ1人で置いておくなんて素質がもったいない、と思ったり(なんだそれは)。風のツアーならこんな旅行が、というアピールもきちんと押さえてさすが達人と思いました。
 私自身は最初の旅から1人だった個人フリー旅行一辺倒のパッカー上がりですが、去年「エアインディアがフライトキャンセルになって仕事に穴を開けた」という恐怖の経験をしてから「きっちり帰ってこれるなら旅行社のツアーって保険は必要かも」と多少の宗旨替え。そんなわけで年末はJTBのパッケージ大名ツアーで家族旅行をしてみましたが、まぁ元の期待値が大きすぎたかもしれないんだけど意外に期待はずれでしたね。大手だから満足行くツアー組めるかってーとそうでもないんだなあ、と思ったり。「風」には期待してます。
mankitsu02 2部はメンツィカンの小川康さんのチベット薬草の話。
 「正倉院に残されている薬の処方に、当時は日本に自生していなかったヒマラヤ由来の薬草がある」「越中富山の反魂丹に似た処方の腹痛薬もある「富山の薬売りとチベットの薬やアムチには共通点がある気がする」……などと、身近な場所からチベットへ話を広げ、「アムチ(チベットの診療師)になるためには101種類の薬草を暗記することに始まり終わる」「薬草のひとつ目はインドの小麦『ヤド』」(最後の一つにも触れてたんですが忘れました)「遭難しそうになりながら山に分け入って薬草を探すのは宝探しのような気分」……など、日本人の他の誰にもできないメンツィカンの学生生活まで。小川さんはホント「講演」って感じで、人生訓のようなオチまでつけて話を締めてくれて、感心してしまいました。「ようこそ先生」みたいな企画やったらイケるんじゃないだろうか。
 「チベットに旅行するんだ」パワーをあちこちから浴びて、おー私もダラムサラツアーを具体化させなくちゃ、会報作んなきゃ、などとと考えながら帰ってきました。
 (しかし群馬に戻ったら休んだ間にたまった仕事に追われ、しばらくブログのアップさえままなりませんでしたが……すいません)

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2004.12.18

from BALI

(There are not Japanese IME)
Shigoto demo Vacation demo naku oya no settai ryokou desu(chotto tsukare ga...).
[ "Repeater" de nai gaikoku ] (=except INDIA & CHINA) ha hisashiburi de shinsen kamo.
Kecak Dance wo minagara shukuo to kanko ni tsuite nantonaku kangae mashita. shourai Tibet ha BALI no you ni natte shimau no desyou ka. (BALI no youni nareru nara mada happy. to iu ki mo shimasu ga)

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2004.12.14

ダラムサラの治安/ロサルのダラムサラ旅行/ホテル予約

 タイトルに単語を羅列したのは、冬休みの旅行シーズンでこういう検索が多くなるかもしれないなーと思って、検索にかかりやすくなるんじゃないかな、とやってみました。質問メールいただいて返事を書いたので、FAQ代わりになるかもしれないと思い、内容をちべログにもコピペしておきますー。
 えー、こんなメールをもらいました。

Subject: はじめまして
来月上旬頃からダラムサラ入りする予定の○○と申します。
友人から、ダラムサラに行く道中が危険(盗賊が出る)と聞き、
ちょっと不安です。
実際のところ、どうなんでしょうか?
お答えいただけたら幸いです。

返事はこんな感じで。
 ○○さま、はじめまして。
 うらるんたこと××です。
 インドですので、夜中に一人歩きしても安全、などとは言えないのが現状ですが、バスやタクシーや列車が襲撃されて強盗に遭う、という話までは聞きません。
 デリーからダラムサラまでの道中は、ヒッチハイクの一人旅など無謀な行動をしない限り大丈夫ではないでしょうか。(列車での移動であれば乗車の際にコンパートメント付近に気を配る、バスならダラムサラのマクロードガンジまで連れて行ってくれるかを確認して乗る、など、通常の海外旅行と同じようにふるまえば大丈夫だと思います。)
 あとはダラムサラ滞在中ですが、マクロードガンジは外国人滞在客も多く、夜遅くまで開いている店もあって深夜でもそこそこ明るくて、つい日本と同じように振る舞ってしまいがちですが、マクロードガンジをちょっと離れると、街灯もなく真っ暗な山道が続いています。また、ダラムサラは貧困なヒマーチャル・プラディシュ州にありながら、金持ちの観光客(観光が出来る人はそれだけで金持ちです)が押し寄せるいびつな構造の上にある場所で、さまざまな人が引き寄せられています。ダウン・ダラムサラ(ダラムサラ市内でもマクロードガンジを30分ほど下った平地部に広がっている街)に滞在している人などが、女性1人で真っ暗な山道を歩いて下っていて、強盗に遭った、とか、危険な目にあった、などの話は私も聞いたことがあります。
 お友達がおっしゃる「ダラムサラへの道中」というのはどこからダラムサラへの、どんな交通手段でのことをさしておっしゃっておられるのでしょうね。
 ダラムサラ自体は、デリーやコルカタなどインドの大都市に比べればずっと落ち着いた穏やかな街で、部屋の荷物は盗賊よりもサルに気をつけないといけないくらいです(笑)。(窓から手を伸ばして食べ物などを持って行ってしまいます。ゲストハウスによっては、窓という窓に鉄格子がはまっていて驚かれるかもしれませんが、客を閉じこめたり泥棒よけのために鉄格子を入れているのではなく、サルよけです。)
 ただまあ、日本も含め、完全に安心できる安全な場所というのはありえないので、常識と節度のある行動で自らの身を守ることは必要になってくると思います。
 どうぞよい旅を!
 するとこんな返事(1通省略)が届きました。
Subject: マクロードガンジのホテル
大変申し訳ありませんが、
マクロードガンジにあるホテル、押さえておいてもらえませんでしょうか?
(February ** - March **)
それから、宿泊料金は全部でいくらくらいになりますか?
○○
 一応、こんな返事を返しておきました。
 ○○様
 ルンタの××です。メールありがとうございました。
 マクロードガンジはホテルがたくさんあるので、どこも一杯で泊まれない、ということはないと思います。(○○さんがどんなクラスのホテルに泊まろうとされていらっしゃるかが分からないのではっきり言えませんが。)
 申し訳ないのですが、ルンタでは旅行代理業務はやっていないのです。ごめんなさい。
 ルンタ・ハウスにはドミトリー(5人1部屋の相部屋、シャワー共同)もあるのですが、ロサルの時期は学校が休みになるため、親戚がなくて寄宿舎に入っている子供たちがグチュスムの知り合いを頼ってルンタ・ハウスに大量に押しよせるので、外国人旅行者を受け入れる余裕はないと思います。里親さんが里子さんに会いに来られるケースはまた別ですが…。
 ダラムサラ旅行の手配であれば、「風の旅行社」ロサル時期のツアーも催行しますし(これ以上いないだろうというガイドも付いています)お勧めです。個別の手配にも応じてくれます。
 メールで手配依頼が可能な現地の旅行会社であれば「ポタラツアー」が良いと思います。元々は亡命政府が運営(現在は民営化)していた旅行会社です。
 ホテルの名前や宿泊料金の相場(変動があるのであくまでも参考程度にしてください)はチベット・ハウス(ダライラマ法王東京事務所)のサイトに紹介されています。ダラムサラガイドホテル紹介もあります。

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2004.09.21

Seek Tibetan

 話は1年前の秋に遡ります。
 1週間(5泊8日)のダラムサラ旅行を終え、成田空港で入国審査の列に並んでいた時のこと。何気なく後方を振り向くと、えんじ色の僧衣姿が!! エアインディアの同じ便にチベット人のお坊さんがいたとは!! もっと早く気付けば、機内で会話の一つくらいできたかもしれない……と後悔しつつ、振り返るとまだ同じ場所に立っている。
 近づいていって何か話しかけてみたほうがいいんだろうか、いや相手にしてみたら突然寄ってくる日本人は多いだろうから頭沸いてると思われるだけかも、インドのチベタンなら英語も話せるだろうし、最近は海外慣れしたお坊さんも多いし、1人で移動するくらいだから場慣れしてるんだろう、日本人と外国人の審査窓口は別だから一緒に並ぶことはできないんだし……いやいやもし英語も日本語もできないゲシェラみたいな人だったら……などとぐるぐる考えていると、後ろから「進まないんですか!?」と怒りの声。ハッと気付くと、私の前にはもう誰もいなくなって、5mくらい空間の空いた先から入国審査官が「次!」と言っている! ぎゃー、日本の入国審査って手際良かったんだ!!
 とっさに「すいません!」と入国手続きしてしまったものの、ゲートの向こうからのぞくとお坊さんはまだ立ち尽くしている。
 ああ、誰の招きでどこへ行くのか程度のことを聞いて日本語のメモを持たせてあげれることくらいできたんじゃないか、「ぱぎゅーぺーろーなん」(←このチベット語も怪しいなぁ)くらい言って「foreigner」の列に誘導するくらいしたほうが良かったんじゃないか……とくよくよ後悔しつつ出口を出ると、チベット服姿の日本人が数人、心配そうに待っている。思わず「出迎えの方ですか?」と尋ねると、これがポタラ・カレッジの方々。うわー。「デプン寺ロセリン学堂ケンポのゲシェー・ロサン・ギャツォ師です。亡命後、インドから海外に出られるのは初めてでらっしゃるんです」。
 ああ~、そうと知っていたら知っていたら。何か役立てることはあったはずなのに。
***
 ……とまあ、そんな経験がありまして。
 インドから日本へ向かうチベット人はかなりの確率でエア・インディアの直行便に乗るんだ、と知ったのでした。
 で、今回。
 いろいろあって連れて行かれたホテルのフロントで、インドのパスポートを手に私の前に割り込んできた男性が、どう見てもインド人に見えない。強いて言えば「のび太顔」。首を伸ばしてフロントマンのチェックイン作業を見守ると、名前欄に
Gyaltsen
と書き込んでいる。こりゃチベット人だと確信! 風体からするとビジネス関係者か。在日チベット人と知り合えるかも!! うれしくなって思わず追いかけ「チベット人ですか? 日本へ行くんですか?」(とチベット語で聞いたつもり)。
 「……」
 返ってきたのは不審者を見る目つきでした(泣)。
 なんか全然違ったみたい。私のチベット語がひどすぎて通じなかった可能性はあるけど、でもたぶん全然チベット人じゃなかったようです。
 恥ずかしいよう情けないよう、そもそも「チベット人(のようだ)」という理由で知らない人に声を掛けること自体ヘンかもしれない、と自己嫌悪。
 日本にいるチベット人の数を考えれば、毎週2回飛んでるエアインディアの成田便で、そう何回も何回もチベット人と乗り合わせるとは限らない。やっぱりいないよ、チベット人なんて。
 *****
 と反省した翌日の、再チェックイン。
 背の高いインド人2人と一緒に出国手続きをする小柄なオジサンが気になる。顔がなんだかチベット人。手に持っているパスポートは……あれ、パスポートじゃないじゃん、インド政府のレジデンス証明(難民認定証のようなもの)だ、間違いなくチベット人、それもチベット本土出身者だ!!
 昨日の恥も忘れてダーッシュ!!!
 「ゲンラ!」(振り向いた!)
 「きぇらんぺぇばれべ?」(うなずいた! 通じてる!?)
 「じゃぱんらどぅぎいんべ?」「レーレー」(チベット語が返ってきた!!)
 しかし私のチベット語はここまで(わははは!)。英語とちゃんぽんで聞けば、ダラムサラ在住で、「ルンタ」もグチュスムも知っており、ルンタ代表N氏のことも知っているという。おおお、世の中狭い。日本では東京で2~3カ月滞在するらしい。おお、それなら休日に会えるかもしれないですね。
 「じゃぱんぎかりちぇな(日本/何/する)?」(←怪しいチベット語)
 「トーキョー・イグジョナリー」(と聴こえた)。
 なに、一体なに? 東京イグジョナリーって(聞き間違いだと思うけど)。教えてもらった滞在先も「ヒジカワ」(って地名?)とか、謎。
 どなたかご存知の方そっと教えてください。むちゃ偉い人だったらどうしよー。

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2004.09.19

Delhi de ashidome

Air India no engine troubble de kaere naku natte imasu.
getsuyoubi kara shigoto nanoni doushiyou!
(English de kaku genki mo nakunatte kimashita)

18 nichi yoru ittan bording shita ato kinai de 6 jikan ijou matasare (dinner dake dete kita), kekkyoku orosare, tranjit room de 4 jikan matasareta ato kondoha soto ni dasare Hotel he tsurete korare mashita..
nanno setsumei mo naku "wait moment" nomi..
betsuno carrier ni kaete hoshii to itte mo "We will fix soon" ... miugoki ga torezu komatte imasu (hito kara kiita koto ha arukedo hajimete desu..)..

I wish be back Japan safety and soon....

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2004.09.18

From Majnu ka Tilla New Tibetan Camp

This morning arraived Delhi.
will be back Japan soon,,,

(以上、18日にマジュンカティラのネットカフェにて。以下は9月23日の追記)

 17日は滞在期間中始めての晴れ! ダラムサラの気候は三寒四温というか、一度晴れると数日晴れが続くサイクルなので(私が到着する前々日までは晴れていたらしい)、旅行の日程があと3日前か後にずれていたらな~、なんて思ったり。
 写真を撮れるのも買い物できるのもラストチャンス。屋上に出ると、久しぶりの晴れ間にどの家も満艦飾となっていて、ルンタも例外でなく。洗濯物にまざり、テイラーで働く女性たちが刷り終えたタルチョも干していた。
 仕込みに余念のない開店前のレストラン「ルンタ」で、パンを作るトプチュに挨拶。ラプゲ君にスポンサーから「誕生祝」として3000円預かっていたので、ルピーに換金(1200Rs)してお母さんに渡し、記念撮影。部屋に遊びに行くと、お父さん(ラプゲ君のお祖父ちゃん)も来ていた。実を言うとルンタ・ハウスは建てた当時、家族で住むことはあまり考えていなかったようで(シェルターのような一時滞在施設を念頭に置いていたはず)、ドミトリーのどの部屋も8畳くらいのワンルーム。この部屋にお祖父ちゃん入れて4人はいくらなんでもやっぱり狭い。なら外でアパートを、とは言ってもダラムサラの賃貸アパートは高騰していて(キッチントイレ付12畳くらいのワンルーム家具付で4000~6000Rs/レストランの月給は3500Rsくらいでこれでも決して悪いほうではなかったと思う)、よい条件の部屋はなかなか見つからない。普通のアパート借りてるチベット人も友人同士や親類知人で部屋をシェアして5人も6人も一緒に住んでいる(転がり込まれているのかもしれないけど)。
 ツェリン・テンパ君がTシャツ50枚を届けてくれる。元お坊さんで92年に政治亡命、南インドのセラ寺に2年いたけど還俗して難民学校に入り、グチュスムの奨学クラスで00年度生として学んでいた青年。修了後、フランシスのテイラーにシルクスクリーン担当として就職、給料が出来高制に変わったため、フランシス製品のシルクスクリーン作業がない時に収入を確保するため自分たちでTシャツ作りを試みていると聞いて、「ルンタ」柄のTシャツを50枚ほど発注したのだ。
 「ずっと雨だったのにいつ作ったの?」。シルクスクリーンプリントは晴れた日に屋上でやっていると聞いていたので驚いた。
 「自分の部屋で」。えーあの、地下の、小さな、トプチュ一家の2つ隣の部屋で!? 午後からは病欠者の多いレストランを手伝っていたし、ずーっと雨だったから、寝る場所もない状態で夜なべしてプリントしていたんじゃ…? 実を言うと、晴れ間をみて屋上で作業する、と聞いていたから、「ずっと雨だったし出来上がってないだろうな~、『注文受けたけど出来なかった、ゴメン』で終わりだろうな~、チベットだもんな、まあいいや」くらいに思っていたのだった。彼が作業してるところを写真に撮って、「こんな風に作ってます」というパンフを添えて一緒に販売しようと思っていたのだけど、写真を撮り損ねてしまった。とはいえこれは一方的に私が悪い。ありがとう、ごめんなさい。
 Wさんにつきあっていただいて市内を回り買い物。TCVのショップで女性用Tシャツ、小さな財布、メンツィカンの売店でチベット医学処方のスパイスミックスなど。やはりこの日デリーに下る文化人類学の先生ご一行も「ルンタ」に寄ってくださり、あっという間に時間は過ぎる。
 クラスの生徒さんたちにもっとプロフィルを聞きたかった、アムリッツァルの病院に行っていて不在だったガワン・ワンドゥン嬢のアパートも教えてもらっとくんだった、レセプションセンターを訪ねて直近の亡命者について状況を聞きたかった、……後悔は数えればきりがないけど、とにかく今回はここまで。次はいつなのか、そもそもまた来れるのかどうかも本当は分からない(転勤も近いし)のに、ダラムサラにいるときはなぜか「また来るからその時には」と考えてしまう。(←カイラスでも「次はもっと減量して筋力つけて軽くて暖かい寝袋持って……」と考えてたんだから始末が悪い。また行くんかい!)
 クショラ、ソナムラ、トプチュラ、ツェリン・テンパ君、いろんな人がカターをくれて、真っ白のぐるぐる巻きになってバスの人になる。ありがとう。

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