矢島保治郎展in前橋2012
前橋市で18日まで開かれている「生誕130年記念 上州の探検家・矢島保治郎―中國・西蔵30,000kmの旅― 小松健一作品展」に行ってきました。
岩手花巻の多田等観展でも感じることですが、地域史や郷土史の視点から日本とチベットの関係を見上げて、チベットを扱う機会が多面的になるのはほんとに素敵なことです。カメラマンの小松健一氏が、今年2012年が矢島保治郎生誕130年、来年が没後50年となる節目に合わせ、数年前から企画されたそうでした。
(写真左が小松氏、左は矢島保治郎の長女仲子さん)
小松氏は、8年ほど前に「ある人から偶然聞いて」矢島保治郎のことを知ったそう。小松氏は岡山生まれですがお母さんが上州群馬の方で、群馬で育ったこともあって親近感を感じたのと、「群馬県人でさえ矢島保治郎をほとんど知らない。もっと広めなくては」と考えて、生誕130年に照準を絞ったとのことでした。
(8年ほど前…。それは前橋時代の私が1人で保治郎インマイムーブメント状態だった2004年ではないですか…笑)
2010年には仲子さんとともに成都まで行かれています。
展示は、矢島保治郎の足跡の地をたどる紀行写真がメイン。
「中国・西蔵30000kmの旅」と副題がつけられ、「世界無銭旅行者」を自称した冒険者としての矢島保治郎に焦点が当てられていました。
写真は、「30,000kmの旅」と銘打つだけあって、横浜から上海、南京、北京、成都、重慶、ダルツェド、リタン、バタン、チャムドを経てラサ入り(第1次)、カルカッタ、ダージリン、カリンポン、ガントク、ヤードンを経てラサ入り(第2次)したルートをくまなく追跡。来場した人からは「私もネパールを1カ月ほどトレッキングしたのでこういう光景はなつかしいわ…」なーんて会話も交わされていて、参加者は、郷土人保治郎に興味を持つ地元の年配者のほか、写真撮影や海外旅行に興味がある中年女性らも多い印象でした。
(写真はギャラリートークの様子)
ギャラリートークの写真を見るとわかりますが、保治郎ゆかりの品々の展示は、会場中央のガラスケースのみです。そのガラスケース3つのうち1つは、小松氏がヒマラヤ各地で集めた民具や古布、仏具などで、保治郎ゆかりの品々は残り2つだけでした。
これを十分とみるか、物足りないと見るかは……。
さて、個人的に楽しみにしてきた、独立チベット国の品々。
ラサから送られた手紙の封筒。紋章がかっこいい、というかセンゲが可愛い。表書き(下側になっていて読めないので、隣にコピーが展示してある)は、切手が貼られた状態ではないので、多田等観の帰国時に託されたものではないかと思います(確認し忘れました)。チベット語で「ヤジマ ヤスジロウ」、その下にローマ字で「ヤジ マ ヤスジロ」。差出元は「フロム、ラサ、チベット」と読めます。
生前の保治郎とノブラーが写った貴重な写真の数々は、展示会場内のパネル1枚に簡単にひとまとめに額に入っていました。
2012年5月に小松氏がラサで撮影した写真。
写真説明は「八角街の一角にあるデンパ・ノブラーの実家。デンパ家はゲルク派の開祖・ツォンガバの末裔としてチベット貴族の名家として知られている。中庭の柱などにはかつての絢爛さが残っていた」となっていました。(……)
「矢島大人」「弟 等観」と添え書きのある書。これは、多田等観が保治郎を訪ねて前橋の自宅を訪れたとき、その場で書いたもので、その時のことは、同席した仲子さんも覚えているそうです。
今回展示されていたチベット語の直筆手紙などはこれひとつだけ。(保治郎とノブラーにあてラサの両親から送られた手紙などは、スペースの関係で持ち込まなかった、とのこと。)
書きかけのまま投函されることはなかったノブラー直筆の手紙です。
長い半紙に墨でしたためられています。ノブラー亡き後も、保治郎はくるくると巻いて、他の手紙類と一緒にすずり箱に閉まっていたそうです。仲子さんにはその箱を「触るな」「開けるな」と厳しく言っていたそうで、仲子さんは「ダメだ、と言われると見たくなるので、こっそり開けてみた記憶があります」と話していました。
横向きに展示されているので、読める方にも読みにくいでしょうが(私は読めません)、読める人にとっては、読みにくい以上に、筆跡、スペルの綴り、内容、言葉づかい、……すべてがなんともいえない気持ちになる手紙(の下書き)だ、とのことでした。
以上、保治郎展レポートでした。
(え、「それだけか」ですか。はい、蛇足がありますよ…。蛇足を描くためにここまで書きましたよ)
「蛇足 残る謎」へ続く
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